WelcometoPiaCarrot 3 〜if:Re〜
夕べの肝試しの余韻のせいか、さやかが起きたのは午前6時前だった。
もっとも、起きたといっても完全に覚醒して起きたわけではなかった。いつも目覚めのいいさやかにしては、これは何十回に1度、あるかないかの状態だっ
た。せいぜい起きているのは、いつもの約四割といったトコだろう。したがって、今の彼女は夢見心地の状態と言った方が正確だろう。
「……あきひこ……?」
隣では明彦が仰向けで寝ている。それだけ確認すると、さやかは明彦の腹の上に馬乗りになった。当然、遠慮など無く。思いっきり。
「ぐぅえっ!?」
カエルのような声を上げる明彦。うっすらと目を開けると、さやかが目の前にいた。
視線は何だか虚ろで、焦点があまり正しくは定まっていない。胸の上に置かれたさやかの両手が明彦の首の隣に置かれ、彼女の上半身が接近してきた。少し
大きめの服は重力に引かれ胸元が垂れ下がっており、そこからさやかの白い肌と型のいい胸がわずかに覗いている。
「さ、さやか……さん……?」
呼びかけるが、応答なし。その代わりにほんの少し微笑むと、明彦の唇にさやかの唇が重なった。
「ん、んぐっ!?」
名前を呼んだつもりだったが、それは既に言葉にならなかった。首の隣に置かれていた両手はいつの間にか明彦の首に巻かれ、さやかの小さな唇はその見た
目に反してふんわりと柔らかく明彦を包み込み、その感触は瑞々しいゼリーといっても過言ではなかった。なんとも大胆かつ豪華なモーニングキスだった。
「……ん」
さやかがゆっくりと唇を離す。明彦は硬直したまま、彼女を見つめた。寝ぼける余裕もなく、明彦の頭も心臓も、直接薬物注射でもされたかのように高速回
転していた。
「…………だいすき……」
子どものようにあどけない表情でそう言うと、さやかは明彦の横に仰向けになって倒れこみ――――そのまま2度目の眠りに落ちていった。
一方、明彦は顔だけではなく身体中が熱くなっていた。目覚めにあんなことをされれば、誰だってそうなるだろう。
明彦はろくに髪の毛も直さずに、音を立てないように十分気をつけながら部屋を出た。
第3話 退屈な休日の過ごし方(前編)
寮の入口を抜けると、既に日は登りかけていた。まだ夏らしさを感じさせるほど暑くはないが、肌寒く感じるほどでもない。ぐっと背中を曲げると、ぽきぽ
きと骨が鳴った。
「おはよう! 今日はやけに早いわね」
声を掛けられ、明彦が声のしたほうを見ると、中庭のほうから貴子が愛用の竹箒を持ってやってきていた。
「おはようございます、貴子さん」
「すっかり目が覚めてるみたいだけど…何かあったの?昨日、病院でこわい想いでもして寝つけなかったのかしら?」
「そんなんじゃないっスよ……って、そう言えば昨日帰ってきたとき、もう寝てたでしょう?」
そういわれて、貴子はうっと後ろにのけぞった。
「し、仕方ないじゃない…あれからともみちゃんが泣き止むまで待ってから、彼女を部屋まで送って、そしたら何だかきゅ〜うに眠くなっちゃって……」
「それで、俺たちが帰ってくるのも確かめずに、早々と寝ちゃったんですね」
さらに明彦が意地悪な言い方で責めると、貴子は両手を合わせて深々と謝罪した。
「ご、ごめんなさ〜い……で、どうだった?こわかったかしら?」
頭を少し上げて明彦のほうを見る。明彦はそれを見ながらポリポリと頭をかき、
「まぁ…少しだけですけど、驚きはしましたよ。本当に出ましたから」
「……え…?マジだったの?」
本当に意外そうに貴子が反応する。
「まさか…知らないで行かせたんですか!?」
「い、いえね、前々から出るとは聞いてたんだけど、その…アタシも行った事は1回も無いのよ…あはは…」
それを聞いて、明彦は何だか軽い目眩と怒りを覚えた。貴子は本当に済まなそうに詫びるが、その態度にも何となく理不尽さを感じていた。
