「ああ〜〜、いい湯だったぁ〜〜」

夕食後、ホテルの自慢である”大露天風呂”でゆっくりと今日の疲れを癒してきた耕治は、自室へと戻ってくるとそのままベッドに大の字に寝転がった。

「気持ちいいなぁ・・・」

風呂上りの気分が良い状態に、ふかふかのベッドの相乗効果で、耕治は早くも睡魔に襲われていた。

”ドンッドンッドンッ”

睡魔に負けてそのまま瞼を閉じようかと思っていたところに、部屋のドアを凄まじい勢いでノックする音が聞こえた。

「耕治ちゃん、大変だよ!!」

そしてそのまま耕治の返事も待たずに部屋に入ってきたのは、珍しく慌てた様子のつかさだった。

「ん・・・どうしたの?つかさちゃん」

のらりくらりと身体を起こして、あくびを噛み殺しながら寝ぼけた声で訊ねる耕治。

「大変なんだよ!美奈ちゃんが、どこかにいなくなっちゃったんだ!!」

「・・・っ!!」

思わず絶句してしまうような衝撃的な言葉に、耕治の寝ぼけた脳は一瞬で覚醒した。




Piaキャロットへようこそ!!2 SS

          「Piaキャロ2 〜another summer〜」

                          Written by 雅輝





<25>  キャロット研修旅行(後編)




