B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Long Vacation

 

 

 

 生温い風が髪を揺らし、しかしじっとりと背中にかいた汗のおかげか、風に触れた個所の熱がわずかに下がるのを感じながら、彼女は溜め息をついた。

 ちょっと買い物に出るだけのつもりだったが、やはり彼から離れたのは拙かったかも知れないと今更のように後悔している。安全な街だからという安易な

思い込みもあったが、やはり夜になればそれなりに物騒なものも出てくるのだ。

 例えば、そう。

 生活環境の良くない不良だの、女性を金銭で買う者だの、力で相手を押さえつける者だの。

 極力関わらないようにしていたそういう存在でさえ、彼女の魅力は容易に惹きつけてしまう。貞淑な女性であり、またただ一人の男性に操を捧げた身で

あっても、やはり周囲の目からすれば彼女は間違いなく情欲を掻き立てられる存在であり、そうした彼女をつけ狙う者も少なくはない。

「早く、帰らなくちゃ……」

 誰ともなく、自分に言い聞かせて歩き始める。先ほどまで背後に聞こえていた足音は、今は聞こえない。自意識過剰なのかも知れないな、と苦笑しながら

早歩きで帰路につき、彼が待っている家を目指す。

 彼には内緒にしていたが、最近彼女の事を追い回している相手がいるようなのだ。だがその姿をハッキリと見たわけではないし、勿論勘違いという線も

十分考えられる。たまたま目的地に向かう途中までが同じだけだったのだろうし、それを証明するように足音も途絶えたのだから。

「…………っ」

 意を決して、後ろを振り返る。間隔の空いた電灯だけが寂しく路地を照らし、その淡い篝火に誘われる虫たちが群がっている。彼女以外の存在はただそれ

だけで、人の姿はやはりどこにもない。

「気のせい、ですよね……」

 ほっと安堵の溜め息をつく。ついさっきも溜め息をついたな、と少し落ち込みながら、彼女はここ最近で流行っているある『噂』を不意に思い出した。

 なんでも、この夏になって妙な事件が多発しているのだという。いや、事件と言うほど大袈裟なものではないが、学生たちの間で実しやかに囁かれている

それは、いわゆる怪奇現象――――怪談の類に分類されるものだった。

 

