―It’s a Sword of Starlights―
エイス・ルフェは順調に大陸を縦断し、滞りなくブリュンテルファの首都、『絢爛都市』ブリュンテッドに到着した。
ブリュンテッドの規模は、ベレメリィアの倍以上の人口を抱え、間違いなく名実ともに世界最大規模の都市と言える。その人口は約2700万人。経済と産業、そして流通の要を担うこの都市に人が集まるのは、当然過ぎるほどに当然であった。
『――――本日はエイス・ルフェ031号、国際連絡線・エルメンティス、ブリュンテッド間をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。当車はこれより、50分の停車、ならびに清掃に入ります。折り返し便をご利用されるお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご容赦ください』
「なんでわざわざ掃除するの?」
ナップサックを肩に背負いながら下車し、リディアがリシェルに尋ねると、リシェルはエイス・ルフェの下部――――超電磁磁石の部分を指差した。
「電磁誘導に使われる超電磁磁石は消耗が激しいから、頻繁にではないけれど、まめに清掃と点検・交換をしておかないと、すぐに磨耗してしまうのよ。反発する磁力が弱くなれば、車体の重量を支えきれなくなる。そうしたら?」
「そっか……大事故になっちゃうからか」
「そう。あいにく、ダグ・ウィーダ等に使用されている反重力装置を使うには、エイス・ルフェは大きすぎるわ。使うにしてもコストがかかり過ぎるしね」
「だから磁石をつかった超電磁誘導なんだね。昔の大きな戦争の名残だって、ミドルスクールの授業で習ったけど」
「第14次大陸戦争。1万年以上前に他星から持ち込まれた新技術を使い、当時発見されたばかりだった新種の磁力石を解析して、その恩恵を得た旧アルシィラ人たちが仕掛けた大戦争ね。通称は知っている?」
「マグリィド戦争。今使われてるマグリィド磁石の由来……だったよね?」
「正解。勉強は苦手だって言っていた割には、よく覚えているじゃない」
電車の中での会話中にそう言っていた事を思い出し、リディアはたはは、と苦笑いする。
リディアは確かに勉強全般が苦手ではあるが、だからといって嫌いというわけではない。
興味のある事柄ならば今のようにちゃんと答えられるし、不勉強さを補う勤勉さも人並み以上にはある。
「さて……と。私はこれから手続きのために中央行政区に行くわ。リディアは?」
「リシェルとおんなじ。中央行政区の、国際法務省で手続きしなくちゃいけないの」
肩に乗っていたルゥもリディアの言葉に頷き、リシェルはもう一度、ルゥの鼻先に指を出してみた。
「じゃあもう暫くご一緒、お願いね。ルゥ君」
ルゥはしばしその指の匂いを嗅いだあと、ほんの少しだけ触れようして……結局また触れることなくフードの中に隠れてしまった。
第一話 旅立つ日、出会いの日<後編>
ブリュンテッドにおける移動手段は主に4つに分けられる。
時間に余裕のある人間ならば徒歩。
一般的にはダグ・ウィーダやディグ・ウィルダといった、半重力装置を使用するエアバイクやエアカー。
国が運営しているエアバス、レグダ・ベスタ。
そして、地下とモノレールを利用した高速連絡鉄道、エス・フェーツ。
リディアとリシェルがとった移動手段は、それらのうちで最も安上がりな徒歩だった。ブリュンテッドの街並みをまったく知らない2人と1匹にしてみれば、じっくり見ながら移動できる徒歩以外の選択肢は、あるはずがない。
「居住区はずいぶん離れてるんだね。こっちの方は、商業区と中央行政区だけみたい」
「2700万の人が住んでいる居住区だもの。さすがに街の中央部にはないでしょう」
PCでガイドブックと地図を呼び出し、それを見ながら中央行政区を目指すリディアとリシェル、そしてルゥ。
商業区には背の高いビルばかりが立ち並んでおり、道を歩く人々よりも行き交うエアカーやエアバスの方が、圧倒的に量が多い。無論、エアカーやエアバスに『道』などという概念はないのだが。
「そう言えば、まだ聞いていなかったわね」
「ん? 何が?」
歩きながら互いに顔を見合わせる2人。
「国際法務省に用があると言っていたけれど、もし良かったら教えてくれないかしら? あなたがこの国に来た理由を」
「あー……話してなかったね、そういえば」
ホログラフ画面を操作し、PCを休止状態にすると、リディアは笑顔で言った。
「あたし、騎士になるの。国際法務省直轄聖堂機関、アーク・トゥエラにね」
「――――」
呆気に取られるリシェル。
――――今、リディアはなんと言った? あり得なくはないが、とても信じられない。
――――確かに優れた身体能力を持っているのは認める。エイス・ルフェに追いついたあの足の速さは正直、眼を見張るものがあった。
――――でも、どうして――――!?
