It’s a Sword of Starlights

 

 

 

 

 真期1065年、緑の月2日。

『風国』ベレメリィア、王都タンティス・リィド城内応接室にて。

 

「では……リディア・ハーケン。貴女を本日を持って正式に、国際法務省直轄聖堂機関、アーク・トゥエラの一員として仮任命する。これより貴女はブリュンテルファに赴き、正式に承認と認可を受け、その後は然るべき任に就く。……異論はあるかね?」

 正面の席に座した中年の男性がそう言うと、リディアは姿勢を正して。

「は、はいっ! 異論ありません! リディア・ハーケン、これよりブリュンテルファへ出頭いたしますっ!!」

びしっ、と美しい敬礼が決まる。だがそれを見た相手の男性――――ベレメリィアの代表であるアドルフ・ハートリィドは笑いを堪えられなかった。

「リディア、そんなに固くなることは無い。確かに君は、このベレメリィアで数年ぶりの若きアーク・トゥエラだ。だが、私を始めこの城の多くの者は、君がこの国における過去最高の騎士になれると思っている。もっと自信を持ち、そして、いつも通りにしたまえ」

「は、はいっ」

「アドルフ。あまりウチの孫をからかわんでくれ」

 リディアの隣に座っていた彼女の祖父、ゲイン・ハーケンが口を挟む。一国の代表であるアドルフに対してこんな物言いが出来るのは、ゲインとアドルフの間にあった、ある関係が理由である。

「ゲイン先生。私はからかってなどいませんよ。何せリディアは元アーク・トゥエラのあなたの孫ですからね、期待するなというほうが無理でしょう?」

「ふん……」

不機嫌ながらもどこと無く気恥ずかしそうに顔を背け、ため息を吐く祖父を横目で見ながら、リディアは少しリラックスし、

「陛下、あたしは負けません。たとえみんなが期待してくれるほどの結果を出せなくても、そして他の誰かに負けても、自分自身にだけは絶対に」

 そう、いつもの穏やかで明るい声で伝えた。

 その言葉に満足したのか、アドルフは優しく微笑み、不機嫌そうにしていたゲインも立ち上がり、リディアの飴色の髪をくしゃっと撫でた。

「その想いを忘れないことだ、リディア。君の選ぶ道、歩む道は、どこまで行っても君だけのものだ。私たちの誘う道に従う必要はどこにも無い」

「それにお前には、そばに居てくれる友がおる。お前とともに歩んでくれる、小さな親友がな」

 ゲインの言葉に反応したのか、リディアの髪の毛がもそもそと動き――――一匹の可愛らしい『親友』が、フードの中からひょっこりと顔を出した。

「おはよ、ルゥ」

「きゅぅっ」

 華のようにほころぶ笑顔と、その頬に顔を摺り寄せる小さな親友。その姿を見て、ゲインもアドルフも自然と優しい笑顔になり、アドルフは席を立った。

「さあ、行きたまえ。君の苦難の道に幸あらんことを、私をはじめとするこの城の騎士たちは、心から祈っているよ」

 その言葉を受け、リディアはあどけなくも凛々しい表情で、深く頷く。それを受け、アドルフもまた頷き――――2人は、固い握手を交わす。

「では行って来ます、陛下」

「ああ。またいつか会う日まで、暫しの別れだ」

 

 

 リディア(とルゥ)が退室すると、アドルフはかつての恩師であるゲインに肩を叩かれた。

「すまんな。わざわざウチの孫のために、お前の手を煩わせてしまった」

「いえ……。あの子のことは、私もずっと見てきました。この国の古い言い伝えである天命の日。その時に生を受けたあの子が、一体どんな未来を築くのか……内心楽しみで仕方が無いんですよ。まぁ、一国の代表としては、さすがに公には出来ませんがね」

