WelcometoPiaCarrot 3 〜if:Re〜 

 

 

「これで…荷物は全部?」

朝早く。

荷物を詰め込んだカバンを肩に背負い、明彦が尋ねた。さやかは部屋の中を見回し、

「うん。後はあたしが持ってるこれだけ」

と小さなリュックを明彦に見せた。

「んじゃ、俺の部屋に戻るか」

「は〜い」

サンダルを履き、手にはスニーカーを持って、さやかは自分用の部屋に鍵をかけた。

愛着どころか慣れることも無かった、302号室との別れだった。

先日のデート以来、さやかは密かに明彦の部屋に引っ越そうということを考えていた。あの部屋に戻ることも、日を追うごとに少なくなったし、何より明彦

の部屋のほうが落ち着く。貴子には了承を得ているし、朱美もさほど反対、という訳ではなかったが、やはり若い男女が1つの部屋で寝起きを共にする、と

いうことにはいささか抵抗があったようだ。しかし、さやかと明彦の懸命な説得のおかげで、何とか朱美にも了解を得ることができた。

ただし、夏姫に言おうものなら説得の余地さえ無いことは、誰の目からも明らかだったため、彼女には内密にしている。

「それじゃあ、昨日決めたとおり、どっちかが着替える時はバスルームを使うこと。荷物は…どっかそこら辺に」

「うん…」

明彦がカバンをイスの上に置くと、さやかは音も無く、そっと明彦を後ろから抱きしめた。

「……さやか?」

「これからは……ずうっと、一緒にいられるね…」

「……ああ」

さやかの細い腕をそっと振り解くと、明彦は彼女を正面から見つめ、そっとキスを交わした。もちろん、明彦もさやかもこの状況がずっと続くとは思ってい

ない。夏休みが終われば、2人はまたそれぞれの家に戻る。だからせめてそれまでは、少しでも多く、長く、一緒にいたい。それが、今の2人のたった1つ

の願いだった。

「それじゃ……飯にしようか?」

「うん」

さやかがキッチンの前に掛けておいたエプロンを身につけ、冷蔵庫の中を物色する。その向こうで、明彦が食卓兼勉強用テーブルを設置していた。

まだそれほど暑くない、8月も半ばに入ろうとしていた朝だった。

 

 

 

第4話 はた迷惑なダブルデート(前編)

 

 

 

「明彦ぉ、助けてくれ!!」

そう言ってきたのは木ノ下昇だった。午後シフトで倉庫整理。暑いことこの上ない最悪の環境でいきなり助けてくれなどと言われ、明彦は思いっきり溜め息

をついた。
「お前な…藪から棒に何を言い出すかと思えば…また金がなくなったのか?言っとくけど、絶対貸さないかんな」

「そうじゃないよ! 実は…デートしたいんだ!」

明彦の肩にがっちり両手を置いて叫ぶ昇。その言動に明彦は思いっきり引いた。デート? 誰が? まさか……自分が、昇と?

「お前……そんな趣味が…」

「?」

昇は明彦の反応に、ただ首を傾げるだけだった。明彦は昇の両手を恐る恐る振り払い、

「俺はお前のこと、ただの友達としか思ってないから…その…そういう関係は……それに、何より俺には高井さやかっていう彼女がいるから…」

「……何言ってんだ? 俺が言ってるのは、ナナちゃんとデートがしたいって事なんだけど」

「ナナちゃん?」

明彦は心の中で、それはもう深々と安堵の溜め息をついた。

「それならそうと、ちゃんと言えよ……デートしたかったら、面と向かって言うしかないだろ?今度の休みの日に、どっか行かないか〜ってさ」

「そ、そうなんだけどさ……」

言いかけて昇が俯く。明彦は持っていた荷物を棚に押し込むと、倉庫の壁に寄りかかった。

「あのな…ひょっとして、断られたらどうしようとか考えてんのか?」

「あ、当たり前だろ?誘ったのに断られたりしたら……俺、立ち直れないぜ」

昇の珍しく弱気な態度に若干驚いたが、明彦も以前はそんな感じだった。本店にいた頃さやかを初めてデートに誘ったとき――――さやかはデートと認めて

いなかったが、はっきり言って開き直っていたというのが本当のところだった。

「考えるよりもまず行動だ。友達としてなら、ナナちゃんだって断らないと思うぞ?」

「と、友達……」

 

 

