”ドサッ”
ドアが閉まって数秒も立たない内に、あずさはまるで操り人形の糸が切れたかのように傍にあったパイプ椅子に腰を落とした。
「・・・」
そしてそのまま、何かを祈るように手を組み、目を伏せる。
『私・・・何て事を・・・』
言ってしまったのだろうと、あずさは自己嫌悪に陥る。
あの時の耕治の、顔を伏せる前に見せた酷く悲しげな顔。
思い出すだけで、胸を抉られるような痛みを覚える。
『前田君のあんな顔・・・初めて見た』
困惑して、半開きになったままの口。
苦しげに、八の字に歪ませた眉。
そして・・・ただひたすらに悲しそうな目。
その全ては自分が与えたのだ。
自分が彼をあそこまで苦しめたのだ。
そう考えると、ますます胸の痛みは増してきて・・・
「あっ・・・」
気がつくと、頬に涙が伝っていた。
『私が前田君に対してあそこまで言う権利なんて・・・彼を苦しめていい権利なんて、どこにもないのに・・・』
「ごめん・・・なさい・・・」
自己嫌悪と後悔から、あずさが誰ともなしに消え入りそうな声でそう呟いたとき、
”がちゃっ”
休憩室のドアが開いた。
Piaキャロットへようこそ!!2 SS
「Piaキャロ2 〜another
summer〜」
Written by 雅輝
<10> 涙
「失礼するよ」
あずさは突然の来訪者に驚き、流れていた涙をゴシゴシと擦ってから振り向く。
「祐介さん・・・」
振り向いたあずさの視線の先には、店長である祐介が困ったような顔をしながら立っていた。
「あ、あの・・・祐介さん、もしかして今の話を・・・」
その顔を見てピンときたあずさは、遠慮がちに訊ねる。
「・・・ああ、立ち聞きするつもりではなかったんだが・・・店長という立場上、少し気になってね」
「そう・・・ですか・・・」
祐介がバツの悪そうな顔で答えると、あずさはまた俯いてしまった。
「・・・僕も事情をよく知らないからあまり言えた義理ではないが・・・さっきのは少し言いすぎだと思うよ?」
「・・・」
「少なくとも同じ職場で働く従業員としては、絶対に言ってはいけない言葉だ」
普段の温厚な祐介とは思えないような、厳しい声。
それだけ従業員の事を心から心配し、大事にしているということだろう。
「・・・」
そんな祐介と比べて、耕治のことなど一切考えず、ただただ感情のままに彼を罵倒した自分はなんと身勝手な人間なのだろう。
そんな考えが、あずさの心を支配していく。
自己嫌悪と後悔の念が、どんどん積み重なっていく。
「彼は彼なりに、何か考えがあってバイトをしているはずだ・・・。あずさ君が前田君に対してあそこまで言う権利なんて、どこにも無いよ」
祐介の厳しい言葉に、あずさの口はようやく開いた。
「わかってるんです・・・」
ずっと心の内に溜め込んでいた想いは、再び零れ始めた涙と共に溢れ出るように紡がれる。
「彼を傷つけたことも・・・私にそんなことをする権利なんて無いってことも・・・」
「でも・・・でも駄目なんです!・・・どうしても彼に対して素直になれないんです!」
「お礼も・・・謝ることすら出来なくて、いつも憎まれ口ばかり叩いて・・・。でも、彼は優しいから、いつも笑って受け止めてくれて・・・」
「そんな前田君に、私は・・・・・・」
「・・・自分でも何故あんな酷いことを言ってしまったのか、わからないんです」
「助けてくれた彼の顔を見ていると、だんだん抑えきれないなにかが私の心を支配して・・・気がつけばあんなことを・・・」
「もうあの時のことは怒っていないはずなのに・・・なんで・・・なんで・・・」
あずさは自分の気持ちを吐露するように喋り続け、それは次第に嗚咽へと変わっていった。
そのとき、それまで厳格な顔をしていた祐介の表情が・・・ふっと和らぎ、いつもの穏やかな表情に戻ってた。
あずさの肩にポンと手を乗せ、諭すような表情で語りだす。
「あずさ君・・・。キミはもう気づいているんじゃないか?」
「えっ・・・?」
「前田君に対して、素直になれない理由・・・。気づかない振りをしているだけなんじゃないのか?」
「祐介さん・・・」
祐介の言うとおりだった。
あずさはおぼろげながらも、その理由にちゃんと気づいていた。
でも、認めたくなかった。
『そんなの、今更言えるわけないじゃない・・・。前田君のことが・・・”好き”なんて』
確かにあずさは、最初の内は両親の形見であるペンダントを馬鹿にされたことで耕治を拒絶していた。
でも最近は・・・そう、しゃがんでかおるの頭を撫でていた耕治の穏やかな顔を見たとき辺りから、その気持ちに変化が生じてきていた。
フロアで仕事をしている最中も、無意識の内に目は彼の姿を追っていた。
