てんたまSS
「初音と双葉」
Written by 雅輝
<10> 聖夜の告白
今日はクリスマスイヴ。
そして恋人たちの祭典とも言える日。
しかし、今までの私にはまったく無縁な行事だった。
確かに普通の女の子と同等の憧れは持っていた。
ロマンチックな雰囲気の中、好きな人と一緒に街を歩く。
それがどれほど嬉しくて、どれほど幸せなことなのか・・・。
興味が無いと言えば嘘になる。
けど、男性が苦手な私にとって、それは叶わぬ願いなのだと諦めていた。
私が男性を好きになるなんて事、あるわけが無いと思っていた。
そう、”彼”と出会うまでは・・・。
今私は、海が見える公園に一人佇んでいる。
最近ますます陽が昇っている時間が少なく、もう既に空は少し赤みがかって来ている。
そんな空を見て、ついつい先ほども見たばかりの時計をもう一度確認してしまう。
3時53分。
『もうそろそろかな?』
私はここである人と待ち合わせをしている。
私が・・・生まれて初めて好きになった男性(ひと)。
――早瀬川椎名さん。
”ザザァァァ、ザザァァァ”
近くの海から聞こえる波の音。
少しずつ赤が増していく空からの光を反射している、その荘厳な景色を眺めながら、私は昨日のことを思い出していた。
”トゥルルルルルルル トゥルルルルルルル”
「・・・」
”トゥルルルルルルル トゥルルルルルルル”
「あっ、そうか」
今日は夫婦水入らずで旅行に行ってるから、二人とも居ないんだった。
つまりこの家には私しか居ない。
寝る前に読んでいた本の間に栞を挟んで、今も鳴り続いている電話の元へと向かう。
”がちゃっ”
「もしもし、吉沢です」
「・・・」
しかし電話の相手は何も喋ろうとしない。
「もしもし?」
いたずら電話かな。
しかし、私が受話器を置こうとした時、その声は聞こえた。
「・・・もしもし、初音さんだよね?」
! この声は・・・。
「椎名さん!?」
椎名さんとは、あれ以来会っていない。
椎名さんにあんな事を言ってしまった私が会えるはずも無いし、会ってもお互い気まずいだけだと思ったから。
「うん・・・久しぶりだね、初音さん」
「・・・ええ、お久しぶりです」
5日振りに聞く椎名さんの声。
その声はいつも通り穏やかで・・・でもどこか真剣味を帯びた、緊張した声だった。
「突然電話してごめん・・・」
「いえ、気にしないでください・・・。何の御用でしょうか?」
なるべく穏やかな声を意識して、返事を返す。
「・・・明日、俺と会ってくれないかな?」
「えっ?」
「大事な話があるんだ・・・」
大事な・・・話。
それが意図することは、私にも薄々分かっていた。
それは・・・双葉さんのこと。
椎名さんは、答えを出せたのだろう。
それを私に・・・。
「・・・」
多分これが、私の初恋を実らせることができる最後のチャンス。
臆病風に吹かれて選択を誤ったら、私は一生後悔することになるだろう。
正直、答えを聞くのが怖いという気持ちもある。
でもそれじゃ何も変わらないから。
変われないから。
変わりたいから。
「分かりました」
私はそう返事をした。
「良かった・・・それじゃあ明日の4時に海の見える公園で良いかな?」
「はい」
「うん、じゃあこんな夜遅くにすまなかったね・・・。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
「初音さん」
ぼ〜っと海を眺めていた私の耳にその声が届き、ゆっくりと振り向く。
「・・・椎名さん」
「ちょっと遅れちゃったかな・・・」
「いいえ、まだ4時にはなっていませんから」
「そうか・・・今日はごめんね。わざわざ呼び出して・・・」
「・・・いえ、私も椎名さんとお話したいと思っていましたし・・・」
「・・・そっか」
「・・・」
沈黙が流れる。
聞こえてくるのはさざ波の音と、冷たい木枯らしの音くらい。
そんな静寂を破ったのは私の方だった。
「椎名さん・・・私、覚悟はできています」
「話してください・・・双葉さんの事を」
私が以前双葉さんの事を訊いた時、千夏さんは言っていた。
「それは椎名の口から聞いて、初めて意味があるものだと思うから」と。
ならば、私は聞きたい。
椎名さんの口から・・・。
椎名さんの意思で・・・。
「・・・ああ。俺もその事は、初音さんに話しておかなくてはいけない事だと思っているから」