「そんな大層な娘ではない……あれはワシにとっては、やはりただの莫迦な孫だ」

 そう言いつつも、ゲインの表情はやはりどこか嬉しそうでもあり、同時にわずかではあるが、孫を案ずる祖父の顔だった。

 実際、ゲインにとってリディアはもう一人の孫であるロベルト以上に思い入れがある。

それはやはり彼の妻・ロベリアを思い出させる髪と眼をしており……そして、かつて自分が就いていた職業に何の因果かたどり着いてしまったが為である。

「やはり、心配なのでしょう? 今から行けばまだ、城を出る前に追いつけますよ」

「ふん…………お前はやはり、一言多い教え子だ」

 アドルフの横を通り過ぎ、わずかに――――本当にわずかに急ぎ足になりながら、ゲインはリディアの後を追いかけて退室した。その後姿を見送るかつての教え子は、すれ違いざまに師が漏らした言葉を、口の中で反芻する。

(ありがとう……か)

 あの師がそんなことを言うとは、アドルフには思いも寄らないことであった。だが裏を返せば、それだけリディアが可愛くて仕方が無いのであろう。

 本来ならばこの場に来るはずであったアランとアリシアに留守番をさせ、わざわざ出張ってくるくらいである。普段は莫迦にしていても、やはり孫は愛しいということか。

「しかし……天命の子、リディア・ハーケン……か」

 ベレメリィアに伝わる伝承。それを思い出しながら、アドルフは応接室の窓を開けた。

 

『双月満ちる夜、天の頂にて二が一へと還る時、生まれし御子は天の御子』

 

「疎は即ち星の御剣。運命(さだめ)を断ち切る、光の一振りなり――――か」

 その伝承が正しければ、天命の子はそれこそ、星の運命を左右するほどの力を持って生まれてくるという風に捉えることも出来る。

だが実際、同じ時に生まれた人間が一人ということはあり得ない。国が違えば伝承など意味を為さないが、それでも同時間帯に生まれていない、という保証はどこにも無い。他の国、またはこの国においても、同じ日の同じ時間に生まれている子どもは必ず居るのだ。

だから、所詮は『天命の子』などというのは伝承であり、伝説の一つでしかない。いくらリディアの剣の才能が群を抜いていても、それは彼女が持って生まれた才能でしかない。

「だが、あの子にはそれを信じさせる何かがある……どれほど言葉で理由をつけても、どこかで信じてしまいたくなる、何かが……」

 一国の代表たるアドルフ・ハートリィドが口にすべき独白ではないが、そう感じてしまうことは覆しようの無い事実。

 だから、その思いは他の誰にも知られぬようアドルフは自身の心の奥底に、わずかな希望とともに仕舞い込んでおく事にした……。

 

 

 タンティス駅・国際連絡線第2ホーム。

 ベレメリィアから出る国際連絡線は、不便なことに『水国』アクタハルマで乗り継ぎをしなければブリュンテルファへ行くことが出来ない。それは、かつてこのゼンポゥラが荒れていた頃に起きた戦争の名残で、エルモンデア大陸の一部がほぼ真っ二つに裂かれてしまったのである。

 その戦争の名を取って、その大断層はゲラン・ゴルテと呼ばれている。幅はおよそ2キロ、最深部は4000メートルにも達する。

 そしてその被害を辛うじて間逃れたのが、大陸西岸と東岸のごく一部。その東岸こそ、現在のアクタハルマとの中継駅・レクステーア。大断層の上に線路を作るという危険かつ大巨費を投じるよりも、より安全な施策である。