「はぁ……もういいです。過ぎたことイチイチ怒ってもしょうがないし……俺、ちょっと散歩に行ってきますから、もしさやかが起きたら言っといてください」
「は〜い……いってらっしゃ〜い」
力なく右手を振り、明彦を送り出す貴子。そして明彦の足が向かう先は、自然公園の方角だった。
3日ほど前のことだ。さやかも明彦もその日は午前中ヒマで、その暇潰しをしようと自然公園に足を伸ばしたとき、2人を結びつけるきっかけになったもの
をさやかが発見していた。
「あ、あれ……バスケットボールのコートじゃない?」
「ん? ああ……そーだな」
力なく、そしてどことなく不機嫌に答える明彦。彼がバスケを嫌うに至ったのには、いくつか事情がある。その中のひとつは、中3の時の都大会予選で自分
のミスでチームが負けた事。恐らくこれが、彼の中で大きな傷になっているのだろう。
「ねぇ……久しぶりに見せてよ、明彦のシュート」
「なに言ってんだよ、もう2年以上してないんだぞ? 入るかどうかも分かんないってのに」
「そんなのやってみなくちゃ分からないじゃない。ほら!」
トン、と拾い上げたボールを明彦の胸に押し付ける。さやかも明彦がバスケを嫌う理由は知っていた。だが、そんなことで明彦の特技を消してしまいたくは
無かったのだ。
「…………先に言っておくけど、外しても笑うなよ?」
「うん。笑うわけないよ」
さやかの手からボールを受け取り、2、3度バウンドさせてから右腕を上げ、左手を軽く添える。そして力を適度に抜いて――――シュート。
パスッ、と気持ちのいい音が聞こえ、さやかが惜しみない拍手をする。久しぶりの感覚に、明彦の気分はわずかだが高揚していた。
「すごいすごい!腕は落ちてなかったね!さすが!」
「そりゃ…どうも。けど、あれくらいさやかにだって出来るぞ?やってみ?」
「え? で、でも、この格好じゃ……やりにくいよ?」
そういって視線を落とす。いつものワンピース姿では、さすがにやりにくい事は明彦にもすぐに分かった。
「んじゃ、また今度にするか……」
「うん。で、どうだった?久しぶりにやってみて……やっぱり、嫌い?」
「…………まぁ、悪くは無かったよ。サンキュ」
そういって、さやかの手を取る。嫌っていたはずのものだったのに、不思議と不快感は残らなかった。
そして、明彦はまたバスケを少しだけやろうと思って自然公園にやってきていた。
「(確かに嫌ってたけど…たまにやる分は、いいよな…?)」
そう自分に言い訳をして言い聞かせ、バスケのコートに入ろうとすると、既に先客が1人いた。年は明彦と同じくらいだろうか。少し背の低い少年が、一心
不乱にプレイしている。
「……へぇ」
小柄な体格だが、それを生かしたスピードのあるプレイをしている。身長は恐らくさやかより若干高いくらいだろう。明彦はいつの間にかコートの中に入り、
彼がシュートした後のボールを拾い上げた。
「あ……」
少年が小さく声を上げて反応する。明彦はボールを彼に、少し弱めにワンバウンドさせてパスした。
「上手いね…結構やってる方?」
「う、うん。ボク、スポーツ全般好きだから」
少年の声はよく通るボーイソプラノだった。見た目からも、どことなく女の子っぽい顔立ちをしている。
「1人でやってもつまんないだろ? 俺とちょっとだけ、勝負しない?」
明彦がそういうと、少年は一瞬戸惑ったような表情になったが、すぐに「うん!よろしくね!」と爽やかでどこか可愛らしい笑顔で答えてくれた。その笑顔
に、明彦は恥ずかしくなる一方で、なぜか既視感を感じた。
明彦の先攻で始まったゲームは、予想外に白熱した展開になった。
15cm近い身長差をものともせず、彼は体格を生かしたスピード感のあるシャープな動きで、明彦を翻弄した。
ゴール下からも外側からも自由に決められるほど、少年のプレイは冴えていた。
だが、明彦とてやられっぱなしでは無かった。1度でもボールを奪うと、明彦が得意としていた3ポイントシュートが決まる。
