「ふう・・・皿洗いも結構大変ですね?早苗さん」

割と大きめの皿――おそらくオムライスやスパゲッティなどを乗せるのであろう――を拭き終わり一息ついた耕治が、隣で作業をしている女性に話しかける。

「うふふ、そうですか?私はもう慣れましたけど」

耕治の視線の先にいた女性――”縁早苗(えにし さなえ)”は、そう言って穏やかに微笑んだ。

耕治より一つ年上の彼女はディッシュ(皿洗い)専門でフロアに出ることがないので、いつも仕事中はメイド服をモチーフとしたキャロットのウェイトレス姿ではなく、エプロンを掛けている。

もともとはウェイトレスだった彼女がディッシュ専門になったのは理由があるのだが・・・まあそれはさておき、耕治は初めてのディッシュの仕事を、ここで何ヶ月も働いている彼女に教わりながらこなしていた。

皿洗いとは言っても自動食器洗い機があるので、ここでの仕事はフロアから運ばれてきた食器を機械の中に入れて、洗い終わった食器を拭くだけである。

もっとも、普段あまり食器洗いなどしない耕治はその作業にも悪戦苦闘していたのだが・・・。

「それにしても、ディッシュの仕事がここまで忙しいだなんて思いませんでしたよ」

「そうですね・・・。今日のようにピーク時などは団体のお客様が帰った後に一気にお皿が来ますから、今日は耕治さんが来てくれて助かりました」

ちなみに今週の耕治のシフトは、涼子に決められたものだ。

昨日は店の前の掃除、一昨日は厨房で仕込み、そして明日はフロアでウェイターをすることになっている。

先週の週末の打ち合わせの時に、「色んな仕事も経験していた方が良いわよ?」と言われ「なるほど」と納得した耕治は、今週のシフトを涼子に任せたという経緯がある。

「あっ、もうそろそろ早苗さん、あがりの時間じゃないですか?」

耕治が時計を見て呟き、早苗を促す。

文字盤の針は間もなく5時になろうかというところで、それは今日は早番から入っている早苗の勤務終了時間だった。

「えっ、でもまだお皿が・・・」

耕治の予想通り、性格上早苗は躊躇する素振りを見せる。

「後は俺がやっておきますから大丈夫です。だから気にせずあがってください」

『今日の早苗さん、なんだか疲れているようだしな・・・』

実際今日の早苗は風邪などの症状ではなく、どちらかと言うと身体的に疲れているといった感じだった。

「・・・はい。じゃあお言葉に甘えさせて頂きますね?」

無意識の内に笑顔になっていた耕治に、早苗は少し顔を赤らめながら答えて、手を拭いてから出口へと向かっていく。

「耕治さん!」

扉の手前で振り向いた早苗から聞こえた声に、仕事に戻ろうとしていた耕治も振り向く。

「ありがとございました!・・・頑張ってくださいね?」

早苗は笑顔でそう言い、最後に軽く微笑みながら頭を下げて、今度こそ女性用更衣室へと向かった。

「・・・よし、頑張るか!」

早苗のその態度にやる気が増した耕治は、自分を鼓舞しながら仕事に取り掛かる。

数分後、機械では落ちなかった頑固な汚れをスポンジで落とし終わり、手を拭いていた時・・・

”クイッ、クイッ”

