Memories Base Combination Production

Back Grounds Memories

 

 

 

 時刻は間もなく午後九時になろうとしており、中塚家の電話を借りて自宅に連絡を取った勇希は、まず姉・巴の事を母に尋ねた。母は勇希の安否を第一に

案じてくれたが、電話越しとはいえ今までにない張りのある声に驚きながらもその所在を教えてくれた。

『巴もね、今は家にいないのよ……でも、彩乃ちゃんの家に行くって言ってたから、まだお邪魔してるんじゃないかしら? 勇希も早く帰ってきなさいね』

「うん。ありがとう、お母さん」

 受話器を置いて会話を終える。そしてゆっくりと溜め息をついた勇希は隣にいる舞を見た。

「お姉ちゃん、家にはいないみたいです。昔からの友達の家に行ってるって」

「それって…………その……勇希くんの、憧れの人?」

 聞きづらそうに舞が尋ねるが、それも当然の事だ。今から姉に会いに行くというのに、その姉の傍には昔からの友人である憧れの女性がいるとすれば、

勇希はとても満足に話など出来ないだろう。それを心から心配しているからこそ舞の表情は不安に陰っており、勇希はそっと舞の目元に触れた。

 まだ涙の跡が残る舞の表情が、自分なんかのために曇ってしまうのは見たくない。まだ短い時間でしか触れ合っていない人だけど、でも舞にはいつだって

笑っていてほしい。彼女の悲し過ぎる過去を知った勇希は、ただそれだけを願っている。

「その人は、僕が憧れてた人の親友で、お姉ちゃんにとっても大切な親友なんです。幼稚園の頃からの幼馴染で、男の子みたいな人ですよ」

「ふぅん……男の子みたいってことは、女の人なんだね」

 しかし年上であろう相手を『男の子みたい』と評するのはいかがなものだろうかと舞は思っていた。とはいえ姉とともに長年付き合っている勇希がそう

言うのだから、実際に男らしく、またどこか子どもっぽい人なのだろう。

「じゃあ、今からその人の家に行くんだよね。だったらちゃんとした格好で行かないと笑われちゃうよ? お姉さんにだって呆れられちゃうし」

「あぅ……でも、僕の服はまだ乾いてないし……」

 今、勇希が来ている服は舞から借りたものだ。最初に出していたスカートは早々に仕舞って、今は一応ズボンを貸してもらっている。着ていた服は洗って

乾燥機にかけているものの、まだ乾くには時間がかかる。今現在着ている服でも特におかしくは無いのだが、本来は女の子向けのものだ。勇気が細身だから

こそ着ていられるものの、ちゃんと巴に向き合って話すからには勇希も男らしくなければならないと感じている。

「だったら、ちょっと待っててね」

 そう言い残して、舞は部屋を出て行く。その横顔がどことなく朱に染まっているように見えたのは、勇希の勘違いではないだろう。なぜなら勇希自身も、

舞の頬に触れた感触に今更のように赤面しているのだから。

 舞の過去を聞いて、自分の置かれた境遇や環境というものを、勇希はとても幸福なものなのだと感じるようになっていた。父も母も壮健で、そして自分の

事を思ってくれる姉もいる。それは舞にとっては永遠に取り戻す事の叶わないものであり、誰もが与えられるべき日常だった。

 それを奪われながらも舞は今、勇希の前で優しく笑顔を向けている。取り戻せない過去は胸の内に仕舞い、伯父夫婦とたった一人の肉親である兄に支えら

れ、新しい生活を送っている。だがだからと言って、悲しみが消えるはずがない。その証拠に舞は過去を勇希に語った後は、声を殺して泣いていた。

 舞は本当に強い人だ、と勇希は思う。でもその強さを理由に悲しみを押し込めて、自分だけが辛い思いを他人に吐露出来ないようなら本末転倒だ。それで

彼女が耐えられるかと言われれば、そんな事は有り得ない。

 ――――泣きたい、と彼女は言った。そこにいたのがたまたま自分だったからというのは分かっている。

 ――――でも、一人になんて出来ない。一人になんてさせたくない。自分を助けてくれたあの人に、せめて手を伸ばせる距離にいるのなら。

「僕も……頑張らなきゃ駄目だよね……お姉ちゃん」

 小さく、しかし確たる決意を込めた呟きと同時に舞が戻ってきた。手には男物のシャツと上着、そしてズボンを持っている。

「お待たせ、一応用意してきたよ。ちょっとサイズが合わないかもしれないけど、そこは我慢してね。お兄ちゃんのお古だから」

 ずっと舞の傍にいた、世界でただ一人の肉親である兄。その人の服を着るという事はきっと特別な事だろう。舞自身も、勇希が男の子だと判明した時点で

この服を用意する事は考えたが、その時はなぜか渡したくないという気持ちが働いていた。

 それは恐らく、勇希の事を認めたから。

 可愛らしい女の子のような、弱々しい印象ではなく。

 自分に手を差し伸べるだけの強さと、優しさを秘めた、男の子だと認めたから。

 

