Memories Base Combination Production

Back Grounds Memories

 

 

 

「い、いただきます……」

「はい、どーぞっ」

 二人で食卓に座って、フォークを持っての夕食。しかし夕食と言うには少々遅い時間で、現在は午後八時を回ってしまっている。

 舞が用意したは急ぎ足で作ったミートソース・スパゲッティと生野菜のサラダだ。しかし出来合いのソースなどは一切使わず、トマトをつぶして作った

というスパゲッティはなかなかの味で、不足しがちな野菜の方もしっかりカバーするという構成で仕上げられている。料理もほとんど出来ない勇希には

舞の手際の良さは見事と言う他なく、半ば無心で食べていた。

「どうかな? 美味しい?」

「は、はいっ! すごく!!」

 実は昼食も満足に取っていなかった勇希には、八時間ぶりの食事でもある。もともと食の細い勇希がこれほどがっついて食べている様子は家族でもそう

見られる景色ではない。好き嫌いも人並み程度にはあったりと少々甘えたところもあるが、空腹は最高の調味料という言葉に加えて普通に美味しい料理と

なれば、手の動きも早くなるというものだろう。

「一応、おかわりはもう一杯くらいならあるから。勇希くんが食べたかったら食べてもいいよ?」

「んぐ……で、でも、僕がおかわりしたら、舞さんが食べる分が……それに、その……伯父さんたちの食べる分だって……」

 舞から借りたヘアゴムで髪を縛っている勇希が顔を上げながらもぼそぼそと呟く。先ほど聞いた昔話からも推測していた舞だが、やはり自分から意見を

いうのは苦手なようだ。それにまだまだ遠慮が抜けていない。

「伯父さんたちは食べて来るってメールが来たから、気にしなくてもいいよ。それにあたしはそんなに大食らいじゃないわよ?」

 意地の悪い言い方をすると、勇希は申し訳なさそうに俯いてしまう。しかしフォークに巻きつけていたままのパスタをそのまま放置せずにぱくりと口に

運ぶ姿を見て、舞もくすっと微笑んだ。

「あの……舞さん。こんなこと聞くのは失礼だと思うんですけど……」

 勇希からの突然の申し出に、サラダから引いていた舞の手が止まる。そして舞の事を上目遣いに覗き見ながら、躊躇いがちに口を開く。

「その……舞さんのご両親は……もういないって…………」

「やっぱり気になる?」

 予想通りの勇希の質問に対して、舞が向けたのは意外にも笑顔だった。そんな表情を浮かべられて驚くのは当然勇希であり、空になった皿の上にカタリと

フォークを置いた。

「ご、ごめんなさい……失礼だっていうのは、分かってるんですけど……気になって」

「ああ、いいよいいよ。あたしだって同じこと言われたら気になるし、質問もすると思うよ」

 舞も同様に、フォークを皿の上に置いてゆっくりと注いでいるミネラルウォーターを飲むと、半分ほど減っていた勇希のコップに水を注いで、また自身の

コップにも水を満たした。

「そうね……あたしは、勇希くんの昔話を聞いたわけだし、今度はあたしが話す番だよね。でもその前に片付けちゃおうか」

「あ、は、はい」

 カタカタと食器を片づけて台所に持っていく。勇希も慌てて食器を片づけると水を張ったタライの中に沈めて、さっと手を洗う。二人ともそれなりに満腹

になっていたし、これから舞がする話は食事しながら話せるほど軽い内容ではない事は、勇希にも何となく分かっていた。

 それを察しながらも、何故舞の過去を尋ねたのか。

 自分とそれほど年齢の変わらないように見える舞が、どうしてこんなにしっかりしているのかという興味はある。だがそれ以上に気になっていたのだ。

 すんなりと答えた「両親がいない」という言葉とは裏腹に、舞の表情が陰りを見せた事が。

 

 

「さて、と」

 舞の自室に戻り、彼女はベッドの枕元に置かれている大きなクマのぬいぐるみを持ち出した。部屋の内装も同年代にしてはシンプルな中で、ただそのクマ

だけが幼さを強調しているアイテムであることには、勇希も気付いていた。

「これは?」

「あたしの宝物。そして―――――お父さんとお母さんの、最期のプレゼント」

 幼い少女のようにぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて。

 中塚舞は、遠い過去を紡ぎ出す。

 

 

 

The 4th anniversary Special Project

                                                   presented by

Little Boy meets Little Girl  ~Way to Growing up !!~

 

03.永遠い別離(とおいわかれ)

 

 

「ゴールデンウィークは、みんなで旅行に行こう!」

 明るい声でそう告げたのは、舞の父である中塚敬だった。わざわざ家族一同を居間に集めて何を言い出すかと思えば、と舞の兄・中塚征は溜め息を吐いた

が、本音はやはりうれしそうだなと当時小学二年生の舞でさえ思っており、母・中塚亜依もそんな息子の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「なぁに? 征は旅行よりバスケットボールの方が良かったかしら?」

