B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
陽乃海自然公園からの帰宅途中、朝市と称して早朝営業しているスーパーでいくつかの食料を買い、新崎家に帰ってきたのは午前六時半過ぎだった。他の
家も徐々に起きてくる気配を漂わせる中で、謙悟は汗とミーシャの体当たりによって付いた汚れをシャワーで洗い流し、その間に冴霞はロードワーク時の
姿のままで朝食の準備をしていた。
腰には謙悟から借りている防寒用のジャージ上着を結び、スパッツと半袖Tシャツ。髪の毛は結んでいたのを解いて、いつも通りのストレート。楽しげに
鼻歌を歌いながら、軽く火を通したベーコンと半熟タマゴをスライスし、出掛ける前に下ごしらえを済ませていた生野菜サラダを使ってサンドイッチを作成
していく。和食を得意としている冴霞だが、洋食の方も一通りのものは作れる。本当なら今日もご飯とみそ汁という、日本の古式ゆかしい朝食にしようと
思っていたところ、準備にかかる時間を考慮した結果洋食に変更している。
「あとはコーヒー、と……」
スイッチを入れておいたコーヒーメーカーを見てみると、四杯分のコーヒーがガラス容器に出来あがっている。食器棚からマグカップを二つ取り出し、
シュガーポットと牛乳をテーブルの上に置いて準備完了だ。新崎家のキッチンに立つのも慣れたもので、冴霞の記憶力ならば何がどこにあるかを把握して
おくのは、そう難しい事ではない。そして今しがた用意したマグカップも、謙悟が愛用している物だという事もきっちり覚えている。
「お、もうすぐ出来そうだな。何か手伝う事ある?」
風呂上がりの謙悟が、下はジャージ、上半身裸のままで戻ってくる。汗もお湯もしっかり拭き取ってはいるが、まだ熱までは冷めていない身体を少しでも
涼ませる為なのだが、がっしりと作りこまれた筋肉は無駄が無く絞り込まれ、ある種芸術的でさえある。
「こっちは大丈夫ですよ。……あ、そうだ。謙悟くんはこのカップを使いますけど、私はどれを使ったらいいですか?」
「どれでも、好きな物使ってくれて良いよ。俺が前使ってたヤツがまだあるから…………これ」
謙悟が食器棚の奥から取り出したのは、今使っているステンレス製のものとは違うスタンダードな白のマグカップだった。色移りもしておらず、清潔な
状態で保存されている事は見ただけで分かるし、どこも欠けていない美品だ。
「綺麗なカップですね。大事に使っていたのが良く分かります」
「じゃあ早速、湯上りの一杯を頂いてもいいですか?」
自分のマグカップと冴霞に渡したマグカップをシンク台の上に置き、コーヒーを要求する。冴霞はくすっと微笑んで、コーヒーメーカーからガラス容器を
取り外しゆっくりと注いでいけば、キッチンの中に豊かな香りが広がっていく。
「でも、お風呂上がりで熱いのに、ホットコーヒーでいいんですか? アイスコーヒーにしてもいいんですけど……」
「コーヒーは熱い方が好きなんだ。それに、汗はもう引いてるし」
コーヒーの香りに誤魔化されているだけかも知れないが、確かに今の謙悟からは汗のにおいはしない。むしろシャワーを浴びていない分、冴霞は自分の
方が汗臭いのではないかと思ってしまった。
「……私、今からちょっとシャワー浴びて来ます」
「飯食ってからでもいいだろ? 後になったら、いくらサンドイッチでも美味しくなくなるし」
生野菜を使っている分、サンドイッチの味の劣化も速い。だが冴霞にしてみれば汗の臭いは冗談抜きで死活問題だ。謙悟の前ではいい感じにだらしない
所も見せるようになっているが、不潔である事を許せるほど堕落してもいない。
「だって……汗臭いの、イヤですから……」
「汗臭いって……」
ぐい、と謙悟が冴霞を引き寄せて、首筋に顔を近づける。長い髪の中に潜るような体勢からゆっくりと下に移動し、シャツの襟元まで到着すると、そこで
ようやく謙悟は顔を上げた。
「汗臭いどころか、冴霞のいい匂いしかしない。気にする事、全然ないよ」
「は、はぁ、はいぃ……」