そんな疑問がリシェルの中で暴れまわる。
リシェルの故国・アクタハルマでは、最低1年間の国衛騎士団従軍経験者に、アーク・トゥエラの受験資格が与えられる。その所属年齢は明確に定められているわけではないが、基本的にはミドルスクール卒業後からになる。
リシェルはそれだけでは満足せず、アクティーライツという騎士勲章のために、わざわざ1年間みっちり訓練してきた。一切の妥協も、甘えもなく。
そう。全ては、『あの女』を超える為にしてきたことだ。
そして、この少女は『あの女』が成れて私が成れなかった、最年少の14歳資格者(エンゲージメント・フォーティーン)だということか……!
「リシェル? どしたの?」
「いいえ……偶然に驚いていたの。実を言うとね、私も今年のアーク・トゥエラの一人なのよ。リディア」
「ほんとに!? すっごーい!!」
国が違えば方針も異なる。単に、アクタハルマとベレメリィアの方針が違っただけ。そう考えれば理解も出来るし納得もいく。
だが。いやそれ故に、知りたい。
隣で無邪気に喜んでいる、14歳資格者(エンゲージメント・フォーティーン)に選ばれたリディアの力量を。
そして、そんな相手にリシェル自身がどれほどの力を発揮できるのかを。
そんな、どこか暗い感情を抱きながら、リシェルはリディアとともに国際法務省へ向かい始めた。
小1時間ほど歩き、2人と1匹はようやく目的地である国際法務省に到着した。
並び立つ中央行政区のビル群は商業区のそれとはデザインも異なる中で、一つだけやたらと異彩を放っている建物。一見すると議事堂にも見える石造りの聖堂が『国際法務省』のプレートを掲げていた。
「ここだね。ホントに石で出来てるのかな?」
「外見だけわざわざ石でコーティングしているようね。手間のかかる真似を……」
ぺしん、と外壁を叩いて確認するリディア。感触は間違いなく石そのものだが、リシェルの言うとおり内側は普通のビルと同じく、人工物がのぞいている。
入り口は普通の自動ドア。リディアとリシェルが並んで入ると、中はどこにでもあるようなオフィスビルのエントランスと変わらなかった。
広いロビー。そして受付と、受付を担当している女性が2人。さらに――――
もう、これでもかといわんばかりに目つきが悪く、顔にも傷のある、しかも堂々と帯剣した男が3人。壁に寄りかかって2人を睨みつけていた。
「うわっ、わかりやす……」
「品位の欠片もないわね。アレが私達以外の候補生、ってところかしら」
決して大きくない声で2人がつぶやく。だが3人にはそれがはっきりと聞こえたらしく、ずかずかと大股で2人の元に近づき――――
「品位の欠片もなくて悪かったのう!? お嬢さんよぉ!」
「そういうお嬢さん方は、さぞかし品があるんでしょうなぁ。いやはや、羨ましい!!」
「こう見えても、国じゃあ名の通った騎士だったんだがねぇ?」
リディアもリシェルも、内心「ありえない」と思っていたが……どうやらこの3人は間違いなく自分達と同じくアーク・トゥエラ候補のようだ。彼らが握っている書状は、各国の代表が直筆したものに相違ない。
なぜなら、それらはすべて例外なく羊皮紙にインクを使って書くという、ゼンポゥラにおいて極めて特殊な書類の書き方で製作されるためである。
データ化が極限まで進んでいるこの星では、そもそも紙にペンで書く、という行為自体が街中で発見される化石級のレア度を誇る。それに加えて、発注されない限り製作されない羊皮紙という特殊な紙を使う書類など、今日のこの場において使用する以外に所持している理由がない。
「残念ね。そもそも礼節を重んじるべき騎士が、こんなチンピラ崩れだなんて……。やはり、噂は本当だった、と見るべきなのかしら?」
銀の髪が微かに揺れる。だがそれ故に、リシェルの表情は読み取ることが出来ない。
