「耕治さん、ここはどうなるんですか?」
「ん?ああ、それはね・・・確かこの公式を・・・」
コーポPiaの一階、102号室。
夏の間だけ貸し与えられた室内で、耕治は今日も美奈と勉学に励んでいた。
初めて一緒に勉強して以来、美奈は割と頻繁に耕治の部屋に来るようになった。
もちろんその目的は勉強を教えてもらうためなのだが・・・それだけなのかと問われると、美奈は首を縦には振れないだろう。
今も隣に座って勉強を教えてくれている、優しくて頼りがいのある”お兄ちゃん”と一緒だからこそ、あまり好きとは言えない勉強でもやる気になれるのだ。
もっとも本人はあまりそのことについて、深くは考えていないようだが・・・。
”ブーーーン”
机の横に置いている扇風機が、その首を左右に振りながら単調な機械音を発している。
この寮の部屋は最初から必要最低限の家電が常備されている至れり尽くせりの部屋なので、エアコンもあったりする。
しかし朝の涼しい時間帯は、クーラーを付けるより扇風機の方が役に立つし経済的にも良いので、耕治が自宅から引っ張り出してきたのだ。
実際耕治と美奈は、扇風機から送られてくる涼しげな風だけで暑さを忘れ、黙々とそれぞれの課題に取り組むことが出来た。
<6> 両親の形見
「・・・」
耕治はふと英語の翻訳をしていた手を止めて、あることを考え始める。
それは・・・進路のこと。
高校三年生ならほとんど誰もがぶち当たる壁は、耕治の前にも例外なくそびえ立っていた。
『・・・大学・・・か』
今まで書き続けていた英語のノートを手に取り、ぼんやりと見つめる。
この時期のこういった課題は、大抵大学への進学を前提にしたものである。
しかし耕治は今のところ大学に行くつもりは無かった。
かといって、明確な未来(さき)が見えているわけでもない。
”今の自分を大切に出来る道”・・・。
そういったモノを、漠然と探しているだけであった。
『こんなことで良いのかな・・・』
「――うじさん・・・?耕治さん!」
「おわっ!」
突然真横に現れた美奈の顔に、耕治は驚いて反射的に体を仰け反らす。
お互いの顔まで数センチといった至近距離で美奈の顔を見たため、必死に冷静さを保とうとする耕治の心臓はハイスピードで律動していた。
「な、何かな?美奈ちゃん」
「何かな?じゃないですよぉ。耕治さん、ぼんやりして全然美奈の呼びかけに応じてくれないから、美奈心配になっちゃったですぅ」
「へ?そうなの?」
どうやら、美奈の声が聞こえないほど意識がトリップしていたようだ。
「耕治さん、体の調子が悪いんですか?」
「いや、なんていうか・・・」
言いかけた耕治は、心配そうな美奈の顔を見て『そういえば・・・』とある事を思い出す。
『美奈ちゃんの姉――日野森も俺と同じ三年生だったじゃないか・・・。彼女は進路の事をどう考えているんだろう?』
耕治は参考にと美奈に訊いてみることにした。
「ちょっと訊いていいかな?」
「? はい、美奈に分かることなら・・・」
「あずささんの進路について・・・何か聞いてないかい?」
「お姉ちゃんの進路・・・ですか?」
美奈はきょとんと聞き返すが、耕治の真剣な表情を見てそのまま言葉を続ける。
「えーとですね・・・。この前は近所にある短大に行くって言ってましたけど・・・」
美奈の言葉を受けた耕治は『ああ、やっぱりそうか』と思ってしまう。
『そうだよな・・・。この時期にこんな馬鹿なことを考えているのは俺ぐらいだよな・・・』
「でも・・・最近また進路のことで悩んでいるようなんです」
「・・・えっ?」
その言葉に、自嘲気味になっていた思考が戻ってくる。
「もちろん、お姉ちゃんは頭もいいですからどこの大学にだって行けるとは思うんですけど・・・。たぶんお姉ちゃんは叔父さん達に気を使ってるんだと思います」
「・・・叔父さん達?」
耕治は今の会話の流れで、親ではなく叔父が出てくることを不思議に思い、オウム返しに聞き返す。
進路といえば一生を左右するような大きな問題。
それに親が関わらないというのは、余程我が子に対して関心がないのか・・・それとも・・・。
「そういえば、耕治さんは知らなかったんですよね・・・」
