放課後の図書室。
今日も私はカウンターに座って愛読書に目を落としながら、いつものように図書委員の仕事である司書をしていた。
「なあ、ここの要約ってさ――」
「ん?あれ、答えが――」
「だからそれはこっちの公式を――」
「えーっと、辞書のコーナーは――」
室内に微かに漏れ合うそんな囁き声が、絶え間なく私の耳に流れてくる。
いつもは5人も来ればいい方なのに、ここ最近は結構な数の人がこの図書室に足を運んでいる。
けれど誰もが図書室の暗黙のルールを分かっているのか、普段より声を落として囁きあうように会話をしていた。
”ガララ”
本日幾度目かの音――図書室の扉が開かれた音が聞こえたが、私はたいして興味も持たずそのまま持っている本の活字を追う。
「あっ、ふた・・・おわっ!」
”ガタタッ”
自分を呼ぶような声と、それに続いた驚いたような声・・・さらには何かが倒れるような音まで聞こえ、さすがに私も本から目線を上げる。
すると私の目の前――カウンターテーブルの前では、よりにもよって私の約束相手が派手に転倒していた。
『はぁ・・・』
私は半ば呆れたようにため息を吐くと、倒れている男子生徒――三上さんに向けて、図書委員として声を発した。
――「図書室では静かにしてください」――
Memories Off SS
「心の仮面」
Written by 雅輝
<8> 日本が嫌い?
「お待たせしました」
「ん・・・ああ。席なら取ってるから」
「はい」
突っ伏していた体を起こし、席を取るために置いていた鞄をどかすと、双海はそう返事をして俺の左隣に腰を下ろした。
本当は向かい合わせとかの方がいいのだろうが、あいにくそういった席が無く、かろうじて残っていた奥の並んでいる椅子を確保していたわけだ。
「さっきは悪かったな」
「いえ、事故だということは分かっていますから」
”さっき”というのは、勿論入り口で派手に転倒したことだ。
だいたい、何で入り口に段差があるんだよ・・・まあ双海の話だとそれに躓いた人は初めて見たそうだが。
とにかく大勢の人の前で大恥を書いた俺は、席を取った後は周りの視線から逃げるように不貞寝していたのだ。
「それじゃあ早速やるか。双海はまったくテスト範囲を知らないのか?」
「はい」
「んじゃ、順番に教えていくからメモを取るなりしてくれ。え〜っと・・・まずは国語の現代文から――」
俺の言葉に双海が鞄からメモ帳を用意するのを確認してから、教科書の片隅にメモっている範囲を順に挙げていく。
真っ白なメモ帳は、どんどんと彼女の丁寧な字によって埋まっていく。
『やる気はあるんだよな・・・』
「――で、最後は英語だな。教科書はP23〜48、問題集はP16〜29までだ。あっ、問題集はP23以外って事になるらしい。・・・っと、こんな所かな」
一通り説明し終えた俺は、彼女が書き終わるのを待ってから前々から気になっていた事を聞いてみた。
「あのさ、双海。一つ聞いていいか?」
「はい?」
「俺も人のことは言えないと思うが・・・どうしていつも授業をしっかり受けないんだ?」
「・・・本を読みたいからです」
まあその答えも予想はしていたのだが、俺にはそれ以外にも何かあるような気がしてならなかった。
「本当にそれだけなのか?」念押しするように出かけた俺の言葉は、双海がそのまま続けた言葉によって遮られる。
「それに、どうせ覚えてもあまり意味がありませんから」
「・・・えっ?」
「私の父は、ご存知の通り有名な考古学者です。その仕事柄、同じ国に長く留まっている事はほとんどありませんでした。その国の事を覚える前に、すぐに他国へと渡ってしまうんです」
「・・・だから勉強をしても意味が無いと?」
「はい」
「・・・」
確かに、彼女の気持ちも分かる。
いや、そんな経験が無い俺がそんな事を言うのはどうかと思うが・・・そういった生活が、正に物心ついた時分から続いていたのだ。
友達が出来てもすぐに離れてしまう。
その国に馴染んでもすぐに離れてしまう。
たとえどれほど一緒にいたいと望んでも、どれほどこの国に残りたいと願っても・・・小中学生だった彼女には、親の後を付いていくしか選択肢は無かったのだろう。
でも、だからと言って・・・。
『そんな考え、寂しすぎるじゃないか』
しかし、俺がそう思ったところで、その考えをそのまま双海に言うことなんて出来るわけがない。
彼女の今までの苦労を経験したことがない俺の言葉なんて、重みもなく、薄っぺらいだけだから。
「ずっと・・・居られるといいな」
それでも俺は、あまりに寂しい彼女の考えに居た堪れなくなって、気が付けばそんな言葉を発していた。
「え・・・?」
俺の言葉に、双海は驚いた様子で俺をじっと見る。
真っ直ぐに見つめてくる彼女の灰色がかった瞳に、俺は柄にも無くドキッとして思わず視線を逸らしてしまった。