不意打ち過ぎる攻撃に、冴霞はふにゃふにゃになって倒れそうになる所で、何とか踏み止まって謙悟に寄り掛かった。
「そんな事気にするなんて、冴霞はホント可愛いなぁ」
「……むぅ。わざとあんなことするなんて、酷いです……謙悟くんのいじわる……」
ぐりぐりと謙悟の胸板に頭を押し付け、子供じみた抗議をする。謙悟はそんな可愛らしい姿に密かにときめきながら、冴霞の髪をそっと撫でた。
BGM EXTRA AFTER EPISODE
Lovely Cohabitation
第6話 KALEIDOSCOPE
朝食の後は冴霞がシャワーに行き、その間に謙悟は昨夜言った通りにシーツの洗濯をスタートさせ、洗濯機任せのまま食器の片付けをしていた。食洗機
から昨夜使った食器を取り出し丁寧に拭いて棚に仕舞い、また今し方使用した食器を代わりに入れていく。そこまで終わればあとは食洗機に洗剤を入れ、
スタートボタンを押すだけで作業は終了する。
「ふぅ……あとは、アサガオの観察日記か」
麻那が置いていった観察日記の存在も忘れてはいけない。一度部屋に戻ってデジカメとノート、そしてシャープペンを持って来て庭に続く出窓を開けると、
鉢植えには鮮やかな赤色の花を咲かせたアサガオが待っている。デジカメの電源を入れて、縦長サイズで二、三枚撮影して昨日のアサガオと比較し感想を
つけてやる。これをきっちりまとめるのが麻那の宿題であり、兄馬鹿な謙悟は出来るだけ分かりやすい感想をノートに付けた。
冴霞の家に泊まった日も、また継の家から戻って来た日も、この観察日記だけは律儀に毎日つけている。時間帯に多少のバラつきはあるが、それは仕方が
無い事なので許してもらうしか無いだろう。といっても、妹の為とはいえ一日も欠かさず日記を付けるなどなかなか出来る事ではない。
「よし……掃除は……どうするかな」
昨日のうちに家中掃除機を掛けているので、今日は特に必要というほどでもない。朝食の準備時に出た生ゴミもちゃんと縛っているし、付着している水も
綺麗に拭き取っている。謙悟はこう見えて料理以外の家事全般のスキルは総じてかなり高く、こういったところが母からも安心して留守を任せられる理由と
言っていいだろう。
「ただいま戻りました……どうしたんですか?」
脱衣所から戻ってきたバスタオルで身を包んだ冴霞が声を掛けると、謙悟は我に返ってデジカメとノートをテーブルの上に置く。その姿を見てまだ少し
濡れた髪を乾かしながら冴霞はデジカメを取り、アルバムモードで撮影している写真を閲覧した。
「アサガオ、ですね。謙悟くんが育ててるんですか?」
「俺のじゃない、麻那の夏休みの宿題なんだ。今は旅行中だから代わりに俺が付けてるだけで、帰ってきたら自分で書かせるようにと思ってさ。……自分の
時は満足に日記も付けてなかったけどな」
十年前の事を思い出して苦笑いする。小学生の頃、夏休みの課題は夏休み後半になってから急ぎ足で終わらせるタイプだった謙悟は、どちらかと言えば
真面目なタイプではなかった。
「私は、さっさと終わらせるタイプでしたね。今もそうですけど、後になったらやる気も起きないですし。面倒な事はさっさと終わらせた方がたくさん遊べ
ますから。謙悟くんも今年からはそうして下さいね?」
「耳に痛いお言葉、ありがとうございます……」
事実、こうして冴霞と一緒に過ごせるのも、彼女の協力の元に課題を終わらせているというのも理由の一つである。後々になって苦労する心配が無い為、
課題を気にする事無く存分に遊ぶ事が出来る。さすがに冬休みの際は冴霞の受験準備があるので満足に遊ぶ事は出来ないが、それでも早いうちに終わらせて
おいて損は無いだろう。
「で、今日はどうしようか。出掛けても、家でゆっくりするのも……どっちでも好きなように出来るけど?」
「ん……そうですね」
ふむ、と冴霞は顎に手を当てて考え込む。謙悟と家でずっと一緒にいるというのは、それだけで魅力的なプランだ。残り二泊三日という限られた時間で、