 ここで一度下車し国内線特急に乗り換え、その後アクタハルマの首都であるエルメンティスで再び国際線に乗り換える。面倒ではあるが、こればかりは仕方が無い。

 無論空路もあるが、航空機内は動物持ち込み禁止であるため、ルゥを連れて行くのであればこの選択肢は必然的に選べない。それになにより。

「まったく……飛行機が苦手とは、お前にも困ったもんじゃ。高いところは平気なくせにのぅ」

「だって窓がないから……空が見えないと気持ち悪いもん」

 むすっとしながらホームのベンチに腰掛けたリディアの前で、ゲインはやれやれといった感じで首を振る。

「そんなところまで婆さんに似おってからに……まぁ、よかろう」

言いつつ肩に下げていたバッグを開け、ゲインは小さな包みを差し出した。

「何? これ」

「アリシアが作った弁当じゃ。ルゥと一緒に電車の中で食べろ、と託っておる。それにロベルトとアランからも餞別があるぞ」

 バッグの中から取り出したのは20センチ程度の金属性の棒と、新しい携帯端末だった。

 携帯端末――――PC。正しくはPortable Computer。その名の通りの携帯コンピュータであり、一般家庭級のパソコンスペックを片手で放れる程度の軽さと形状にまで縮小した、最先端の代物だ。

 しかも、リディアに与えられたのはPCの大手メーカー・ダニフィックコーポレーション製の現行最新モデル――――の、一つ前の型である。最新モデルは発表だけはされているが、まだ市場には出回っていない。

 これをプレゼントしてくれたのはリディアの兄・ロベルト。彼の今の役職を考えても決して安い買い物ではないが、そこはそれ。妹への愛があればこそである。

 そしてもう一方の金属の棒は、父・アランからの贈り物。

「これって……もしかして、警棒?」

「うむ……娘に贈るものではないな、あの阿呆め」

「きゅぅ……」

三者三様のリアクションだが、反応はやはり渋面以外出るはずがない。

アランの贈った警棒は、ミアニウムという金属で作られた比較的軽い警棒である。6段階に伸縮し、最大全長で80センチ。各段階でロックが可能。ミアニウム製の物は一般販売はされておらず、正式な書類の手続きが無ければ使用はおろか所持も許されない。

その理由は、ミアニウムの一般的な用途は車両の外装から、軽装甲車の外装にまで用いられる。地域によっては戦士達の防具などにも用いられ、軽量ながらもその頑丈さは折り紙つきという理由である。そんなもので人間を殴ったら、骨が砕けるどころの騒ぎではない。下手に急所を突いたら死んでしまう。

これも愛ゆえにといえば聞こえはいいが、物騒なことに変わりは無い。ある意味スタン・ガン以上に危険な凶器である。

 しかも使うのはリディア。危険なこと極まりない。

「…………ま、まぁ……木剣ぶら下げてるよりは、マシだよね……?」

「いい方向に考えれば、じゃがな……」

「きゅ〜…………」

 重い沈黙が2人と1匹の間に流れる。とはいえ、いつまでもこんな物騒な警棒を人目にさらしておくのもアレなので、リディアは早々に警棒を腰に挿し、上着をかぶせて隠した。

「ゴホン……では気を取り直して。さて……最後になったが、これはわしからの餞別じゃ」

 咳払いをしてからゲインが懐から取り出したのは、紐を通した小さな水晶だった。色は淡い青だが、光の当て具合によっては何故か緑色にも見える。

「これは?」

「お守りのようなものじゃ。わしが若い頃使っておった物でな、ご利益が今でも残っておれば、いつかきっとお前の助けになってくれる……かも知れん」

「ふぅん……ありがとっ、おじいちゃん」

 太陽のような眩しい笑顔。その笑顔を見て、ゲインの脳内をリディアの幼年時代の思い出が唐突に蘇える。

 老いた指を握って離さなかった、小さな手。

木登りをしたはいいが降りられなくなって助けに行ってやった時に見た、青い瞳からこぼれる歓喜の涙。

風のように村を走り回り、転んで……泣くまいと堪えていた、泥だらけの顔。

 剣を振り、一心不乱に自分と打ち合った夕暮れ。

笑い、泣き、喜びをこれでもかと全身で表現し、飽きるということさえ感じさせなかった小さな存在。

リディアと過ごした日々は、まさしく陽だまりのように暖かな日々だった。

「立て、リディア」

「ん? なに?」

 ゲインの言葉に従って立ち上がるリディア。それと同時に。

 ぎゅうっ、と。

 ゲインは生まれて初めて、リディアを強く抱きしめた。

「お、おじいちゃん!? なに、どうしたの?」

「一度しか言わんから良く聞け。――――お前は、わしの自慢の孫じゃ。これから先、多くの苦難がお前を待っておる。じゃがお前ならきっとそれらを乗り越えられる……わしはそう信じておる」

