「・・・ふう」

読みかけの本に栞を挟んで、私は昨日から幾度となく繰り返してきたため息をまた一つ吐いた。

朝起きても、朝食を摂っていても、授業を受けていても、そして今こうして放課後の司書の仕事をしている時だって・・・考えるのは昨日の事だった。

昨日の、自分の酷く子供じみた行動を思い出しては、自然とため息が零れ落ちる。

そして、思ってしまうのだ。

――『もう彼は、ここに来てくれないのではないだろうか?』と。

「・・・」

身を挺して守ってもらった。

穏やかな笑みで、優しい言葉も掛けてもらった。

それなのに私は、お礼を言うどころか彼を怒鳴り散らした。

彼は何も悪くないのに・・・。

「・・・・・・」

誰もいない図書室は、痛いくらいの静寂に包まれていた。

そしてそんな環境が、尚更私の心を不安にさせる。

それでも・・・どうしても期待してしまう。

目を向けた先に見える、図書室のドアに。

どうしても、願ってしまう。

いつものように、彼が照れくさそうに入ってきて、私に向かって「こんにちは」と声を掛けてくれる事を。

「・・・はぁ・・・馬鹿だな、私・・・」

そんな自分の身勝手な願いに、俯きながら自嘲気味に呟いたまさにその時――。

”ガラッ”