少しでも謙悟と同じ時間を多く共有するというのなら、外出せずにずっとくっついていてもいい。だがその間、何かする事があるかと言われれば、特に何か
あるわけでもなくダラダラと過ごすだけになるかも知れない。そう考えるとこれは少々不健全なものでもあり、また謙悟と『そういう雰囲気』になった場合、
断りきれる自信がない。まだ朝だというのに。でもシャワーは浴びたから、ある意味準備OKではある――――。
「(って、何を考えてるんですか私はっ!?)」
午前八時だというのにこの桃色思考。やはり謙悟の言う通り、また冴霞自身も自覚はあるが、ちょっとえっちなのかも知れない。
「? どうかした? 顔が赤いけど……」
「ふえ!? な、なんでもにゃいですよ!!?」
思わずどもってしまい、珍妙な事を口走ってしまう。それを誤魔化すように冴霞はまだ完全に乾いていない髪を指で弄り……ふと、ある事に気付いた。
「あ……謙悟くん!!」
「お、おお。決まった?」
「はい! 私の行きつけの美容室に行きましょう!!」
勢い良く前のめりになっての宣言。その体勢のおかげで巻きつけていたバスタオルははらりとずれ落ち――――そうになる所を、謙悟の手が何とか防いだ。
陽乃海市の中心である駅前ビル群。その一つの三階に、冴霞の行きつけの美容室であるUndineがある。Undineはドイツ語であり、日本語に訳せば一度
くらいは耳にした事があるであろう水の精霊・ウンディーネを意味している。完全予約制であり、また紹介がなければ入れない会員制でもあるこの美容室は
それなりに高級な店でもあり、待合室などはそこだけで一つの店といっても差し支えがないくらいに作り込まれている。
「凄いトコだな……俺、入ってもいいのか?」
「ええ。私の連れですから、紹介扱いで入店できますよ。今日はちょっと少ないみたいですね」
朝一番という事もあるが、既に店内には客がいるものの二人だけだ。どちらも見るからにお金持ちという雰囲気を装飾品で演出しており、しかし冴霞は
それに尻込みする事無くドアを開ける。
「おはようございます。ご無沙汰しています、星川さん」
「はい、いらっしゃいませ。一か月ぶりね、冴霞ちゃん」
長く鮮やかな茶髪に緩くパーマを掛けた女性が応対する。その対応は慣れたもので、また冴霞の事をちゃん付けで呼ぶことから、かなり懇意にしている
店員なのだろう。そう思っている謙悟と星川なる店員はふと目が合い、お互いに軽く会釈をした。
「こちらはご紹介の人かしら? それとも……」
「えっと……両方です。お客さんとして来る事は無いかも知れませんけど、会員の登録と……星川さんには紹介しておきたくて」
冴霞の視線と謙悟の視線が絡み合い、言葉もなく頷く。謙悟はそのまま姿勢を正すと、星川女史に改めて頭を下げる。
「はじめまして、新崎謙悟といいます」
「こちらこそはじめまして。Undineスタッフ兼、冴霞ちゃんと冴霞ちゃんのお母さんを担当している、星川瑠梨(るり)といいます。よろしくね」
サイドポーチから名刺入れを取り出し、名刺を渡してくる。白の紙に淡い青色で『Undine』と書かれており、その下にはローマ字の筆記体で
『Ruri Hoshikawa』が直筆されている。謙悟はそれを受け取って、大事に財布の中へ仕舞った。
「さて、一か月ぶりって事はまた調髪に来たのね? もう一度髪を洗うから、あっちに良いかしら。新崎くんはそちらの待合室で待っていて、後で飲み物を
持っていくから」
「「はい、わかりました」」
瑠梨に指示されるまま冴霞はシャワー台へ向かい、謙悟は待合室に通される。シャワーをするのは瑠梨の担当ではないらしく、待合室のテーブル席に座る
謙悟に、瑠梨は冷たいアイスコーヒーを入れてきてくれた。
「どうぞ。大した物じゃないけれど」
「いえ、いただきます」
良く冷えたグラスにストローを差し、黒色のコーヒーを飲む。謙悟のその所作を瑠梨は対面に座ってじっと眺めながら、ゆったりと頬杖をつく。
「新崎くんは……冴霞ちゃんの彼氏?」
「…………ええ。七月から付き合ってます」