「何のコトかなぁ? お嬢さん?」
「昨今のアーク・トゥエラは腐敗している。己の名を過信し、人々からの尊敬を逆手に取っている。故に目指す者達も、その名欲しさに集まった有象無象だと」
白いコートが波の様に揺れ、銀のカーテンから鋭い視線が抜き放たれる。
「知っておきなさい俗物。私達が授かる名前は、この星に住む全ての人の守りであるという証という事を」
「舐めた口きいてんじゃねぇ、このアマぁ!!」
男の1人が有無を言わさず抜剣し、大上段から振り下ろす。
その剣速は決して遅くはない。一般的な剣士のレベルに照らし合わせて見れば、それは十分に錬度の高い一撃だった。
だが今回ばかりは、相手が悪すぎた。
「遅すぎるわね」
剣が振り下ろされるよりも速く、男の懐にリシェルの身体が入り込む。そして鳩尾を軽く叩いたかと思うと――――
「ッ……げぇはあっ!?」
悶え、苦しみ、2、3歩後ずさってから男が無様に吐瀉する。リシェルはそれを冷ややかに見下し、首に一撃入れて意識を刈り取り、残る2人に告げた。
「貴方達もこうなりたくなければ、今すぐ荷物をまとめて国に帰りなさい。そうすれば、せめてもの名誉だけは守ることが出来るわ」
リシェルが最初に放った一撃は、その予備動作を見ていたのであれば、多少なりとも格闘技を学んだことのある人間には一目でそれと分かる技だった。
浸透勁。
腕の力ではなく、全身から繰り出される力の波。それを身体の中に文字通り『浸透』させることにより、対象を内部から破壊する、近接格闘における極意の一つ。
だが、これは言葉で言うほど簡単な技ではない。それこそ血のにじむような反復練習を重ねても、凡人には辿り着けるかどうかすら分からない技なのだから。
それを実戦において、事も無げに成し遂げるリシェル・ベルムントという少女。
陳腐な言葉ではあるが――――彼女は、紛れもなく『天才』ということだ。
「ふ、ふざけるな――――ッ!!」
「小娘が、調子に乗るなぁっ!!」
堰を切ったように2人の男が抜剣し、同時に仕掛ける。だがリシェルはわずかに半歩下がると、一瞬にして1人との間合いを詰めた。
その速さは、リディアの踏み込みの速さにも劣らぬほどに疾い。
「莫迦ね。大人しく引き下がっていればよかったのに」
突き出す拳は、中指だけを浅く折り込んだ急所突きの型。空気を切り裂き放たれた一撃は鮮やかに、そして残酷に咽喉を穿つ。
「か――――ッ!!?」
呼吸が止まるどころの騒ぎではない。文字通り声も出ないほどの激痛。
と同時にぴたり、とリシェルの身体が男と密着する。男であれば、リシェルほどの美少女に身を寄せられて嬉しくないはずはない。
だが。今この場においてのみ、リシェルの行為は人を惑わす悪魔の行為であった。
「おやすみなさい。――――ゆっくりと、ね」
ドスン、という重低音がロビーに響き渡る。
零距離からの衝撃は解き放たれることなく、男の中でのみ猛獣の如く暴れまわる。
無論、耐えられる道理などない。男はその場に両膝をつき、眼と鼻と口から涙と泡を吹いて、座ったまま気絶した。
「(もう1人――――)っ?」
そう思って振り向くと、3人目は既に地面に倒れ伏し、気を失っていた。その傍らには折れた剣と、一仕事終えたかのように手を叩いているリディアの姿がある。
「あ、こっちは終わらせといたから♪」
当たり前のように言い放ち、太陽のような笑顔を向けるリディア。
その笑顔に癒されると同時に、リシェルの中に再び暗い炎が点った。
「…………リディア」
「なぁに?」
かつん、と硬い音を立てて、リシェルが歩を進める。
その様を、リディアはきょとんとした顔で見つめている。
ロビーに立っている人間は既に2人だけしかいない。受付をしていた女性達は人を呼びに行ったのか、姿はない。