「はぁっ・・・はぁっ・・・・・・くそっ、一体どこにいるんだ!」

ホテル内をさんざん走り回った耕治は、膝に手を付きながら乱れた息を整えていた。

つかさの話によると、いなくなったのは夕食を食べ終わった後。

つかさが一緒に露天風呂へ行こうと思い、美奈の部屋へと誘いに行った時には既にいなかったらしい。

当然、真っ先に隣の部屋にいるあずさに美奈の居場所を訊ねたのだが、彼女も知らないとのことだ。

嫌な予感がした二人は、ホテル内で美奈が行きそうな場所はくまなく探した。

しかし美奈は見つからず、迷惑は承知でキャロットの従業員に知らせたのだ。

もっとも、キャロットの従業員に迷惑だなんて思う人がいるかどうかは疑問だが・・・。

とにかく、従業員総出で探しているにも関わらず、まだ美奈は見つかっていなかった。

耕治の言葉が少し乱暴になっているのはその所為でもあるが、それ以上に自分自身にイラついていたのだ。

『くそっ、俺の所為だ・・・。俺があんなことを言わなければ・・・!』

”あんなこと”とは、つまり今日の昼に美奈を諭そうとした時に言ってしまったあの言葉だ。

言うべきじゃなかったと今更後悔してももう遅く、耕治は自己嫌悪に苛まれていた。

だからこそ、責任を持って自分が見つけてあげたいと強く思っている。

「はぁ・・・はぁ・・・やっぱり、ロッジか」

もちろん、耕治は美奈がいなくなったと聞いた時、逸早くロッジへと駆けつけた。

美奈がいるとすれば、きっとここだろうと思ったから。

しかし夜という視界の悪さもあってか、美奈を見つけることはできなかった。

他の従業員も探したようだが、何も言ってこない所を見ると結果は同じだったのだろう。

だが、美奈が耕治の言った事を気にしているのだとしたら・・・あの子犬を置き去りにしたロッジ以外考えられなかった。

「ふぅ・・・よし、行くか」

息を整え終わった耕治は、昼間から酷使している足を休ませる事もせず、美奈がいることだけを祈りながらロッジへと駆けていった。





「あ・・・日野森!!」

ロッジに着いて辺りを見渡すと、そこには必死に妹を探しているあずさの姿があった。

「前田君・・・」

耕治の姿を認めてそう呟いたあずさの顔は、やはり不安に押し潰されそうな表情をしていた。

「美奈ちゃんは・・・」

耕治はそこで言葉を止めた。

今のあずさの表情を見ていると、それ以上言うのは躊躇われたからだ。

案の上、あずさは悲しげに無言で首を横に振った。

「そうか・・・。本当に、ごめん。こうなったのは、全部俺の所為だ。俺が、あんなことさえ言わなけりゃ・・・」

耕治が悔しそうに拳をぎゅっと強く握り締める。

『前田君・・・』

しかしあずさは、そんな耕治に何も言うことができなかった。

本当は、「そんなことないよ」って励ましてあげたかった。

だが美奈がいなくなった理由が分からない以上、確かに耕治の言うとおりあの言葉が原因なのかもしれない。

そんな中で、彼を無理に元気付けても、逆につらいだけだと思ってからだ。

だからといって、彼を罵倒する気にもなれない。

あれは美奈の為を想って言ってくれたのだとあずさもちゃんと理解していたし、たとえそれが理由で美奈が失踪したのだとしても耕治を責めることなんてできなかった。

「・・・」

結局、あずさは黙り込むより他はなかった。

「「・・・・・・」」

二人の間を包む、夜の静寂。

今二人がいるロッジは、ホテルから離れていることもあり、尚のこと静寂を感じさせられた。

「「・・・・・・」」

何も聞こえない、痛いほど無音な世界。

そしてそんな世界だったからこそ、二人の耳は極微かに聞こえるその鳴き声を拾うことができたのだろう。

《キャン、キャン》

「「!!」」

二人は驚き、顔を見合わせて頷くと、もう一度聞こうと耳を澄ませて意識を集中させる。

《キャン、キャンキャン》

「この泣き声は・・・」

「・・・犬・・・」

あずさが呟いた言葉を、耕治が繋げる。

どこか遠い場所からこちらに呼びかけているような・・・そんな鳴き声の主はおそらく――

「昼間の、子犬の鳴き声・・・」

その鳴き声のする方向に、二人揃って目を向ける。

そこはロッジの裏手――この辺りで一番標高が高い山の麓に広がる、鬱蒼とした森林。

昼間自室の窓から見た時は雄大に見えた森林も、今見るとただの不気味な地帯でしかない。

二人はすぐにロッジの裏手に回り、もう一度耳を澄ませてみた。

《キャン・・・キャン》

確かに聞こえる。

しかしまだ遠い・・・おそらく、この暗闇の森のずっと先で、子犬は鳴いているのだろう。

そして、そこにはきっと・・・。

「・・・俺が行くよ」

耕治は一言そう告げると、迷うことなく森に足を踏み入れる。

「ま、待って、私も・・・」

「駄目だ!」

慌てて付いて来ようとしたあずさを、耕治は厳しい顔で一喝する。

「中は暗いだろうし、灯りも無い。美奈ちゃんが絶対にいるという確証も無い。そんな危ない場所に、日野森を連れて行くわけにはいかないんだ・・・。分かってくれ」

耕治はあずさに背を向けたままそう諭した。

さらに言っていることも正論なので、あずさはそれ以上我儘を言うこともできなくなった。

「それに、日野森は犬が苦手だしな」

振り向いて、悪戯っ子のように笑いながら言う耕治。

「ふふっ、確かにそうね」

そんな耕治に、あずさは少し微笑んで・・・しかしすぐに真剣な顔になって、こう言った。

「でも、これだけは約束して・・・。絶対に、ミーナと二人で帰ってくるって」

あずさのその言葉に、耕治は任せろといった風な微笑みだけ返して、闇夜の森へと駆け出した。





走る。

ただひたすら走る。

ほとんど見えない足元の木の根に躓こうとも。

存在がまったく感じられなかった蝙蝠に、突然驚かされたとしても。

その先から聞こえる、子犬の鳴き声だけを目印として、疲労が限界まで溜まった足を必死に動かす。

「キャン、キャン」

その声は、確実に近くなっていた。

だが、そこは5メートル先も見通すことのできない、完全な暗闇。

方向感覚も、距離感覚も、普段のそれとは全然異なっていた。

「はぁっ、はぁっ・・・こっちか」

”ガサッ”

