”ザアァァァァァァッ”
未だ降り止まぬ雨が、走りを止めた俺の身体に襲い掛かる。
やはり病み上がりの全力疾走が祟ったのか、止まったはずなのになかなか息の乱れが戻らない。
でも・・・もういいんだ。
ようやく、求めていた彼女に追いつけたのだから。
「・・・詩音」
雨のせいで視界が悪くなってはいるが、それでも彼女の美しい銀髪は変わらなかった。
あの日の白い傘を差しながら、俺とは反対方向に顔を向け立ち止まっている後姿。
「詩音っ!!」
俺はその背中に呼びかける。
もう二度と手放さないと、固い決意を込めて・・・。
「「・・・・・・・・・」」
一瞬とも永遠ともつかない静寂の後、ゆっくりと彼女が振り返る。
――その表情がどことなく嬉しそうに見えたのは、俺の見間違いだろうか。
Memories Off SS
「心の仮面」
Written by 雅輝
<29> 純白の羽
「詩音っ!!」
背中越しに聞こえてきたのは、間違いなく彼の――智也さんのものだった。
もう、二度と聞くことはないと諦めていた声。
諦めようとした存在が、今私の後ろにはあった。
”ビシャッ・・・ビシャッ”
水たまりを踏みしめる音と共に、徐々に近づいてくる彼の気配。
その音を聞きながら、私は呼吸を整えてからゆっくりと振り返る。
「ハァ・・・ハァァ。ようやく・・・追いっ・・・つけた」
「・・・智也さん」
目の前で乱れた息を整えようとする彼の服は、まるで海の中に潜ってきたかのようにずぶ濡れだった。
さらによく見ると、その服は寝間着のような軽装で、つっかけを履いた足の指からは血が滲んでいる。
まさに着の身着のまま・・・こんな私の為に、家を飛び出してくれたのだろうか。
「・・・っ」
不意に零れ落ちそうになった涙を悟られないように、一度は振り向かせた体をもう一度反転させる。
「詩音・・・俺、話があって――」
「駄目ですね、私」
ようやく息を落ち着かせ口を開いた彼を制するように、私は背を向けたまま先に言葉を紡いだ。
「え?」
「決意していたはずなのに、こうして呼び止められた今、それをとても嬉しく想ってしまっているんですから・・・」
「詩音・・・」
傘を握り締めながら、そっと自分の胸に手を当てる。
思い起こされるのはこの数ヶ月間、気付けば傍にいてくれた彼との時間。
「・・・最初は、おかしな人だと思いました」
「・・・おいおい」
少しの間を置いて智也さんが苦笑する。
でも、あの頃の私には本当にそう思えたから。
「心に仮面を着けた無愛想で冷たい私に、何度も話しかけてくるおかしな人」
「どれだけ冷たく接しても怒ることもなく、私が作った壁もまるで見えないように話しかけてくる不思議な人」
「そんなあなたに、どんどん惹かれていく自分に気付いて・・・怖くなって・・・何度も断ち切ろうって思った」
「でも・・・」
一旦言葉を切って、振り返り再度彼と向き合う。
「できなかったの・・・」
頬に、冷たい感触が走るのを感じた。
降り続ける雨と共に、ポツリポツリとアスファルトに落ちる。
「フィンランドへの父の転勤を聞いた時も、日本を離れることを決心した時も、心の中はあなたでいっぱいだった」
「ようやく断ち切れると思ったのに・・・離れれば、時間がこの想いを薄らげてくれると信じていたのに・・・」
目に映る彼の顔が、涙で歪む。
それでも私は拭うこともせず、逸らすこともせず、彼のまっすぐな瞳に向き合う。
「でも、もう私の中であなたの存在は大きくなりすぎていた」
これは彼女に・・・音羽さんに教えてもらった気持ち。
彼女の挑戦的な言葉に、心に浮かんだ激しい嫉妬。
離れられない・・・離れたくないほどの想い。
「それなのに・・・それなのに私はっ!大丈夫だと必死に自分に言い聞かせて、自分が傷つかないようにあなたから逃げた!」
「そんな事をすればあなたが傷つくと、心のどこかではわかっていたのに・・・私はその心にも仮面を被せて、見えないようにしていたの!」
「あなたには、今坂さんや音羽さんがいる!あなたの事を少しも考えられなかったこんな私より、ずっとずっとあなたの事を想ってくれてる!」
「だから――っ」
それから先を紡ぐことは、できなかった。
パシャッと、水が軽く跳ねる音と共に、手から離れ地面に転がる白い傘。
いつの間に近くにいたのか、暖かい温もりにぎゅっと抱きすくめられた私の体。
胸いっぱいに広がるのは、忘れもしない彼の匂い・・・。
雨足の弱まった霧雨が、火照った体に心地良かった。
「詩音・・・」
耳たぶを、少し低い彼の声が打つ。
それだけで、胸が痛くなるほど高鳴る。
「もういい・・・もういいんだ」
「智也さん・・・」
「詩音、もう一度言わせてくれ」
密着していた上半身を少し離し、お互い見つめ合う形になる。
彼は深呼吸のように大きく息を吐いてから、口を開いた。
「俺は・・・詩音が好きだ。彩花の代わりなんかじゃなく、そのまんまの詩音が好きなんだ」
「――っ」
胸が、震えた。
そして、徐々に速くなる心臓の鼓動。
それに飲み込まれないように、彼を見上げながら言葉の続きを待つ。
「だから・・・行かないでくれ。俺にはもう詩音しかいないんだ」
「ずっと傍に・・・誰よりも近くに居てくれ」
「智也さんっ!!」
彼の真摯な想いに、私は我慢できずに彼の胸に勢いよく顔を埋めた。
背に回される暖かい手を感じながら、心情を吐露する。
「私も・・・私もあなたが好き!大好きなの!」
「離れたくない・・・ずっと智也さんの傍に居たいの・・・」
「・・・詩音」
「智也さん・・・ん・・・」
互いに引かれるように顔を近づけ、そっと優しく唇が触れ合う。
数秒後、どちらからともなく唇を離し、再度しっかりと抱き合った。
「あ・・・」
そして、彼の肩越しに見えた空。
あれだけ激しく降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。
雲の隙間から顔を覗かせた太陽が、水たまりに反射して眩しい。
「あれは・・・」
その陽光の中に、一瞬だけ霞んで見えた少女の姿。
栗色の髪をなびかせ、純白の翼を広げ、確かに微笑んでいたあの人は・・・。
「ん?どうしたんだ?詩音」
「・・・いえ、何でもありません」
自然と頬が緩み、もう一度抱き合ったまま空を見上げる。
『ありがとうございます・・・彩花さん』
水たまりの上に開いたまま落ちていた私の白い傘。
――その傘の上にヒラヒラと舞い落ちてきた1枚の純白の羽が、彼女の存在を確かにしていた。
30話へ続く
後書き
ようやく書き上げることができました、第29話。
うわ、もう前回の更新から2週間近く経ってるよ・・・orz
いやぁ、今回は悩みました。
2回書き直しをして、38回ほど詰まりました(笑)
なかなか納得の行く内容にできず、時間だけが過ぎるいっぽ〜。
何とか連休中にUPできて良かったです^^;
次回はついに最終話です。
まあエピローグ的な感じに仕上がると思います。まだまったく考えていませんが(汗)
それでは、最終話の後書きで会いましょう!