”ザアァァァァァァァァァッ――”
「・・・」
テスト明けの月曜日。
皆が帰ってきたテストに興奮した様子で騒いでいるのを横目で見ながら、俺は一人自分の席で朝から降り続ける雨を眺めていた。
”ザアァァァァァァァァァッ――”
空を覆い尽くす曇天から、全てを流してしまうかのように窓を穿ち続ける雨を見ていると、酷く憂鬱な気分になってくる。
しかし、俺は目が離せない。
離してしまったら、心を逸らしてしまったら、自分の罪を忘れてしまいそうな気がして――そして彼女の存在を忘れてしまいそうな気がして・・・。
そんなことは有り得ないと分かっていても、それでも割り切れない。
「・・・」
そしてそんな激しい雨は、俺の脳裏に焼け付いている3年前の記憶を呼び覚ます。
焼けたタイヤのゴムの匂い、打ち果てられた白い傘、アスファルトにわずかにこびり付いていた血痕。
そして――――。
『くそっ!!』
内心舌打ちをしてその記憶から逃げるようにかぶりを振り、ようやく窓の外から目を逸らした俺は机の上に突っ伏した。
Memories Off SS
「心の仮面」
Written by 雅輝
<11> 降り止まぬ雨
「起立・・・礼!」
「ふぅ・・・」
今週の日直である相沢の号令で、ようやく長く感じられたHRが終了する。
”ザアァァァァァァァァァッ――”
未だに止む気配を見せない窓の外の雨は、先ほどよりも一層雨足が強くなっている気がした。
俺は短いため息を吐きつつ、鞄を持ち席を立つ。
まだ陰鬱な気分を引きずっていた俺は、誰にも別れの挨拶を告げることなくそのまま帰ろうとした。
しかし――。
「と〜もやっ!」
”がしっ!”
教室の出口付近で、何者かに捕捉されてしまった。
何となくむかつく声と共に、馴れ馴れしく肩を組んできた男――稲穂信に、俺は思いっきり不機嫌そうに答える。
「何だよ?町で可愛い女の子でも見つけたのか?」
「失礼な。お前には、俺がそこまで女の子に飢えている様に見えるか?」
「見える」
「・・・まあいい。この後西野や相沢達とゲーセンでも行こうって話になったんだが、お前も来ないか?」
俺の考える間もない即答に、信は少し遠い目をしながら誘い文句を口にする。
それにしてもゲーセンか・・・確かに最近行ってなかったし、今の憂鬱な気分を晴らすには丁度良いかもしれないが・・・。
「何でわざわざこんな雨の日に行くんだよ?」
「あー、丁度テストも終わったばかりだし、皆それなりにストレス溜まってるだろ?それに、今日は新しいゲーム機が納入されるみたいだからな」
「ふーん・・・悪いけど俺はパスだ。また今度な」
「ん?何か予定でもあるのか?」
「いや、これから家に帰って昼寝の続きだよ。今日は授業中にあまり寝てなかったからな・・・」
「・・・まず授業中に寝るのは間違ってるんだけどな」
「それをお前には言われたくねぇ」
「もっともだ」
お互いニヤリと怪しい笑いを浮かべる。
こういった感じの軽い会話も、俺が信と親友でいられる理由の一つだと思う。
そして信は、相沢達に呼ばれると「じゃあな」と言って彼らの後を追うように教室を出て行った。
「・・・さて、俺も帰るか」
その背中を目で追ってから、誰に言うでもなくポツリと呟く。
――先ほど信に告げたゲーセンに行かない理由は、単なる口実に過ぎなかった。
本当の理由は・・・何となく一人になりたかっただけ。
何とも言えない罪悪感に包まれながらも、俺は傘立てから紺色の自分の傘を引っこ抜き、教室を出て下足室へと向かった。
靴を履き替えて、傘を開きながら下足室を出る。
下足室の玄関から校門までは一本道で、顔を前方に向けた俺の瞳に、その一本道を傘を差しながら歩いている女子生徒の後ろ姿が映った。
”ドクンッ!”
