3日前の豪雨が嘘みたいに、この数日間は眩い太陽が燦々と街を照らしていた。

そう、まるであの出来事がすべて性質の悪い悪夢だったかのように・・・。

実際、俺と双海――もとい詩音の関係はあれからもほとんど変わることはなかった。

ただ変わった事と言えば、一つは互いの呼称。

俺は彼女の事を詩音と・・・そして彼女は俺の事を智也さんと呼ぶようになっていた。

しかしそれをお互いに特に気にすることもなく、自然とそうなったという表現が最も近いだろうか。

急に変わった俺達の関係に周りは戸惑っていたみたいだが、別段気にする事は無かった。

そしてもう一つ。

それは――。

”ガララ”

「よっ、詩音。相変わらず忙しそうだな」

「ええ。でも、好きですから。こういう仕事」

――放課後、俺は図書室にいる彼女の元を訪れるようになっていた事。





Memories Off SS

                「心の仮面」

                          Written by 雅輝





<12>  フォースと約束




まだ十月も中旬だというのに、最近めっきり冷え込んできたような気がする。

図書室の窓から見える銀杏の木は見事な黄色の葉を携えているが、既にその下には枯れ果てた落ち葉が何枚か見受けられる。

それでもこの図書室は本の保管のため、常にエアコンによって温度調整されているので寒くもなく、暑くもない。

まさに昼寝にはもってこいだった。

「ってことでおやすみ」

ほとんど誰もいない図書室の奥の席に陣取った俺は、一人ごちて交差した腕を枕に瞼を閉じる。

しかし・・・。

「・・・眠れん」

おかしい。

いつもならほんの十数分で眠りに落ちることができるというのに、何故今日に限って・・・。

『・・・寝すぎか』

今日の授業はかったるいのがほとんどだったので、1限から6限までひたすら寝てた。

さすがに成長期とは言え、これ以上の睡眠は体が拒絶しているようだ。

「ん、んぅ〜〜〜〜っ」

首をポキポキと鳴らせながら上半身を起こす。

そしてそのまま何気なく周りを見渡してみると・・・。

「あら?」

いつの間にかこの図書室には俺と詩音の二人しか残っていなかった。

まあテストも終わったし、たまにはこういう日もあるのだろう。

そんな事を思いつつ、カウンターに座って司書の仕事をしている詩音の様子を窺う。

「・・・」

彼女はいつもの如く、文庫本に目を落としていた。

しかしそんな時の彼女は本当に幸せそうで、その表情は普段クラスメイトに見せているそれとは質が違う。

ページを捲る度にコロコロ変わるその表情は、眺めていてもまったく飽きが来ないものだった。

「ふう・・・」

一つため息を落として立ち上がる。

彼女の幸せそうな顔を眺めていたら、一冊くらい何か読んでみようと思えたのだ。

とりあえず、詩音にお勧めの本でも聞いてみるか。

「詩音」

「・・・」

「詩音?」

「えっ、な、何?・・・いえ、何でしょうか、智也さん」

「いや、たまには本でも読んでみようかなと思ったんだけど、何か詩音のお勧めの本とかないか?」

「そうですね・・・あっ、少々お待ちください」

少し思案していた様子の詩音だったが、すぐに思いついたのか、嬉しそうな顔をして書架の方へと歩き出した。

待つことにした俺は、栞を挟んだままカウンターの上に置かれた小説を手に取る。

それは彼女が最近ハマっていると言っていた時代小説だった。

『ってことは、お勧めの本もこういう系なのか?』

夏休みの課題の時に時代小説は読んだのだが、正直分かりにくい比喩表現なんかも多く俺には少々レベルが高かった。

『しかし聞いておいて断るのも悪いしな・・・』

『どうしたもんかなぁ』と悩んでいた俺に、詩音から声が掛かる。

「智也さん、これです」

手渡されたその本は時代小説ではなく、先ほどの俺の危惧も杞憂に終わったのだが・・・。

「これは・・・」

俺はその本を持ったまま、呟くように声を出しそのまま硬直してしまった。

肌色の背表紙に、いかにも外国といった感じのイラスト。

そして何度も慈しむように撫でては本棚に戻した、忘れられるはずもない独特の手触り。