もっとも、2年以上のブランクのおかげで成功率はかなり低くなっていたが、身長差を生かしたゴール下では、少年よりも若干上回っていた。
勝負はまさに一進一退で、結局2人がゲームを終えたのは40分も後のことだった。
明彦と少年がゲームを始めていた頃、さやかは二度目の起床を果たした。さすがに今回は寝ぼけてはいないが、起きたはいいが明彦がいない。
「……はれ? 明彦?」
部屋を見回すが、間違いなく明彦の部屋だ。隣に寝ていたはずの明彦のタオルケットは、既に温もりが無くなっていた。
「……むぅ。貴子さんなら何か知ってるかも…」
少々乱れた髪を直しに露天風呂の脱衣場に行き、ブラシをかける。ふと鏡に映った脱衣籠を見ると、誰も入っていない様子だった。
「…………」
何気なく自分の腕のにおいをかぐと、何だかカビくさい。昨日の廃病院のせいだろう。
「……シャワー、浴びよう」
そう言っていそいそと3階の自室に戻り、替えの下着と服とタオルを持って下り、明彦の部屋に戻って自分のシャンプーとリンスを取る。3階に自室がある
点で部屋を往復することが必然的に多くなり、さやかはなにかと不便な思いをしているが、こればかりは仕方がない。ちょっと熱めのシャワーを浴び、意識
をハッキリさせると、わざわざ家から持参してきたシャンプーとリンスで髪の毛を丁寧に洗い、小さめのタオルで髪をまとめる。そして身体を念入りに洗い、
もう1度においをかいでみる。フローラルないい香りがした。
「よし、おっけー」
シャワーをもう1度浴び、泡と汚れをキレイに洗い流し、裸のまま脱衣場に戻って丁寧にお湯を拭き取り、衣類を着る。動きやすいよう、ハーフパンツとT
シャツ姿だ。洗顔を済ませてから髪を乾かしてブラシを通し、最後に鏡で顔をチェックする。
「……」
相変わらずの赤みがかった瞳と、腰近くまである薄茶色の髪。健康的ながらも白い肌。化粧などしなくても、にきびや肌荒れなど一切ないし、何よりそんな
ものに頼らない。それがさやかのある種のこだわりだ。
「よし…貴子さんに聞いてこよう」
所要時間は実に20分。女の子の朝の身だしなみにかける時間としては短いくらいだろう。いったん明彦の部屋に戻り、洗面道具と着替え前の衣類をビニー
ルバッグに詰めてベッドの側に置き、お気に入りのスニーカーを履いて寮を出ると、貴子がいつものように掃除をしていた。
「貴子さん、おはようございます」
「あらさやかちゃん、おはよ。今日は神無月君のほうが早かったわよ?」
さやかが質問するよりも前に貴子がそう言う。さすがに隣の部屋というだけあって、貴子は2人がたまに同室で夜を明かしていることを知っているのだ。
「それなんですけど……明彦がどこ行ったか、知りませんか?」
「30分位前に、散歩に行くってさやかちゃんに伝えてくれって言われたけど……海岸通りか自然公園あたりじゃない?」
「あ、そうですか……分かりました。ありがとうございます」
貴子に礼をして、さやかは自然公園のほうへと向かった。
並木道を歩いていると、先日見つけたバスケットコートの中で、明彦が男の子と試合をしているのが見えた。フェンスの側まで近づくと、なかなか白熱した
試合だということは、何となく2人の空気で読み取ることが出来る。どちらとも緊張した面持ちだ。
「あの人……知り合いなのかしら」
ズボンのポケットから財布を取り出し、公園の入口の自販機でジュースを2本買ったところで、さやかは手を止めた。
「……ま。いっかな」
ひとり呟いて、もう1本スポーツドリンクを買う。持っている手がどんどん冷たくなっていく。さやかが急いで明彦の元に向かう頃には、試合はもう終わっ
ていた。
「はぁ……はぁ……」
「はっ……はっ……」
息を切らし、その場にひざを抱えて座り込んでいる明彦の首に、さやかは冷えたスポーツドリンクを不意打ちでぴとっと押しつける。
「だぁっ!!?