『え・・・?』
そしてその姿を脳が認識した瞬間、俺の心臓は大きく跳ね、目を見開いたまま心の中では疑問の声を上げていた。
『何で・・・?』
目に映ったのは、腰まであるだろう長い髪と、白い――ただひたすらに白い、傘だった。
そしてその姿が、脳内にこびり付いている過ぎ去りし日の彼女の姿とぴったり重なって・・・。
「彩花っ!!」
その事を意識した瞬間には、俺の口からは既に彼女の名前が叫ばれていた。
あの頃は毎日呼んでいた、しかし3年前からは声に出すのも躊躇われた彼女の名前を・・・。
しかし、俺はすぐに後悔することとなった。
俺の声が聞こえたのだろう――振り向いた彼女の銀髪がふわっと舞う。
「あ・・・」
『俺は・・・俺は何を考えてるんだ?もうあいつはここにはいないというのに・・・いるはずなんて、ないのに・・・』
「・・・三上さん?」
戸惑ったような双海の声が、頭が真っ白になりかけていた俺の耳に微かに届く。
目を向けると彼女は、きょとんとしながらも訝しげな表情でこちらを見ていた。
「あ、いや、何でもないんだ。ふ、双海も、今帰りか?」
地に根を張っているかのように動かなかった足を無理やり前に進めて、白々しい笑みを浮かべながら近づいていく。
俺はどもりながらも必死に平静を装いつつ、あくまでさりげなさを主張するように双海に尋ねた。
「いえ、注文していた本を取りに行くところです」
「それって、この前一回会った事がある、商店街の本屋のこと?」
「そうですけど・・・」
「だったら、駅まで一緒に帰らないか?どうせ通り道だろ?」
「・・・」
俺の誘いに、彼女は何を言うわけでもなくじっと俺の方を見つめてくる。
その瞳が何かを探ろうとしているように思えて、俺は彼女を”彼女”と間違えてしまった罪悪感を隠すように、そっと視線をはぐらかした。
「・・・分かりました」
そうしてようやく紡ぎ出された双海のそれは、どんどん激しくなっていく雨がアスファルトを叩く音にかき消されそうな程、静かな声だった。
”ザアァァァァァァァァァッ――”
止む気配を見せない豪雨に、私は鞄に数冊か入っている本が濡れない様に気を配りながら、毎日の通学路を駅に向けて歩いていた。
「・・・」
「一緒に帰らないか?」と誘ってきた三上さんは何を言うわけでもなく、ただ静かに私の歩幅に合わせて横を歩いている。
その手には、大き目の紺色の傘。
その傘から覗く彼の横顔は普段見せるような、ふざけてたり、眠たそうだったり、穏やかだったりといった表情ではなく、ひたすらに真剣な表情だった。
しかし、それは何故か酷く寂しげに見えて・・・雨の中に何かを見ているような、そんな儚い表情でもあった。
『何かを見ている・・・か』
彼は、私の中に一体何を――誰を見たのだろう?
ただ分かっているのは、その人の名前だけ。
「あやか」というその人が何者で、彼にとってどんな存在なのかは分からないが、何故か私は気になった。
確か初めて彼と会った日も、彼はあの図書館でその名前で私を呼んだ。
二度も間違えるほど私が似ているのか、はたまた偶然なのか・・・それすらも私には判断がつかない。
だから、その「あやか」という人の話を聞く為に、私は彼の突然の誘いにもOKした。
でも――。
『これでは、聞けるわけないですよね』
初めて見る彼の真剣な表情に、雨という独特の重苦しい雰囲気の中。
私はそう自分に言い聞かせて彼と同じ様に無言で歩いていた。
「・・・」
二人並んで通るのがやっとの細い路地を抜け出ると、比較的この辺りでは大きな二車線道路にぶつかる。
ここまで来れば、駅はもう少しだった。
信号は赤に変わったばかりだったようなので、私達は横断歩道の前に立ち止まり車の流れを眺めていた。
しかしその時・・・
”ブオォォォォォォンッッッ!!!”