 話の概要はこうだ。ある犯罪者……率直に言ってしまえば痴漢だが、その男がいつものように標的を物色しているところ、年頃の少女に目を付けた。

 大人しそうで、身長も平均的。取り立てて優れているわけでもない容姿の少女だからこそ、獲物としては申し分ない。突出した容姿は逆にリスクを伴うと

判断した男は、努めてこうした少女ばかりをつけ狙う事にしていた。

 暗い夜道、気配を忍ばせながらも錯覚と感じられる程度に自己の存在を主張するように、時折足音を立てる。少女も最初は気にも留めていない様子だった

が、十数分間もそれが続けば足早になるというものだ。男はそれを見越して先回りし、人気は無いものの照明で明るく照らされている公園で、事を起こそう

と決めていた。

 予想通り、少女はこの公園を通る道を選んだ。暗い道よりも少しでも明るい場所を通りたいという心理は誰にでも働く作用であり、例えそこが不慣れな場

所だろうと、恐怖という魔物から逃れるためならば選択を厭わない。

 かくして男は少女を捕獲するべく生い茂った茂みと隣接する自動販売機から身を乗り出し、華奢な少女を後ろから羽交い絞めにした――――はずだった。

 天地が逆転する。硬いアスファルトの上に叩きつけられる。腕を捻り上げられそうになり、力任せに振りほどいた。

 男は見誤ったのだ。外見だけで標的を選んでいたことが裏目に出た。少女が護身術を嗜んでいる事を見抜けなかった。体格の優れた者が強いのではない、

体格に恵まれなくとも努力した人間こそが強い。そんな綺麗事のような正論に背を向けて這うように逃げ、そして。

 暗い道から光を求めた男は、眩い光の中に包まれて吹き飛んだ。

 ――――交通事故。重量級のミニバンに撥ねられ道路を転がり、運悪く追い抜き車線にまで飛び出してしまった男はもう一度車に撥ねられて絶命した。

 車を運転していた人間も非難は受けたが、あくまでも事故である事と、男の素性が割れる事で追及は無くなった。大元の発端となった少女はわずかに心に

傷を負ったが、そもそも相手の顔もまともに見ていない状況では、死んだ男が自身を痴漢した男だと結び付けられるはずもない。

 いや、発端と言うのならばそもそもは、男自身が招いた自業自得。そしてそれは男自身も深く思い知らされた。

 故に、今際の際に彼は誓う。

 今度は上手く行く。上手く行かせる。往生など出来るはずのない漆黒の意志を以って、男は再び現世(うつよ)を渇望する。

 以来、男が最後に通った道には怪異が起きるという。今しがた通り過ぎた塀にも『痴漢に注意』という張り紙がされており、過去の名残か今への警鐘か、

男の遺した負の遺産はなおも続いている。狙われているのは若い女性というカテゴライズのみであり、特に平均的な者から突出した容姿の者まで、その魔手

は相手を選ばない。

 

 そうして、また。

 コツ、コツと響く足音に紛れて。

 ズル、ズル、と引き摺るような音が近づいて――――夜道を歩く、彼女の肩を叩く。

 

 

 

BGM EXTRA AFTER EPISODE

Lovely Cohabitation

 

 

第8話 Nightmare is run away , by Her Knight

 

 

 

きゃああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!!!!!!

