”ザアァァァァァッ”
先ほどから降り続いている雨は、容赦なく俺の体を濡らしていた。
正直言って、病み上がりの身体に冷たい雨は流石にきついものがある。
しかし、俺は走るという行動を止めるわけにはいかなかった。
まともな靴も履いていない足が擦り切れようとも、朦朧とする意識の中何度も倒れそうになろうとも・・・。
全てが手遅れになってしまう前に、ただ一人の少女の事を想って・・・。
「・・・詩音」
視界の悪い道の先。
心の中で彼女の背中を見つめながら、俺はさらに走る速度を上げた。
Memories Off SS
「心の仮面」
Written by 雅輝
<28> 恋敵の友達
「大丈夫か?詩音」
「えっ?あ、はい・・・大丈夫です」
「・・・そうか」
もうこのやりとりを、今日だけで何度繰り返しただろうか。
隣を歩く父さんは薄茶色の、そして私は真っ白な傘を差しながら、駅を目指して歩いていた。
雨のせいかあまり人が見当たらない商店街の中を、大きなボストンバッグを手にただ前進する。
でも・・・やっぱり考えてしまうのは彼の事。
遊園地で会ったのを最後に、別れの挨拶も交わすことなく離れてしまう。
心はそれが嫌だと何度も叫んでいたけど、それでも私は気持ちを押し殺して手紙を書いた。
謝罪と、お礼と・・・でも、一番伝えたかったことは書けなかった手紙を・・・。
――「・・・詩音が・・・好きだから。そのままの詩音がさ」――
こんな私を好きになってくれた彼に、私は自分の気持ちも伝えずに去ろうとしている。
それがどんなに愚かな行為でも、私にはそうするしか他に無かったから。
『・・・智也さん・・・』
――消えることの無い彼への想いを持ち続けることが、彼に対する私の償いのように思えた。
「ちょっと待って!」
『・・・え?』
傘を打つ雨音の中、誰かを呼び止めるように放たれたその声に私は思わず振り向いた。
心は一瞬彼ではないかと期待したが、すぐにそれは打ち消した。
その声は女性のもので、そして私にも少し馴染みのある声だったから・・・。
「はぁ、はぁ・・・はぁぁ。やっと追いついた。駅に向かうにはこの商店街を通るしかないもんね」
「音羽さん・・・」
振り返った先には、水色の折り畳み傘を片手に荒い息を吐いている音羽さんが立っていた。
その乱れた息と、黒のニーソックスにこびり付いた泥が、彼女がここまで走ってきたことを雄弁に語っている。
「詩音。友達かい?」
「あ・・・はい」
「そうか・・・。それでは先に空港に行ってるから、ゆっくりと話してきなさい。まだフライトの時刻には早いからな」
父さんはそう言うと、私が口を開く前にさっさと歩き出してしまった。
私はそれに付いていくわけにもいかず、目の前の音羽さんに話しかけた。
「あの・・・どうしてここに?」
「どうしてって・・・友達が外国に行くって言うのに、別れの挨拶をしない方がおかしいよ」
「友達・・・」
微笑んでいる彼女の言葉に、私は胸が熱くなった。
”友達”と、そう呼んでくれた事が嬉しかった。
「でもね・・・本当の理由は違う」
スッと、彼女の表情が一変する。
その顔はどこまでも真剣で、私も思わず彼女の瞳を見つめ返した。
「双海さん、私はあなたを連れ戻しに来たの。自分の気持ちを押し殺してまで転校しようとしている、あなたの考えを変えに来たのよ」
「・・・えっ?」
”ザアァァァァァッ”
一層激しくなる雨足。
そんな雨音が主体となる、数秒間の静寂。
「・・・ねえ双海さん。あなたは三上くんの事をどう想ってるの?」
そしてその静寂を破った音羽さんの質問は、あまりにも直球すぎて私は言葉に詰まってしまった。
「わ、私は・・・」
「正直に言って」
真っ直ぐに見つめてくる瞳に、嘘や誤魔化しは通用しないと悟った。
一つ息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、私も彼女の瞳を見つめて答える。
「私は、智也さんの事が・・・好きです」
「・・・そう、良かった」
「え?」
「本音を言ってくれなかったら、どうしようかと思ってたから」
「音羽さん・・・」
「それで、どうするの?このまま彼には何も言わずに、諦めるの?」
「っ!」
彼女の厳しい物言いに、私の心臓がズキンと痛む。
「そう簡単に諦められるほど、双海さんの気持ちは軽いものなんだ?」
まるで今まで考えないようにしていたことを、全部突きつけられているようだった。
でも、この気持ちは軽いものなんかじゃない。
そこだけは否定したくて、私はポツリと声を出す。
「・・・違う」
「何が違うの?悪いけど、客観的に見たらそうとしか思えないよ」
「・・・あなたに・・・あなたに何が分かるのっ?!」
『何も知らないくせに・・・』という感情から、ついつい声が荒いでしまう。
「何も分からないよ!でも、双海さんだって三上くんの事何も分かってないじゃないっ!」
「・・・え?」
そして、目の前の彼女も。
いつもは楽しげに良く通る声だけど、今は怒気と悲しみを含んだ声をしている。
