「ふう・・・まあこんなところかな?」

耕治は一通り片付いた部屋を見回し、満足気に息を吐く。

「っと、もうこんな時間か・・・。美奈ちゃん、時間にはきっちりしてそうだしそろそろ来るかな?」

時計の針は、後数分で一時になるというところだった。

『そういえば、自分の部屋に女の子を入れるのは初めてだな・・・』

そう、耕治は今まで女の子を家に入れたことなど無かった。

18歳という年齢にしては珍しいかもしれないが、彼自身今まで恋愛にはあまり興味がなく、付き合った女性もいなかったのでしょうがないことなのだろう。

尤も、耕治はルックスも悪くないし優しいので、彼女を作ろうと思えばいくらでも作れたのだろうが・・・。

とにかく、初めて女の子を招く耕治はなんだか変に緊張してきて、部屋の中をぐるぐると周ったり、時計を何度も確認したりと落ち着けなかった。

そしてちょうど時計の針が一時を指したとき・・・

”ピーンポーーン”

来訪者を告げるベルが鳴った。




Piaキャロットへようこそ!!2 SS

          「Piaキャロ2 〜another summer〜」

                          Written by 雅輝




<4>  休日の勉強会(後編)



そのベルの音に、耕治は急いで靴を履き、ドアを開ける。

”ガチャ”

そして目の前にいるやや緊張気味の美奈に挨拶する。

「やあ、いらっしゃい。美奈ちゃん」

「こ、こんにちは、耕治さん♪」

私服姿で、学校の鞄――勉強道具が入っているのであろう――を持った美奈に、耕治は新鮮さを覚えると同時になんだか恥ずかしくなった。

「え、えーっと・・・それじゃ、中へどうぞ」

「あ、はい。お邪魔しま〜す」

律儀に軽く頭を下げながら、部屋の中へと入る美奈。

靴を脱ぎ、部屋の中央にあるテーブルへと案内された美奈は、敷かれていた座布団に正座をして、きょろきょろと周りを珍しそうに見回した。

それもそのはず、美奈が歳の近い異性の部屋に入るのは初めての事だった。

美奈は恋愛に関して奥手で、耕治同様今まで付き合っていた異性もいない。

幸い(と言っていいのだろうか)、美奈にとって耕治は歳の近い異性というよりも頼りになるお兄さんという感じなので、少し緊張はしているものの部屋に入ることにさほど抵抗は無かった。

もしこれが・・・例えば気になっている同級生の部屋だったら、美奈は顔を真っ赤にしてがちがちに緊張しているだろう。

もっとも例えばの話で、美奈にはそんな同級生などいないのだが・・・。

それはともかく、初めて異性の部屋に入った美奈の第一感想は、

『へえ・・・これが男の人の部屋なんだぁ・・・。意外と片付いてるんだなぁ・・・』

という、何気に酷い感想だった。

どうやら美奈の頭の中には、男の部屋というのはドラマや漫画などでよくあるような状態・・・つまり「乱雑でいたる所に物が散らばっている状態」であるという固定概念があるようだ。