紛れもなくその本は俺の記憶の中にあって・・・今も尚、俺の部屋の本棚に保管されているものでもあった。

「・・・フォース・・・・・・」

そう、あいつの・・・彩花の遺品として・・・。





あれは確か中学2年の夏休み――俺と彩花が付き合い始めてまだ間もない頃だった。

――「ねえ、智也。読書感想文の本、何にするか決めた?」

いつも通り部屋の窓から侵入してきた彩花は、お気に入りのクッションの上にちょこんと腰を下ろしながら俺に聞いてきた。

――「ん?まだ夏休みも始まったばかりじゃないか。今からそんなこと決めてるかよ」

――「はぁ・・・まあそうだと思っていたけど・・・。宿題も早めにやっておかないと、また最終日あたりに私に泣きついてきても知らないからね?」

――「うぐ・・・そういう彩花はどうなんだよ?もう決めたのか?」

俺がそう訊くと、彩花は「待ってました」というような表情で、後ろ手に持っていた一冊の本を俺に差し出した。

――「ん?なんだこりゃ。F・O・R・C・E・・・フォース?」

――「そう、まだ読んでる途中なんだけど、すっごく面白いんだよ」

そう語っている彩花の顔はキラキラと輝いていて・・・俺も知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。

――「へえ、読書好きの彩花がそこまで言うのって初めてだな」

――「うん。読み終わったら智也にも貸してあげるね♪」

――「ああ。それで、どんなストーリーなんだ?」

――「うーんとね。本の中に出てくるその国の住人は、全員魔法が使えるの。でも、主人公だけが――」

嬉しそうに本のあらすじを喋りだす彩花。

俺はその話を、穏やかな気持ちでじっと聞いていた・・・。



それから数週間経ち、季節も徐々に夏から秋色に変わり始めたある日。

その日は台風の影響で学校が暴風警報により臨時休校となって、二人で俺の部屋でのんびりしていた。

――「あっ、そうだ!智也」

ベッドでうつ伏せに寝転び、足をパタパタさせながらお気に入りのマンガを読んでいた彩花が、突然何かを思い出したかのように声を上げる。

――「ん?どうしたんだ?」

――「この前言ってたやつ、持って来たよ!」

そう言って持ってきていた鞄をごそごそと漁り出すが、この時の俺は「この前言ってたやつ」が何を指しているのか、まったく覚えていなかった。

――「はい、これ」

そして差し出された本の表紙を見て、ようやくうっすらと思い出す。

――「ああ、夏休みに言ってたやつか。フォース、だっけ?」

――「そう!本当に面白くって、何回も読み返してたら遅くなっちゃった」

そう言ってペロッとおどけるように舌を出した彩花がとても可愛くて、俺は赤面した顔を見せないようにぶっきらぼうにお礼を言う。

――「お、おう。気が向いたら読んでやるよ」

――「クスクス、智也、顔赤いよ?」

――「・・・」

――「ふふ・・・智也」

いきなりその俺を呼ぶ声が穏やかだけど真剣な声に変わり、俺は少々驚きながらも彼女に顔を向ける。

――「絶対に読んで、感想を聞かしてね?」

最高の微笑みと共に、彼女はその言葉を告げた――。





しかし実際は、その直後に彩花が事故に遭って・・・。

俺と彩花が交わした最後の約束は、今も果たされぬまま、手渡されたあの本と共に俺の心に残っていた。

あいつがいなくなって、永遠に実現することは無くなった約束。

この本は俺にとって、そんな約束の象徴でもあった。



「その本を、読んだことがあるのですか?」

その声にハッと気づくと、目の前にいる双海が目を輝かせていた。

どうやら先ほどの俺の呟きが聞こえたらしい。

「・・・あ、ああ。いや、俺は読んだことないけど、知り合いが面白いって言ってたから・・・」

「そうですか。それでは、是非読んでみてください。絶対に面白いですから」

「い、いや。俺は・・・」

まだ今の俺には決して読めるものではないし、家に一冊あるのだから借りてもしょうがない。

そう思い断ろうとしたのだが、詩音は彼女にしては珍しく強引に俺に本を持たせると、満足したかのように微笑みを浮かべた。

「読み終わったら、感想を聞かせてくださいね?」

”ドクンッ!”