 真横で上がる大絶叫に、謙悟は耳を塞ぐ事の出来ない己の体勢を深く後悔していた。

 部屋で一緒に昼寝を済ませて、夕食もテイクアウトしたピザを消化した謙悟は、ベッドの上で上半身だけを起こしてテレビを見ていた。夏という事でお決

まりの話題となれば長時間の特番か、あるいは風物詩として代表的な怪談くらい。そう思ってリモコンを操作してチャンネルを回していたところ、午後八時

のゴールデンタイムに狙い澄ましたようにこんな番組があった。

『実録! 再現! 恐怖の怪談百二十三連発!! 撮影中にも多数のアクシデント発生!? 本格除霊師も遂に登場!!』

 一目で鼻で笑ってしまう馬鹿馬鹿しいタイトルであり、突っ込みどころ満載でしかないそんな番組をわざわざ選んだのは、ちゃんとした理由がある。それ

が今現在、謙悟が耳を塞げないでいる最大の原因となっているタオルケットの存在だ。

 タオルケットは謙悟の前でかたかたと小刻みに震えながら、しかしこれでもかと言わんばかりに絡みついて来ている。雰囲気を出すためにわざと照明を落

としていることで普段よりも密着度が上がっているが、それもまあ無理からぬ事でもある。

「えっと……冴霞ちゃん? 大丈夫ですかー……?」

「〜〜〜〜…………っ」

 ふるふると身体をゆするタオルケット。その頭と思われる部分がはらりと落ち、中から現れたのは、涙目になっている今村冴霞その人だった。冴霞はタオ

ルケットに包まったままの状態で腕を謙悟の身体に巻きつけ、一瞬たりとも離れたくないという意思表示をこれでもかとばかりに主張している。先の怪談話

が始まるまでは謙悟の脚の間に、後ろから抱っこされるような形で座っていたのだが、番組が始まってからというものずっとこんな感じだ。

 ここまで分かり易ければ、謙悟もかなり早い段階で一つの事実に気づいていた。

『冴霞って、怖いの苦手?』

『はぇっ!? にゃ、なにを言ってルンですカ謙悟くン!? わ、わワ、私が怖い話が苦手だナンて、あ、ああぁ、有り得ないでスヨ!!?』

 正直、「うわー、地雷踏んじゃったよ俺」と後悔したが、怖がる冴霞というのも見てみたいという好奇心には勝てず、謙悟はそのままリモコンをベッド横

のサイドボードに置いて、視聴を続けた。そしてちょっとからかい目的で先程の話のオチが来る際に、同じタイミングで肩を叩いたところ――――先の、

耳を劈(つんざ)く大絶叫を頂戴したというわけである。

「ごめんごめん、もう意地悪しないから。見たくないなら他のチャンネルに変えるし、な?」

 宥めるように柔らかで指通りの良い絹髪を撫で、目元に浮かんでいる涙を指で拭い取る。同じくサイドボードに置いていた照明のリモコンを操作して明る

さを戻すと、ようやくまともに顔を見る事が出来た歓びから冴霞は少し謙悟から離れ、上目遣いに彼を見上げる。

「…………うぅ〜」

 頼りなさげなうめき声と、苦情満載の不機嫌顔。女の子座りになって謙悟と向き合っている冴霞は、無言でぽすっと謙悟の胸板に弱々しい拳を打ち込んだ。

それを左手でやんわりと引き離し、優しく包む謙悟の手。その手に冴霞の拳も甘えるように絡みついて、当たり前に恋人つなぎに変わる。

「怖いの苦手なら苦手って、言ってくれればいいのに。俺、冴霞が怪談とか苦手だなんて、今まで知らなかったんだから」

「だ、だって……お化けが怖いなんて、子どもみたいじゃないですかぁ…………そ、それにっ、ちゃんとした理由だってあるんですからねっ!?」

 ぷぅ、と頬を膨らませながら謙悟に詰め寄る。肩に羽織ったままのタオルケットを空いた右手で引き寄せ、謙悟は自身と冴霞を柔らかな感触で包んでから

こつんと額を突き合わせた。

「うん。じゃあ教えてくれるか? 冴霞が怖いの苦手な理由……」

「…………私の父方の実家って、東北にあるんですけど、結構古いお屋敷なんです。父の話では近隣一帯の大地主で、言葉通りに地元の名士だそうです」

 冴霞の父・今村稔臣の本家は東北地方にある。奥羽山脈のお膝元という表現が当てはまるような場所であり、近隣には温泉も湧いているという。その地を

管理しているのが稔臣の母方の実家である神宮(かみや)家で、本家から嫁いだ稔臣の母、即ち冴霞の祖母である今村三重は分家扱いを受けているが、神宮

の女傑であるという話は今も地元では語り草になっており、老いてなお壮健だという。

「それで、毎年っていうわけじゃないんですけど、夏のお盆には本家に集まるという家族行事がありまして。私も小さい頃には父と母に連れられてお婆様に

会いに行ったり、遠縁の従姉妹たちと遊んだりしてました。あ、ちなみに従姉妹はみんな女の子ですよ? 朱鳥(あすか)姉様と叶慧(かなえ)姉様には、

とても可愛がってもらいました」

「ネエサマって……」

 稔臣の役職と立場からも薄々感じてはいたが、冴霞はどうやらかなりのお嬢様のようだ。従姉を「姉様」、祖母を「お婆様」と呼ぶ事からもかなり厳しい

躾を受けてもいるのだろう。だが本人はそうした振る舞いを微塵も見せず、自身がそうした立場にある事をひけらかすような愚行も犯さない。そして謙悟も、

冴霞がお嬢様だからといって見る目を変えるような事はしない。

「って事は、そのお父さんの実家でお化けを見たのか? それで……」