「おいおい、折角の入学祝いなんだから征が参加しなきゃダメだろ? 舞もお兄ちゃんに何か言ってやりなさい」

「うん! おにいちゃん、お出かけしよう? 舞も、おにいちゃんといっしょがいい!!」

「う……な、なんだよ、誰も行かないなんて言ってないだろ? バスケの練習は、休み明けにするよ……ちぇっ」

 不満げに漏らす征は、中学生になってから早速バスケットボール部に所属していた。レギュラーになれるかはまだまだ分からないが、既に上級生にも気に

入られていた征はゴールデンウィークの練習試合に参加する事を決めていたのだ。それがキャンセルになるのは少々残念だったものの、滅多にない家族旅行

ともなれば、断るべきはどちらかというのは考えるまでもない。

「よし、なら決まりだな。明日にはお母さんとお父さんで下見に行ってくるから」

「あー、ずるいずるい!! 舞も行く!!」

 敬のズボンにしがみついてグイグイと引っ張る舞。それをやんわりと亜依が抱っこして引き剥がし、優しく顔に手を添えると。

「ダメよ? 征と舞は後でいっぱい楽しい思い出を作るんだから。今のうちに先を知ってちゃ、楽しくないでしょ?」

 額と額を付き合わせて、亜依が微笑みかける。優しくて柔らかなその表情と、髪の毛から香る心地良い匂い。舞はぷぅっと頬を膨らませるものの、ぎゅっ

と亜依に抱きついて額をこすり合わせる。

「うん……! でも、早く帰ってきてね!!」

「ははは、努力するよ。でもあんまり楽しいようなら、帰りは遅くなっちゃうかもな?」

「父さん、それじゃミイラ取りがミイラになっちゃうよ」

「そうですよ、あなた」

 めっ、と言うように亜依が敬をたしなめる。敬は「参ったなぁ、舞?」と苦しいダジャレを披露し、舞も敬の真似をして「まいったまいった」と頭を掻く。

そんな夫に母は苦笑し、兄はやれやれと冷めたリアクションをしながらも頬を緩めている。

 それは、誰がどう見ても円満な家庭の姿であり。

 事実中塚家はごく一般的な、そして幸せな家族像として、彼らを知る人々の誰もが認める四人家族だった。

 敬は一般的な会社員であり、妻である亜依もパートだが仕事をしている。子ども二人を養うのだから共働きになるのは避けられず、二人同時にまとまった

休みが取れる機会はそう多くはなかった。今回のように大型連休でもない限りは満足に三日以上の連休も取れず、それ故に征と舞をどこかに連れて行って

やることも出来ないというのが、二人の気掛かりでもあった。

 征も中学生になり、これからは家族と過ごすよりも部活やクラス、あるいは学校の行事で休日であっても留守にする事が増えてくる。そうなれば舞は平日

一人ぼっちになってしまうし、パートとはいえ亜依も帰りが遅くなる事が無いわけでは無い。

 このまま夏休みまで舞に寂しい思いをさせるくらいなら、せめて楽しい思い出を作ってあげようというのが亜依の提案であり、敬もそれを受諾して休みを

申請したのだ。

 そして、どうせならしっかり下見をして十分に把握しておきたい。少しでもこの思い出をより良い物にし、大切な家族の絆の一ページとするために。

 翌日、敬と舞は愛車に乗り込み愛する子どもたちに見送られて、予定している旅行先に出発した。そこは大きなテーマパークもあり、また近場には温泉も

ある。老若男女を問わず楽しめるであろう観光にはうってつけの場所であり、実は征が幼い頃に一度行った事もある場所だ。もっとも征はその頃の事など

憶えてはいないだろうが、同じ場所に妹の舞を連れていくことに意味がある。

 兄と妹。五歳の年の差。兄妹仲は非常に良好な二人だが、どちらにも等しく愛を注ぐというのが親の務めであり、敬も亜依もそう考えている。

「じゃあ行って来るぞ、征、舞」

「お土産、買ってくるからね」

「「いってらっしゃ〜い」」

 子どもたちに見送られて車が発進する。空は生憎の曇り空で、天気もやはり下り坂。

「おにいちゃん、ゲームしよっ」

「ああ、雨が降りそうだからな。言っとくけど負けないからな?」

「舞が勝つもん!!」

 マンションに戻り、兄妹で手をつないで自宅までの短い距離を歩いていく。年の差はあるが、だからこそ仲睦まじい二人。

 そしてこれが、家族で過ごした最期の時間。

 大好きな、明るくてひょうきんな敬とは――――父とはもう、二度と会えなくなった。

 