「あ・・・」

心臓が一つ、大きく波打ったのを感じた。

そんな彼女の微笑みが、台詞が、そしてこの状況が・・・。

――「絶対に読んで、感想を聞かしてね?」

あの時の、あいつと交わした約束にあまりにも似ていて・・・。

「彩花・・・」

いつの間にか、俺の口からは彼女の名前が無意識の内に零れ落ちていた。







「・・・え?」

呆然とした様子の智也さんが呟くように吐き出した言葉。

”あやか”。

何度も聞いたその名前。

そしてその名を口にする時の彼の顔は、悲しみと切なさと懐かしさが、ない交ぜになったような表情だった。

そして、今も・・・。

「あっ、いや。何でもないんだ」

咄嗟に彼はそう言い繕う。

しかし、私の中にある”あやか”という名の彼女への疑問は、既に限界まで膨れ上がっていた。

「・・・そうですか」

それでも、私は訊けなかった。

それだけは、訊いてはいけないような気がした。

だから私は、彼の言葉をそのまま肯定するような、気の抜けた返事しかできなかった。

「・・・ああ」

「・・・」

「・・・」

ただでさえ二人しかいない図書室は、その二人ともが黙ってしまえば静寂でしかなかった。

そして数分後、先に静寂を打ち破ったのは彼の方だった。

「・・・悪い、今日は先に帰るよ」

「え?あっ、はい・・・」

「それじゃあ詩音、この本ありがとな」

「はい・・・ごきげんよう」

「・・・ああ、ごきげんよう」

智也さんは最後に別れの挨拶と共に微笑を浮かべると、静かに図書室を出て行った。

「・・・智也さん」

私はそんな彼の後姿を、複雑な想いでただ見送ることしか出来なかった。







風呂から上がり、一階の戸締りを確認した俺は、頭をバスタオルで拭きながら二階の自室へと向かう。

その手には、リビングに置きっぱなしになっていた鞄と、見慣れたとも言える一冊の本。

”カチャッ”

「ふう・・・」

部屋の扉を閉め、鞄とさっきまで頭を拭いていたタオルをその辺に放り、俺は短い息を吐きながらベッドへと横たわった。

そして仰向けのまま、電灯という逆光にかざした本をじっと眺める。

「・・・読めるわけ、ないよな・・・」

そう一人ごちた俺はのろのろと起き上がり、机の上にある本棚の前に立つ。

その本棚の中でも際立って見える、肌色の背表紙。

「・・・」

何となく鬱な気分になりながらも、その本の横に手に持っていたもう一冊の肌色の背表紙を並べた。

「彩花・・・詩音・・・」

そしてこの本たちを貸してくれた二人の名前を呟く。

『今度の約束は、果たして守れるのだろうか・・・?』

そんな疑問を心に浮かべながら・・・。

「・・・寝るか」

眠気などまったくと言っていいほど無かったが、特別やることも無いので早々に床に就く。

「・・・」

結局布団を被っても睡魔は訪れず、俺は二人の少女の事を想いながら眠れぬ夜を過ごした。

13話へ続く


後書き

遅れに遅れて12話UPです。

いや、ホントにごめんなさい。

先週の金曜から月曜に掛けて家を空けていたもので・・・まったくパソコンに触れない日々でした。

その上今回は筆の動きも遅く・・・うぐぅ(笑)

やっぱり一週間に一度くらいが丁度良いですよね?頑張ります・・・。


さって内容ですが・・・。

前回に引き続きまたシリアス全開でしたよ(汗)

ん〜、まあこの話も早めに書き上げておきたかったですからねぇ。

次回はもっと楽に読める作品を書くつもりですが・・・どうなることやら。

そんでは、また次話で〜〜^^



2006.5.19  雅輝