「あのぅ……さやかさん……」

ランチタイムの客も殆どいなくなり、比較的ヒマになったフロアで、さやかはナナから声を掛けられた。

「どうしたの? ナナちゃん」

「ちょっと相談したいことがあるんですけど…いいですか?」

「え、うん……」

そう答えると、ナナはさやかをレジのところに連れてきた。時間的にもレジの点検の時間でもある。さやかはレジの下からコインケースを取り出し、小銭を

丁寧に入れ始めた。

「それで……相談って?」

手元を殆ど見ずにナナの方を向く。Piaキャロットがアルバイト初体験であるナナはさやかの手際のよさに見入っていて、ちょっと反応が遅れてしまった。

「あ、はい……実は、昇さんのことなんです」

「そう……やっぱりナナちゃん、昇さんのこと……」

さやかの意外な反応。だがナナは、別にそれに驚いたような素振りは見せなかった。実のところ、さやかはナナが昇に対して好意を寄せているのではないか

と思うことがいくつもあった。休憩時間は大抵一緒に過ごしているし、いつも昇の分のジュースも用意していた。シフトが午前と午後で違うときも、必ずと

言っていいほどナナは昇を探していた。

「は、はい……それで、今度の金曜日に昇さんをデートに誘いたいんですけど……うまく言い出せなくて」

「金曜日。明後日ね」

さやかが手を止め、小銭の合計を電卓に出していく。それが終わると、今度は紙幣のチェックに移った。

「ナナちゃんから言いにくいなら、あたしが昇さんに話してみるわ。昇さん、今日はあたしと同じで午後シフトだから、話す機会もあると思うし」

「い、いいんですか?」

千円札の束を作り終えて、さやかはレジの側においてある手拭用のタオルで指を拭くと、ナナの肩に優しく手を置いた。

「だって、ナナちゃんの気持ち……分かるもん。あたしだって女の子だし」

「あ…ありがとうございます!」

レジのチェックを終え合計を出すが、当然のように金額誤差はゼロだった。

 

 

さやかとナナは朱美たちと入れ替わり、厨房の方へと移った。蛇口を軽くひねり、汚れた皿を丁寧に洗い始める2人。

「それで……良かったらもう少し詳しい話、聞かせてくれないかな? せめて理由とか」

「はい、実はですね…………」

8年ほど前のことになる。まだ小さかったナナは、大人の目を盗んで1人で桜森自然公園のボートに乗ったことがあった。もちろん、子どもだけで乗っては

いけないと親からも言われていたし、そうした立て看板もあったが、子どもの好奇心と行動力は意外と侮れないものだった。

その日は偶然1台のボートのロープが解けており、ナナはすばやくそれに乗り込んだのだ。だが、ボートは風とわずかな波に流され、子供の足では届くはず

も無いくらいの深さのところまで行ってしまった。

絶対的な不安と恐怖感。あまりの怖さで声も出ない。自分はこのままずっとここに居なければならないのだろうか? そう思った時だった。見ず知らずの男

の子が池に飛び込み、ナナを助けてくれたのは。

男の子は泣きじゃくるナナを優しく慰め、ただ一言「大丈夫」とだけ言って、他には何も言わず彼女を帰してくれた。

「その時の男の子が、昇さんなの?」

「いえ……よく覚えてないんですけど、何となく雰囲気が似ているような気がして、それを確かめたいんです」

「わかった。じゃあ5時になったら着替えて、お店の裏で待っててくれる? 昇さんを連れてくるから」

「ごめんなさい……お願いします」

 

 