 熱い抱擁が解かれ、祖父と孫は目線を合わせる。

「お前はお前の道を。そして、お前の信じるその道に、願わくば幸多からん事を、わしら家族もこの地から祈ろう」

「は…………はいっ!」

交わす言葉。2人は無意識のうちに互いの手を取り合い、固い握手を交わす。

同時、ホームの中にアナウンスが響き渡る。

『まもなく、2番ホームより、国際連絡線・アクタハルマ、レクステーア行きが発車致します。まもなく――――』

 首にお守りの水晶をかけ、リディアは荷物を抱えて電車に飛び乗る。そしてくるりと回れ右をして、祖父と向き合う。

「行ってきますっ!!」

「うむ、行って来い!!」

 別れの言葉はただ短く。鋼の扉が2人を分つ。

 かつて騎士であった男は、愛する孫に己が夢を託す。

 騎士を志す少女は、知らず祖父の夢を継ぎ、遥かな世界へ翼を広げる。

 希望の星剣(せいけん)は、これより北へ向かう――――。

 

 

 

第一話 旅立つ日、出会いの日<前編>

 

 

 

 『水国』アクタハルマ。この国が水の名を冠するのは、ひどく単純な理由だ。

 それは国土の70%が入り組んだ河川で出来ているためである。

主な移動手段はエアカーよりも水上船。隣国のベレメリィアと同じく、自然保護と融和を掲げ、温暖で過ごしやすく、観光地としても名高い国。そして、エルモンデア大陸でもっとも『大国』ブリュンテルファに近い国。それがアクタハルマという国だ。

 そして、その首都たるエルメンティスの国際連絡線ホームで、一人の少女が多くの人々に囲まれていた。

 背中まで届く銀髪。波打つそれはまさに銀河の輝きのごとく美しく。

 その顔は彼女の15歳という年齢に似合わぬほど大人びており、同年代には到底見られない聡明さすら漂わせている。

「リシェル様、がんばって下さいね!!」

「リシェル様!! 貴女ならばきっと、この世界最高の騎士になれます!!」

「リシェル様!!」

「リシェルお姉様!!」

 取り巻きの少女ら――――その全てが彼女を称え、また彼女自身も己の力を信じている。

 だがそれは決して慢心ではない。彼女の人となりを知っていれば、彼女がいかに優れ、秀でた存在であるかは語るべくも無い。

「安心なさい。このリシェル・ベルムント、他の者に遅れを取ることは決してありません」

 紡ぐ声は天上の調べの如く通り、聴く人々の心を震わせる。

 胸元に花束を抱えた彼女――――リシェル・ベルムントは、この国で最高の剣腕と頭脳を持つ、アクタハルマにおける当代最高のアーク・トゥエラ候補生である。

 上流家庭のベルムント家に生まれ、英才教育を受けてきた彼女は、スタートラインからして他の同世代の少年少女とは格が違っていた。

ジュニアスクール、ミドルスクールの全学年を圧倒的という言葉ですら足りないほどの成績を見せ付け、国衛騎士団に1年間の入隊をし、アクタハルマ全ての騎士の中でもっとも名誉ある称号・アクティーライツを得て、堂々のアーク・トゥエラ入隊である。

