「終わったーーー♪」

寮の耕治の部屋に、美奈の歓喜に満ちた声が反響する。

両手を挙げて喜ぶ美奈の目の前にある机には、転がっているシャーペンと消しゴム、そして先程ようやく終わった読書感想文の原稿用紙が数枚。

キャロットの研修旅行まであと3日と迫った今日、こつこつと消化してきた美奈の夏休みの課題はようやく終了した。

「よく頑張ったね、美奈ちゃん」

そう言って、優しく美奈の頭を撫でてあげる耕治。

遊園地での――いや、観覧車での出来事はまるで存在しなかったかのように、あの日以来二人は今まで通りの関係を変えずに過ごしきた。

「えへへ・・・ありがとう、耕治お兄ちゃん♪」

そう、美奈の耕治に対する呼称以外は・・・。





Piaキャロットへようこそ!!2 SS

          「Piaキャロ2 〜another summer〜」

                          Written by 雅輝





<21>  妹として




話はデートの翌日――つまり3日前に遡る。



「・・・」

「・・・」

いつも通り耕治の部屋で、自分の課題に取り組む耕治と美奈。

しかし昨日の出来事を意識しているのか、お互いいつもより口数が少なかった。

『今日・・・言わなきゃ』

そんな中、美奈はある決意をしていた。

昨日電車の中で考えて・・・自宅に着いてからはベッドの上でも考えて・・・ようやく出た、耕治に対する自分なりの結論。

それを今日、耕治に伝えようと思っていたのだ。

「・・・ふう、今日はこれくらいにしておこうか」

時計が11時半を指していることに気づいた耕治が、シャーペンを置いて美奈に確認する。

「あの・・・」

それが合図かのように、美奈はおずおずと喋りかけた。

「ん?」

「あ、えっと・・・その・・・」

一瞬俯きかけた美奈だが、覚悟を決めて耕治の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「美奈の・・・」

”これから美奈が言おうとしている言葉を、たぶん優しい耕治さんは受け入れてくれる。”

”でも、美奈はそれで良いの?”

心の中にいる、もう一人の自己とも言える存在が語りかけてくる。

『・・・うん、良いの。だって、美奈は・・・』

「お兄ちゃんって呼んでも・・・良いですか?」



――『耕治さんにとって、妹のような存在でしかないのだから・・・』







「いらっしゃいませ!Piaキャロットへようこそ!」

話は戻って現在。

昼のピーク時を迎えたキャロットは、もちろん今日も大盛況であった。

”ガーー”