 

 

The 4th anniversary Special Project

                                                   presented by 鷹

Little Boy meets Little Girl  ~Way to Growing up !!~

 

04.雨の終わり、そして……

 

 

「いつまでそうしているつもりだ、巴」

 親友の声にわずかに反応するも、間宮巴は茫然と天井を見上げたままベッドに寝転がっていた。無論そのベッドは親友のものであり、傍らには受験勉強に

使用している参考書が数冊転がっている。

「……今日、泊まっていってもいい? 彩乃……なんか、家に帰りたくない」

「彼氏の家に泊まる女子高生みたいな事を言うな。喧嘩をしたのなら、仲直りすればいいだろう」

 呆れた声を上げるのは、ベッドを背もたれにしてお菓子を食べているツインテールの女の子。巴と、そして今村冴霞の十年来の親友である来栖彩乃である。

何事も無ければ巴と彩乃は同じ天望桜女子高校に通う予定ではあったが、彩乃の一存で二人は別々の高校に通っている。しかしだからといって疎遠になる

ような事は無く、冴霞も含めた三人の友情は今も変わらず続いている。

 だから、巴がどうしてもと言うのであれば、彩乃も巴を家に泊める事に反対はしない。周りに振りまく強さと同時に、巴の意外な芯の弱さを知っている

彩乃は、親友の頼みを無碍に断るような事はしない。

 しかし、今回は状況が状況だ。聞いた話によれば、巴と勇希が喧嘩をしたという。それだけでも彩乃にとっては驚きだというのに、巴に対して明確な反抗

を示した勇希の態度と、それに対しての巴の平手打ち。少々過保護気味だが仲の良い姉弟だとは思っていた二人が、そのような諍いを起こしたなどとは、

彩乃でさえにわかには信じられなかった。

 巴が彩乃の家にやってきたのは、雨の降りしきる午後七時過ぎ。濡れそぼった制服姿で上着は無く、早々に風呂に放り込んでから食事を取らせ、事情を

聞いたのがつい一時間ほど前の事だ。それからの巴は何をするでもなく、彩乃のベッドを占拠して虚ろな表情を浮かべていた。

 余程堪えたのだろうし、それも当然だと思う。彩乃の知る限り、勇希は巴の言う事には何でも従うような大人しい子だ。その姿を昔の自分たちと冴霞の

関係に似ているなと感じるようになったのは、それほど最近ではない。そして勇希の秘めた想いにも、彩乃は同じ相手を好いている身として気付いてもいた。

親友の弟である勇希が相手ならば、多少なりとも遠慮しようかと考える気持ちも彩乃にはあったのだが、現実はそう優しく無い。冴霞が選んだのはまったく

別の男であり、彩乃としてもその事実を知った当時は相手を排除しようとさえ考えていたのだが、彼の考えや姿勢を知ってからはその気持ちも無くなってい

る。冴霞を幸せに出来る男がいるとすれば、正直今となっては彼以外には考えられない。

 彩乃としては、いずれ勇希に話してやる機会があればと思っていた。横から突然現れて何を、と勇希は思うだろうが、それと同じくらいに話せば分かって

くれる子だとも思っていた。親友の弟であり、自分自身も勇希を弟のように思っている。

 だが、実の姉である巴には反抗したというのだから、恐らく彩乃が取り持ったところで成功する確率は絶望的だろう。

「仲直りって……無茶言わないでよ。勇希は家から出て行っちゃったし、あの子、携帯も持っていってないし……家からだって連絡ないし」

「警察にでも相談するか? ここで寝転がっているよりは、いくらか建設的だとは思うがな」

「警察かぁ…………税金の無駄遣いじゃん」

「納めてもいない癖に批判するな、未成年。それで愛する弟が戻ってくる可能性が出るのなら、無駄ではないだろうに……飲み物を取ってくる」

 溜め息を吐きながら立ち上がり、部屋を出る。巴は「へぇ〜い」と間抜けな声を上げて彩乃を見送ると、再び天井を見上げた。

「愛する弟、かぁ……」

 確かに、そう言われる事には何の違和感も感じない。幼い頃から姉として愛し、大切に思って来た勇希という存在を愛していないなどという気持ちは過去

において一度も抱いた事が無いし、これからも未来永劫変わる事は無いと断言できる。

 だが、それは自分だけの独り善がりだったのではないかと、巴は思うようになっていた。一方的な片想いは勇希にとって負担であり、煩わしい物だったと

言われてしまえば、姉としての十三年間は全て否定されるし、勇希のあの言葉は今も胸に刺さった楔だ。

『お姉ちゃんが、冴霞さんに変な事言わなかったら良かったのに!!』

 そんなつもりはなかった。自分が傷つけてしまった冴霞に発破をかけて、彼女を心から大切にしてくれる誰かと巡り合って、彼女を特別視する彩乃の事を

救ってあげたかった。そして冴霞も、自分達以上に大切にしてくれる相手を見つけて欲しかった。欲を言えば、それが勇希だったらという淡い期待もあった。

 生憎、冴霞が巡り合った相手は勇希では無かったが、逞しさの中に優しさを兼ね備えた意志の強そうな男の子というのは巴にとっても理想的な相手だった。

そんな相手に冴霞を託し、また勇希も初恋を失恋に変えて成長してほしいという気持ちが芽生えた。それを伝えるだけの余裕があの時あれば、勇希といらぬ

諍いを起こす事もなかっただろう。

「結局、あたしが全部悪いんだよね……ゴメンね、勇希……」

 間宮巴は強者。それは誰もが彼女に抱くイメージであり、その期待に添えるように努力してきた。本来の性能で言えば、巴のスペックは冴霞に劣るはずだ

った。しかし冴霞と違う道を歩んだ事で見かけ上は彼女を上回る存在となり、結果として強者の目線を身につけてしまった。

 それ故か、弱者の目線を測りかねるようになってしまった。強者として成長した冴霞と、彼女の守護者たらんとする彩乃もまた強者であり、置かれた立場

も強者に相応しい物となってしまった。

 間違いと言うのなら、それが間違いだったのだろう。

 誰もが強くなれるわけではない。ただひたすらに強くなろうとしているだけだ。その速度が遅いか速いかなど、強者の尺度で測ったところで理解しきれる

はずもない。

 だからこそ、巴はまた間違えている。

「…………そんなこと、ないよ。お姉ちゃんは悪くなんかない」

 跳ね起きて視界に捉えた最愛の弟が、必死に成長しようとしている事を。

 

 

 