それから約2時間後。休憩時間になる10分ほど前に、明彦たちは倉庫から戻ってきた。今日はさほど荷物も多くなく、いつもよりほんの少しだけ早く終わ

らせることができたのだ。

「「お疲れ様で〜す」」

異口同音に挨拶し、昇が事務所のソファに座る。明彦はフロアの様子を見ようと思い、出入り口のところへ向かう。すると、それとほぼ同時にさやかが事務

所のドアを開けた。

「おっ……と」

「きゃっ…あ、大丈夫?」

「ああ。早いな、もう休憩?」

「うん。あ、昇さん…戻ってる?」

さやかが尋ねると、明彦はちょっと意外そうに「昇に用事なんて珍しいな」と半ば吐き捨てるように言ってしまい、その声がどことなく不満そうに聞こえた

さやかはくすっと笑って。

「ホントは用があるのはあたしじゃないの……」

小声で囁き、昇に近付き、なにやら二言三言会話すると、昇は裏口にすっ飛んでいってしまった。明彦は開けっ放しにされたドアをゆっくり閉め、戻って来

たさやかと一緒にソファに腰掛ける。

「……で、何だったんだ? 昇に用事って」

「ん?……誰にも言わないなら、話してもいいけど……絶対誰にも言わない?」

「? ……言うなってんなら言わないけど」

「絶対だからね!?」

念のためにもう1度確認するさやか。明彦は彼女の妙に慎重な態度に驚いたが、「絶対に口外しない」ということで話を聞かせてもらった。

明彦を信用して、さやかはなるべく控えめな口調で説明した。ナナの過去の出来事と、彼女を助けてくれた少年がいたこと。そしてその少年が昇かもしれな

いということで、ナナと昇をデートにこぎつけようとしていたこと……。

そこまで聞いて、明彦は満足そうに溜め息をついた。

「じゃあ、俺がとやかく口出すことじゃなかったのかな」

「何のこと?」

さやかが手元のウーロン茶を少し含んでから尋ねる。明彦も同様に、アイスコーヒーを口に運ぶ。

「さっき倉庫で相談されたんだよ。ナナちゃんをデートに誘いたいって」

「え、それじゃあ…昇さんも?」

「多分。でも、ナナちゃんの昔の話と関係があるかどうかは分かんないけど」

「そっか……」

そう呟くと、さやかはなにやら考え事を始めた。明彦はその様子を別段気にする様子も無く、ずるずるとコーヒーをストローで啜った。休憩時間が終わると

ナナはそのまま帰宅し、昇は何故か意気揚々と倉庫整理に取り掛かっていた。その理由は推して知るべし、というところだろう。

 

 

その日の営業時間終了後、明彦が着替えに行こうとすると、朱美とさやかが彼の前に現れた。明彦は同居のことでまた何か問題があるのかと思い、

「な、何か問題でも?」

「え? 問題っていうほどじゃないのよ。ただ高井さんが、明日と明後日を入れ替えて欲しいって言ったから、その調整をしていたの」

朱美が丁寧に説明してくれる。

「そういうこと」

さやかが明彦に微笑み、2人はそのまま女子更衣室へと入って行った。明彦は首をひねりながらも更衣室に入り手早く着替えを済ませ、入口のところでさや

かを待っていた。するとさほど時間を置かずにさやかが部屋から出てくる。その後に待っている定例のミーティングが終わり、朱美はスタッフ一同に軽く挨

拶をすると、デスクワークをしている夏姫の元へといってしまった。

そのまま店を出てから、明彦はそっとさやかの手を優しく包み込む。

「何でまた、シフト変更なんかしたんだ?」

「…………言わなきゃダメ?」

困ったような声で明彦に問いかけるが、その顔は何故か、はにかんだような笑顔だった。

「理由も無くそんなことするわけ無いからな。怒らないから、言ってみ?」

「……ナナちゃんのことが気になるの。デートできるって喜んでたけど、心配で……」

「他人のデートにこっそりついて行こうってのか?」

ぐさっ、とさやかの胸に何かが突き刺さった。

「ま、まぁ、ありていに言っちゃうとそういうことなんだけど……やっぱり相談されたってことは、信頼されてるってことだと思うし、責任持ってって事で

…………ダメかな?」

さやかのこめかみの辺りから汗が流れていた。明彦はちょっとあきれたような溜め息をつくが、

「そういう事情なら……俺も付き合わなきゃいけないんじゃないのか? 昇をふっかけたのは俺だし」

と、さやかと同じような笑顔を浮かべた。気がつくと、2人の周りに、なにやら不謹慎な空気が流れ始めていた。

 

 

 