驚いて飛び跳ねる明彦。その様子を見ていた少年が、くすっと笑う。
「起きていないと思ったら、散歩に行くなんて言って遊んでたの?」
「……さやか?」
ハトが豆鉄砲食らったような顔をして、明彦がジュースを受け取る。仕返しに1時間前のことをさやかに言おうかとも思ったが、それが元で言い合いになる
のはイヤだったので、朝の熱烈モーニングキスの件は記憶の奥にしまい込んでおくことにした。
「やっと起きたか、ねぼすけさんめ」
「よく言うわよ。いつもより1時間半も早起きして…そんな余裕があるんでしたら、あたしの代わりに朝ゴハンの1つでも用意してくださいません?」
意地悪くも楽しそうな口調でさやかが言うのを聞きながら、明彦は手渡された缶ジュースを一気に半分ほど飲み込む。その横でさやかが軽くため息をつく。
「まったく…あ、良かったらどうぞ?」
隣に座り込んでいた少年にジュースを手渡そうとすると、少年は少し戸惑いながらも、「ありがとうございます!」と笑いながら受け取った。が、さやかは
この少年を見てなぜか疑問が残った。
「……?」
服をまじまじと見つめる。どこにでも売ってそうな英語のロゴ入りシャツだが、汗で体に張りついている。そしてその胸元に見える、わずかな膨らみは……。
「……もしかして、女の子?」
さやかが小声で尋ねると、彼が答えるよりも先に明彦がジュースを少々噴き出した。
「な、なにバカ言ってんだよ?んなこと――――」
「はい!ボク、天野織江っていいます。彼とはココでたまたま知り合って――って、あれ?ボク、君にいわなかったっけ?」
と織江が明彦のほうを振り向く。同じくさやかも明彦のほうを見ると――――
神無月明彦は、見事に石化していた。
「もう、明彦のことだから織江さんのこと男の子だと思ってたんでしょ? 失礼しちゃうわよね?」
うっ、と小さくなる明彦。
「でも、ボクも神無月くんに名前も名乗らなかったし、それに…こんなカッコだから、男の子と間違われること多いんだよね」
「それでも、やっぱり失礼よ」
コートの片隅のベンチに移動して、織江・さやか・明彦の順で座り、さやかと織江はすっかり仲良くなっていた。さやかが聞いたところによると、織江は駅
前のゲームセンターの2階にあるビデオレンタルショップでバイトをしているらしい。そして今は明彦が織江を男と間違えたことに対して、さやかが代わり
に抗議しているのだ。
「さやかさん、もういいよ。神無月くんも分かってくれてるし……ね?」
「すんませんでした……」
明彦が情けなく頭を下げると、さやかは明彦の手を引っ張って立ち上がらせた。
「この前約束したでしょ? 今度バスケ教えてくれるって。ちょうどいいから、今から教えて?」
「え、まぁ、教えるのは別にいいんだけど……天野さんはどうする?もう帰るの?」
「うん。そろそろ朝ごはんの時間だしね。じゃあさやかさん、バイバイ」
「うん、またねー」
さやおかと織江はお互いに手を振りながら別れ、その間に明彦がボールを拾い、戻ってきたさやかにワンバウンドパスをした。
「じゃ、はじめますか?」
「は〜い。よろしくおねがいします」
ぺこり、とさやかが頭を下げる。
「それじゃあ、まずはシュートの姿勢。体の力をラクにして……右手にボールを乗せて、左手は支えるように。んで、ちょっとキュークツかも知んないけど、
ヒジを浅く曲げるだけにして…こんなカンジに」
と、明彦がさやかの正面に立ち、背中越しに指示を出す。さやかは明彦のフォームをそっくり真似たが、彼の言う通りなんとなく窮屈な感じがした。
「何か、キツいんですけど〜?」
「まぁ、すぐに慣れるから。んじゃ、とりあえず一回シュートしてみ?」
明彦はそう言いながらさやかの後ろに回りこむ。さやかは明彦に言われた通りシュートしたが、ボールはリングに届くことなく途中で落下してしまった。
