”カリカリカリカリカリ・・・”

「・・・時間です」

「・・・へ?」

あの後、気まずさを紛らわそうとひたすら英訳文に集中していた俺は、凛と澄んだ双海の声に動かし続けていたシャーペンを止め彼女を見上げる。

「何の?」

「図書室の閉館時間です」

「えっ、もうそんな時間なのか・・・悪いけど、キリのいいところまでもうちょっと待ってくれないか?」

「はい」

双海はそう返事をすると、カウンターの奥へと入っていく。

その後姿を見送ってから、俺は残っていた最後の一文の日本語訳に挑んだ。



「悪いな、待たせて」

「いえ、それでは図書室の鍵を職員室に返して来ますのでここで・・・」

「あ、うん・・・」

長い廊下を職員室へと歩いていく彼女の背中を見ながら、俺は気の抜けた返事しかできない。

――この前のように、「一緒に帰ろう」とは言えなかった。

なんとなく先ほどの話の余韻も残っていたし、今はまだ時間を置いたほうが良いと思ったから。

でも――。

「双海!」

気が付けば俺は、彼女の背中に向けて叫んでいた。

「・・・はい」

彼女が一呼吸置いてから振り返る。

振り返ってくれたという行動自体に小さな嬉しさを感じながら、俺は思っていたことを素直に言葉にしていた。

「あのさ・・・良かったら、明日も一緒にテスト勉強しないか?」

「・・・」

数秒間、暗い廊下には静寂が下りた。

その間ですら、俺の心臓は落ち着かなくて・・・。

「・・・はい」

了承の言葉と共に頷いてくれた彼女に、俺は歓喜する気持ちを抑えて微笑んで見せた。





Memories Off SS

                「心の仮面」

                          Written by 雅輝





<9>  日本の侍




そして翌日。

昨日のように図書室に来た俺は、双海が来るのを待ちながら数学に取り組んでいた。

『なんだかんだで真面目に勉強してるよな、俺って・・・』

テスト前とは言え、普段の俺からすれば考えられないことだった。

・・・いや、まあ威張って言うことではないけどな。

やはりこの図書室という場所がそうさせるのだろうか?

それとも別の――例えば彼女がいるからとか・・・。

「馬鹿か、俺は」

こんなくだらない事を考えるようになったということは、だいぶ脳の方も疲れてきているようだ。

ずっと眉間の辺りでカチカチと小突いていたシャーペンをノートの上に置き、ぼんやりと窓の外を眺める。

今日は曇天模様で風も強く、ザワザワと揺られている銀杏の木が見えた。

「あ〜〜、風になりてぇ」

「・・・はい?」

思わず現実問題として叶いそうにない希望が口から零れ落ちたその時、いつの間にか来ていた双海の呆れたような声が降ってきた。

「うおっ!」

突如聞こえた彼女の声に、俺はつい過敏な反応をしてしまう。

そして俺の結構響いたその声に、当然のように横で教科書を持ちながら立っている図書委員殿に注意を頂いた。

「図書室では静かにしてください」

「いや、悪い。双海が来たことに気づいていなくてさ・・・。まあ好きなところに座ってよ」

今日は早く授業が終わった為か、家で勉強をする人の方が多いらしく俺が来た時はまだ空席が目立っていた。

俺は双海に一声掛けてからこの奥の席に来て、一応俺の向かいと隣の席を取っていたのだ。

「・・・はい、それでは」

返事をした双海が座った席は、昨日とは違って俺の向かい側の席だった。

『・・・ま、いっか』

だいたい予想はついていたことだし。

こうして一緒に勉強をしてくれるだけ、まだましなのかもな。

「あっ、そうだ。・・・これ、昨日言ってた語呂合わせの本。テスト終わった後に返してくれればいいから」

昨日の内に鞄の中に入れておいた”語呂合わせシリーズ〜日本史版〜”を双海に差し出す。

「えっ、本当に宜しいのですか?」

「ああ、今回日本史には時間を割く気はないからな」

俺はどちらかというと文系(英語除く)なので、古典や日本史などより数学や物理の方がかなりやばい。

それにあの本に至っては既に内容はほとんど覚えているため、今回のテスト勉強で使用することはまずないだろう。

「ありがとうございます」

「いや・・・そのかわりと言っちゃあなんだけど、数学を教えてくれないか?」

日本史や古典なんかとは違って、数学などは先進国ならどの国でも習ってそうだからな。

双海って頭良さそうだし。

「それは構いませんが・・・確か今は、微分の辺りですよね」

「ああ。その微分だかビーフンだかがまったく理解できん。あんなもの、人間の限界を超えているぞ」

「・・・そうですか」

「・・・そうなんです」

軽いウケを狙ったのに、普通に流されてしまった。

俺は内心受けたショックを顔に出さないように、鞄から教科書とノートと問題集を取り出す。

「あの・・・」

全てを机の上に出し終え筆箱からシャーペンを出そうとしていたら、おずおずといった感じで双海が話しかけてきた。

「お?」

「私も一つ、お尋ねしても宜しいですか?」

「? ああ、俺に分かることならな」

「それでは・・・この辺りにお侍はいらっしゃいますか?」

「・・・は?」

「この辺りにお侍はいらっしゃいますか?」

いやいや、聞き返したのは聞こえてなかったのではなく、単に質問の意味がよく理解できなかっただけなんだけど。

これは双海なりの冗談なのか?