「・・・詩音」

ドアが開いた音と、突然降ってきた聞き覚えのある声に、私は弾けるように顔を上げる。

私が見上げたその先には、いつも通り穏やかな笑みを浮かべた――しかしどこか緊張した様子の彼が立っていて・・・。

「・・・智也さん・・・」

私の図々しい願いは、何とも唐突に叶ってしまった。





Memories Off SS

                「心の仮面」

                          Written by 雅輝






<19>  告白




「来て・・・くださったんですね」

「ああ。だって、昨日のままじゃ気になってしょうがないからな」

詩音の、どこか躊躇いながらも紡がれた言葉に、俺はなるべく普通の声を意識して返した。

すると、彼女の顔は次第に歪んできて・・・。

「ごめんなさい・・・・・・」

その崩れそうな表情と、涙声となった謝罪に正直ドキッとしたが、それでも俺は心を鬼にして彼女に続きを促す。

「なあ、泣いてたら何もわからないし、何も解決しないと思うよ」

「・・・」

「前に・・・進もうよ。俺がいるからさ」

「・・・ごめんなさい・・・本当に・・・」

俺の言葉にようやく俯かせていた顔を上げ、真っ直ぐに俺を見上げると彼女は泣き笑いのような表情を見せる。

泣きじゃくりながらも無理矢理笑顔を作ろうとしたその表情に、俺は心臓が締め付けられるような想いだった。

「ほら、いつもみたいな顔をしてくれよ」

俺のその言葉は、最近見せてくれるようになった彼女の明るい笑顔の事を指していたのだが――。

「・・・無表情な・・・私ですか・・・?」

それを聞いた瞬間彼女の表情から感情というものが一切無くなり、まるで出会ったばかりの頃のような堅い・・・そして悲しげな声を出す。

「え?」

その言葉の意味を頭で理解するより先に、沈痛な表情を浮かべている詩音が淡々と呟く。

「・・・無表情な私。何を話しかけても興味のない私。・・・冷たい私・・・・・・そんな私になんで?どうしてなんですか?」

「・・・それは・・・」

俺は一瞬答えを躊躇った。

おそらくその「なんで?」や「どうして?」は、この前図書室で俺や唯笑、音羽さんに言ったあの言葉だと考えていいだろう。

――「どうして、あなた達は・・・私に親切にしてくれるんですか?」――

あの時は、「友達だから」という答えだった。

でも、今は・・・・・・。

「・・・」

俺の答えは決まっている。

しかし、俺の中にある何かが問いかけてくる。

『本当にそれでいいのか?』と・・・。

それでも俺は、その考えを振り払い、今一番言いたい言葉を彼女に言った。

「・・・詩音が・・・好きだから。そのままの詩音がさ」

「・・・私を?こんな私を?」

目を見開き、信じられないといった表情で問いかけてくる詩音。

「そう。そんな詩音を・・・だ」

・・・不思議と、心は穏やかだった。

告白の最中だというのに、まるでそうである事が当たり前のような穏やかな気持ちで、彼女を見つめる。

「なんでそんなに自分を偽る必要があるんだ?詩音は・・・詩音はそのままが一番なのに・・・」

色んな表情の詩音。

そんな彼女の新鮮な姿を見るたびに、俺はその思いを強くしていった。

「ごめんなさい・・・私・・・怖かったの・・・」

再び口を開いた彼女の声は、少し震えていた。

それと共に、いつもの堅い口調ではなくなっている。

「怖い・・・? 何が・・・?」

俺はそんな彼女を安心させるように、ゆっくりと優しく訊ねた。

「それは・・・」

何かを言いかけて、口を噤む詩音。

2人だけの図書館に流れる沈黙に身を任せながら、俺はその続きを静かに待った。







永遠に続くのではないかと思えるくらいの静寂の中、ようやく決心をつけた私は語り始めた。

忘れてしまいたい、私の過去。

日本人全てを嫌うようになってしまった原因を・・・。


「私は・・・父に連れられて色々な国を巡ってきたの」

「暖かい国、寒い国。高いところにある国、海辺の国」

「確かにそれぞれの国での別れはとても辛いものだったわ・・・」

「でも、それは新たな出会いの始まりでもあるのよ」

「そう父に教えられた私は、それが当たり前のように考えていたわ」

たとえどれだけ駄々をこねても、その国にはもう留まれないのだとわかっていたから・・・。

だから私は、前の国のことを考えて悲観するよりも、次の国に行くことを楽しみにするようにしていた。

そうでもしないと、自分の境遇に押し潰されそうだったから。

「だから、今でもほとんどの国の友達と文通とか電話で連絡も取り合ってる・・・」

「みんな・・・本当にいい人ばかり・・・貴方のような・・・」

そこまで話して、私の目にはいつの間にか涙が溜まっていた。

目の前にいる彼とも、今までの友達と同じ様に、いつかそう遠くない未来に別れなくてはいけないのだろうか?