金曜日の正午過ぎ。美崎海岸にある広大な公園・桜森自然公園は、その日差しの強さと気温の高さにもかかわらず、ほどよい清涼感があった。広大な敷地。

広く、透明に透きとおる池。さえずる野鳥たちと蝉時雨。夏休みのキャンプを楽しむ若者や家族連れ。一言で言うなら、平和の楽園といったところだろう。

そんな楽園で、昇はナナを待っていた。生まれて初めてデートに誘い、それを承諾され、遅刻しては失礼だろうと思い、待ち合わせの30分前から彼女を待

っているのだ。

服装は、散々アロハを着ていこうと思ったが、参考までに明彦に相談したところスリッパで叩かれたため、普段どおりのプリントTシャツに着古したジーン

ズという、なんともデートらしからぬ格好だった。

「早く来過ぎたかな……」

ぽつりと呟き、ポケットにねじ込んだ腕時計を見る。約束の時間まではあと10分前後。早ければそろそろ来ていてもおかしくない時間帯だ。

一方、その様子を一足先にボートに乗っていたカップルが逐一監視していた。黒のサマージャケットと、同じくシャープな黒のパンツをはき、前髪を下ろし

た明彦と、ライトブルーのパーカーに白のハーフパンツをはいて、髪を後ろ手に止めたさやかである。いつもの服では一発でバレるからと、普段は全然着な

いようなモノを選んで、明彦にいたっては髪型を思いっきり変えさせられ、今までの中分けヘアーは見る影も無い。もっとも、元が良いだけになかなか似合

ってはいるのだが。

「ったく…これじゃスパイごっこだよ…」

「文句言わないの。似合ってるんだからいいじゃない」

「似合ってる……ねぇ…」

確かに来る前に、明彦は鏡で一応自分の姿を見てはいるが、さやかにそう言われると悪い気はしなかった。

「昇さ〜ん!」

「あ、ナナちゃん!」

若干早足で、ナナが自然公園にやってきた。服はいつもと変わらないが、三つ編みのリボンの色をいつもと少し変えていた。昇はそこにも気付き、すかさず

彼女をほめる。

「どうも、お待たせしてしまったみたいで……」

「いや、そんなこと無いよ。俺もついさっき来たばっかりさ」

明彦たちはボートをゆっくり岸に近付け、昇たちの横につけ話を聞いていた。それだけ近付けば下手をしたら見つかるだろうが、昇もナナも、今はそんな余

裕など無いだろう。

「それじゃあ、最初はボートに乗ろう。こう見えてもボートは得意でさ」

「そ、そうなんですか?じゃ、じゃあ…お願いします…」

いつになく気弱な口調のナナ。だが昇も、彼女が水恐怖症であることは聞かされていたので、ボートに乗るときも彼女のほうに気を配っていた。

「いい雰囲気じゃないか。これだったら、心配いらないかもな」

「でも、最後まで見ておいてあげなきゃ」

明彦の提案をあっさり却下するさやか。明彦たちは昇たちと入れ違いにボートを降り、少し行ったところのベンチで、出掛ける前に作ってきたサンドイッチ

を広げた。量も弁当箱3つ分と相当あり、持久戦覚悟のようだ。

「……気合い入ってるなぁ」

「だって、あたしたちだってデートしてるんだから、これくらいしなきゃ」

質問の内容を履き違えていたが、明彦はそれ以上さやかに意見することなく、レタスカツサンドを口に運んだ。味のほうは、もはや言うまでもない。

 

 

ボートをひとしきり堪能した昇とナナは、並木道の途中に店を出していたアイスクリーム屋で立ち止まった。明彦たちはそれを10mほど後ろから見ている。

ちなみに2人の手には、その店で購入したアイスが乗っていた。明彦はチョコ。さやかはバニラだ。

「えっとぉ…、チョコミントとバニラのダブルと、キャラメルとチョコチップのダブルをお願いします」

「はいよ」

店員の青年がすばやく注文の品を差し出し、ナナと昇がそれぞれ1本ずつ受け取る。が、

「う〜ん……う〜ん…………」

「ナ、ナナちゃん。好きなほう選んでいいから、ね?」

「そ、そうですね………う〜」

ナナが決めかねている間、後方の明彦とさやかはといえば、

「ほい、さやか。ひとくち交換」

「うん。あ〜ん……ん、じゃあお返し」

などと、バカップルぶりを遺憾なく発揮してくれていたりする。

「ふえ〜ん、どっちにしたらいいかわかんないです〜!」

「あ、ナナちゃん、溶けるからどっちも食べていいよ!」

「昇さん……ご、ごめんなさ〜い!!」

そういうと、ナナは昇が差し出した分も自分の分も、あっさりと平らげてしまった。

「ごめんなさい……」

「あ、いいよ。ナナちゃんが食べたかったんなら、俺のことなんて気にしなくていいからさ」

「本当に、すみませんでした……」

真っ赤になって謝るナナ。だが昇は、そんなナナを見てどこか嬉しそうにしていた。明彦とさやかはそんな2人の様子をうかがいながら、アイスクリームの

コーンをばりばりと食べている。口の周りには、そのかけらが少し散らばっていた。

(ばりばり…)……やっぱりいい感じだな」

「うん。でも最後まで見届けなきゃ(ばりばり…)

「最後までって……(ごくっ)

「もちろん(ごくっ)、どっちかが告白するまで」



後編へ続く




2010.2.3