 そして性格も、驕ることなく、常に向上心を忘れぬ姿勢と、弱きを助け強きを挫くという、まさに英雄的な存在にふさわしいものであった。

人々の彼女に対する賛辞は「天才」、「王女」、「英雄」。中には彼女を皮肉でそう呼ぶものもいたが、それでも彼女の輝きは移ろわない。

『まもなく、1番ホームより、国際連絡線・ブリュンテルファ、ブリュンテッド行きが発車致します。まもなく、1番ホームより――――』

 ホームにガイダンスが響き渡ると、取り巻きの少女たちは涙を流し始めた。それはまるで、恋人との別れに涙する乙女のようであり、事実彼女らは真剣にそういう気分だった。

「泣かないで、みんな。画面の向こうであっても、いつでも会えるのだから」

「「「「はい、リシェル様……っ」」」」「――――――――!!」

 くるりと少女らに背を向け、花束から4本の花を抜き取り、背中越しに放り投げる。

 それらはすべて彼女らの胸元や髪の毛に見事に刺さり、少女らの後ろにいた大勢の人々を驚嘆させ、4人の少女らを腰砕けにした。

「では皆さん、またいつか会う日まで――――」「――!?――――――――!!」

リシェルが一礼すると同時に列車のドアが閉まり始める。人々は彼女に最後の喝采を贈り、少女たちは涙を止められな――――

「待って!! 待ってってばぁーー!!」

瞬間、ごおっ!! と凄まじい勢いの風が駆け抜け、少女たちの涙は風に舞い、散った。

そして彼女らの髪や服に刺さっていた花も――――無惨にその美しい花びらを散らした。

 全ての人の視線が一斉に風の通り抜けた方を向く。だがそこには人影はなく、小石や砂が、小さなつむじ風に乗って舞っているだけだった。

「女の子の声が、したような…………?」

 一人の男性がそう呟く。しかし、そこには誰も………………いなかった。

 

 

「……無茶をするのね、あなた」

「はあっ……はあっ……、ど、どもです……」

 呆れ果てた顔でリシェルが言うと、床にへたり込んだ女の子は息を整えながら何とか言葉を紡いで、顔を上げながら答えた。

 飴色の髪に、青い瞳。顔はかなり――――と言うか、正直言って美少女だった。

だが深窓の令嬢的な雰囲気はまるで無い。確かにそれらしいドレスを着せてみればそれはそれで似合うかもしれないが、この少女にはもっと活発な姿が……そう、先程の様に元気よく走っている姿のほうが似合っていそうだな……と、リシェルは思った。

「走り出す前で良かったわね。エイス・ルフェは人間の足でも亜人の足でも、絶対に追いつけない乗り物だから。……さ、立てる?」

「う、うん……ありがと」

リシェルが差し出した手を、グローブをはめた手で少し強く握り、女の子は一気に立ち上がった。と同時に、女の子の髪の毛を掻き分けて、小さな白毛の動物がひょっこりと顔を出し、ぐでーっとだらしなく女の子の肩に倒れた。

「まあ……白毛の小狐……フィリヨンね?」

「知ってるの? この子、あたしの友達なんだよ」

「へぇ……野性の中でも警戒心が強いって言われているフィリヨンが、ここまで人に懐くなんて……はじめて見たわ」

 指先をフィリヨンの鼻先に軽く突き出すと、フィリヨンはくんくんと匂いを嗅いでから、リシェルの顔をじーっと見て……ささっ、と飼い主である女の子の髪の毛に隠れてしまった。

「あ、もう……ごめん、初対面の人は恥ずかしいみたい」

「いいのよ。それが正常な反応だもの」

 微笑み、リシェルはすぐそばの席に着いた。彼女の乗っている車両は自由席であり、当然どこでも自由に座ることが出来る。棒立ちしていた女の子もそれに気がついたのか、肩に下げたナップサックをリシェルの対面に置き、その横に腰を下ろした。

「…………」

 窓の外を流れる景色をフィリヨンと一緒に見ている女の子を見ながら、リシェルは彼女の格好を観察する。

 右腕だけが肘まで露出した、濃紺の特殊なデザインの上着。しかも裾は長く、女の子の太ももくらいまである。そして両手にはグローブをはめており、靴などは運動性を重視したショートブーツだった。

格好や荷物を見る限りではおそらく、ベレメリィアから来た旅人だろう。フィリヨンが生息しているのはエルモンデア大陸ではベレメリィアだけだし、この歳――――おそらく、自分より1、2歳くらい年下――――ならば、ミドルスクールを卒業したばかりのはずだ。家を出て、どこか遠方に行こうとしているのかもしれない。