『あっ、そうかぁ・・・。耕治さんって綺麗好きなんだぁ』

その考えは少々違う気がするが・・・。

「おまたせ」

先程「ちょっと待ってて、飲み物でも淹れてくるから」と言って、キッチンに行っていた耕治が戻ってきたので、美奈は慌てて視線をはぐらかす。

「?どうしたの?美奈ちゃん」

そんな美奈の態度を不思議に思った耕治は、美奈に訊ねる。

「い、いえ。何でもありません」

それに少し顔を赤らめながら答える美奈。

「?・・・まあいいか。はい、紅茶で良かったかな?」

耕治はそう言って、美奈の前にコトッと湯気が立つティーカップを置く。

そのカップの中で淡い色を出している紅茶は美奈が来る少し前、飲み物が無いことに気づいた耕治が近所の店に急いで買いに行ったものを使っている。

無論、ティーパックなのは言うまでもない。

「あっ、ありがとうございます」

それでも美奈は嬉しそうにお礼を言う。

「美奈ちゃん、駅から歩いてきたから疲れてるでしょ?少し休憩してから勉強しよう」

「は・・・はい・・・」

姉と同じような優しさを見せてくれる耕治の、その穏やかな笑顔を間近で見た美奈は、思わず頭がぽ〜っとなってしまう。

『やっぱり耕治さんは優しいなぁ・・・。ホントに美奈のお兄さんだったら良かったのに・・・』

それから二人は1時間程、キャロットでの話などで盛り上がった。



「・・・おっと、もうこんな時間か・・・。そろそろ始めないとね」

時計の針は、いつの間にか二時を回っていた。

その時計を見た耕治の呟きに、美奈は「そうですね・・・」と答え鞄から勉強道具を取り出す。

机の上に並べられたのは、どうやら数学の教科書と問題集のようだ。

「数学の宿題なんですけど、どうしても三角関数のところだけ解らなくて・・・」

「三角関数か・・・。確かに今の内にしっかりと理解しておかないと、学年が上がるごとに大変な事になっていくからね」

これは耕治の経験談である。

一年の三角関数の基礎部分の授業で眠りこけていた耕治は、二年での応用問題でしっかり躓いた。

数学が一番得意だった彼は、その時のテストで初めて赤点を取ってしまった事にかなりのショックを受けた。

『あの後は必死に一年の頃の教科書で復習したっけなぁ』

その努力の甲斐あって三年ではなんとか持ち直したのだが・・・。

「そうなんですか?美奈、大丈夫かなぁ?」

過去の苦労をしみじみと思い出していた耕治の意識を、美奈の声が呼び戻す。

「あはは、大丈夫大丈夫。コツさえ掴めば簡単だから・・・。で、どこが解らないのかな?」

向かい側から自分の隣に座り直した耕治に、美奈は顔を少し赤らめながら答える。

「え、えっと・・・この余弦定理のところが・・・」

「ああ。それはね・・・」

それから美奈は自分の宿題を、耕治は自分の夏休みの課題と美奈の手伝いをして時間は過ぎていった。



「・・・よし。今日はこれくらいにしておこうか?」

自分の英語の課題が半分程終わったところで、時計を見た耕治が美奈に確認する。

時計は五時を少し回ったところだった。

「はい、そうですね・・・。余り遅くなると叔母さんが心配しちゃうし・・・」

どうやら美奈の方も一段落着いたようだ。

机の上の勉強道具を鞄にしまい始めている。

「耕治さん、教え方上手ですね。学校の先生より解り易かったから、美奈びっくりしちゃいました」

「いやぁ、そんなことないよ。美奈ちゃんが優秀だっただけだって」

事実、少しヒントを出すと美奈はすらすら解いてしまうので、耕治は余り役に立ったとは思えなかった。

「エヘヘ、そうですか?ありがとうございます♪」

照れくさそうに笑う美奈。

その笑顔を見ているだけでこちらの顔も綻んでしまうから不思議だ。

「何か忘れ物とかしてない?」

帰る準備を終えた美奈に、耕治は問いかける。

「えーっと・・・大丈夫です。耕治さん、今日は本当にありがとうございました!」

そう言ってペコッと頭を下げる美奈。

「どういたしまして。また解らないところがあったら遠慮なく言ってね?」

「駅まで送るよ」と言葉を続けて、美奈の後に続き玄関を出る耕治。

「ありがとうございます・・・。あっ、その前にお姉ちゃんに会って来て良いですか?」

「ああ、いいよ」

あずさは今日は早番で朝から入っているので、今の時間にはもう帰宅している。

耕治の返事を聞き、美奈は隣のあずさの部屋のベルを鳴らす。

”ピーンポーーン”

「は〜い、今開けま〜す」

ベルの音に続いてあずさの声が聞こえる。

”ガチャッ”