「さっき言った通りよ。私達が授かる騎士の名は、この星に住む全ての人々を守るための証。貴女には――――その覚悟があるの?」
「あるよ。あたしはそれを知ってて、ここにいるから」
「彼らのように、名前欲しさではない? その名前を誇示したいからではない? その証拠もない人間にこれから背中を預けることは、悪いけど私には出来ないわ。だから――――」
「…………いいよ。リシェルが見たいって言うんなら、あたしの覚悟を見せる。その代わり――――たとえどんな結果になっても、恨みっこなしだからね」
その言葉に反応したのか、ルゥは慌ててリディアのフードから飛び出し、かなり離れた植え込みに姿を隠した。
同時に、リディアの表情が変わる。今までのような無邪気さは消え、真剣そのもののその青い眼は、誰が見ても見惚れるほどにまっすぐだった。
静謐なロビーは、これ以上ない格好の舞台。
開始を告げる声は無い。
観客は1匹。
さあ。
名も無き演目を始めよう――――。
虚空を切る銀旋。それはリシェルの左腕から解き放たれたものだった。
滑らかな曲面は金属の光沢。しかしその軽やかさは、金属の重さを感じさせない。
「ソゥビュード……使ってる人、はじめて見たよ」
「知っていたのね……扱い辛いけれど、いい剣よ。これでも」
『鞭剣』ソゥビュード。冠する『鞭』という名前の通り、その軌道は通常の剣ではあり得ない動きをする。
全長は柄の12センチを入れて約130センチ。幅は約8センチ。
構成材質はミアニウム以上に軽量かつ独自の伸縮性を持つ超軽量金属・オルニシアン。
こと耐久性においては脆弱といわざるを得ないが、ソゥビュードはミアニウムとオルニシアンを絶妙に合成した逸品に仕上がっており、並みの衝撃では破壊することは出来ない。
剛の耐久性を持ちながら、その在り方は柔軟。
さらに、携帯する際は腕や身体に巻きつけるのが基本になっている。
その驚くべき軽量さ故に女子供でも振るうのは容易いが――――反面、リシェルの言葉通り、恐ろしく扱い辛い。
その理由は、やはり軽いが故。
剣は重過ぎれば振るうことは不可能だが、逆に軽すぎてもいけない。軽い凶器は命の重さすら軽くし、また自身をも切りつけかねない。
「はぁっ!!」
銀の毒蛇が牙を剥く。161センチのリシェルが扱うソゥビュードのリーチは2メートルをゆうに超える。
くんっ、と身を沈めて軌道をかわすリディア。並みの剣ならばこれで一太刀。
だがソゥビュードはここから変化する。
鞭のしなりに一太刀という概念は無意味。その変化の数は扱い手の技量によるのだ。
「っとぉ!」
横っ飛びで切っ先を避け、さらに一足飛びし距離をとる。
両者の距離は4メートル強。互いに一息の踏み込みで詰められる射程距離内。
「無傷で、なんて思わないでね。やるからには全力を尽くすのが、私の流儀だから」
「もちろんっ。でもそれはあたしも同じだからねっ!」
すっ、とリディアが上着の左腕を捲る。
左手にはめているグローブの上に腕輪が装着されている。そのベルトを外し、リディアは腕輪を展開した。
展開された腕輪は左腕を肘まで覆うプロテクターへと姿を変える。
「じゃあ――――行くよっ!」
言葉よりも早く、軽やかなステップが床を蹴る。
同時、視界から文字通り消え、懐に飛び込む152センチの体躯。
「(速いっ!)」
その速さはリシェルが過去に体験した中でも最速であった。間違いなくリディアの速力は自分を凌駕し、そして恐らく上にギアを残している。
「せいっ!!」
十分に力を溜め込んだ、打ち上げ気味の右掌打。
飛び退くリシェル。放たれた掌打はまさしく散弾銃の如き一撃。回避できる自信はあったとはいえ、まともに食らえば顎を吹き飛ばしていただろう。
だがリシェルに油断は無い。飛び退きながらも振るわれるソゥビュードは、確実にリディアの首元を捉えている、――――しかし。
ガキイィイイィイン!!