 

 

「お母さん!!!!」

「母さん!!!!」

 血まみれの包帯に身を包み、酸素吸入器で苦しげな呼吸をしているのは、変わり果てた亜依の姿だった。

 身体のほとんどは傷だらけで、見えない部分はもっと酷い。後で分かった事だが肺の片方がズタズタになっており、その他の臓器も裂けて内出血を引き

起こしている。開腹して処置をしようにも、出血性ショックで死に至る事は誰の目からも明らかであり……むしろ、病院に辿り着くまでよく持った、という

方が正しいだろう。

「征、舞……」

「舞ちゃん……」

 二人に付き添っているのは、敬の兄である仁とその妻である千里。征と舞からすれば伯父夫婦であり、同じ市内に住む親戚だった。

「――――――――」

 規則正しい、しかし弱々しい呼吸が響く。医師と看護師は忙しなく病室を行き来し、常に亜依のバイタルをチェックしている。

 しかし、征と舞にはそんな慌ただしさはどうでもよかった。

 どうして、こんな事になったのか。

 父はどこへ行っててしまったのか。

 母は、どうしてこんな大怪我を負っているのか。

 母は――――助かるのか。

「……お気の毒ですが、もう持たないでしょう」

「左肺の破裂。それに土砂崩れで押し潰されて、臓器が押し込まれて皮下出血を起こしています。外傷も酷く、特に……」

 ふっと看護師が外を見る。外は春の嵐が吹き荒れ、窓ガラスが壊れそうなくらいの激しい風雨にさらされていた。わずかに残っていた桜の花びらも千々に

乱れて落ち、哀れな残骸を地面に敷きつめている。

「雨に打たれ続けた事で、体力も低下しています……ご主人が覆い被さって衝撃を緩和させていなければ、即死でした」

「……敬は?」

 仁が尋ねる。医師は沈痛な表情で視線を伏せ、仁も千里もぐっと拳を握りしめた。

「ねえ……おじさん!! 父さんはどうしたの!? お医者さんも、何か言ってよ!!!!」

 激情に突き動かされて征が立ち上がり、医師に詰め寄る。仁がその肩を掴んで諌めるものの、それに驚いていたのは医師や看護婦だけではない。

「あっ、うぅ……ひっく……うわぁ……ぁ〜ん……っ」

 兄が激情ならば、妹は悲嘆。押さえていた悲しみは兄が動いた事で堰を切り、ベッドに横たわる母にしがみつく。

「っく……おかあさん……おかあさぁん!!」

 分かってしまう。どれだけ否定したくても、幼い分だけ舞の直感は理解してしまっている。

 母は、もう助からない。

 怖い夢、母がいなくなってしまう夢を見た。

 幼稚園の頃だが、母は言っていた。

 舞が大きくなる頃には、お母さんは死んでしまうと。

 死という概念は理解できなかったが、お別れが来るということ。でもそれはもっとずっと先の事だと思っていた。

 お母さんみたいに、大好きな男の人と結婚して。二人みたいに子どもを育てて、その傍にはお父さんとお母さんがいると思っていた。

 それが叶わず、それどころかこんなにも早く別離が訪れるなんて、いったいだれが想像するだろうか。

「――――――――…………ま、い」

 掠れた、乾ききった声。

 吸入器と心電図の音にかき消されそうなか細い声。

 それでも子どもたちにはしっかりと聞き取れた。どんなに変わっていたとしても、母の声である事は疑いようがない。

「おかあさんっっ!!」

「かあさんっ!!」

 二人がベッドに身を乗り出す。医師たちは慌てて機材の数値をチェックし、亜依のバイタルを取り始める。

「意識が戻るなんて――――」

「信じられん……奇跡のようだ」

 医師が漏らしたその言葉に、征はぐるりと振り返って医師の白衣を掴んだ。

奇跡だったら、母さんを助けろよ!! 医者だったら母さんを助けろ!! 父さんを返せ!!!!

 子どもらしからぬ乱暴な言葉遣い。だがそれを諌めたのは仁でも千里でもなく。

「やめなさい……せい……」

 征の手に触れた、動くはずのない亜依の冷たい手だった。

「かあ、さん……でも!!」

「…………征…………こっちに、来て……舞も」

 言われるがまま、兄妹は母の顔に近づく。そしていつものように亜依が目を閉じると、二人ともその意味を理解した。

 亜依が考案した「おまじない」。約束と、家族が離れ離れにならないことを誓う時に行うささやかな儀式。

「征……舞のこと、守ってね……お兄ちゃんだからって、無理も……しないで……」

「うん……母さん」

「ん……良い子ね、征は……舞、おいで……」

 征が退ければ、今度は舞の番。舞がぐっと額をくっつけると、亜依は包帯によってふさがれている左目と、露出している右目を開けて娘を見る。

「舞……舞も、お兄ちゃんのこと、守って……ね」

「うんっ……うんっ!! おかあさん!! やくそくする!! するから、おかあさんも元気になって!!」

 しかし――――答えは、聞けなかった。

 心電図の数値が異常を示し、亜依の呼吸が浅くなっていた。心肺機能は著しく低下し、出血も起きている。舞と征は千里と仁に連れられて病室を出され

…………そのわずか五分後に、中塚亜依は帰らぬ人となった。

 