「あら、ミーナじゃない?どうしてここに?」

「エヘヘ。今日は耕治さんに勉強を教えてもらってたんですぅ」

「・・・えっ?」

その言葉に驚き、半開きだった扉を完全に開いてみると、視界に入ってきた耕治と目が合う。

耕治は少し気まずそうに片手を挙げて挨拶するが、あずさはそれに反応出来ないほど混乱していた。

「ミ、ミーナ。前田君にって・・・まさか前田君の部屋で!?」

「?はい、そうですけど・・・?」

『ってこの状況、結構やばくないか?』

素直な美奈の回答に、耕治は少し焦ってきた。

あずさがどれだけ美奈のことを大切に想っているかは、普段の彼女たちを見ていれば自然と分かる。

そんな美奈が異性の部屋で二人っきりでいたということは・・・

「ちょっと、あなた!ミーナに何かしてないでしょうね!!?」

『やっぱりこうなるよな・・・』

あずさの凄い剣幕と勢いに、少したじろぐ耕治。

「な、何もしてないって」

「・・・本当なの?ミーナ」

先程の剣幕が嘘のように心配そうに美奈に問う。

「?はい。普通に勉強を教えてもらっていただけですけど・・・」

一人今の状況を理解していない美奈の一言で、とりあえずあずさの怒りは治まったようだ。

「ふう、もういいわ・・・。前田君」

耕治の方を振り向いたあずさの顔は、今まで彼には一度も向けられたことの無い笑顔だった。

だが・・・。

『うっ・・・目が笑ってない・・・』

顔全体としては笑っていると見えるのだが、目が冷たいような気がする。

「分かってる・・・わよね?」

その言葉の影には色々な意味があるのだろう。

その意味を耕治は瞬時に察知した。

「りょ、了解・・・」

その言葉を聞き、少し安心したあずさは美奈に

「じゃあ、駅まで送ってあげるわね?ちょっと用意してくるから待ってて」

と言って、部屋の中に入っていった。

「ふう・・・」

あずさが部屋に入ったのを見て、耕治が安堵のため息をつく。

『もうちょっと、何か言われると思っていたんだけど・・・』

言われたのは何もしていないかという確認と、氷の微笑による忠告ぐらいなものである。

『やっぱり美奈ちゃんのことだから、日野森の態度も軟化してるのかな・・・』

「おまたせ、ミーナ」

などと考えてたら、用意を終えたあずさが部屋から出てきた。

「あっ、日野森。良かったら俺も一緒に・・・」

「結構です。さ、行きましょう?ミーナ」

あずさは無表情でそう言いきり、美奈の手を引く。

「あっ・・・お姉ちゃん。えっと、それでは耕治さん。今日はありがとうございました」

「・・・うん、気をつけて帰ってね?」

美奈は一度笑顔を見せ、あずさと共にコーポPiaを出て行った。

「・・・」

二人の背中を見送って、耕治は『そういえば前もこんなことあったなぁ』と思いながら自分の部屋に戻った。





「あずさお姉ちゃん、ちょっと良いですか?」

駅まで残り半分ほどの所までまで来たとき、美奈が立ち止まる。

「どうしたの?ミーナ」

あずさは突然立ち止まった妹の行動に、少し戸惑いながら振り向いて訊ねる。

だが狭い道の街灯に照らされた美奈の顔が余りにも真剣だったので、あずさは向き直って彼女と視線を合わせた。

「・・・何でお姉ちゃんは、耕治さんのことをあんなに邪険に扱うんですか?」

「・・・・・・えっ?」

それはあずさにとってまったく予想していなかった質問だった。

美奈の前では極力そう見えないように振舞ったつもりであったし、美奈がそのことに気づいているとは思っていなかったからである。

『・・・なんて答えたらいいんだろう?』

あずさにとって耕治を避ける理由は、あのペンダントのことしか思いつかなかった。

『でも・・・それだけなのかしら?』

確かに、大部分はその出来事が占めていると思う。

しかし、それだけじゃないような気もする。

あずさの考えは、堂々巡りを繰り返していた。

そんな何も言わないあずさに、痺れを切らしたかのように美奈が続ける。