小さな茂みを越えた辺りで、そこだけポッカリと空いたように存在する、開けた場所へと出た。

「キャン!」

いつの間にかすぐ近くから聞こえるようになっていた鳴き声。

そしてその方向には・・・

「美奈ちゃん!!」

夕食時と同じ格好をしたままの、小さな少女が倒れていた。

「美奈ちゃん、しっかり!!」

耕治は急いで駆け寄り、その小柄な身体を抱き起こす。

その横からは、子犬が「クゥ〜ン、クゥ〜ン」と心配そうに鳴きながら、美奈の頬をチロチロと舐めていた。

「う・・・ん・・・」

美奈の瞼がゆっくりと上がっていく。

「・・・耕治、お兄ちゃん・・・・・・?」

美奈は耕治の姿を認めて、ただ一言そう呟いた。

『良かった・・・』

耕治は思わず、美奈を抱き起こしている両腕に力を込めた。

美奈は目立った外傷もなく、服が汚れているのと、少し衰弱している所以外は大丈夫そうだった。

「ここは・・・そっか、美奈・・・ワンちゃんのことを追って・・・」

「帰ろう、美奈ちゃん。みんな心配しているよ?」

確認するように呟いている美奈に、耕治が優しく語り掛ける。

「心配・・・また美奈は、みなさんに迷惑を掛けてしまったんですね・・・」

辺りは闇に包まれているが、ポッカリと空いたその場所では月明かりを遮る木々も無く、そう漏らした美奈の悲しげな表情を照らしていた。

「ごめん、美奈ちゃん・・・。俺の所為、なんだよね?」

その美奈の悲しげな表情に、耕治はそう言わずにはいられなかった。

しかし、美奈は静かに首を横に振った。

「違います、耕治お兄ちゃんは何も悪くありません。全部、美奈が子供だから悪いんです」

「・・・本当は、分かってたんです。あの時耕治お兄ちゃんは、美奈を心配してあんな事を言ったんですよね?」

「でも、美奈は子供だから・・・どうしても我慢出来なくなって、お兄ちゃんにあんな事を言ってしまったんです」

「だから・・・だから!謝らなくちゃいけないのは美奈の方なんです!」

「耕治お兄ちゃん・・・ごめんなさぃ・・・」

最後の方はもうほとんど涙声であった。

それは次第に嗚咽へと変わり、美奈はそのまま耕治の胸に顔を埋めて、静かに泣きすがった。

「美奈ちゃん・・・」

耕治も、そんなどこまでも純真な美奈を優しく抱きしめていた。



「・・・晩御飯を食べ終わった後、美奈はどうしてもワンちゃんのことが気になって、こっそりホテルを抜け出してロッジに来てみたんです」

しばらくして落ち着いたのか、美奈が事の顛末をポツリポツリと話し始めた。

「昼間、置いてきた場所・・・そこにまだワンちゃんはいて、じっと森の方を見つめていたんです」

「美奈がそこに何かあるんだと思って足を踏み入れると、ワンちゃんが森に向かって吠え出して・・・」

「だから、もしかしたらそこにお母さんがいるんじゃないかって思って・・・ワンちゃんと一緒に森の中へと入って行ったんです」

「そしたら、ワンちゃんもよく吠えるようになってきて・・・美奈はお母さんが近いんだと思って、どんどん奥に進んで行きました」

「そこから先は、覚えていません」

美奈の話を聞き終えた耕治は、片手で美奈を抱きながら、もう片方で子犬の頭を撫でながらこう言った。

「たぶん、こいつは美奈ちゃんに忠告してたんじゃないのかな?」

「えっ?」

「夜の森は危ないから行っちゃ駄目だぞって・・・きっと、美奈ちゃんに危ない目に遭って欲しくなかったんだよ」

「・・・そうなの?ワンちゃん・・・?」

「キャン!」

子犬は返事をするかのように元気よく一吠えし、美奈をじっと見つめてから闇夜の森へと駆け出した。

「あっ、ワンちゃん!」

美奈が悲しげな声と共に手を伸ばす。

しかしもうそこには既に子犬の姿は無く、ただ闇の世界が広がるだけだった。

「きっと、お母さんの所へ帰ったんだよ・・・」

「うん・・・」

頷く美奈に、耕治は再度こう言った。

「帰ろう、美奈ちゃん。みんな心配しているよ?」





夜の森は極めて静かであった。

動物の鳴く声はおろか、動物が動く茂みの音さえ聞こえない。

聞こえるのは”ザッ、ザッ”という、美奈を背負った耕治の足音だけだった。

行きは大変だったが、帰りは耕治ががむしゃらに走ってきた痕跡があるので多少は楽だ。

それでも遠回りにはなってしまうのだが、無理をして道に迷ってしまうよりは数倍いいだろう。

こんな夜に、暗い森の中で迷ってしまったら、それこそ洒落にならない。

「・・・」

美奈を背負ったまま、無言で耕治は歩く。

あれだけ痛かった足の筋肉痛も、今となっては嘘のように引いていた。