相手が陽ヶ崎高校の生徒であれば否定していたであろう質問だが、瑠梨は既に社会人である。また、冴霞ともある程度の信頼関係があるように思えた為、
謙悟は包み隠さず真実を述べた。それに対して瑠梨は満足げに頷くと、
「なるほど。これで冴霞ちゃんが変わった理由もわかったわ」
「変わった……ですか? 冴霞が?」
「ええ」
自信満々に頷く瑠梨。確かに冴霞は謙悟と付き合い始めてからは良くも悪くも壊れてきているが、その姿を見ているのもやはり謙悟だけだ。一か月ぶりに
会った瑠梨が一目でそれを判断できるほどの変化が、外見にも表れているというのだろうか。
「あたしはね、冴霞ちゃんが中学生の頃からあの子の髪を見て、触って、切ってるの。だから一目見れば冴霞ちゃんの体調とか、ここ最近の状態とか、ある
程度は判断できるようになって来てるの。それが先月くらいから妙に艶が良くなって……今日また見たら、すごいのよ。髪が生き生きしてるっていうのが
一目でわかったわ。間違いなく、キミのおかげね♪」
パチンとウインクまでして指を差される。逆算すれば瑠梨もそれなりの年齢になっているので、年甲斐もない事をするなぁと失礼ながら思ってしまった
謙悟だが、そんな無礼を口に出すような人間でもない。
ごくんとコーヒーを飲み込んで、シャワー台から移動して席に着く冴霞の方を見る。女性スタッフと親しげに話し、ふとこちらの視線に気づいて可愛い
笑顔とともに手を振ってくれるが、それに瑠梨が手を振り返すとほんのわずかだが笑顔の種類が変わる。
「冴霞ちゃんのあの髪を整えるのは、月に一度の私の仕事。今日は腕によりをかけて綺麗に仕上げるから、楽しみに待っていてね」
「期待していますよ、星川さん」
意気揚々と出陣していく瑠梨の背中を見送って、謙悟は小さく冴霞に手を振る。それを見て冴霞の笑顔がぱぁっと輝きを増し、濡れた髪と相俟って更に
魅力的なものへと変わっていく。
向ける相手、見る相手によってさまざまに変化する表情。それはまるで万華鏡のように千変万化を繰り返し。
それを磨く人の手によって更なる美と輝きを作り上げ、一番見て欲しい最愛の人の元へと戻ってくる――――。
調髪と言っても、冴霞の場合は髪の長さを揃えて整え、そこに少々メイクを施して終わりという極めてシンプルなものだ。しかし化粧が必要無いくらいの
若さと美貌を備える冴霞にはメイクは施されず、結局毛先の長さを揃えて髪質をチェック。そしてブラッシングだけで本日の美容室は終了し、精算となる
のだが。
「じゃあ、いつもの代金ね」
「はいっ」
と、冴霞が出した金額はなんと六千円。謙悟が通う美容室(というか床屋)なら、もうちょっと足せば三回は行ける額である。
「…………」
「どうしたんですか? 急に変な顔して」
「いや……なんでもない」
髪は女の命。それを考えれば六千円でも安い方なのだろうが、ただシャンプー&コンディショナーと数センチも切らない程度で、この額はどうなんだと
疑問が尽きない謙悟ではあるが、それも綺麗になった冴霞を見れば一応納得せざるを得ない。
「まぁ、綺麗になったからいいか」
「?? よく分かりませんけど……ありがとうございますっ」
ぎゅ、と腕を組んでくる冴霞。それを謙悟は抵抗なく受け入れて、二人の時間が再び始まっていく。
あとがき:
二日目の朝食と、お出かけした美容室にての一幕でした。美容室は高い所は高いですが、カットのみで
六千円はかなり高めだと個人的に思います。でもそれで綺麗になれるのなら……安いもの??
タイトルの意味は割と有名、『万華鏡』。今回に限って言えば、親しい人でも見る角度や姿、ふとした仕草で
まるで別の美しさを魅せるという意味です。
管理人の感想
LC6話、相変わらずのベタ甘っぷりをお届けしていただきました〜^^
タイトルは万華鏡。様々な姿を見せる万華鏡の、千変万化する冴霞の態度、表情――姿。
その変化は、恋人である謙悟にとって何よりもうれしいことなのでしょうね。
しかし・・・やはり六千円は高いですね(汗) 流石は冴霞といったところか。