遠方といっても、エルモンデア大陸では主にブリュンテルファに行く人間がほとんどだ。余暇を楽しむ以外であれば、アクタハルマやベレメリィアに行く人間は多くないのだから。

「つかぬ事を聞くけれど……あなた、ブリュンテルファに行くのかしら?」

「え? うん、そうだけど……って、この電車に乗ってる人はみんなそうだよね。っていうことは……あなたも?」

「そういうことね。まぁ、ゼルノースタに行く酔狂な人も、中にはいるでしょうけれど」

 ゼルノースタ。またの名を『雪国(せつこく)』ゼルノースタ。ゼンポゥラで最も北極点に近い国である。氷土と万年雪に覆われており、夏を待っても雪解けは無いとさえ言われる極寒の国。居住人口はゼンポゥラ11国で最も少ない。

 しかし近年、氷土の下から真期以前の遺跡が発見されたとの報せがあり、一部の発掘業者や考古学者はその調査に向かっているという。

「じゃあ、ブリュンテルファに着くまでよろしく。…………えっと……」

「? ああ……」

 そういえば、お互い自己紹介がまだだった。リシェルは改めて右手を差し出して、

「リシェル・ベルムントよ。よろしく」

「あたしはリディア。リディア・ハーケン。この子はルゥ。よろしくねっ!」

 右手のグローブをはずし、互いに素手で手を握り合う少女2人。その様子を、ルゥという名のフィリヨンは飴色のカーテンの向こうからじーっと見ていた。

 

 

 

 磁気浮上式のエイス・ルフェでの旅は極めて静かに続く。わずかに聞こえる音は車両が空気を切り裂く音のみであり、そのささやかな騒音を、車内に流れるヒーリング風の柔らかな音楽が緩和し、乗客の耳を癒している。

「じゃあレクステーアからの特急で、寝てしまったの?」

「うん……でも、誰も起こしてくれないなんてひどいよね〜?」

 座席に設置してある簡易テーブルを作動させ、少女2人と小動物1匹は昼食を取っていた。といっても、ルゥは未だにリシェルのことを警戒しているようで、リディアの上着についているフードから、身を乗り出しての食事をしている。

「でもそれは仕方が無いわ。ベレメリィアとアクタハルマでは、やっぱり違うもの。特にエルメンティスは、どちらかというと都会思考に染まっているから……他人よりも、まず自分が優先なのよ」

「優しくないんだね……」

 ため息をつきながらランチボックスの中に入っているサンドイッチをつかみ、口元に運ぶリディア。そして、その一部をちぎってルゥに与える。

 ルゥはそれを、前足を使って器用に支え、小さな口で懸命にかぶりつく。

「雑食性だとは聞いていたけれど、サンドイッチなんてあげて大丈夫なの? その子」

「ん?」

 リシェルの言葉に、ぴたっと食事を中断するリディアとルゥ。当の1人と1匹は不思議そうな顔で互いを見つめているが、リシェルの疑問はもっともである。

 人間と動物では味覚が違う。人間にとってちょうどいい香辛料であっても、動物にとっては劇物になることは当然であり、逆もまた然り。どれほどリディアとルゥの仲が良くとも、両者の絶対的な違いだけは変わらない。

「ああ、味のこと? 大丈夫大丈夫、あたしが作ったんなら心配だけど、母さんが作ってくれたやつだから」

「? どういうことかしら?」

 ルゥが食べ終わるのを待ってから、リディアが苦笑いしながら話を続ける。

「あたしの味付けだとどうしても嫌がるんだけど、母さんの作った料理だけはちゃんと食べるの。それに、森で食べてた木の実や虫よりも……こっちの方が気に入っちゃったみたい。だからレシピもしっかり……ほら」