 数分前。

「誰かと思えば、勇希か。……で、そちらは?」

 インターホンに設置されているカメラの映像を見たときから抱いていた疑問をぶつける彩乃に、舞は思わず身を竦めた。身長は自分よりもやや高い相手だ

が、その迫力は鋭い剣を向けられているかのようだ。恐らくこの人が勇希の言う『親友』なのだろう。

「は、はじめまして。中塚舞と言います……ゆ、勇希くんの……友だち、です」

 まさか出会いから説明する訳にもいかず、一番無難な着陸点を選択する。しかし彩乃はどこか腑に落ちない物を感じながら、視線を勇希に向ける。

「わざわざあたしの家に来たってことは、おば様から聞いているな。巴はあたしの部屋にいる。話があるんなら、さっさと行って来い。いつまでもベッドを

占拠されていては、あたしは今日床で寝る事になってしまうからな」

 ぶっきら棒な物言いながらも、勇希を応援している事は舞にも分かった。早く仲直りして、姉を連れて帰れという事なのだろう。

「はい、彩乃さん……じゃあ、舞さん。行ってきます」

「う、うん……えっと、頑張ってっ」

 ぐっ、とガッツポーズを向ける。勇希はそれに応えるように舞の拳に手を合わせて、奥に向かって進んでいった。勝手知ったる他人の家、幼い事から何度

も訪れた彩乃の家ならば、迷うこともないのだろう。

「ふん……何があったのかは知らないが、勇希も一人前に男の顔になってきたな。いや、なってきたという意味ではまだ半人前、かな?」

「え? あ、え、えと……はい……」

 唐突な質問に反応が遅れたが、そんな舞を見て彩乃がくすりと微笑む。

「自己紹介が遅れたな。勇希から聞いているかも知れないが、来栖彩乃だ。よろしく」

「は、はい。よろしくお願いします」

 握手を求められ、右手同士を握りあう。小さいながらも力強い手は、どことなく兄を思わせるものがあった。

「どういう経緯で知り合ったかは知らないし、あたしが聞くような事でもないから聞かないでおこう。しかし……勇希も意外と隅には置けないな。まさか

彼女同伴であたしの家に来るとは」

「か、かかっ、カノジョ!? ち、違います!! あたしと勇希くんはそんなんじゃ――――!!」

「おいおい、動揺するな。意識しているのがバレバレだぞ?」

 ニヤニヤと笑いながら、手招きをする彩乃。どうやら舞が家に上がるのを許可してくれるらしく、舞もそれに応じて靴を脱ぐ。

「で、どうする? 勇希と巴の話を立ち聞きするか?」

「そ、それは…………」

 顔の熱も落ち着き、はふ、と溜め息をついて考える。確かに勇希と巴の仲直りがどういう過程を経て、またどういう結果になるかは舞も気になるところだ

が、そこまで立ち入って良いとも思っていない。もし自分が勇希と同じ立場だったら、やはり兄との会話を誰かに聞かれているなど気分の良い物ではない。

「立ち聞きはしません。勇希くんが頑張るって決めたんだから、あたしは勇希くんを応援するだけです」

「そうか――――良かった。もし立ち聞きをするなどと言っていたら、どうしてやろうかと思っていたところだよ。命拾いしたな?」

「い、命って、そこまでやっちゃうんですか!?」

 不穏当にも程がある彩乃の宣告に身を震わせる舞。だが彩乃はクスクスと笑いながら何も答えない。それが余計に舞の不安を煽るものの、どこかで安心し

ている部分があった。