と、美奈は少し悲しそうな顔を見せ語りだす。
「今、美奈達姉妹を育ててくれているのはお父さん方の叔父さん夫妻・・・。美奈の本当のお父さん達は・・・十年以上も前に、交通事故で亡くなりました」
「あ・・・」
その事実に、言葉を無くす耕治。
「えっと、その・・・ごめん、嫌な事を思い出させちゃって・・・」
いくら知らなかったとはいえ、美奈にとっては決していい気分にはならないだろう。
素直に頭を下げた耕治に、美奈は無理をしている様子もなく軽く微笑む。
「そんな、耕治さんが謝ることなんて無いですよ・・・。それに美奈の傍にはずっとお姉ちゃんがいてくれましたから、ちっとも寂しくなんか無かったです」
そんな美奈の微笑は、普段子供っぽい彼女からは想像もつかないほど大人びて見えた。
「美奈ちゃんは・・・強いな」
「そんなことありません・・・。美奈はお姉ちゃんに甘えていただけですから・・・。本当に強いのはあずさお姉ちゃんですよ」
穏やかに微笑む耕治に、美奈ははっきりと言い切る。
『確かに、日野森は強いよな・・・』
両親が死んだのが十数年前だとすると、当時彼女はまだ小学校に入学したばかりといったところだろうか。
まだまだ誰かに甘えたい年頃――しかし唯一彼女が甘える事が出来た大切な人たちは、一度にこの世を去ってしまった。
それ以来彼女は姉として、親として、自分より幼い美奈を守ってきたのだろう。
だからあんなに気丈な・・・いや、しっかりとした性格に育ったのかも知れない。
あずさの事を考えていた耕治は、ある事に思い至る。
『じゃあ、あのペンダントは・・・』
彼女がとても大切にしていたペンダント・・・。
ぱっと見た限り高価そうではなかったが、それなりに年季の入ったものだった。
『もしかしたらあれは・・・両親の形見なんじゃ・・・』
そう考えると、あずさの態度にも納得がいく。
駅前でひっぱたかれた事も、事務室でふんだくるように取られた事も・・・。
「・・・ねえ、美奈ちゃん」
ある種の確信を抱きながら、耕治は美奈に問いかける。
「なんですか?」
「あずささんがいつもしているペンダントも、もしかして・・・」
「・・・はい。美奈達のお父さんが、お母さんに最初にプレゼントした品物らしいんです。お母さんから事故に遭う前日に貰って以来、お姉ちゃんの宝物だって言ってました」
『やっぱり・・・そうだったか・・・』
ある程度予想していた答えとはいえ、耕治は内心落ち込んでしまう。
『馬鹿だな、俺・・・。そんな大事なものを貶してしまったなんて・・・』
あの駅前で言ってしまったことに、後悔すると共に自己嫌悪してしまう耕治。
『ちゃんと・・・謝らなきゃな・・・』
「えっと、耕治さん。ペンダントがどうかしたんですか?」
黙り込んでしまった耕治を、美奈が心配そうに見つめる。
「いや、なんでもないよ」
そんな美奈に、耕治は何も無かったように笑顔で答える。
自分たちが仲違いしている原因が、両親の形見にあると知られるのは何となく嫌だったからだ。
「・・・」
しかしいつも耕治の笑顔を見ている美奈には、その笑顔が嘘だということが分かってしまった。
笑顔の裏にやりきれない思いを隠しているような・・・そんな笑み。
「そうですか・・・」
微妙に納得がいかなかったが、あまり深く追及することも出来なかったので、素直に頷いておく。
「おっと、もうそろそろキャロットへ行く時間だ。じゃあ今日はここまで。キャロットまで一緒に行こうか?」
話題を反らすために、そう言って立ち上がり美奈を促す耕治。
確かに、今日は二人とも昼からシフトに入っているのだが・・・。
「あっ、はい」
その行動に白々しさを感じつつも、美奈は机の上に広げていたノートや問題集を鞄に詰め込み始めた。
7話へ続く
後書き
6話UP。
・・・短文でごめんなさい(汗)。
しかもまたあずさ出てないし・・・。
あずさSSと銘打ったからにはもっと出さないと駄目ですね。
対照的に美奈ちゃんが頑張っています。
このまま美奈SSになってしまうかも・・・(嘘)。
次回はあずさもちゃんと出ます(たぶん)。
それでは次の更新で〜♪
2005.12.1 雅輝