ふとそう考えた瞬間には、溜まっていた涙が一気に溢れ出てきてしまった。

私は泣き顔を見られないように俯き、こみ上げてくる嗚咽を噛み殺した。

「・・・」

そうしている間も、彼は何も言わず、じっと私が落ち着くのを待ってくれた。

そんな彼の優しい気遣いに、私は嬉しくなると同時に安心して、嗚咽も止まっていた。

「ごめんなさい。ひとりで喋っちゃって」

「そんなことないよ。詩音が話してくれて・・・俺は嬉しい」

穏やかな笑みでそう言ってくれる彼に、私は心の中で『ありがとう』と呟いて、再度口を開いた。

「・・・話を続けるね・・・」

「そんな生活が子供の頃からずっと続いていたの」

「まだお母さんがいた頃からずっと・・・」

父さんの仕事の都合上、頻繁に海を跨いだ引越しをしていた私達。

それでもお母さんは、不満や愚痴など一切零さず、いつも優しい笑顔で私達家族を支えてくれていた。

その笑顔を見ると、私も「次の国に行っても頑張ろう」と思えた。

「そう、まだ話してなかったけど、私の母はハーフだったのよ」

「祖父は北欧系、祖母は日本人」

「・・・だから、私はクォーターということになるのね」

「ほら、私の目の色・・・ちょっと違うでしょ・・・ちょっとだけなんだけど・・・」

普通、日本人は目の前の彼のように漆黒の瞳をしているだろう。

でも、私の瞳は少し灰色がかった・・・ダークグレイといったところだろうか。

ぱっと見た程度では気付かない、そんな小さな違いだった・・・けど・・・。

「でも、そのちょっとがいけなかったの」

「私が以前、日本を訪れたことは教えたよね」

「・・・あれは、10年くらい前の日本だった・・・」

「父の意向で、私はどの国に行っても、基本的にはその国の学校に通うようにしていたの」

「・・・今回は日本に来ることがあらかじめわかっていたから、日本人学校とのダブルスクールだったけど・・・」

「でも、この前日本に来た時はすごく急なお話だったの」

「だから・・・私は・・・日本語が上手く話せなかった」

「もちろん普段、父は日本語で接してくれていたのだけれど、それよりも多くの人たちと多くの言語で接する時間の方が長かったから・・・」

「・・・・・・そんな私を、日本のクラスメイト達は『ガイジン』と呼んでイジメたわ」

確かに、拙い日本語だったかもしれない。

少し違う瞳をしているかもしれない。

少し違う髪の色をしているかもしれない。

でも、何でそんなことでイジメられなければならないのか。

当時の私は、その理由などまったくわからなくて・・・。

「確かに他の国でアジア人だということで嫌な思いをしたこともあったけど、まさか母国で・・・」

母国に帰るのを楽しみにしていた私は、ガイジンというその言葉に酷く打ちのめされたのを覚えている。

「しかもクラスメイトだけじゃなくて、その父兄、先生までもが私をガイジンと呼んだわ」

私をイジメている子供達を叱りつけるのではなく、一緒になって私のことを奇異な目で見ていた大人たち。

その目が、まるで私はこの場に居るべきではないと言われているようで・・・。

「とても、とても悲しかった・・・」

「どうして?私は同じ肌、同じ髪、同じ血を引いているのに」

「ちょっと目の色が違うから? ちょっと話し方がおかしいから?」

「ちょっと、ちょっと、ちょっと・・・」

今まで何度も何度も、心の中で疑問に思っては吐き出せずに日本人への憎しみに変えていた事を、今私は同じ日本人である彼に吐露している。

『・・・もし、彼のような人があの場に一人でもいてくれたら、私は絶望せずに済んだのだろうか?』

そんな事を考えても意味なんて無いことはわかっているのに、どうしても考えてしまう。

「・・・でも、それは彼らにとってはとても大きく、深い溝だったみたい」

「それに気付いた私は、仮面を被ることにしたのよ」

「自分の国に来た時だけ着ける、滑稽な仮面」

「私はみんなを見ません。ですから、みんなも私を見ないでください」

「放っておいて欲しい」

・・・本当は、自分でも分かっていたのかもしれない。

昔は昔、今は今・・・また私がガイジン呼ばわりされると決まったわけじゃないんだって。

でも・・・それでも、怖かった。

また母国で、心が壊れそうなほど打ちのめされるのが怖かった。

だから、心に仮面を着けて、誰も寄せ付けないようにして・・・ひたすらに、臆病な自分の心を守っていた。

「今回日本に来たときも、そう考えていた・・・」

「そして、実際に私は仮面を被り、みなさんとの接触を拒んでいたわ」

