B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
八月十一日。午前六時という、普段ならば明らかに寝過ぎな時間帯に謙悟はうっすらと瞼を開き、目を覚ました。とはいえ日課のロードワークをしないと
しても、朝の六時というのは十分早起きといえる時間帯である。夏休みになって朝のラジオ体操の為に麻那が起きる時間である事を考えれば、それを十分に
理解して頂ける事だろう。
目だけを動かして謙悟が隣を見ると、驚いた事に冴霞がいない。いつも謙悟の方が起きるのは早いのだが、今日ばかりは先を越されたようだ。ほんのわず
かに残る彼女の香りをすっと吸い込んで、謙悟はそのままベッドから飛び起きる。
朝ともなれば身体の機能が低下するものだが、謙悟の身体はそうした負荷をあまり感じることなく起きる事が出来る。もちろん健康に良くないことは謙悟
自身も自覚しているのだが、最早生活習慣の一部として身についている動作に関しては、よほど怠惰な習慣を染み込ませなければ問題ないと呼べるレベルに
まで達しているという。つくづく常人離れというか、非常識な身体に成長したものである。
「どこに行ったのかな……下か?」
ぐっ、と軽く身体を解しがてら背伸びをする。天井は高いが百八十センチを超える謙悟が両手を伸ばして伸びをすれば、下手をすると天井に手がついてし
まう。おかげで母にはいつも蛍光灯の交換役を命じられたりしているが、それはさておき冴霞を探さなければいけない。
謙悟よりも早起きしたからには、もしかしたら昨夜彼女が言っていたように悪夢を見たのかもしれない。それで不安がっているとも考えたが、だとすれば
彼女の性格からして自分の傍から離れるような事はしないはずだ、と謙悟は考えた。怪談とも呼べない怪談で怖がり、自分に抱きついて来る冴霞が、悪夢を
見たとすればおそらく子どものように謙悟に抱きついて、そのまま自分が起きるまで震えていた事だろう。少し前まではにわかには信じられないような光景
だが、今はそうとしか思えないくらいに冴霞の事を理解している。
しかし、謙悟はまだまだ甘かった。階下にいるであろうと予想した冴霞は予想通りに一階におり、キッチンからは米の炊ける豊かな香りと味噌汁の懐かし
い香りが入り混じる中で長い髪をさらさらと揺らし。
今村冴霞は、エプロン一枚で朝食の作成に励んでいた――――。
「……………………」
「あとはぁ、お魚さんとお漬物♪ …………?」
気配に気づいたのか、ぴたっと冴霞の動きが止まり、二人の視線が合う。少々寝ぐせのついた頭の謙悟は頭の中まで真っ白になり、冴霞は手に持っている
漬物の入ったタッパーをぽとん、と床に落としてしまう。幸いな事に蓋が外れていなかったため、中身の流出は避けられたが。
だが、そんな些細な事はどうでもいい。謙悟にとってなにより重要な事は、最愛の恋人が朝も早くから破廉恥極りない格好をしている事であり、既に覚醒
済の脳を十二分に目覚めさせて余りあるその姿に少なからず、邪な考えを抱きかけているという自身の変化を抑える事をおいて他無い。
「冴霞、なんて格好――――」
「あっ、え、あ、あの、これは……って、お漬物っ」
しゃがみ込んで転がっていたタッパーを拾おうとする冴霞。謙悟はその時すでに冴霞の傍まで歩み寄ろうとしていたため、彼女の後姿を直視してしまう形に
なっていた。咄嗟に目を背けようとするも、視界に映った像は肌の色ではなく、下着の白色だった。
「……って、ちゃんと着てるのか…………」
安心したような、残念なような、複雑な気持ちで溜め息を吐く。冴霞はタッパーを台所に置くと、もぞもぞと恥ずかしそうに身を屈める。
「えっと……朝からこんな恰好でごめんなさい……今、パジャマは洗ってます。結構汗かいちゃいましたし、昨日も洗ってませんでしたから。でも朝ご飯の
用意はちゃんとしておきたかったので、下着の上からエプロンだったんです……自分でもはしたないのは分かってるんですけど……」
うぅ、と気弱な呻き声が上がる。そんな姿を見せられては、謙悟のうちに芽生えつつあった思考もきれいさっぱり霧散してしまい、膝を屈めて腰を曲げ、
冴霞と目線を合わせて優しく微笑みかけた。
「だったら、俺の服を使ってくれてよかったのに。下着エプロンよりはよっぽど健全だと思うけどな?」
「それも考えましたけど……男の人って、こういうのが好きだって聞きましたから。さ、さすがに、裸で着る勇気はありませんけどっ」