 こういう人たちに囲まれて、勇希がこれまでを過ごしてきたのなら。

 勇希は変わらず、優しくて素敵な男の子でいてくれるだろうということ。

 そして、きっとお姉さんとも仲直りが出来るはずだということを、確信できる。

 

 

 

「お姉ちゃんは悪くなんかない……悪いのは、全部僕の方なんだ。自分から手を伸ばす事が怖くて、冴霞さんを見ているだけで良いっていう立場に、ずっと

甘えてたんだよ。全部、お姉ちゃんの言うとおりだったんだ」

 見慣れない服に身を包んで、時折言い淀みながらも言葉を紡いでいく勇希を見ながら、巴は自分の目と耳を疑った。

 この子は、本当に勇希なのだろうか。誰かが変装でもして勇希の声を借りて喋っているといった方がまだ信憑性があるとさえ思ってしまうほどに、勇希の

態度は男らしいものだった。

 勇希もまた、震える唇と手足を理性で繋ぎ止めてなんとか話をしている。舞の後押しと、顔も知らない舞の兄・中塚征の衣服に身を包む事でなんとか手に

入れた借り物の『勇気』だが、今はそれが心強い。

 自分は今、一人ではないのだという想い。支えてくれる人と、それを聞いてくれる人がいる。だから言わなければいけない事は、今ここで。

「迷惑だなんて言って、ごめんなさい。僕もちゃんとするから……冴霞さんに、ちゃんと伝えるから。今までの僕の気持ちと、今の僕の気持ち、全部」

「勇希…………ゆうきっ!!」

 ぐいっ、と。

 力一杯抱きしめられ、柔らかくて懐かしい感触が勇希を包む。

「あんたは悪くない……悪いのはあたしの方よ。自分勝手な都合だけであんたを振り回して、結果を出すように求めた。あたしの弟だからって、出来て当た

り前なんて身勝手押し付けて、勇希の事傷付けてたんだから……ごめんなさい、勇希っ!!」

「おねえ、ちゃん……っ」

 また巴を泣かせてしまった。だが同じくらい、勇希も泣いていた。

 歩み寄る必要もない。もう手を伸ばす必要もない。二人の距離は最初からゼロなのだから。

 ただ言葉を交わして、互いに反省する。ただそれだけで、間宮姉弟の齟齬は修復されるのだ。

 だが、この齟齬こそが重要だった。勇希に成長の機会が与えられ、巴も己を見つめ直す機会が得られた。そして……。

「勇希、でも……『今の僕の気持ち』って、どういう意味なの? 冴霞の事……今でも好きなんでしょ?」

「う、うん……だけど、分かったんだ。僕は今まで『好き』っていう言葉を履き違えてたんだと思う……冴霞さんへの気持ちはちょっと違ったんだ」

 ゆっくりと、優しい笑みを浮かべながら。

 間宮勇希は、芽生えたばかりの淡い想いを、ただ一人同じ血を分けた姉に報告する。

 

 

「僕……大切だって、想える人が出来たんだ」




あとがき:

新年初、というか二カ月ぶりになってしまいました……いやぁ、遅筆が身についてしまいましたね。鷹です。
ようやくの仲直りは、案外呆気ない物でした。ですが兄弟姉妹なのだから、そんなに深刻な事態にするのは
よろしくないですし、実際すんなり仲直りって出来るものです。無論これは実体験に基づいています。
そして、次回で私が描く合作は最終回となります。合計五話、劇中の日数ではわずか一日かそこらで収まる
というミニマムな出来事。でもだからこそ、価値あるエピソード。
勇希の『勇気』を、そして舞の『愛』を最後まで見届けて下さい。





2010.1.14