「少し長くなるけど・・・」そう言って、椎名さんは語りだした。
双葉さんとの、悲しい過去を・・・。
「これが双葉との過去の話・・・一年前の冬に起こった出来事だよ」
話し終わり、俺は一息つく。
初音さんは俺が話している間も静かに、しかし悲しそうな顔で聞いていてくれた。
「でも、双葉との約束を果たすには・・・双葉の分まで幸せになるには、いつまでもこのままでは居られない」
「だから双葉のことは忘れて、早く立ち直らなければいけないと心に決めた」
今思うと、既にこの時から間違えていたんだよな・・・。
そんなこと出来る筈無かったのに・・・。
「でもそう思えば思うほど、その強い意識からか、双葉のことが頭から離れなくなった」
「挙句の果てには、初音さんを傷つけてしまった」
「今更謝っても許されないことだというのはよく分かっている」
「でも・・・謝らないと俺の気が済まないから・・・」
「本当にごめん・・・初音さん・・・」
ただ深く頭を下げる。
これ以上はどんな言葉も言い訳に聞こえてしまうから・・・。
「頭を上げてください、椎名さん」
その声に顔を上げると・・・初音さんは微笑んでいた。
「全然気にしてませんから・・・椎名さんが心を痛める必要はありません」
「・・・」
その言葉が嘘だということは、すぐに分かった。
あの時の悲痛な叫びや涙に濡らした沈痛な表情が、偽りだとは到底思えなかった。
それが、初音さんの優しさ・・・彼女の、全てを包み込むような慈悲の心だと気づいたから。
だから・・・。
「ありがとう・・・初音さん」
そんな彼女に、感謝の言葉を贈った。
初音さんも俺の言葉に、ただ微笑みで返してくれた。
そして俺は話を再開した。
「俺は、双葉のことを忘れることが、彼女のことを乗り越えられる唯一の方法だと思っていた」
「そうすれば全て解決すると、本気で考えていた」
「でもそれは間違いなんだと気づいた」
「双葉のことを忘れるなんて最初から無理だったんだ」
「俺たちは、確かに愛し合っていたんだから・・・」
「そんな彼女の事を忘れるなんて、出来るわけ無かったんだ」
椎名さんの言葉を聞いていた私は、その言葉に動揺していた。
『それって・・・まだ彼女のことは振り切れてないって事?』
一瞬そうも思ったが、私は椎名さんの事を信じ続けると決めたから・・・その言葉の続きを待った。
それが、人を信じるってことだと思うから・・・。
「その事に気づいたとき・・・俺は別の答えに辿り着けた」
「その答えは簡単で・・・そんな事も分からないくらい、俺は馬鹿だったんだ」
椎名さんが、双葉さんに対して出した”答え”・・・。
「聞かせてください・・・私に、椎名さんの出した答えを・・・」
「・・・ああ」
椎名さんは一度空を見上げた。
先ほどまで茜色だった空に、徐々に闇という名の色が混じっていく。
もう後30分もすれば、夜の帳が下りるだろう。
椎名さんは視線を私に戻すと、静かに口を開いた。
「”双葉を喪った悲しい記憶に心を縛られるのでは無く、双葉と共に過ごした楽しい日々を胸に刻んで生きていく”」
「これが俺の出した答えだ」
多分、俺は無意識の内に避けていたんだと思う。
初音さんのことを本気で好きになる事を・・・。
大事な人だと認めてしまう事を・・・。
そうして、双葉の様に俺の傍から居なくなってしまうことが怖かったんだ。
だから、事ある毎に”双葉”という過去に逃げていた。
自分の気持ちに”臆病心”という錠前を掛けて・・・。
そういえば、以前真央に言われたっけ・・・。
――「双葉さんのせいにしないでください!椎名先輩は、そうやって過去に逃げているだけです!」
――「双葉さんという逃げ道を作って・・・現実から目を背けてるだけなんですよ!!」
その通りだった。
『まったく、こんなんじゃ先輩失格だよな』
でも初音さんに拒絶されたとき、胸の中から溢れ出る想いは、一つの鍵を生み出した。
”愛情”という名のその鍵は、強固な筈の錠前をいとも簡単に開けてしまった。
俺は、ずっとその鍵を探していたんだと思う。
そして俺は錠前が外れた自分の気持ちと向き合って、ようやく答えを見つけることが出来たんだ。
「椎名さん」
「ん?」
意識を戻すと、真剣な顔をした初音さんが真っ直ぐ俺の方を見ていた。
「椎名さんは、やっぱり強いです」
