”ガタンゴトン”
「ふう・・・」
毎日揺られている、学校へと向かう電車の中。
吊り輪に掴まり、片手で開いている文庫本に目を落としながら、私は短いため息を吐いた。
昨日は夜遅くまでお気に入りの時代小説を読み耽っていたので、今日はいつもよりだいぶ遅い起床となった。
そのせいで、こうして混雑している車内に押し込められているのだけれど・・・。
「はぁ・・・はぁ・・・」
問題なのは、さっきから後ろで荒い息を吐きながら私の身体を触ってくる中年の男性。
「・・・」
嫌悪感はあるものの、本に集中したいため我慢をしていた。
けれど、その触り方が徐々に大胆になっている今、これ以上の我慢など出来なかった。
私は持っていた文庫本を鞄に入れて、父から教わった護身術で懲らしめてやろうとしたその瞬間――。
「おい!やめろっ!」
聞き覚えのある声がすぐ真後ろから車内に響き、私は驚きを隠せないまま後ろを振り返った。
Memories Off SS
「心の仮面」
Written by 雅輝
<7> 綻び始めた仮面
その声の主は予想通り三上さんで、彼は私の体を触っていた中年男性の手首を捻じりあげているところだった。
「いててっ!・・・くそっ!」
「あっ、待て!」
男性は三上さんの手を振り払うと、そのまま車内にいる大勢の人を押しのけるようにして隣の車両へと逃げていった。
「ちっ・・・っと、双海。大丈夫だったか?」
彼は悔しそうに一つ舌打ちを漏らすと、表情を一変させて心配そうな表情で私の方を見る。
「はい、私は大丈夫ですが・・・その・・・」
「ん?」
「今の人は、一体何だったのでしょうか?」
「何って・・・間違いなく痴漢だと思うけど?」
『ちかん?・・・チカン・・・置換?そういえば以前、化学の実験で”水上置換法”という手法を学びましたが・・・関係ないですよね?』
私は”ちかん”の意味がよく分からず、素直に疑問を口に出していた。
「ちかん・・・とは一体何ですか?」
”ガクッ”
三上さんは吊り輪に掴まったまま、脱力したように項垂れていた。
「なるほど、先ほどのような行為を”強制わいせつ罪”というのですね?」
三上さんはちかんを一から説明してくれて、私がようやくそれを理解できた頃にはもう既に澄空の駅が見えていた。
「何でそんな難しい言葉は知ってるんだ?・・・まあいいか。降りるぞ」
「あっ、はい」
私達は並んでホームへと降り立ち、”定期券”という日本のパスカードをリーダーに通して駅を出た。
そのまま学校へと続く緩やかな坂道を、彼と並んで歩く。
「日本では、ああいったことが日常茶飯事なのですか?」
「いや、そうでも無いと思うけど・・・まあ双海ならしょうがないのかも知れないな」
「? それはどういう意味なのですか?」
「えっ、いや、その〜〜」
「?」
三上さんは私の質問に、心無し赤い顔をして誤魔化すように空へと視線を移した。
「・・・つまり三上さんは、犯罪行為から私を助けてくれたというわけですよね?」
「そんな大層なものでも無い気がするけど、まあ結果的にはそうなるな」
「ありがとうございました」
「いや、気にしないでくれ。それより双海が無事でよかったよ」
そう言った彼の顔は、とても穏やかで優しく見えて・・・。
「はい。ありがとうございました」
私は不思議と表情を緩ませて、もう一度――今度は彼の目をしっかりと見つめてお礼を言った。
――だんだんと自分の心の仮面が綻び始めているのを、強く感じた瞬間だった。
「あ、ああ・・・そ、そういえば双海。テスト勉強は進んでるか?」
双海の面と向かったお礼に少し気恥ずかしくなった俺は、どもりながらも無理やり話題を転換させた。
「・・・はい?」
しかし何故か双海は「テストとは何のことでしょうか?」みたいな表情で、首を傾げていた。
「いや、だからテストだよ。来週から始まる中間試験」
「中間試験・・・ですか?」
「・・・もしかして知らなかったとか?」
「・・・はい」
少々呆れてしまうが、俺も昨日唯笑に聞くまでその存在を知らなかっただけにあまり強くは言えない。
「・・・マジか?最近どの先生も色々とうるさいだろ」
「授業中は本を読んでますから」
『なるほど』
双海のその言葉に、妙に納得できる俺がいた。
「でも少しはやっておいた方が良いと思うぜ?さすがに補習は避けたいだろ?」
「そうですね。しかし・・・」
「ん?」
「テストの範囲が分かりません」
「・・・」
空を仰いでみた。
『ああ、今日は良い天気だなぁ』
所々に雲はあるものの、10月の半ばにしては暖かく、その太陽の眩しさに目を細めてしまう。
・・・と、現実逃避はここまでにしよう。
そりゃまあテストの存在すら知らなかったんだから、範囲が分からないのは当たり前だよな。
「よし。じゃあ今日の放課後、図書室で一緒に勉強しないか?その時に範囲も教えるから」
俺は彼女の顔色を窺いつつ、そう誘ってみた。
普段、人との交わりを絶っている彼女だが、だからと言ってそれで終わりにしたくはなかった。
彼女がそういった行動をする理由は、もちろんあるのだろう。
でも・・・それでも、何故か俺は彼女の事が放っておけなかった。
それが同情からなのか、別の感情なのか・・・はたまた彼女が”あいつ”に似ているからなのか。
分からないながらも、俺は確かに双海との時間を求めていた。
「・・・分かりました。しかし私は今日も図書室の方で仕事がありますので、それが終わってからということになりますが・・・」
「ん、了解。それまでは一人で時間を潰しとくから」
「はい。それでは宜しくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
その会話が終わったと同時に、俺達は校門をくぐった。
そしてそれを追うように鳴り響くチャイムの音。
「まずい、予鈴だ。走るぞ、双海」
「えっ、あ、はい」
どこからか湧き上がってくる充足感を抱きながら、俺は彼女の先を行くように階段を駆け上った。
8話へ続く
後書き
は〜い、7話UPで〜す。
少々短いですが、今回はこんなもんで・・・。
う〜ん、結構詩音の心の動きが速いですねぇ。
完全に、私にとっても予想外の事態です(笑)
最近ちょっと詰まり気味で・・・いつ智也に詩音を名前で呼ばせようかなぁとか。
ゲーム本編では自然にいつの間にか読んでましたが、タイミングがなかなか掴めません。
まあいつか必ず呼ばせますので、気長にお待ちください^^;