「そういう事ね」
「そういう、ことだよっ!」
鞭剣は左腕の装甲に阻まれ、一瞬動きを止める。そして身を翻し、半回転の力を上乗せした左の後ろ回し蹴りが、大砲のように発射される。
だが、わずかに遅い。
ソゥビュードが阻まれた時点で、リシェルの右手は次の動作に移っていた。
鞭は折りたたまれ、すぐさま蹴りを防ぐための盾へと姿を変える。
柔軟に形を変えるが故に、攻防一体。
繰り手が優れていれば、その能力は存分に発揮されるのが道理。
そしてその繰り手は、天才と呼ばれたリシェル・ベルムント。
防ぐだけでは、無論終わらない――――!!
「突(つ)ッ!!」
半歩下がると同時にパシンッ、という音が鳴る。
いかに鞭の特質を持とうと、ソゥビュードは本来剣。
ならば、剣として扱えぬなどということはあり得ない。
わずか数秒にすら満たぬ短時間。鞭ではなく剣としての形を取り戻し、銀の閃光は線を細め、敵を穿たんと疾走する。
その輝き、まさしく雷光の如し。
されど、加減が甘かったのか。
数瞬しか保ちえぬ程度の力で放たれたのならば、それを弾き返せぬはずはない。
少女の腰より抜き放たれたそれは、留めれば折れるまでその形を変えることは無い。
剣にあって、剣にあらぬ錬鉄の業。
鈍く光る黒色の一振り。
父より授かりし、剛性においては鞭剣を上回る警棒が抜き放たれた。
「やっと得物を抜いたのね。でも……警棒?」
「不満? だけど、そこらへんの警棒とはワケが違うよ」
互いに武器を抜いた少女2人。しかしその表情は張り詰めてはいるものの、どこかしらに柔らかさが、穏やかさがある。
「不満なんて――――あるはずがないわ。貴女みたいに速い人、初めてよ」
「こっちも。扱い辛いって言ってたくせに、嘘つきだって思っちゃうくらい使いこなしてる。不満なんて出るわけないよ」
実際、2人が打ち合った時間など2分にも満たないだろう。
しかし、少女達の動きを追えるかと言われれば。
尚且つ、同じように死合えるかと言われれば。
世の騎士達は、首を左右に振らざるを得ない。
彼女達の剣は、それほどに卓越し――――そしてまだ、互いに底どころか、浅瀬すらも見せてはいない。
「んじゃ、そろそろ……」
「死合再開、と行きましょうか」
鋼の棒は軽く、風を薙いで烈風と化す。
鋼の鞭は揺れ、波をその背に浮かべる。
水と風。
互いに変幻自在を謳うが如く、その姿は舞い踊る。
リディアの速力は、既に候補生というレベルを超越している。
元より、彼女は体格的に未成熟だ。これからまだまだ成長し、筋力も未だに発育途上。
にも関わらず、なぜリディアのスピードはリシェルを上回るのか。
その答えは、彼女の呼吸と身体の使い方にある。
身体を動かすエネルギー。それは単純に言ってしまえば酸素。分類するならば有酸素エネルギーと無酸素エネルギーに分けることができる。
瞬間的な動作に際して、人体は知らず無酸素エネルギーを消耗する。逆にマラソンなどの長距離を前提とした場合は有酸素エネルギーを消耗する。
どちらも鍛えることでその効率を上昇させることは出来る。
だが、リディアはその両者のエネルギー貯蔵量が常人をはるかに凌駕しており、また1度に使用されるエネルギー効率が良すぎるくらい良い。
並の人間が全速力で走り続けても、その持続時間はせいぜい1分にも満たない。それを呼吸を止めてやれるかと言われれば、誰でも答えは決まっている。
そんなことは到底不可能。一朝一夕には出来るはずがない。
鍛え続ければ手は届くかもしれない。だがそれには、計り知れないほどの鍛錬を要する。
だが、リディアの心肺能力はそのレベルすら超えている。
彼女は幼い頃から学校までの道のりを走って行き帰りしていた。それもマラソンのような長距離目的の走り方ではなく、常に短距離の走りで。
必然、備わるのは強靭な足腰から発揮される爆発的なスピードと、驚愕に値する量のスタミナ。
さらにそれを生かした、素早く回転力のある剣の振り。
身体的にまだ成長段階といえるリディアが、大の大人と打ち合い、勝利を収めているのは、彼女の生活そのものがすなわち修練の日々であったが為。
それを打ち破れる相手など――――ゼンポゥラ広しと言えど、同世代では恐らく一握りにすら満たない。
――――だが。ここにその一握りに満たぬと言われていた少女がいた。
「せぃやあっ!!」
疾風は止まらない。振るわれる警棒は黒き鎌鼬。
打ち合う剣は銀の海蛇。たゆたう様は優雅であり、その鋭さは衰えない。
「はあっ!!」