「いや、あの、深い意味は無くてだな・・・。ただ、こうして今も一緒に勉強しているわけだし、すぐに離れ離れになるのは悲しいというかなんというか・・・」
「・・・そうですね」
焦ってしどろもどろに説明を始めた俺に、双海はそう一言漏らして笑んでくれた。
その笑みが穏やかで新鮮で・・・また俺の心臓は、勝手にスピードを上げていくのだった。
”カリカリカリ・・・”
「え〜っと”熱中する”・・・なんだっけ?」
「”involve”です」
「インボルブ、だな?サンキュー」
”カリカリカリ・・・”
「”She was about to run”・・・彼女はおおよそ走った?」
「彼女はまさに走り出そうとした・・・です」
「おお、なるほど」
”カリカリカリ・・・”
勉強を始めて、すでに2時間が経過していた。
家ではまったくと言っていいほど勉強が出来ない俺だが、図書館のような勉強する雰囲気の中だと意外にも集中出来るようだ。
まあ今やっているのは大苦手な英語なので、すぐに詰まっては横にいる双海先生に教えてもらっているのだが・・・。
「ん〜〜っ・・・」
ずっと握っていたシャーペンを置き、休憩も兼ねて手を組んで大きく伸びをする。
隣を見てみると、双海は小難しい顔をしながら社会――日本史の教科書と向き合っていた。
「やっぱり日本史は苦手?」
しばらく見ているとあまり捗っていないようだったので、大声にならないように注意しながら双海に尋ねた。
「はい・・・どうしても年号が覚えられなくて」
俺の声に反応を示した双海も集中が切れたのか、教科書を置き俺の方を向く。
「そう?俺は結構そういうのは得意だけど。年号なんかは語呂合わせで覚えればいいんだよ」
「語呂合わせ・・・ですか?」
「ああ。今回の試験の範囲は江戸時代から明治時代に掛けてだろ?例えばだなぁ・・・」
俺は机の上に置いてあった双海の教科書を失敬して、いくつか例を挙げてみる。
「この大政奉還は、”批判虚(1867)しく大政奉還”って覚えると楽だ」
「なるほど・・・1867年ですか」
「後、お勧めと言えば”嫌な3(1873)%地租改正”とか。これは地租改正の年号を覚えると同時に、その時の税率まで覚えられる優れもんだぞ」
「凄いですね。これなら今までより楽に覚えられそうです」
「まだ他にもあるんだが・・・。あっ、そういえば俺の家にこういう年号の語呂合わせがいっぱい載った本があったと思うから、明日にでも貸してやるよ」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。俺はだいたい覚えちまってるし、家に置いてても埃が溜まるだけだからな」
「あ、ありがとうございます」
「お、おう」
少し頬を赤らめてお礼を言う双海に、俺は思わずぶっきらぼうに返事をしてしまった。
何故だか気恥ずかしくなった俺は、話題を変えようとふと思い立ったことを訊いてみた。
「そういえば双海って、前の国では日本語学校に通ってたんだよな?その時に日本の歴史は勉強しなかったのか?」
それは俺にとっては、何の気なしに訊いたことだった。
しかし彼女にとってはそうでなかったのか、微笑んでいた双海の顔に影が落ち、淡々と言葉を紡いだ。
「はい。私は日本が嫌いなので、向こうではペルーの歴史についてだけ学びました」
そのある意味衝撃的とも取れる言葉に、俺は呆然と聞き返す。
「日本が・・・嫌い?」
「はい、嫌いです」
しかし彼女は躊躇うことも無く、その瞳には氷のような冷たさを宿しながら、きっぱりと言い切った。
「何で?」
「それは・・・」
思わず口をついて出た俺の疑問に、双海は顔を伏せると冴えない表情で黙りこくってしまった。
「いや、無理に言う必要は無いよ。・・・悪かった」
そんな彼女の、真剣で、悲しいとも取れる顔を見た俺はそれ以上何も言うことが出来なかった。
バツが悪くなった俺は、再び英語の教科書に目を落とす。
「・・・」
ちらりと横を見てみるとこちらを見ていた双海と目が合ったが、彼女はさり気無く視線を外すとまた日本史の年号覚えに戻ったようだった。
『はぁ・・・』
俺は心の中でため息を一つ落としてから、途中だった長文の英訳に取り掛かった。
「・・・」
「・・・」
結局図書室の閉館時間になるまで、俺達は一言も会話を交わすことなく、気まずい雰囲気の中勉強を続けたのだった。
9話へ続く
後書き
またもや1週間近く開いてしまいました〜(汗)
最近部活が忙しくて、あまり時間が作れない日々が続いております(><)
今回は試験勉強の続きですね。
まあ次話も図書室で試験勉強って感じなんですが・・・。
この中間試験が終わる頃には、二人の仲も良くなっている・・・はず?(笑)
後、名前を呼ぶタイミングもようやく見当をつけました。
これも中間試験が終わった後ですね。
次回はなるべく早く更新したいなぁと思いつつ今日はこの辺で。
ごきげんよう^^