すっと姿勢を正し、くるんと一回転。長い髪がふわりと踊り、巻き起こした風が朝食の香りを広げていく。ブラジャーもショーツも身につけてた上から、
さらに自宅から持ってきたという純白のエプロン。俗に『男の夢』と称される裸エプロンには一歩及ばないが、普段の姿を残している分むしろわずかではあ
るものの身近に感じられるかも知れない。
「ん〜……まぁ、朝からいいものがみられて良かったよ。でももし裸だったら、多分鼻血噴いて倒れてたかもな」
「それはないですよぉ……って、謙悟くん!?」
冴霞が慌てて駆け寄り、未使用の布巾を謙悟の鼻下に当てる。何かと思った謙悟だが、かすかに濡れた感触があった。それも少々の粘り気を感じる。
「謙悟くん、鼻血……出てます」
「え゛……マジか」
冴霞の宿泊三日目、謙悟の精神は彼自身が思う以上に摩耗しているようだ。
そして、明日がその最終日。共に過ごす四日間はあと二日で終わりを迎える。長いようで短い同棲生活は、カウントダウンを刻み始めていた。
BGM EXTRA AFTER EPISODE
Lovely Cohabitation
第9話 Goddess in Amusement Park(前編)
「大丈夫ですか?」
一応の止血をしてから朝食を終え、謙悟のシャツだけを着てきた冴霞にリビングで膝枕をされた謙悟は、その柔らかな感触を堪能しながら、こちらを覗き
込んでいる彼女と視線を合わせて鼻に詰めているティッシュを抜いた。
「ああ、もう止まったみたい。でもこの体勢だと、また出ちゃうかもな」
「そうそう何度も出してたら、鼻の粘膜がボロボロになっちゃいますよ? お薬塗った方がいいんじゃないですか?」
「……悶え苦しむからイヤだ」
仏頂面でそう言うと、冴霞はくすっと可愛らしく微笑んで謙悟の頭を撫でる。細くしなやかな、長い指。少し視線をずらせばシャツの裾から見え隠れして
いるのは、デザイン重視の白い下着。下着エプロン姿に対する羞恥はあっても、シャツに隠れた下着を見られる事に抵抗が無いというのはおかしな話だが、
冴霞自身ひょっとしたら見えていないと思っているのかもしれないので、謙悟は敢えて言及しない。
「まだ、朝の八時ですね。今日はどうしましょうか? お家でゆっくりします?」
それを望んでいるようにも聞こえる問いかけだが、謙悟としては昨日の冴霞と同様に少々予定があった。『それ』に誘う切っ掛けは夏休み中にも何度かあ
ったものの、出来たばかりの友人との交遊を優先していたためになかなか言い出せなかったというのが理由である。
それを今言ってしまわずにいつ言うのか、という強い意志で決断し、謙悟は手を伸ばして冴霞の頬に触れた。
「? どうかしましたか?」
「冴霞……今日は、デートしよう。普通のカップルがするような、ありきたりなデート」
その言葉に驚いたように、冴霞はきょとんとした顔で謙悟を見つめる。パチパチと瞬きを繰り返し、謙悟の手に自身の手を重ねて、そっと握ってくる。
「ありきたりなデート……映画を見たり、食事をしたり、ですか?」
「それもアリだけど。実はこの前、七月のバイトで遊園地の招待券貰ったんだ。その時はあんまり興味無かったけど、冴霞と出掛けられたらと思ってずっと
持ってた。ちょっと子どもっぽいけど……どうかな?」
陽乃海市にある遊園地は、陽乃海海水浴場からもその大観覧車の姿が確認できる。正式名称は陽乃海シーランドといい、水泳施設の併用も行われている。
この影響で陽乃海スポーツセンターのプールが過疎化しており、単純に水泳だけならば一般的なプールと料金的な差はそれほどない。
だが、遊園地部分に関してはそれなりの額が要求される。大人(中学生以上)は夏季期間三千円。これが無料で二枚というのなら、高校生である謙悟にと
ってはそれなりに高価なプレゼントといっていいだろう。
謙悟の方からデートに誘う。既に濃密な恋人関係にある二人にとって、これは実は初めての出来事である。今までは冴霞の方から『一緒にお出掛けしませ
んか』というような具合で提案され、謙悟がそれに賛同するという形が常だった。ならば今回の初めてのお誘いに対して、冴霞が告げる答えは――――
「い、行きます!! 遊園地だろうと水族館だろうと、例え富士の樹海だって、謙悟くんと一緒ならどこにでも行っちゃいます!!!!」
膝の上に乗ったままの謙悟に詰め寄り、紺青色の瞳を歓喜に輝かせる冴霞。その勢いにやや気圧されるものの、やはり誘ってよかったと思いながら謙悟は