裂帛の気迫。
だがその様は舞い踊る海の女神のように艶やかで麗しく――――妖しい。
波が踊る。蛇の如く這い、龍のように昇り、豪雨のように激しく舞い降りる。
「ふうっ……!」
風がそよぐ。微風は雨を包み、旋風は龍を巻き、烈風は蛇を弾き飛ばす。
円舞曲(ワルツ)は終わらない。
水と風の舞は互いを包み合い、紙一重より一歩深い、死線のみを残して触れ合わぬ。
「くっ……」
「っと……」
弾かれたように2人が距離をとる。互いの服は所々に攻撃の爪痕を残し、わずかながら裂けている部分も見受けられる。
「その上着、右腕だけが露出しているのは……武器の振りを遅らせないため、だったのね……まったく、速過ぎて眼で追えないなんて、馬鹿馬鹿しくなるわ」
「うん。でもリシェルも凄いよ。どこから来るか全然わかんないし。とてもじゃないけど、眼じゃ追いきれない」
だがそれでも攻撃をかわせるのは、互いに眼だけに頼らず、空気の波を感じながら戦っているが故。それもまた、優れた剣士の持ち得る資質。
しかし――――両者のスタミナ残量は明白だった。息が上がり始め、言葉が切れ切れになりかけているリシェルと、汗こそかいてはいるが疲れを感じさせないリディア。
それでも。
『天才』と謳われたリシェルの力量は、リディアが経験したどの騎士の力量よりも秀でている。実際は数分しか経っていないが、これだけの時間リディアと戦えた同世代の人間はいない。
「まだ、ギアに余裕があるみたい、ね……リディア」
「ん〜……でも、あんまり上げると床を壊しちゃうし、靴も駄目にしちゃうから……正直な話、使いたくないんだよね」
呆れるほど平然と言ってのけるリディアに、リシェルは思わず吹き出してしまった。
予想はしていたが、これほどあっさり手の内を晒すとは。
まったくこの子は、素直を通り越してバカ正直にもほどがある。
「いいわ。貴女が勝ったら、新しいブーツを買ってあげる」
「え? ……いいのぉ? そんなこと約束しちゃって。絶対負けないよ?」
「それは、私も同じよ。逆に、あなたが負けたら……何をしてもらおうかしら?」
「じゃあ……PCで探したブリュンテルファの美味しいレストランで、何でもご馳走する、でどうかな?」
「プラスで貴女は一切食べない。水だけ飲んで、私の食事を眺めておくのなら、喜んで」
「うわっ、きっつ〜。でも、まぁ……それでもいいやっ!」
死合の最中に交わされる会話ではない。
しかも2人とも、驚いたことにそれを冗談ではなく本気で言っている。それも――――
信じられないことだが。
命すら掛かっているにも関わらず、2人とも当たり前のように笑い合っているのだ。
「じゃ、いくよっ。最大戦速、フルスピードでね」
両者の距離が離れる。その距離およそ15メートル。
1秒で間合いを詰めるには、それはあまりに遠すぎる距離。
「(反応……出来ないわね、多分)」
リシェルにとって自信がない、などということは、こと実戦においては初めてだった。
目の前に立つのはリディアという、少女ではなく騎士。
いかに剣を交えてみたいと思ったとは言え、あんな物言いはリシェルにとって不本意の極み。恥ずべき行為でさえあった。
だが、それを差し引いても満たされている。
命のやり取りですらあるこの死合。下手を打てばそれこそ大怪我か、死ぬことさえあるこの真剣勝負。実力伯仲と呼べる得難い好敵手。
認められる。
いや、本当は認めていた。
あの小さな騎士は、自分よりも遥かに騎士なのだと。
私の剣は、本当は…………。
「受けて立つわ、リディア。貴女の神速(ほんき)を」
過去を還る迷いは無粋にして不敬。今見るべきは彼女のみ。
鞭剣を纏い、水の騎士は可能な限りの音速を持って、神風を迎え撃つ――――。
身体を沈みこませ、姿勢は遥か低く。
吸気に乱れは無く、呼気は穏やか。
「(迎撃(おと)されるかな……どうだろ)」
だが心は揺れる。
揺るぎ無き神速。抜き放つ一撃は迅雷もかくやという速さに至るだろう。
それを迎撃可能とする騎士など、リディアの知る限り、彼女で2人目。
不安はある。だが。
「敗北を恐れるな。不屈の剣は己(あたし)の中に」
いつだったか、『あの人』に言われた言葉を噛み締める。
それが彼女の芯(こころ)。背を支える大いなる騎士の想い。
ならば、迷いなど不要。
心の揺らぎを廃する。
安全装置を開放。撃鉄を落とす。
「行くよ、リシェル――――!」
引き金を引け。
壁を越えろ。
大地を発ち、天地逆巻く光速となれ――――!!