「手紙を稲穂君に渡してたって事は、ちゃんと別れの挨拶も交わしてないってことでしょ?!」
「もちろん、双海さんも辛いと思うよ。でも、好きな人にろくに別れも告げてもらえない方が、もっと辛いんだよ!?」
「あ・・・」
感情を露わにする音羽さんの頬を、一筋の涙が伝う。
その瞳は悲しく、どこか昔を思い出しているような憂いの光を放っていた。
そう、少し前の彼のように・・・。
「・・・・・・」
私は何も反論できなかった。
彼女の言っている事に何の間違いも無かったから。
「・・・最後にもう一回だけ聞くわ。双海さん、あなたはどうしたいの?」
涙を拭って、音羽さんがもう一度真剣な瞳を向けてくる。
「・・・」
でも、私はその質問にすぐに答えることができず、その真摯な瞳から目を逸らすように俯いた。
「・・・そう、わかったわ。だったら、三上くんは私が貰うから」
「え・・・?」
「今まで隠してたけど、私も三上くんのことが好きなの」
「っ! そ、んな・・・」
何かの冗談だと思いたかった。
でも、彼女の瞳は真剣なままで・・・それ以上に彼女がこの場で冗談を言うとも思えなかった。
「今はまだ双海さんのことが好きなのかもしれないけど、絶対に振り向かせてみせる」
「・・・いや・・・」
「まだ友達として、だけど。幸いにも彼は私に好意を抱いてくれてるようだし、ひょっとしたら思ってるより早く――」
「やめてぇっ!!」
私は頭(かぶり)を振り、必死に耳を塞ぐ。
それ以上彼女の言葉を聞いていることが耐えられなくて・・・。
嫉妬という感情が、濁流のように溢れ出そうになって・・・。
「・・・残りたい」
無意識の内に、口からは本音が次々と紡がれていた。
「嫌・・・私も、ここに残りたい!」
「あの人がいる日本を、離れたくない!」
「誰にも彼を渡したくない!」
そしていつの間にか、私の双眸からは止め処なく涙が溢れていた。
でも、反対に心は非常に清々しく・・・。
今まで溜まりに溜まった膿を、全て吐き出したような・・・そんな気持ちになれた。
『私・・・自分にも嘘をついてたんですね』
消えることの無い彼への想いを持ち続けること・・・そんなの、耐え切れるものなんかじゃなかったのに。
智也さんの傍を、離れられるわけがなかったのに。
「そう、それでいいんだよ。双海さん」
気が付けば、私の身体は音羽さんに優しく抱きしめられていた。
「音羽さん・・・」
「自分の気持ちに正直にならないと・・・三上くんもそれを一番望んでるんだから」
「・・・はい」
「もちろん、私もね?」
「はい・・・っ・・・」
涙が止まらない私の目尻を、音羽さんがハンカチで優しく拭ってくれる。
「もう、彼に会うのにそんなに泣いてちゃダメでしょ?」
「えっ・・・?」
今、何て・・・?
「やっぱり双海さんは、まだまだ三上くんの事を分かっていないみたいだね。あの三上くんが双海さんの転校を黙って了承すると思う?今頃こっちに向かってるはずよ」
「そう・・・ですね」
彼が優しい人だってことくらい、ずっと前から知ってた。
でも、心のどこかで信じられなかったんだ。
いくら彼が優しくても、こんな私を追いかけてきてくれるはずは無いと・・・。
「もう、大丈夫だよね?」
「あ・・・」
スッと私から離れた音羽さんは、いつもの彼女のように満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱり、映画も現実もハッピーエンドじゃなくちゃ。それに、最終回のキャストもようやく到着のようだしね」
「え?」
彼女が指差した方向を、咄嗟に振り向く。
そこには、遠目からでもはっきりとわかる――智也さんの姿が。
「それじゃ、恋に敗れた女はさっさと退場することにしますか」
「音羽さん?」
その自嘲気味に呟かれた声にもう一度視線を戻すと、もう既に音羽さんは私に背を向け歩き出していた。
「あっ、そうそう」
そして最後に一度だけ振り向いた彼女は――。
「絶対に、笑顔でフィナーレを迎えなよ?」
とびきりの笑顔で・・・でも、悲しみや悔しさを押し殺した笑顔で。
「音羽さん!!」
どうして、音羽さんも今坂さんも、そんな想いをしてまで笑顔を作るのか。
今ならその答えも、分かる気がするから。
「本当に、ありがとうございました!」
心持ち勢いが弱まった雨の下。
私も、今できる最上級の笑顔で、去り行く彼女の背中にお礼を言った。
29話へ続く
後書き
ぐふぅ、疲れました。
土、日とまったく手を付けなかったので、実質二日で書き上げました(汗)
でも結構詰まらずに書けたので、内容もまあ(自分の中では)及第点かな?
う〜ん、もうちょっと構成力を高めたい・・・。
前回の後書きで想像できた方もいると思いますが、かおるを登場させました。
当SS、唯笑よりも彼女の方がキープレイヤーになってるかも(笑)
仕方が無いですよ、作者(私)が唯笑よりかおるの方が好きなのだから(←ヲイ)
次回は本当のクライマックス。何とか30話完結でいけそうです。
それでは、次の後書きで!^^