冴霞の手を握り返した。
しかし、二人が多くの人間が集まる遊園地に遊びに行く上で、一点だけ解決しなければいけない問題がある。
新崎謙悟と今村冴霞は、彼らの家族と一部友人たちには公認の恋人同士ではあるものの、その他大勢――――特に陽ヶ崎高校の学生・教員たちには、まだ
その関係は浸透していない。またそうした人たちは彼らが交際しているなどとは、夢にも思っていないのだ。
事の発端は、謙悟が起こしてしまった不幸な事故にある。二学期からは陽ヶ崎高校を去り、既に八月の段階で県内にその籍を置いていない教員である朝岡
哲史という剣道部顧問を務めていた男を、謙悟は階段から転落させ負傷させてしまった。それ以前から謙悟は優れた武術の技能を習得していながらそれを学
校生活、部活動に活かそうとしていない不良学生という風評も相俟って、負傷した朝岡と教育指導部顧問の村上功教諭は共謀して謙悟を停学処分に処そうと
していた。それを目撃者という証人であり、また陽ヶ崎高校生徒会長である冴霞が教頭、校長に根回しをして救い出したことで事なきを得、素行監督という
意味合いで謙悟は生徒会役員の一員として冴霞の管理下に置かれる事になった。
そんな二人が現在交際しているとなれば、あらぬ尾ひれが噂に生えて悠々と空を駆け巡る事は想像に難くない。遊びたい盛りの学生も数多く集まってくる
であろう遊園地で二人が並んで歩いている姿が目撃されれば、それはもはや言い訳のしようもない。
謙悟としても冴霞としても、自分の事はいざ知らず互いに危害が及ぶような事態は避けたいと思っている。お互いがお互いを想う事でより強く『守りたい』
という気持ちが生まれているからこそ、互いに解決方法を思案する。
そしてその解決策として、二人が考えたのが――――古来より用いられる方法であり、またその効果も十分に期待できる方法であった。
「これで、よしっと」
長い黒髪を三つ編みにし、そして野球帽を頭にちょこんと乗せる。薄手のインナーとその上から羽織るだけのサマーパーカーに、下は膝上十センチ程度の
フレアスカート。長い脚線はそのまま見せて、ヒールがやや低めのレディースサンダルを履いている。
冴霞が取った方法とは、一番シンプルかつ有効な手段である変装だ。今村冴霞=結んでいない長髪というイメージを根底から覆す髪型であり、またラフな
服装ながらもきっちりと女の子しているというのも、普段からスカートよりもパンツルックが多い冴霞との差を見せている。
父から高校入学祝いに貰った腕時計を身につけて、ショルダーバッグを肩にかければ準備完了。一方の謙悟も、冴霞とデートする時には必ず身につけるヴ
ィンテージジーンズと革靴、シンプルなシャツと極薄の半袖上着に袖を通して、軽く整髪料をつけて出発準備を終わらせる。
所要時間は約一時間程度。これからバスを乗り継いで最寄りのバス停まで行き、そして当たり前の恋人同士らしいデートを堪能する。これから先も同じよ
うに変装してデートするのかと思うと、正直げんなりしてしまいそうになるが。
「ま、ほとぼりが冷めれば」
「いつも通りの私たちで、行けるようになりますよね♪」
カチャン、と玄関を施錠して鍵を冴霞のバッグにしまう。そしてまだしていなかった、朝の挨拶と確認の儀式を。
「それじゃ、デートを楽しもう」
「はいっ」
ふんわりと口づけを交わし、体温を確かめ合う程度の優しい口づけ。それを合図に、この夏初めての『恋人らしいデート』が始まった――――。
後編へ続く
あとがき:
唐突に前後編になりましたが、今まで二人がした事のない「
都合上、 前後編にして前編はプロローグ、
一番の衝撃 は下着エプロンですが……そろそろ、
噴いてしまうほどに耐えている 彼が爆発したら、
管理人の感想
LC、9話の前編でしたー^^
まだ周囲に関係を隠している二人にとって、遊園地デートは初めての「普通のデート」。
ありきたりな、しかしだからこそ大切で愛しく思える時間。後編では、しっかりと我々読者に見せつけてくれることでしょう。
謙悟の方は何も変装していないようですが・・・まあ周囲の同じ高校の生徒からしても、謙悟の横に居るのがだれなのか分からない限りは問題ないか。
それよりも、そろそろ謙悟の理性も限界のようで。無意識の内に鼻血が出ているのは、相当やばい証拠では・・・?
次回、謙悟の中の「漢」が覚醒の咆哮を上げる―――。(嘘です)