「はい、ストーップ」
両者の武器がまさに触れようとした瞬間。
唐突に現れた青年が、彼女達の武器を完全に停めていた。
「なっ――――!?」
「うそ――――!?」
驚きは当然リディアとリシェルのもの。これほどの渾身を込めた必殺の一振り、本人達ですら到底止められるはずもない。
だが現実に、青年は苦も無く両手で刃先と先端を――――驚いたことに、わずかに血の滲んだ人差し指と中指で挟み込んで、見事に静止させている。
「いけないなぁ。君達みたいに可愛らしいお嬢さんたちが、人を屠って余りあるような勢いで剣を振るっちゃ。それに、僕達は仲間殺しをするために、ここにいるわけじゃないんだしさ。もっと穏やかに行こうよ」
不揃いな黒髪。おどけた口調。
そして…………俯き、垂れ下がった黒髪の隙間からわずかに見えた、血の色よりもなお紅い真紅の瞳。
それは、現代に生きる亜人の証明。
人の姿を持ちながら、人ならぬ異星の血を宿す種族。
「ごくろうじゃったのう、ロウ」
ロビーの奥から聞こえてくるのは、老齢にしゃがれた男性の声。
ロウと呼ばれた青年は2人の武器を掴んだまま、背中越しに一礼する。
「いや、ぶっちゃけ冷や冷やモンでしたよ。僕の指どころか、腕まで吹っ飛んで、窓突き破って飛んでっちゃうんじゃないかって、本気で思いましたからね」
「お前さんはそんなモンじゃあくたばらんわい。……さて、お嬢さん方」
130センチに満たない小さな老人が、真白い眉に隠れた瞳で2人を見つめる。
「奥に行って、熱い茶でも飲みながら話をしようかのう」
ほっほっ、と笑いながら、老人は告げた。
「まずは、自己紹介といこうかの。ワシはカナン・アジバラ。今年の試験官をしておる『円卓』の1人じゃよ」
熱い紅茶を飲みつつ3人の持参していた羊皮紙を眺めながら、カナンと名乗る老人がさらりと名乗る。
だがその発言に、リシェルもリディアも衝撃を受けていた。
「え、『円卓』って……八席円卓の1人ってこと!?」
「風の剣帝と謳われた、カナン・アジバラ……貴方が?」
「左様。じゃが剣帝などとはいっても、とうに一線は退いておる。今はただのしがない隠居ジジイじゃよ」
八席円卓。
アーク・トゥエラの中で最も優れた8人にのみ許される円卓の席。
輝かしい成果をあげた者のみがその座に至れると言われる、最高峰の称号。
「そしてこやつがワシの弟子にして、今年の候補生の1人。ほれ、挨拶せんかい、ロウ」
「はいはいっ、と」
黒髪の青年が立ち上がる。髪をかき上げるその仕草のおかげで、真紅の瞳はより一層輝いて見える。
「ロウ・ラ・ガディスです。ただいま17歳、趣味は農業で、出身はエルトニルスト。よろしくね、素敵なお嬢さんたち」
パチン、と似合いもしないウインクを投げるロウ。リディアはその行為に苦笑し、リシェルは眼を伏せて溜め息をついた。
「さて……おぬし達の剣、実に見事じゃった。あの3人は、確かにお前さんが指摘したとおり、名前欲しさの莫迦共じゃろう。去年までの試験官が荒っぽいヤツな上に、適当に決めておったのでな。ああいった輩が増えすぎたのも事実じゃ。奴らの故国にとっては残念じゃが、ワシが試験官を務める以上、あの3人は今年は失格とせざるえん」
監視カメラで音声を拾っていたのか、それとも受付の女性らから話を聞いたのか。カナンはリシェルを見ながら、沈痛な表情で話す。