「あれ?」
明彦が転がったボールを拾い、再びさやかに手渡す。
「ま、そんなもんだろうな。今度はさっきのに、もう少し膝のバネを使ってやってみて。軽く曲げてから――――」
再びシュート。すると、今度は余裕でリングまで届いたが、勢いがつき過ぎてボードに弾かれた。
「う゛〜〜っ」
不満そうに膨れっ面で明彦を見る。すると明彦はさやかの両腕を軽く持ち、姿勢を正してから。
「力入れすぎ。もうちょっと力抜いてもちゃんと届くから。あとヒジ広げ過ぎ。最後に言うなら、左手は添えるだけ。両手で打とうとするから余計な力が
入るんだよ。高さが足んない時は、ちょっとだけジャンプしてみればいいから。あくまでも、リラックスして」
と優しくアドバイス。さやかは手取り足とりという言葉通りに教えてくれるコーチの態度にちょっと赤くなりながら、明彦に言われたとおりに体勢を作る。
「(高さは足りてたけど、力が入ってたから、ちょっとだけジャンプして…ヒジを閉じて、左手は添えるだけ……リラックスしてから…………シュートっ)」
さやかの放ったボールは、初心者のシュートとは思えないほどキレイな放物線を描いてゴールに入った。
「あ――――入った……入った入ったぁ!!」
あまりの嬉しさに、さやかは思わず明彦に抱きついた。明彦はいきなりの攻撃に若干よろめいたが、さやかの髪をくしゃっとかき上げた。細い髪の毛とそれ
から香るシャンプーの優しい香りが、明彦の鼻孔をくすぐる。
「やったな! 初めてにしてはお世辞抜きで筋がよかったぞ?」
「えへへ……だって、先生がいいもん」
幼い少女のように可愛らしく微笑む。それを見た明彦はちょっと照れくさかったが、彼女の笑顔が、この世の何よりも大切に思えていた。
さやかのシュートが初めて決まってから20分ほど練習し、最後にほんの少しだけ試合をしてから2人は寮に戻った。それ相応に疲れたし、何よりも空腹だ
からだ。特に明彦は、6時前から起きているため、空腹はピークに達していた。寮に戻り2人とも軽くシャワーを浴びて、着替えてから朝食を取る。なんだ
かんだでいつもと大して変わらない時間だ。
「にしても、さやかは筋がいいよ。動きも悪くないし」
「それは、明彦のコーチが上手だから。だってあたし、運動ってそんなに得意な方じゃないもん」
これは事実だった。学力においてはさやかは学園でもトップクラスだが、運動は本当に人並み程度なのだ。取り立てて何が得意と言うわけでもなく、全般的
に平均レベルだ。一方で明彦は、成績こそ真ん中程度だが、運動は基本的に得意なほうだった。短距離でも比較的速いほうに分類され、運動能力も平均より
は上なのだ。小学校からバスケを続けてきて、たかだか二年強やめていた程度では、頭で忘れたつもりになっていても、体はしっかり覚えている。指導が上
手いのは、自分の経験からどこをどうすればいいのか、しっかり分かっているからだ。それが得意分野ならば、なおさらそうだ。
「けどまぁ、さやかがこれからもバスケをちょっとでもやって行く気があるんなら……」
「あるなら?」
鸚鵡返しに質問すると、明彦はちょっとためらっていたが。
「少しだけだけど……続けてもいい……かな、と」
「あ……うん!」
元気よく返事をすると、さやかは正座したまま後ろに下がり、丁寧に三つ指突いて明彦に頭を下げてきた。
「これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します……」
「……努力します」
頭をかきながらさやかに合わせる明彦だが、どうしてもお互い笑ってしまう。その結果、いつも通り喋りながら朝食を取り終えると、映画にいく準備も忘れ
てしまっていた。
後編へ続く