「うん?」

背中を誰かに引っ張られる感触を覚えた耕治は、『誰だろう・・・早苗さん、忘れ物でもしたのかな?』などと考えながら後ろを振り向いた。





Piaキャロットへようこそ!!2 SS

          「Piaキャロ2 〜another summer〜」

                          Written by 雅輝




<7>  彼女の笑顔



「・・・あれ?」

後ろを振り返り辺りを見渡しても誰かがいるようには見えない。

「・・・・・・まぁ・・・」

とその時、微かな声が耕治の耳に届き、その音源を辿って目線を下へと下げていく。

「おにぃちゃん・・・まぁ、どこ?」

「えっ・・・ええええぇぇぇぇ!!?」

耕治の目線の先には――2歳から3歳といったところだろうか――小さな女の子が泣きそうな顔をして、耕治の服の裾にしがみ付いていた。

『は?え?い、一体なにがどうなっているんだ?』

まるで予想していなかった事態に、耕治の頭は一気に混乱する。

「まぁ・・・ぐすっ」

今にも泣きそうな女の子を見て、耕治の混乱した頭はようやく『と、とりあえず宥めなきゃ』という結論に達する。

「え、え〜と・・・君はどこから来たのかなぁ?」

耕治は目線が同じ高さになるようにしゃがみ込み、優しく話しかける。

「ぐすっ・・・あっち」

と言って、女の子はフロアの方を指差す。

『フロア・・・ってことは迷子かな?』

「じゃあ、君のお名前は?」

「・・・かある」

『カール?いや、かおるちゃんかな?・・・ん?その名前、どっかで聞いたことが・・・』

「おにぃちゃん・・・」

急に黙り込んだ耕治に不安になったのか、かおるが不安そうな目で見上げてくる。

『かおる・・・おにぃちゃん・・・。あっ、思い出した!この前俺にぶつかって来た女の子じゃないか!』

『ってことは、母親はあの若そうな人か・・・』と思い出した耕治は、かおるに「ちょっと待っててね」と告げてフロアに行こうとしたのだが、彼女に服の裾を引っ張られその動きを止められる。