おそらく、美奈を無事発見できたことによる安堵の気持ちからであろう。

とにかく今は、早くあずさの元に帰って彼女を安心させてあげたかった。

『結構時間も掛かったみたいだしな・・・』

先程腕に巻いていたライト付きの時計を見た時、もうこの森に入ってから既に1時間が経過していた。

四方を暗闇に囲まれた場所にいたせいで、時間感覚までも狂ってしまったようだ。

そのことを考慮した耕治の歩みが少し速くなった丁度その時、背中から美奈のくぐもった声が聞こえてきた。

「耕治お兄ちゃん・・・」

「あれ、美奈ちゃん寝てたんじゃないの?」

負ぶってから一言も発しようとしない美奈を、耕治はてっきり寝ているとばかり思っていたのだがどうやら違っていたようだ。

「・・・ごめんなさい」

「・・・えっ?」

「本当に・・・ごめんなさい・・・」

「美奈ちゃん・・・?」

耕治の背中に顔を押し付けて、美奈は泣いていた。

耕治はそんな美奈に何と声を掛けていいか分からず、呆然と立ち尽くす。

「美奈は本当に子供で・・・すぐに誰かに迷惑を掛けて・・・」

「耕治さんは、優しい人だから・・・美奈に無理に付き合ってくれて・・・でも、本当は迷惑なんじゃないかって思ったら、悲しくて・・・」

「美奈ちゃん」

それ以上聞いているのが耐えられなくなった耕治は、美奈の言葉を遮るように話しかけた。

「俺は、美奈ちゃんの事を子供だなんて思っていないよ」





「えっ・・・」

その言葉に驚いた美奈は、涙を擦って耕治の顔を見ようとする。

しかし耕治は照れからか前を向いたままなので、背負われている美奈にはその表情は窺えない。

「優しくて、人を思いやれて・・・どこまでも真っ直ぐな心を持っていて・・・そんな美奈ちゃんを、子供だなんて思えないよ」

「耕治さん・・・」

「人に迷惑を掛ける時なんて、誰にだってあるさ。何でも完璧にこなせる人間がいたら、多分そっちの方がつまらないよ」

「迷惑を掛けて、掛けられて・・・お互いに支え合って、成長していく。だから、人は生きていける」

「だいたい、美奈ちゃんが迷惑だと思っている行為だって、相手にしてみれば何でも無いのかもしれない」

「実際、美奈ちゃんの周りには、そんな風に迷惑だと思わない・・・美奈ちゃんを受け入れてくれる人がたくさんいるじゃないか」

「あずささんに、美奈ちゃんの叔父さん、叔母さん、キャロットのみんなに・・・」

「もちろん、俺も・・・ね?」

振り向いた耕治の顔は、いつも通りとても穏やかで・・・。

それは確かに美奈が好きになった、前田耕治その人の顔で・・・。

止まっていたはずの涙は、再び溢れ出た。

「だから、みんな心配するんだよ。美奈ちゃんのことが大切だから・・・。さあ、早く帰ってみんなを安心させてあげなきゃね」

そう言って美奈を背負いなおし、また歩き始める耕治。

『耕治お兄ちゃん・・・』

美奈は、もう限界だった。

これ以上、自分の気持ちを偽ることなんて出来なかった。

自分は身を引こうと思っていたけど・・・耕治の優しさに再度触れて、もう想いに歯止めをきかせることなんて出来なかった。

『ごめんなさい・・・あずさお姉ちゃん』

その想いは、今必死に自分を探してくれているであろう姉を裏切る想いなのかもしれない。

でも、我慢できないほど、耕治への恋心は募ってしまったから・・・。

『あぁ・・・美奈ってやっぱり、子供なんだなぁ・・・』

自分の想いに素直で、我儘な子供。

でも、今だけはそんな子供でありたかった。

だから・・・。

「ありがとう・・・耕治さん・・・」

耕治だけに聞こえるような、そんなか細い声で美奈は言った。

”耕治お兄ちゃん”ではなく、”耕治さん”と。

その言葉の真の意味が耕治に伝わるように・・・。

『耕治さん・・・大好き・・・』

そうして美奈は、耕治の広い背中に身体を預けたまま、いつの間にか安らかな寝息を上げていた。




26話へ続く


後書き

研修旅行三部作、何とか無事に書き終わることができました。

でも書き終わってみると、後編だけ何故かやたら長くなってしまった・・・(汗)

たぶんこの長さは、私が今まで書いてきたSS(一話)の中でも最長でしょうね。

その割には結構すらすらと書けたのですが・・・。

閑話休題。

あずさに遠慮していた美奈も、ようやく自分の気持ちに素直になることに!

しかしあずさの心境は尚も複雑なままで・・・。

さて、次回は・・・すいません、今から考えますわ(笑)



2006.2.20  雅輝