「…………はい。夜中、真っ暗な雲に覆われて月も見えない中で、トイレに起きたんです。場所はちゃんと分かってましたし、わざわざ父や母を起こして

ついて来てもらうほど、もう子どもじゃありませんでしたから。でも……ふと、廊下から庭を見たら…………」

 ごくり、と謙悟も思わず喉を鳴らして唾を飲み込む。語り手である冴霞も当時の記憶を思い返し、また同時に蘇る恐怖の記憶に肩を震わせている。

「冴霞、怖いなら無理に話さなくていいから。冴霞がそういう、怖い目に遭ったっていうのは分かったし……俺は冴霞に、辛いことを言わせたくない」

 きゅっ、と冴霞の手を握り、優しい眼差しを向けてくれる謙悟の姿に、冴霞は思わずときめいてしまう。

「……ありがとう、謙悟くん。でも、その後も時々ですけれど悪い夢を見るようになったんです。怖い話や、そう言ったモノを見た後はかなり頻繁に。だか

ら……、多分、今夜も……」

 悪夢に、苛まれる。それが今夜起きるとしたら、原因は間違いなく謙悟にあると言っていいだろう。冴霞自身も意地を張って怪談を見た、という責任はあ

るが、そもそもの発端はやはり謙悟だ。責任を感じたというのも勿論あるが、今の謙悟がするべき事があるとすれば、それはただ一つ。

「冴霞……」

「? あっ……」

 右手でとん、と背中を押して冴霞の体勢を前のめりにさせ、そのまま右腕を使って抱き寄せる。左手は変わらず繋いだままだったが、より近くでの触れ合

いを求めて一度解け、冴霞の両手は謙悟の首に。謙悟の両手は腰から回され、吐息が触れ合うほどの距離にまで近づいた。

「見てしまう夢は、俺にはどうしようもないけど……せめて、こうして少しでも冴霞が不安になったり、怖くなくなるのが軽くなって欲しいから……ゴメン

な、こんな役に立たない思いつきしか出来なくて」

「そんな事……ないですよ。謙悟くんが傍にいてくれるなら、きっと今夜は良い夢が見れちゃうと思います。もしかしたら、夢の中でお化けを追い払ってく

れるかもしれませんよ? 悪夢を追い返す騎士みたいに……」

 ちょっぴり乙女チックな事を言う冴霞が珍しく、謙悟も思わず吹き出してしまう。それを不満に感じた冴霞だが、確かに今の台詞は自分でも乙女が過ぎる

代物だと、同じように笑わずにはいられなくなった。

「じゃあ騎士として、お姫様をお守りいたします……誓いのサインはどちらへすれば良いですか?」

「それは……本来なら、こっちですけど」

 首の後ろに回した手を解いて、右手の甲を差し出す。確かに古式ゆかしい外国映画などでも見られる描写に、手の甲へのキスがある。だが冴霞はその手を

ゆっくりと自身の顔に持って行き、人差指で唇に触れた後、その指を謙悟の唇にそっと触れ合わせた。

「やっぱり、私はこっちが良いです……ダメですか?」

「いいえ、仰せのままに…………冴霞様」

 求めに応じたというのは建前に過ぎないくらいに熱情を込めた口づけ。口唇を重ね、何度も何度も互いに求め合う。そんな甘いひと時を過ごしている内に

時間は過ぎ、怪談話を変わらず提供し続けているテレビは、いつの間にやらCMを迎えようとしていた。

 

 

 

 時刻は午後十時半となっていた。眠るには少々早い時間ではあるが、明日も変わらずロードワークをするのならこれくらいに眠っておかねばならない、と

判断した冴霞は早々にベッドに横たわるものの、半端な昼寝の為にまだ眠れるほどには眠たくない。謙悟もそれは同様で、少し話し合った結果、明日のロー

ドワークは中止にする事にした。

 その代わりというわけではないが、出来る限り早起きして朝食と昼食を作ること。そして洗濯を終えたら二人で出掛ける事を約束したのだ。

「明日のご飯は何が良いですか? 腕によりをかけて謙悟くんの好きな物、出来る限り作っちゃいますよ?」

「張り切ってくれるのは嬉しいけど、あんまり大した材料は無いからなぁ。冴霞の創作料理の方が楽しみだ」

 風呂上がりの謙悟にしな垂れかかってくる冴霞の甘い香りに浸りながら。

 謙悟の爽やかな、優しい香りを全身で感じながら。

 長いようで短い四日間は、ようやく半分の二日目を終えようとしていた。





あとがき:

冴霞の弱点が明らかになった今作でした。実はBGM本編を書いてる最初期からあった設定ですが、
これを上手く 消化していなかったので、二人っきりの状態であるこの連載にて暴露。意外と弱点の多い子ですが、
やっぱりそれ を救ってくれるのも騎士さまのお役目? 序盤の怪談話の方が手こずったのはここだけの話……。
次回はいよいよ三日目。お出かけの予 定ですが、果たしてどこへ行くのやら??


管理人の感想

BGMのLC、第8話でした!
いやぁ、相変わらず書き方が上手い。序盤の「彼女」を冴霞だと勘違いしたのは、私だけではないはず。
そして、冴霞の意外な弱点が露呈されたお話でした。意外・・・でもないのかな? なんとなく、イメージ通りなような気もしますし。
題名通りな展開でしたね。意訳すると、「悪夢は去った。彼女の騎士によって」といったところでしょうか。
で、その後はいつも通りの甘々タイムっと。まだ、二日目。うん、そろそろ胸やけがしてきたよ!(笑)



2010.2.4