「おにぃちゃん、いっちゃやだぁ」

かおるが不安そうな顔でしがみ付いてくる。

「大丈夫だよ。ママを呼んでくるだけだから」

耕治はかおるを安心させようとそう言ったのだが・・・

「まぁ・・・う、うわぁぁぁぁん!!!」

かえって母親の存在を思い出させる結果となり、かおるはとうとう泣き出してしまった。

『う、うわっ。どうしよう』

「ど、どうしたの?一体・・・」

困り果てた耕治に救いの手。

休憩室に行こうと廊下を歩いていたあずさが、その泣き声を聞きキッチンへとやって来た。

「あ、日野森。丁度良い時に来てくれたよ」

「な、何よ・・・ってどうしたの!?その子」

「どうやら迷子みたいなんだ・・・。でも、この子のお母さんに心当たりがあるから、悪いけど俺がその人を連れてくるまで預かってくれないか?」

「えっ?ちょ、ちょっと・・・」

まだ困惑しているあずさに、未だ泣き続けているかおるを引き渡す。

「ああ〜、もう!わかったわよ」

あずさはかおるをひょいと抱きかかえると、耕治が今まで見たことが無いような慈愛の表情でかおるの目を見つめる。

「もう、そんなに泣いちゃって・・・。どうしたの?」

そしてゆっくりと、優しく訊ねる。

「ぐすっ・・・まぁ・・・いないの」

「大丈夫よ。すぐにママのところへ連れて行ってあげるから・・・」

「ひっく・・・・・・ほんと?」

「本当よ。だから泣き止んで・・・ね?」

額をコツンと合わせ、優しげな目で見つめるあずさのその言葉に、かおるは自分の服の袖でごしごしと目を擦り、

「・・・エヘヘ。おねぃちゃん、だいすき♪」

とあずさの胸に満面の笑みを浮かべた顔を押し付けた。

「ふふ、かわいい・・・」

耕治にとって、それはまさに神秘的ともいえる光景だった。

耕治はいつまでも見ていたい気分に駆られ、その場に立ち竦んでいた。

《ちょっと、いつまでぼ〜っと突っ立ってるのよ・・・。早くこの子のお母さんを呼んで来てくれる?》

しかしそれに気づいたあずさに呆れたような顔で囁かれ、ようやく本来の目的を思い出した耕治は「あ、ああ」と頷いて、すぐにフロアへと向かった。



フロアに出てみるとやはりというか、かおるの母親――”山名春恵(やまな はるえ)”が、娘の姿を捜すようにフロアを行ったり来たりしていた。

「あの・・・」

そんな春恵に、耕治は遠慮がちに声を掛ける。

「え?あっ、あなたは・・・。先日は本当に申し訳ありませんでした」

振り向いた春恵は耕治があの時の店員だと気づき、丁寧に頭を下げる。

「いえ、それよりお子さんを捜してるんじゃないですか?」

「えっ、どうしてそれを?」

「えっと・・・じつはかおるちゃんが店の奥にあるキッチンに迷い込んできまして・・・」

「ええ!?」

春恵が酷く驚いた様子を見せる。

「とにかくこちらへ」

「わ、わかりました」

耕治が店の奥へと促すと、春恵は慌てたように耕治の後に続いた。



「かおる!」

「あっ、まぁ!」

その声に、あずさの胸の中で幸せそうな顔をしていたかおるは、嬉々とした声を発すると同時に顔を上げた。

あずさがかおるをそっと地面に降ろしてやると、かおるは小走りで駆けて行き、春恵の両足に抱きついた。

「まったくもう、この子ったら・・・心配ばっかりかけて・・・」

春恵はしゃがみ込み、おそらく自分の命より大切な我が子を安堵の表情で抱きしめる。

その母娘が抱き合う構図は、とても美しく、神聖なものに見えた。

「いいお母さんだよな・・・」

あずさの隣に立った耕治が、誰ともなしに呟く。

「ええ、そうね・・・」

あずさもまた、耕治のそれに答えるようにそう呟いた。

「何度もご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありません!・・・」

かおるを抱き上げ立ち上がった春恵は、こちらが恐縮してしまうくらい深々と頭を下げた。

「そ、そんな気にしないでください。大した事をしたわけでもありませんから・・・。なあ?」

耕治はそう言って、隣にいるあずさに振る。

あずさは内心『何でそこで私に振るのよ?』と耕治に非難の視線を送ってから、

「そ、そうですよ。だからもう頭をお上げください」

と慌てて付け足した。

「あぁ・・・」

春恵は、自分より年下なのに自分より余程しっかりした二人の態度に、感謝と感嘆の意を覚えた。

「ありがとうございます・・・。ほら、かおるもお兄さん達にお礼を言って」

「うん!おにぃちゃん、おねぃちゃん、あいがとう!」

「「どういたしまして」」

完全に返事がかぶった二人は、お互いの顔を見て、少し頬を赤くする。

その場には、穏やかな空気が流れていた。



「それでは本当にありがとうございました」

かおるをおんぶした春恵は、最後にそう言ってフロアへと戻っていった。

「ふう・・・ホント、助かったよ。ありがとう日野森。休憩時間だったのにごめんな?」

そんな母娘を見送った耕治は、改めてあずさにお礼を言う。

「ふう・・・ホントいい迷惑だったわ・・・」

あずさはいつも通りぶっきらぼうな返事をしてから、「でも・・・」と続けた。

「かおるちゃんが可愛かったから、チャラってことにしといてあげる♪」

そう言ったあずさの顔は、今まで一度も耕治に向けられたことの無い、紛れもない”本物の”笑顔だった。

『あっ・・・』

耕治はその笑顔に不意を付かれ、思わず見惚けてしまう。

『あっ・・・』

同じくあずさも、自分が耕治に対してそのような笑顔を向けているのだとようやく気づき、

「じゃ、じゃあ私は休憩に入ってくるから・・・」

恥ずかしくなったのか、心なし赤くなった顔を俯かせ、早口にそう言い残すと足早に休憩室へと向かった。

あずさが去った後のキッチンでは

「日野森の笑顔・・・可愛かったな・・・」

と耕治が一人、無意識に呟いていた。


8話へ続く



後書き

どうも〜、雅輝です。

やっと早苗さんを出すことが出来ました!

でも、結局山名母娘が主役になっちゃいましたね(汗)。

もっと出すつもりだったんですけど・・・気づけばタイトル前にいなくなっていました(笑)。

私の中では”早苗さん=ダイエット”って感じなので(←ヲイ)今回のSSではいまいち出しにくいんですよ。

早苗さんファンの皆様には、ホントに申し訳ねえです・・・。

さて、次回は(ようやく)あずさと耕治の関係に動きがある・・・かも(笑)。

それでは次の更新で。



2005.12.4  雅輝