「きゃっ!」
私達の目の前の車線を、一台の大型トラックが、凄まじいエンジン音を鳴らしながら明らかにスピード違反と思われる速度で走り抜けた。
その音に驚いた私の手から離れた傘は、トラックが目の前を横切ったことによって発生した風圧に飛ばされ、ひらひらと舞いながらも運よく歩道側に落ちた。
しかしその場所は大きな水溜りになっていた為、お気に入りの真っ白な傘は少し変色しているのが見える。
私は慌てて取りに行こうと駆け出した。
「あ・・・」
「?」
しかし、後ろから聞こえたその声に思わず足を止めて振り返る。
「え・・・?」
そして振り向いた私の目に映った彼の姿は、そのまま私の足を留めるには充分だった。
「あ・・・あっ、あぁ・・・・・・」
彼は悲痛な顔で頭を抱えて、しかし虚ろな目だけは水溜りに浸かっている私の傘を捉えていた。
彼自身の傘はその役割を果たすつもりなどないように、彼の横のアスファルトに落ちている。
その尋常ではない様子に、私は自分が雨に晒されていることなども忘れて、彼の傍に駆け寄った。
「三上さん!どうしたんですか!?」
「雨・・・傘・・・白い、あいつの、傘・・・」
しかし彼の耳には私の声が届いていないのか、尚も意味不明な単語を呟いている。
「ぐっ!」
そして彼は突然、両手で胸を苦しげに押さえ、跪いてしまった。
「三上さんっ!しっかりしてください!」
それでも私には、こうして彼に呼びかけることしか出来ない。
こんな時に何も出来ない自分が、少し歯がゆかった。
「彩花・・・あ・・・あぁぁっ、ぅぅ・・・殺した・・・俺が、殺したんだ・・・」
『・・・えっ?』
がたがたと身体を震わせながら、かぶりを振るように口にした彼の台詞に、私は一瞬今の状況を忘れて呆然とした。
『殺した?・・・”あやか”さんを、智也さんが・・・?』
「俺のせいで・・・彩花・・・彩花ぁぁぁぁぁぁあぁああぁあぁっっ!!」
しかしそんな思考も、彼の苦の叫び声によってかき消される。
狂ったように喚く彼を見て、私は迷わず彼の頭をこの胸に抱き寄せていた。
「落ち着いてください!智也さんっ!」
「ああぁ・・・く・・・・・・あぅぅ・・・」
「大丈夫です・・・大丈夫ですから・・・」
まだ少し抵抗しようとした彼の頭を、逃さないように両腕で強く抱きしめる。
「はぁっ・・・はぁっ・・・・・・」
そうしている内に、次第に彼の方も落ち着いてきたようだ。
私がそっと腕を緩めると、彼は私の胸からおそるおそる顔を上げて、呟いた。
「・・・詩音」
彼は私の事を、名前で呼んだ。
けれど私は特にそれが不快だとは思わなかった。
むしろ、それが一番自然なようにも思えてしまった。
「大丈夫ですか?智也さん」
そして私も、いつの間にか彼の事を”智也さん”と・・・名前で呼んでいた。
ようやく意識がはっきりとし始めたのか、彼は顔を真っ赤に染めると慌てて私の胸から飛び退いた。
そして彼の様子に混乱していた私も、今更ながら彼にとった自分の行動に、顔から火が出そうな思いだった。
「ご、ごめん、詩音!俺、すごく迷惑掛けて・・・本当、ごめんっ!!」
「い、いえ、その・・・あの・・・」
彼が深々と頭を下げながら必死に謝ってくれているのが頭では理解できていたけれど、心臓は未だドキドキと悲鳴を上げていて返事すら儘ならなかった。
彼はとても申し訳なさそうな顔で、何度も謝っていた。
その様子を見て逆に冷静になれた私は、大きく深呼吸を一度してやっと調子を取り戻した。
「気に・・・しないでください。少なくとも、私は気にしていませんよ?」
気にしていないというのは、ほとんど嘘だった。
本当は、なぜあのような事が起きてしまったのか知りたかった。
彼が身体を震わせながら呟いたあの台詞が気になってしょうがなかった。
でも、今の傷ついている彼に、そんな事はとてもじゃないが訊けなかった。
だから――。
私は立ち上がり、私の傘と彼の傘を回収すると、大きな紺色の傘を彼の頭上に被せるように差し出す。
「二人とも随分濡れてしまったようですし、もう帰りましょう?智也さん」
そして、今私が出来る最高の微笑と共に、彼を促した。
「詩音・・・ありがとう」
彼は呆然と私の名前を呟きながらも、ふっと表情が柔らかくなってお礼の言葉を口にした。
その瞬間、雨足が少し弱まったような気がしたのは、私の気のせいだったのだろうか・・・。
雨で人通りが少なかったとはいえ、充分人の注目を集めてしまった私達は、そそくさとその場を離れ駅に向かった。
そしてその道中、彼が零した一言――。
「・・・ホント、ごめんな・・・・・・」
その言葉は、私に向けてなのか・・・それとも、「あやか」さんに向けてなのか・・・。
雨がもう少し強ければ聞こえなかったかもしれない程の微かな呟きは、家に帰った後も私の耳に残ったままだった。
12話へ続く
後書き
今回は完全オリジナルで、かなりシリアスにいってみました。
未だ過去に縛られたままの智也と、少しずつ変わってきた詩音の心情が分かってもらえれば作者としては大満足です^^
そしてさりげなく二人の名前を呼ばせてみたり・・・(笑)
これは前から考えていた事で、本編のように自然に呼び合うようになっていくのではなく、何か”きっかけ”を与えようと。
でもちょっと不自然になってしまった点は反省(汗)
それでは、この辺で・・・。