そしてまた一組、家族連れのお客さんが自動ドアをくぐってくる。

『日野森!今入ってきたお客さんの接客を頼む!』

『分かったわ。前田君はそのテーブルを拭き終わったら、7番(テーブル)の注文をお願い!』

『了解!』

忙しすぎる店内の中、アイコンタクトで会話する耕治とあずさの息はぴったりだった。

事実、今日のフロアは耕治、あずさ、美奈、そして祐介の4人だけにも関わらず、スムーズにこのピーク時を回せていた。

『ふむ、これは私の出る幕は無かったのかも知れないな』

テキパキとテーブルの後片付けをしながら、流れるようにフロアを駆け回っている二人を見やる祐介。

遊園地のチケットのことは、後日しっかりと耕治のほうから説明を受けていた。

「せっかくの厚意を無駄にしてすみません」と謝られたのだが、もちろん祐介はそのことで耕治を責めることはなかった。

しかし今の二人の姿を見ていると、そんな心配は杞憂だったようだと、祐介は安心した。

『それより問題なのは・・・』

祐介の困ったような目線は、二人と同じくフロアのシフトに入っている一人の少女――美奈に向けられていた。





「ふい〜、暑かったぁ〜」

耕治はフロアから休憩室までの廊下を歩きながら、すっかり汗を吸い取ってしまったバンダナを外す。

店内は冷房が効いているとはいえ、この真夏に動き回っていたらさすがに汗も出てくるだろう。

『でも今日の俺は絶好調だったな』

自分でもそう思えてしまうくらい、今日の耕治は妙なほど冴えていて、次に自分が取るべき行動が自然とこなせていた。

『まあ、ほとんど日野森のおかげだけどな』

あずさの迅速かつ丁寧な対応と、気持ちいいくらい噛み合った連携があったからこそ、耕治も安心して仕事をこなすことが出来た。

しかし、それとは対照的に少々気になることもあった。

『美奈ちゃん、一体どうしたんだろう・・・?』

先程まで一緒のフロアで働いていた、年下の先輩の事を思い出す。

今日の美奈はいつもの慣れた対応とは異なり、明らかに精彩を欠いていた。

大きなミスこそしなかったものの、どこかぼんやりとした様子の美奈を、耕治は冷や冷やしながら見守っていたのだ。

『あんな美奈ちゃんを見たのは初めてだな・・・』

いつもは太陽を浴びて咲く向日葵のような笑顔で周囲の人を楽しくさせてくれる美奈が、今日はぎこちない笑顔でお客さんに挨拶をしていた。

『・・・まあ、俺が心配してもどうしようもないのかも知れないけどな』

そう苦笑しつつ、休憩室のドアノブを捻る。

”ガチャッ”

「あれ?日野森?」

「あ、前田君。お疲れ様」

休憩室の4つある椅子の内の1つにあずさは座っており、少々疲れた様子ながら笑顔を見せてくれた。

「日野森もお疲れ様。・・・まだ帰ってなかったんだ?」

「ええ、今日は忙しかったから、ここで飲み物を貰ってから帰ろうと思って・・・。前田君は?」

「俺も同じ。そこ座っていいかな?」

「ええ、もちろん」

耕治はあずさの目の前にあるオレンジジュースを同じものをジューサーからコップに注ぎ、彼女の向かいの椅子に腰を下ろす。

そして一気に3分の2ほどを飲み干し、「プハーーッ」と盛大な息を吐いた。

「オヤジ臭いわよ?」

「ほっといてくれ」

お互いニヤリとしながら軽口を叩く。

二人の距離は、海への旅行以来確実に近くなっていた。

「しかし・・・今日は疲れたなぁ」

「そうね。4人しかいなかった上に、ミーナの調子も悪かったようだし・・・」

「美奈ちゃん、どうしたんだろうなぁ?・・・心当たりとか無いのか?」

「ん〜・・・私は思いつかないけど・・・。前田君は?」

「残念ながら、俺もだ」

「う〜ん・・・」と二人で考えるが、分からないものを無理に悩んでもしょうがない。

「まあ、今度私からそれとなく聞いておくわ」

「ああ、その辺は姉上様に任せるよ」

と耕治が冗談っぽく言うと、あずさがクスクスと笑い出した。

「? どうしたんだ?突然笑い出して・・・」

「ふふふ、ごめんなさい。なんだか不思議だなぁって・・・」

「不思議?」

「ええ。こうしてあなたと、冗談を言いながら楽しく話せる日が来るなんて・・・バイトを始めた当初は思ってもみなかったから」

それは、最近耕治も考えていたことだった。

あの頃は、取り付く島も無いというほど嫌われていて。

そんな態度に、「別に日野森に嫌われたって葵さんや早苗さんたちがいるからいいじゃないか」と自分にそう言い聞かせようとした時もあったが、どうしても彼女のことが気になった。