寝る前に耕治のことを考えると、ドキドキし始めてなかなか寝付けなかった。
先程フロアでナンパされて不安になっていたときも、真っ先に思い浮かんだのは耕治の顔であった。
自分の気持ちを耕治に気づかれたくなかったから・・・だから無意識の内に冷たい態度を取ってしまっていた。
耕治に対して酷い言葉を吐いてしまった時も、あずさは嫉妬していたのだ。
耕治と仲良さそうに会話する、自分の妹――美奈に対して。
『最低・・・』
結局、全部自分勝手なエゴだったのだ。
そのせいで、彼は・・・。
「あずさ君」
「! は、はい」
祐介に呼ばれて、はっと意識を呼び戻す。
そんなあずさに祐介はにっこりと笑って、
「前田君なら、倉庫にいるよ。行って来なさい」
と優しくあずさを促した。
「祐介さん・・・。ありがとうございました」
あずさは椅子から立ち上がって袖で涙を拭ったあと、ドアの前で祐介にペコっと頭を下げて休憩室を出て行った。
「頑張れよ、あずさ君」
祐介は今しがた閉まったドアに向かってあずさに激励の言葉を送り、耕治とあずさが抜けた穴を埋めるべくフロアへと歩いていく。
「従業員の為に尽力する・・・。う〜ん、これも男のロマンだなぁ」
長い廊下の途中で、「ふふふ」とにやけながら呟いたこの一言さえなければ完璧だったのだが・・・。
一方耕治は、誰もいない倉庫で一人ぼんやりとしていた。
倉庫に来たのに特に理由はなく、一人になれればどこでも良かったのだが・・・。
とにかく、今の自分の顔を他の従業員に見せたくないという思いが無意識の内に働いたのだろう。
「・・・」
脚立に腰を下ろし、虚ろな瞳で前方を見据える。
頭の中はぐちゃぐちゃで、まるで霧がかかったかのようにぼんやりしている。
そんな頭でも、さっきのあずさの言葉だけは明確に覚えていて、網膜に焼き付いた映像と共に何度もリピートされる。
――「何で助けたりなんかしたのよ!?」
――「あなたなんかに助けてもらったと考えるだけで、自分が情けなくなってくるわ!」
「・・・」
わかっていた。
自分が彼女に嫌われていることなんて、わかっていた筈なのに・・・。
『それでも俺は・・・いつか日野森と仲良くなれると信じていたかったんだ・・・』
その結果が、これだ。
仲良くなるどころか、ますます彼女を怒らせてしまった。
――「あなたなんか、早くここを辞めてしまえばいいのに!!」
確かに自分はそう言われた。
もう一緒に働きたくないと・・・。
傍にいてほしくないと・・・。
その言葉は、あずさに自分の存在を否定されたようで・・・。
他のどんな言葉よりも、耕治の心に深い爪痕を残した。
「ひの・・・もり」
そう呟いた瞬間、自分の頬を涙が流れ落ちたことに、耕治は気づかなかった。
あずさは緊張しながら、倉庫への廊下を歩いていた。
『ちゃんと・・・謝ることが出来るかしら・・・』
今までの素直になれない自分を思い返して、不安になる。
だが・・・。
「ううん、こんなことじゃ駄目ね。絶対に謝らなくちゃ・・・」
ひとつ頭を振って、不安を追い出す。
そして決意を声に出すことで、少し勇気が湧いたような気がした。
倉庫に着くと、そのドアが半開きになっていた。
いきなり入るのも躊躇われたので、あずさは半開きのドアの隙間から中の様子を覗いたみた。
『・・・えっ!?』
内心驚きの声を上げ、目を見開くあずさ。
その視界には耕治の横顔が映っている。
耕治は・・・泣いていた。
脚立に座り、腕をダランとさせた耕治の虚ろな瞳からは、止め処なく涙が溢れている。
『あの前田君が・・・泣いてる?』
あずさにとって、それは信じられない光景であった。
いつもみんなを明るくさせる彼が・・・。
いつも穏やかな笑いを浮かべている彼が・・・。
あずさがどれだけ冷たい態度を取っても、いつも苦笑しながらも許してくれた彼が・・・。
『あんなに、辛そうな顔をして・・・泣いてる・・・』
そしてその涙を自分が作ったのだと考えると・・・胸を掻き毟りたくなるような激しい痛みがあずさを襲った。
『前・・・田君・・・』
いたたまれない気持ちになったあずさは、半開きの倉庫のドアを開くことなく、静かにその場を離れた。
11話へ続く
後書き
ども〜、修羅場大好き(←笑)管理人、雅輝です〜。
今回は前回の修羅場の続きです。
個人的に”修羅場後の女の子の自己嫌悪”が好きなので、その部分を重点的に書いてみたんですけど・・・上手く書けてるか不安です(汗)。
↑↑↑の考えに賛成の同士は掲示板まで!(笑)
さて次回はGo to the seaって感じですかね。
本編の8月13日の話です。
二人は今度こそ仲直りできるのか?
それでは次回の更新で会いましょう♪