そう言って、いつものたおやかな笑顔を見せてくれる。
「いや、俺は弱い人間だよ・・・。強かったら初音さんを傷つけることも無かったさ」
少し自嘲気味に言う。
だがその言葉に初音さんはゆっくりと首を振り、
「そんな事ありません・・・。自分の心と本気で向き合える人なんて、そうそういませんよ」
やんわりと否定されてしまう。
「椎名さんは強い人です・・・。私が保証します」
「・・・」
ホント、この人には敵わないな・・・。
そこまで言われたら、もう言うしかないじゃないか・・・。
「初音さん・・・ありがとう」
「あともう一つ、伝えたいことがあるんだ・・・時間大丈夫かな?」
「? はい、大丈夫ですけど・・・」
キミに対する答えを・・・。
辺りを夕闇が包んでいた。
どこからともなく吹く風も、心なしか冷たくなっている気がする。
「・・・」
「・・・」
沈黙が続く。
しかしそれは痛々しい沈黙では無くて、むしろ心が穏やかになるような優しい時間だった。
椎名さんの眼差しは、私を真っ直ぐに視ている。
”双葉さん”を、ではなく”私”を。
そして私も、その眼差しから目が逸らせないでいる。
「初音さん・・・」
沈黙を破って、椎名さんが話し出す。
「俺は今・・・”キミ”を視ることが出来ているかな?」
「・・・はい・・・」
「良かった・・・。やっとキミを視ることが出来た」
「俺はようやく・・・初音さんに対する答えを見つけることが出来たんだ」
「・・・」
椎名さんを見つめる。
私に対する答え。
「聞かせて・・・くれますか?」
椎名さんは答えの代わりに一つ頷く。
そして・・・
「俺は・・・初音さんのことが好きだ!」
椎名さんの言葉の一つ一つが・・・
「双葉の代わりなんかじゃなくて、一人の女性として・・・」
そっと胸に流れ込んでくる・・・。
「俺、馬鹿だから・・・初音さんに拒絶されて、ようやくその気持ちに気づけたんだ」
その流れは、緩やかな小川のせせらぎの様に・・・
「でも、この気持ちは錯覚でも幻想でも無い!」
ゆっくりと、私の渇いた心を潤してくれる・・・。
「ずっと・・・俺の傍に居てくれないか・・・?」
そして私の潤った心の中からは・・・
「俺には・・・初音さんだけだから・・・」
岩をも砕く濁流の様に、椎名さんへの気持ちが溢れ出てきて・・・
「初音さんしか居ないから・・・」
もう、止められなかった。
「椎名さん!」
気づけば私は、椎名さんの胸の中に飛び込んでいた。
暖かい・・・。
椎名さんの優しさが、私の中に流れこんでくるように・・・。
真冬だというのに椎名さんの胸の中は、寒さなど微塵も感じられなかった。
「ずっと・・・信じていました・・・」
「椎名さんなら、答えを見つけることが出来るって・・・ずっと・・・」
嬉しくて・・・ただ嬉しくて・・・私の目からは、とめどなく涙が溢れた。
千夏さんの言う通りだった。
椎名さんは私に・・・最高の答えをくれた。
「私も・・・私も椎名さんのことが好きです・・・大好きです!」
「椎名さんの傍に・・・いつまでも居させてください」
「これからも・・・ずっと一緒に・・・」
流れ出る涙のせいで歪んでしまった視界で、椎名さんを見つめる。
「初音さん・・・」
その涙を、椎名さんが優しく指で拭ってくれる。
そしてその指先が、そっと私の頬に触れる。
絡み合う視線。
私は自分でも驚くほど自然に、目を閉じることが出来た。
寒空の下、誰も居ない公園で、
「愛してる・・・」
「私もです・・・」
私と椎名さんの唇は・・・
静かに重なった。
後書き
・・・。
・・・。
はっ!!
自分でも書いてて恥ずかしくなるほど甘甘だったので、呆けてしまっていたようだ(笑)。
あんなの書いたの初めてなもので・・・。
改めましてこんにちは、雅輝です。
ようやく書きあがりました、第10話。
この長さは、多分過去最長ですね。
実はこの10話にもう一つ場面を入れようと思ってたんですけど、初音への告白が予想以上に長くなっちゃって・・・。
書いてたら止まらなくなっちゃったんですよ。
だからちょっと予定を変更して、全12話になる予定です。
こんな作者ですから、どうなるか分かりませんけどね(汗)。
ご意見・ご感想、お待ちしています。
それでは、次の更新で(今週中にはなんとか・・・)。
2005.10.30 雅輝