『今思えば、もうその頃から好きになっていたのかも知れないな』

背もたれに身体を預けながら、軽く苦笑する耕治。

「? どうしたの?」

「・・・いや。色々と思い出してただけだよ」

「色々って?」

「そうだなぁ・・・」

顎に手を当て、考え込む様子を見せる耕治。

「・・・俺がフロアで料理をぶちまけた時、日野森がすぐに助けに来てくれたこととか」

思い出したのは、ウェイターのシフトについて4日目に起こった出来事だった。

自分を敵視していたはずのあずさが真っ先に駆けつけてくれたことは、当時の自分に対するあずさの態度とのギャップでとても印象に残っている。

「あっ、あの時の・・・」

どうやらあずさも思い出したようだ。

『確かあの後廊下で、日野森と初めてちゃんと話すことができたんだったよな・・・・・・って!』

「あっ!!!」

そこまで考えた耕治は、突然何かを思い出したかのように声を上げた。

「び、びっくりした〜。もう、なんなのよ!?」

突拍子もなく大声を出した耕治に、あずさが非難の視線を送る。

「お礼だよ!お礼!」

「はい?」

「確かあの後、”今度ちゃんとお礼する”って言わなかったっけ?」

「・・・そういえば」

とあずさは記憶を掘り起こす。



――「べ、別にあなたのためにした訳じゃないわ。あのままじゃ他のお客様の迷惑になるからよ」――

――「いや、それでも俺が助けられたことには変わりないんだし・・・とにかくありがとう。今度ちゃんとお礼するよ」――



『そういえばあの時からだったなぁ。前田君の事を意識し始めたのは・・・』

かおるの頭を撫でている耕治の、とても優しく穏やかな顔を再び思い出し、あずさの顔は心持ち赤くなった。

「でさ、そのお礼として・・・今度外食一緒にしないか?何か美味しいものでもご馳走するよ」

「えっ?」

突然そんなことを言われて、あずさの顔は益々赤くなる。

「・・・」

しかしよく見ると、恥ずかしさからか目線をずらした耕治の顔も真っ赤に染まっている。

『どうしよう・・・』

以前は臆病風に吹かれて、耕治のデートの誘いを断ってしまったあずさ。

『また、断るの?』

心の中で、自分自身に問いかける。

『そんなの・・いや!』

もう、この前のように後悔したくないから・・・。

「いいわよ・・・」

あずさは短く――しかしはっきりと、正直な気持ちを耕治に伝えた。

「ほ、ホントか?じゃあどこに行く?」

この前みたいに断られるのでは、と危惧していただけに耕治は興奮を隠しきれずあずさに訊ねる。

「じゃあ、高級フレンチのフルコースね♪」

「・・・さらば、バイト代」

「ふふふ、冗談よ」

「おいおい」

楽しそうに食事の予定を決める二人。

しかし二人は気づかなかった。

――耕治が休憩室に入ってきたときにちゃんと閉めずにわずかに開いていたドアから・・・一人の女の子がその様子を覗いていることに。







「はぁ・・・」

美奈はため息をつきながら、休憩室に向かっていた。

『今日は全然お仕事に集中できてなかったなぁ・・・』

今日の自分の仕事に対する態度が良くなかった事は、美奈自身自覚していたことだった。

そしてその理由も分かっていたが、美奈はそれを認めたくなかった。

――認めてしまうと、自分の決心が揺らいでしまうから。

でも・・・。

『耕治お兄ちゃんとあずさお姉ちゃん・・・息ぴったりだったなぁ』

どうしてもまとまらない思考はそこに行き着いてしまう。

結局今日は、終始その二人が気になってしまって仕事が疎かになってしまった。

『・・・駄目だよね、こんなことじゃ!』

美奈は気分を入れ替えて、休憩室のドアを開けようとした。

しかし、

『あれ、誰かいるのかな?』

半開きに・・・というよりはわずかな隙間が開いているドアに疑問を感じて、悪いこととは思いつつそっと中を覗いてみる。

『あ・・・』

そこには先程まで考えていた二人の姿があった。

「ふふふ、冗談よ」

「おいおい」

何の話をしているかは分からないが、二人とも楽しげに会話していることは誰の目でも明らかであった。

”ズキンッ”

「っ!」

一瞬、胸を貫通するような、鋭い痛みが美奈を襲う。

その痛みは耕治とあずさのどこか嬉しそうな顔を見る度、益々でかくなっていく。

『・・・っ!美奈は・・・あずさお姉ちゃんの妹として・・・耕治お兄ちゃんの妹として・・・祝福しなければいけないのに』

耐え切れなくなった美奈は、そのまま二人に気づかれぬよう、そっと更衣室に向かう。

「・・・う・・・うぅ・・・」

静かな廊下に、美奈の小さな嗚咽が響いた。



22話へ続く


後書き

今回は予想以上に長くなりましたね。

耕治とあずさの会話があそこまで続くとは・・・(笑)

しかし書きたかった美奈の心情はきっちりと書けたつもりなので、私としては満足です^^

美奈ちゃん、かなり切ない感じになってます。

自分で書いておいてなんですが、やっぱり可哀想です(>_<)

やはり美奈SSに切り替えを・・・(嘘)



2006.2.4  雅輝