 

 二日後の葬式の日に、征と舞は事故の全てを知った。

 嵐に見舞われた両親の車は、帰り道の途中で土砂崩れに巻き込まれたという。父は咄嗟に母を庇って覆い被さるも、首の骨を折って即死。だが衝撃を完全

には逃がしきれず、また衝撃で肋骨と両足、左手を骨折。内臓は先の通り肺が破裂し、普通なら話す事など出来るはずも無かった状態だった。

 両親を失った兄妹は、子どものいなかった伯父夫婦である中塚仁・千里に引き取られ、また万が一の際に掛けられていた敬と亜依の保険で、舞が大学に

進学するまでの養育費は十分に賄われることになった。だが。

「このお金は、征と舞のものだ。伯父さんたちが触れていいものじゃない。それに、伯父さんたちをお父さんやお母さんと呼ぶ必要もない。……征と舞の

お父さんとお母さんは、敬と亜依さんだけだからな」

「でも、忘れないで。私たちは、二人の事を本当の子どもだと思ってる。征ちゃんも舞ちゃんも、小さい頃から知っているもの」

 そう言って、仁と千里は潰れた小箱と、まだ少し汚れたクマのぬいぐるみを持ってきた。クマのぬいぐるみは大人が抱えても両手に余るくらい大きく、

かたや小箱の方は外包みの包装紙が潰れてはいるものの、頑丈なケースでしっかり保護されている。

「……征と舞に、お父さんとお母さんが買っていたお土産だ」

「クマさんの泥は、まだ全部は落ちなかったの。あと……これ。征ちゃんと舞ちゃんにお手紙よ」

 泥と、わずかに滲んだ血の跡。

 二人の字で書かれた、短い手紙。

 それは今でも、征が持っている――――。

 

 

 

「…………勇希くん、ちょっと、ゴメン……」

 舞はそう言って、今まで抱いていたクマのぬいぐるみをベッドに置き直して部屋を出て行った。そして勇希はただ茫然とした思いのまま、クマのぬいぐる

みを見ていた。

 大切な人を亡くす。それはきっと、この世のどんな事よりも辛い事だ。もし今、姉が自分を探して事故に遭って、二度と会えなくなったら、和解する事

さえ叶わない。だから舞は自分に言ってくれたのだろう。

――――勇希くんのこと、心配してるよ?

 その重みを知っているからこそ、言ってくれた言葉。そして今は舞を一人にしておいた方がいい、という事くらいは分かっている。

 でも、ここでただ待っているだけじゃ、僕は何も出来ないままだと思うから……。

 階段を下り、洗面所でタオルに顔を埋めている舞を見つけると、勇希はそっとタオルを握った。

「あ……ご、ゴメン……もう六年も前なのにね……」

「じゃあ、舞さんって僕の一歳上なんですね……お姉さんだ」

「ん……そのお姉さんが泣いてちゃ、勇希くんのことバカに出来ないよ」

 涙で目を腫らしながらも、はにかんだ笑顔を向ける舞。手に持ったタオルを使って、勇希がそっと舞の目元に触れる。

「僕……やっぱり、お姉ちゃんに会いに行きます。大好きな家族だから……でも、一人で会う勇気も無いから、…………舞さん」

「……ったく、しょうがないなぁ。勇気が無いんだね、勇希くんって名前のくせに。仕方がないから、付き合ってあげるよ」

 タオル越しに勇気の手を握り、そのまま指を重ねていく。身長差もほとんどない二人は、そっと向き合い。

「……まだちょっと泣きたいから……勇希くん、胸、貸して……」

「はい……舞さん」

 

 振り続けていた秋の雨は、いつの間にか止んでいた。



あとがき:

舞の過去編でした。両親がいないという言葉の真相は、辛く悲しい幼い思い出。大切な家族を失った
経験があるからこそ、勇希の事を放っておけない。そんな舞に突き動かされて、勇希もちょっとだけ成長します。
寄り添い合いながら、少しづつ互いの痛みと成長を分かち合っていく二人。姉・巴との和解が成されれば、
この話は八割がた終了ですが……年内に終わるかどうか。




2009.11.22