「すごいわ……細かく配分量まで書いてある」

 ランチボックスの包みに挟まっていたレシピを2人で見る。そこには事細かに説明がされており、マスタードやソースの材料、塩加減までがこれでもかと言わんばかりに書いてある。

 もちろん、地域によっては手に入らない材料などもあるが、アリシアのレシピはそれすら補う注意書きがされていた。

「リディアのお母様は、どこかでシェフをされていたの?」

「そういう話は聞かなかったけど……もしかしたら、そうなのかも」

 リシェルはリディアが差し出したランチボックスから、サンドイッチを一つ取って口に運ぶ。パンはエルモンデア大陸でもっとも有名なアパルス小麦で作られた、しっとりとして柔らかな食感そのまま。

中身の具は、ベレメリィアとエルトニルストでよく見られるニワトリの一種・フォドゥークの卵を使ったゆで卵スライスと、セェーツルというレタス。そしてベレメリィアの特産としても知られるコルジッポという食用豚から作られた、やや厚めのハム。

 その味はまさしく絶品であり、素材そのままでも十分に美味しい上に、自家製マスタードが適度に挟まれ、また丹念に施された下味により、一層旨味を引き出している。

 これほどの一品、リシェルの知る範囲でもそうはないだろうと断言できるものだった。

「これが……お母様の味、なのね……」

「うん、あたしの大好きな味。ねぇ、リシェルのお母さんは、どんな料理が得意なの?」

 わずかに身を乗り出し尋ねたリディアのその言葉に、一瞬、リシェルの表情が凍りつく。

「…………私の母は、私のために料理をしたことは一度もないわ」

「え……?」

 すうっ、と波打つ銀髪を手でかき上げる。その輝きは変わらぬ星の光を放っているが、今はどこか寂しげにも感じられる。

「母は身体が弱いわけでも、料理が出来ないわけでもない。ただ、する必要がないの。ベルムントの家に来た時点で、母の未来は上流家庭の一色に色付けられた。なら、何もせずに回りの使用人達が用意するのを待つだけでいい。自分の料理も、夫の料理も、娘の料理さえも――――ね」

 一口、リシェルはアリシアの作ったサンドイッチをかみ締める。

その表情を、言葉を。

 リディアとルゥは、ただ沈痛な想いで見ていることしか出来ない。

「だから私は知らないの。暖かい母の手料理も、その中にある、懐かしいと思える味も」

「リシェル……ごめんなさい、あたし……」

「いいのよ。リディアが悪いわけじゃないし、母が悪いわけでもない。ただ私が母の味を知らないだけ。それだけなんだから」

 ふっと微笑みながら、リシェルは手の中に残っていたサンドイッチを食べ尽くした。

「湿っぽい話になってしまったわね、話を変えましょう。そうね……自慢話になってしまうかもしれないけれど、アクタハルマの話をさせてもらっても良いかしら? ブリュンテルファまでの暇つぶしに、ね」

「あ、じゃああたしも、ベレメリィアの話をするねっ」

 かくして、2人はブリュンテルファに着くまでの残り1時間半以上を、互いの故郷について語り合うことにした。

 話は自然と弾み、アリシアの作ってくれたサンドイッチとサラダ、そして自家製の紅茶と、エスクウォルタ(エルモンデア大陸で広く飼育されている乳牛)のミルクは、いつの間にかきれいさっぱりなくなってしまった。

 

 

 

 

なかがき:

 第1話だって言うのに予想以上に長くなっています。みなさんこんにちわ。

この物語はいかがでしょうか。かんっぜんに作者の世界独走状態なので、多くの方はついて行けない事と思います。

なんにせよ、見せ場であるはずの戦闘描写が現段階でゼロってのがアレですなぁ。

 後編はガッツリ戦いますよ? ぶつかり合う剣と鋼。めまぐるしく駆け巡る2人。

 インフルエンザでくたばってたので、何とか盛り返すぞぉー。おーっ!

 

2006年2月 鷹  cxmct821@yahoo.co.jp ←ご意見、ご感想の宛先はこちら。