「耕治さんは優しい男性(ひと)です・・・。キャロットの皆さんからも慕われています・・・。でもお姉ちゃんだけ、耕治さんに冷たく当たっていると思います」

そう言われると言葉が出ない。

実際に耕治は、あずさ以外の他の従業員とは仲がいい。

さらにここ三日の勤務態度も真面目で、マネージャーである涼子にも信頼されている。

「美奈、耕治さんもお姉ちゃんも大好きです・・・。だからそんな二人の仲が悪かったら悲しいですぅ・・・」

それ以来俯き口を閉ざしてしまう美奈。

「ミーナ・・・」

しかし今のぐちゃぐちゃになったあずさの頭では、美奈の名前を呟くことだけで精一杯だった。

「「・・・」」

夏の星空の下、辺りを静寂だけが包む。

仲の良い二人に、これ程長い間会話が無いというのは初めてのことであった。

何分か後、ようやく美奈がその顔を上げた。

「・・・美奈、今日はこれで帰りますね?・・・あと、さっきの事、少し考えておいてくれると嬉しいです」

最後にそう付け足して、美奈は駅の方へと駆けていった。

残されたあずさは

「何で・・・か・・・。それは私も知りたいわよ・・・」

とだけ呟き、来た道を逆に辿って寮へと帰っていった。





”トゥルルルルルルル トゥルルルルルルル”

「お?」

ベッドでゴロゴロ雑誌を読んでいた耕治は、その音に起き上がり受話器を取る。

「もしもし、前田です」

「あっ・・・耕治さんですか?」

「その声は美奈ちゃん?どうしたの?」

電話は、つい二時間ほど前に別れた美奈からであった。

「少し耕治さんとお話したいことがあって・・・。あずさお姉ちゃんのことなんですけど・・・」

「日野・・・じゃなかった。あずささんの?」

耕治は美奈と喋るときはさすがにあずさの事を”日野森”とは呼べないので、無難に”あずささん”と呼んでいる。

「はい・・・。あの、耕治さん。お姉ちゃんの事を嫌いにならないであげてください」

「・・・はい?」

何がどうなってそういう話になったのかさっぱり読めない耕治は、とりあえず聞き返してみる。

「お姉ちゃんが耕治さんの事を邪険に扱っているのは知っています・・・。けど、何か理由があるはずなんです。今日帰りに聞いても教えてくれなかったけど・・・でもきっとあずさお姉ちゃんだって・・・」

「もう良いよ、美奈ちゃん」

美奈の言葉を遮るように、耕治が言い切る。

「えっ、でも・・・」

「今回の件に関しては、俺が全部悪いんだ・・・。謝っても許してもらえるかどうか分からないけど、今度一度謝ってみるよ」

『結局この前のペンダントの時は謝れなかったからなぁ』と耕治は心の中で呟く。

「耕治さん・・・。あの、こんなこと聞くのは失礼かも知れませんけど、どうして耕治さんはあずさお姉ちゃんに避けられているんですか?」

「・・・あずささんはその質問に答えなかったんだろ?だったら俺も答えることは出来ないよ・・・。彼女にも何か考えがあったんだろうしね」

いくら嫌われているとはいえ、そのくらいの配慮はしたかった。

「ふふふ・・・やっぱり耕治さんは優しいです」

「・・・ありがとう美奈ちゃん。あずささんのことは嫌いにならないから、安心していいよ」

「はい♪」

「じゃ、また明日キャロットでね?」

「はい、おやすみなさい」

かちゃっと静かに受話器を置く。

ベッドに戻った耕治は電気を消し、しばらくぼ〜っと仰向けになりながら考える。

しばらくそうしていた耕治だったが、次第に意識はまどろんできて、そのまま闇に飲み込まれていった。


5話へ続く


後書き

いやぁ〜、疲れました。

この長さは、このSS最長ですね。

なんだか頭がジンジンしてきました(笑)。

あずさも突発的に登場したものですから、予想以上に長くなっちゃって・・・。

しかもサブタイトルにもなっている勉強があまり目立っていませんでしたし・・・(汗)。

もっとがんばらなきゃなぁ・・・。

2005.11.23  雅輝