「じゃがおぬしらは本物のようじゃ。互いに剣を持つ、ということの意味を知っておる。おぬしらの剣筋からは、それがはっきりと分かった。よって……」
どこから取り出したのか、大きな判を振り下ろすカナン。どぉん!! とド派手な音を立て押された3枚の羊皮紙には、「recognition(認可)」の文字があった。
「リディア・ハーケン。リシェル・ベルムント。…………ついでにロウ・ラ・ガディス。本日16時00分を持って、おぬしらを正式に国際法務省直轄聖堂機関、アーク・トゥエラの一員として認める。そして…………」
言いかけて、わざと言葉を切る。3人と1匹は次に出てくる言葉を、固唾を呑んで見守っている。
カナンはそれを見ながらにやりと笑い、たっぷりと間を空けてから。
「今日はゆっくりと休むがよい。宿舎は今日から使えるよう、手続きは済ませておる。夕食はブリュンテッドでも指折りのレストランを予約しておいた。仲良く食べて、今夜は親睦を深めるんじゃな。……そこのフードに隠れておる、おちびちゃんものう」
もそもそとリディアの髪を掻き分けて顔を出したルゥに、カナンはゆるく微笑み、席を立つ。
「明日から最初の仕事があるでのう。夜更かしは厳禁じゃぞ」
笑いながら去っていく老騎士を、3人と1匹は呆然と見送り……部屋を出て行くと同時に、リディアはばたんっ、とテーブルに突っ伏した。だがその急激な動きに耐え切れず、ルゥがテーブルの上に落下する。
「きゅっ!?」
「あっ、ごめんルゥ!」
「大丈夫? ルゥ君」
リシェルが右手を差し伸べる。ルゥはやはり警戒して匂いを嗅ぎ――――
しかし、ゆっくりとリシェルの手の上に乗ると、その手首に小さな口で口付けた。
「あはっ……」
「ルゥ君……」
「へぇ……フィリヨンが人に懐くなんて、珍しいね」
ちょいちょい、とロウが手を出すが、ルゥはととっとリシェルの腕を駆け上り、銀髪の林に隠れてしまった。
「ありゃ。僕はルゥ君に嫌われちゃったのかな?」
「だいじょーぶ、ルゥは照れ屋なの。それに女の子だから、男の人は余計にね」
「女の子だったの? ルゥなんて名前だから、てっきりオスかと思ってたわ」
銀髪の隙間から顔だけを突き出したルゥの顎を、リシェルの指が軽く撫でる。
ルゥはそれを気持ちよさそうに受け入れたかと思うと、再びリシェルの腕を駆け下り、本宅であるリディアの頭の上に陣取った。
「ま、これから仲良くなればいいさ。僕達3人も、夕食を取りながら……ね?」
「うん、さんせー」
「…………そうね。明日からのこともあるし」
3人が紅茶の入ったカップを手に取る。
控えめに掲げられたそれらは、小気味良い音を立てつつも、静かに交わされた。
それは、剣を同じくする騎士たちの、運命の出会い。
抱えた想いは違えど、星を愛する想いは同じ。
彼らの物語は、これより始まる。
第一話、完。
あとがき:
ようやく終わりを迎えました第一話、いかがだったでしょうか。
まだ身内同士の試合レベルなので、実戦には一歩及ばない戦いでしたが、書いてるうちは乗ってましたね。
現段階で最強(?)を誇るロウ。彼の実力は、作者の私も正直計りかねます。
本気で戦う、ということをしなくても、そもそもスペック自体が違うので。
乗用車がF1マシンと競争して勝てないのと同じです。勝負にならない。
では、第二話でお会いしましょう。
2006年 2月 鷹 cxmct821@yahoo.co.jp ←ご意見、ご感想の宛先はこちら。