「・・・でも、あなたがいた・・・」

そう言って一呼吸置いて、じっと彼を見つめる。

智也さんも私を真っ直ぐに見つめ返してくれて・・・でも、何も言わず静かに待ってくれる。

そして私は、そんな彼の漆黒の瞳を凝視しながら話を続けた。

「最初にあなたを見たときは、何とも思わなかった」

「でも、何度も会ううちに・・・この人はどんな人なんだろう? 何を考えているのだろう?」

「そんな好奇心が芽生え始めたのを否定できなかった」

隣の席になって、忘れた水筒を届けてもらって、痴漢から助けてもらって、図書室で一緒に勉強して・・・。

栗拾いに行って、お弁当を作ってあげて、ゲームセンターに行って、二人で紅茶を飲んで・・・。

何度も彼の優しさに触れて、何度も彼の温もりを知って・・・。

そして、いつの間にか・・・。

「結局・・・私は・・・貴方の前では仮面を脱いじゃったみたい」

「でも・・・それは・・・とても怖い。怖いのよ!」

「あなたを見ていたい・・・でも、やっぱり怖いの!」

智也さんの傍は、居心地が良すぎて・・・。

自然と、彼の傍では仮面を脱いでいた私。

それでも、それで納得出来るほど、私の心の中の傷は小さくなかった。

「・・・もう、前に進んでるじゃないか」

「・・・え?」

その時、それまで沈黙を守っていた彼の言葉が耳を滑り、私は涙で視界がぼやけた瞳を彼に向けた。

そしてそのまま彼は淀みなく語り始める。

「その仮面を取った時点で、もう詩音は前に進んでるんだよ」

「後は無理せずに、ゆっくり行けばいい。怖いなら・・・俺が付いてるよ」

「智也・・・さん」

嬉しくて・・・今彼が言ってくれた言葉がただ嬉しくて。

私はぼんやりとした頭で、目の前にいる彼の名前を呼んだ。

「それに、今のヤツらはそんなことでイジメたりしないって」

「特にウチのクラスなんかバカばっかりだからな。全然問題ないと思うぜ」

「いや、逆に人気者になれるだろうな」

「・・・」

・・・不思議だった。

なぜだか智也さんがそう言ってくれると、本当にそうなんだろうと思えた。

その言葉を、無条件で信じることが出来た。

・・・こんな感覚、初めてだった。

「だからさ、ひとりで辛いならみんなで歩けばいいんだから」

「少なくとも俺は、最後まで付き合うぜ」

そう言って微笑む彼の笑顔が、とても綺麗で・・・。

そしてその優しく、頼もしい言葉に無性に泣きたい気持ちになった。

「・・・あり・・・がとう・・・・・・」

だから私は、そんな彼に、色々な気持ちを込めて呟いた。

その声は涙声で、しかも掠れてたかもしれないけど・・・。

今の私の、偽りのない気持ちだったから。

「なーに言ってるんだよ、友達だろ」

「とも・・・だち・・・」

「そうだよ。みんな友達なんだ。えーと、詩音は特別大事な友達だけどな」

友達・・・。

本当は、ずっと欲しかった。

でも、そんな自分の気持ちを押し殺して、心に仮面をつけて・・・。

だから、照れくさそうに笑う彼の言葉が心に響いた。

「・・・本当にいいの?」

「もちろん!」

念を押してもう一度聞く私に、彼はすぐに胸を張って答えてくれた。

「あ、あはははは」

そんな彼の姿を見ていると、今まで散々悩んでいた私が馬鹿みたいで・・・。

心の中に降り積もっていた負の感情を全て吹き飛ばすように、私の口からは自然と笑い声が溢れ出た。

「お、笑ったな。そうだよ、その顔がいいんじゃないか。やっぱり自然が一番だと思うよ」

そう、彼の言うとおり、きっと今が”自然”なんだ。

誰もいない図書室で、智也さんは私を、そして私は智也さんの顔を見ながら――。

「「はははははははは」」

二人で笑い合えている、この瞬間が・・・自然で、何よりも大切なんだと、強く感じた。



20話へ続く


後書き

長っ!!

・・・と、いきなり失礼しました。

それにしても今回は、たぶん過去最長ではないかと・・・。

途中でだれないでここまで読んでくださった画面の前の皆様、本当にありがとうございました(笑)


いやぁ、それにしてもやっぱりゲームからの引用は楽です。

台詞をバーーって打ち込んで、後はそれぞれの心情をミックスさせるだけ〜^^

でも今回はその心情が難しいんですよ、これがまた。

けれどこのシーンは絶対にゲームからの引用と決めていたので・・・やっぱりこれが無いと詩音ルートとは言えませんね。


次回はこの続きからかな?ってことで、また来週〜〜^^


2006.7.7  雅輝