しかし彼女はとても真剣な表情で俺の返答を待っているようだ。

・・・そういえばこの前、近所のゲームセンターで侍を見かけたことが・・・あるわけないか。

「えっと・・・この辺りには絶対にいないと思うけど・・・」

っていうか世界各地、どこを探しても見つからないと思うけどな。

「えっ、そうなんですか?」

「ああ、三・四百年前にはいたと思うが・・・とりあえず現代の日本にはいないぞ」

「おかしいですね・・・以前に日本に来た時はいらっしゃいましたよ?」

「ん?双海って前にも日本に来たことがあるのか?・・・って、だからそんな人いないって」

「そんなはずは無いのですが・・・」

「だぁかぁらぁ〜、今の日本にはそんな人は絶対に・・・」

『ん?待てよ、もしかしたら・・・』

頑なに侍はいたと言う双海の話を聞いている内に、俺はある一つの可能性に行き当たる。

『あるじゃないか。現代の日本でも、侍やお姫様やお殿様が見れる場所が』

「双海・・・ちょっといいか?」

「はい」

「双海が行った場所って、お城とか武家屋敷みたいな建物があった?」

「はい、そのお城の天守閣にはお殿様がいらっしゃいました」

「あと・・・え〜っと、双海みたいに外国から来た人もたくさんいた?」

「・・・何故そのようなことを聞くのですか?」

「いや、これは双海の疑問を解決するのに、絶対に必要なことなんだ」

「・・・確かに、私のような方はたくさんいらっしゃいましたけど・・・」

「年寄りとかも多かったんじゃない?」

「そうですね」

「やっぱりか・・・」

いくつか質問したところで、ようやく合点がいった。

たぶん、双海が言っているのは・・・。

「あ〜、非常に言いにくいことなんだが・・・」

「はい」

「たぶん、双海がこの前日本に来た時に見た侍というのは偽者・・・というか観光地用の侍なんだ」

「えっ、そうだったんですか?」

「ああ、だから双海が訪れたのがたまたま観光地で、そこの人たちは海外から来た客を喜ばせる為にそういった格好をしてるだけだったんだよ」

「・・・それは知りませんでした」

「分かってもらえた?」

「はい、これでまた私は日本が嫌いになりました」

・・・何故そういう結論に達するかなぁ?

まあ確かにああいった類のものは、言葉通り”子供だまし”みたいなものだけど。

「しかし困りましたね・・・。この前いた国の友人に、お侍の写真を頼まれていたのですが・・・」

「写真か・・・。当然、生じゃないと駄目なんだよな?」

「そうですね。やはり直接私の手で撮りたいですね」

「また観光地にでも行ったらどうだ?」

「そうですね・・・事実を知ってしまった以上、あまり気は進みませんが・・・この辺りにそういった観光地はあるのですか?」

「・・・あるにはあるけど、一番近くでも車で片道2時間ってところだな」

「・・・そうですか」

俺の回答に、双海は少し気落ちしたように顔を俯かせた。

そんなに残念だったのか・・・。

『・・・ん?待てよ』

――双海はさっき、「前の国の友人」と言ったよな。

――ってことは、他の国では今でも連絡を取り合うような友達がいるという訳だ。

――それなのに、何故この国では友達を作ろうともせず、誰とも接しようとしない?

俺の頭に数々の疑問詞と共に、先ほどの双海の言葉が浮かんでくる。

――「これでまた私は日本を嫌いになりました」――

「・・・」

――日本が嫌いだから、日本人も嫌い?

――いや、むしろ逆・・・。

「なあ、双海」

「はい?」

「少し失礼なことを訊くけど・・・いいか?」

「・・・別に構いません」

先ほどより、尚更隙が無い声。

彼女をじっと見据えながら一呼吸置いた俺は、意を決して言葉を紡いだ。

「双海は今まで日本が嫌いだと言っていたが・・・日本が、というよりは日本人が嫌いなんじゃないのか?」

「!!・・・」

彼女は一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐさまいつもの感情を伴わない顔で事も無げにさらりと言った。

「はい、そうです」

でも俺には、その無表情がどうしようもなく悲しい顔に見えた。

その悲しい顔が何を物語っているのか、どうしてそんな悲しい顔をするのか・・・。

気がつけば俺は、更に追及の言葉を吐き出していた。

「・・・理由を、訊いてもいいか?」

「・・・」

俺の問いに対し、双海は俯き、沈黙した。

数秒のその時間が、とてつもなく長く感じ始めていたその時――

「それは・・・」

顔を俯かせたまま、彼女は重い口を開いた。



10話へ続く


後書き

うぅ〜〜、また一週間開いてしまいました・・・。

駄目です、最近クラブが忙しくてもうへとへとなのです。

このままだとさらに更新が遅くなる恐れも・・・はぁ。



それはさておき内容ですが、またほとんど動きがありませんでした(汗)

まあ今はストーリーを順に追っていっている感じなので何とも言えませんが、予定では次くらいから多少オリジナルが交ざるかな?

その為に今回は中途半端なところで切っていますが、それは勘弁してくださいm(__)m


来週はもうちょっと早く更新できるように・・・頑張れるかなぁ(笑)



2006.4.28  雅輝