B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
陽乃海自然公園は、県内でも随一の広さを誇る広大な公園だ。隣接する市立図書館や美術館も実際は公園敷地内に含まれており、その広さを窺わせる物と
なっている。謙悟のロードワークも二十二キロのうち約四キロはこの公園を一周するだけで消費されるのだから、十分にその広さは自覚している。
そんな広すぎる敷地内を全て捜す事など出来るはずもなく、謙悟と冴霞は自転車を遊歩道の上に停め、そのすぐ側にある芝生の上に腰を下ろした。息は
切らしていないが、かれこれ二十分以上歩き通しだ。子犬の方もさすがに抱かれ続けて疲れたのか、そわそわと身体を揺するようになってきている。
「冴霞、そいつ……下ろしてやった方がいいんじゃないか?」
「そうですね。どこかに行きそうなら、私達が捕まえればいいですし……ワンちゃん、下ろしてあげますね」
腕に抱いていた子犬を開放すると、子犬はトコトコと芝生の上を歩きまわってからぺたんとお座りする。何をしているのかと思えば……生理現象のようだ。
「おしっこ……危なかったですね、私」
「多分、我慢してたんだろうな。チビのくせに意外と頭良いんだなぁ、お前」
芝生の上に謙悟が膝を落としてしゃがみこむと、子犬は嬉しそうに謙悟の手にじゃれついてくる。頭を押し付け、手をぺろぺろと舐めると、小さな瞳を
キラキラ輝かせながら息を弾ませる。
「謙悟くん、すっごく懐かれてますね。良い匂いでもするんですか?」
「汗の匂いしかしないと思うんだけどな……そういえば、冴霞って元々は猫より犬を飼いたかったとか言ってなかったっけ?」
確かに、以前にもそんな話をしていた記憶がある。だが実際は冴霞の母である悠香が犬アレルギーで、結果的にバーマンという種類の高級猫を飼っている。
「でも、元々猫も好きでしたし。それにシルビアもフレデリカも、とっても大事な今村家の家族ですからね。もし今、犬と猫のどっちを飼うか聞かれたら、
正直決められませんよ」
ぱたぱたと尻尾を振る子犬の背中を冴霞が撫でると、子犬は今度は冴霞の手にじゃれついてきた。ふかふかの毛玉がぐりぐりと冴霞の手を押し、冴霞も
緩んだ笑みでそれを迎え入れる。
「全然人見知りも遠慮もしないんですね、キミは」
「可愛くていいじゃないか。……ちょっと飼ってみたくなったりしてる?」
謙悟が何気なくそう言うと、冴霞は子犬を再び抱っこしてから真剣な表情を浮かべた。
「そうですね……本音を言えば、もしこの子の飼い主が見つからなかったら――――ていう可能性が万一でもあるのなら、真剣に考えてみたいと思ってます。
……謙悟くんも、そうなんでしょう?」
「ん……まぁ、な。家は庭もあるし、一戸建てだし、冴霞の家よりは条件は悪くないと思う。事情を話せば親父やお袋も納得してくれるだろうし、麻那も
麻那で、動物は好きだから……上手くやれない事はない、かな」
最悪の可能性に対して、二人の見解は言葉にするまでも無く同じだった。迷子の子犬を保護してそのまま育てる、というのはよく聞く話ではあるが、まだ
学生である二人だけで面倒を見続けるのは難しいし、何より今はこんなに小さい子犬も、いずれは芝生の上を一直線にこちらに向かって走って来る成犬並に
大きくなるのだから――――。
「って、……あれって……もしかして」
「立派なバーニーズですね。夏毛だからちょっと短いですけど……?」
息を弾ませながら猛突進してくる成犬。針路は冴霞に向かって一直線であり、四十キロの体当たりを食らえば冴霞など一溜まりもない。謙悟はすかさず
立ち上がり、向かって来る成犬と相対して。
どがんっっっ!!!!
「ぐはぁつ!?」
「ばうっ、ばうっ、わうっ!!」
体当たりを正面から受け止めるも、そのまま成犬に押し倒されて圧し掛かられる。だが襲われている訳ではなく、尻尾をばったんばったん勢い良く左右に
振り回し、べろべろと謙悟の顔を舐めまわされている。
「ちょ、おま……やめろって!!」
「謙悟くん!? あっ……」
「きゃんっ、きゃんっ!!」
子犬が冴霞の腕の中から飛び出したかと思うと、成犬の足にすりすりと身体を擦りつけ始める。成犬もそれに気づいて、謙悟の身体を足で踏みつけると、
子犬のことをぺろぺろと舐め始めた。
「うぁ……え、えらい目にあった……」
「だ、大丈夫ですか? でも謙悟くん、これって……もしかしなくても」
大型の成犬と、じゃれつく子犬。犬種はどちらも同じバーニーズ・マウンテンドッグであり、そこから導き出される答えは一つしかない。
「「……この子の、お母さん?」」
「? ばぁうっ!!」
二人の言葉に答えるように、成犬――――もとい、母犬は威勢の良い一吠えを上げた。
BGM EXTRA AFTER EPISODE
Lovely Cohabitation
第5話 Animalize Skinship
母犬の首には子犬と同じくスカーフが巻かれており、その下には散歩用のハーネスが巻かれている。毛が多すぎて見え辛くなっているが、ちゃんと鑑札と
名札も結ばれており、マフラーに隠れて小さなポーチまで装備している。
「ちょっと、見せて下さいね」
冴霞が一言断りを入れて、ポーチを開ける。母犬は大人しくお座りをしたままで、子犬の方は忙しなく冴霞や謙悟、母犬の周りをくるくると楽しそうに
駆け回っているので、どこか遠くに行く心配もないだろう。
「何が入ってたんだ……って、携帯電話?」
「ええ、プリペイド式の携帯電話ですね。アドレス登録してある番号は一件だけ……この子たちの自宅みたいです」
「用意が良いというか、なんというか……別の意味で困った飼い主だな」
犬に電話が出来るはずもないのに、こんなものを持たせておくとは。迷子対策のつもりなのだろうが、悪用される可能性をまったく考慮していないという
善人にも程がある飼い主のようだ。
「とにかく、掛けてみますね」
早朝五時半過ぎではまだ起きていないかもしれないが、確認の為に連絡だけは入れておく。これでもし電話を取ってもらえなくても、名札にはしっかりと
住所が明記されている。この自然公園からそう遠くない場所だ、歩いていくのに不便はないだろう。
『――――はい、もしもし』
七回ほどコールして出たのは、女性の声だった。謙悟と冴霞は互いに顔を見合わせてから頷いて、お座りしている母犬を見る。
「あの、朝早くに申し訳ありません。……バーニーズ・マウンテンドッグの、ミーシャちゃんの飼い主さんですか?」
『ええ……もしかして、ミーシャがそちらに?』
母犬、もといミーシャの名前を告げると、女性の声が心配そうなものに変わる。その反応にほっと安堵した冴霞は小さく溜め息をついた。
「はい。恐らくですけど、自分の子どもを追いかけて来たんだと思います。子犬の方も一緒にいますので、よかったらそちらに伺おうと思うのですが……
よろしいでしょうか?」
『え、ええ! すぐに支度を致しますので。家の住所はミーシャの名札にも書いていますけど……分かりますか?』
「大丈夫です。今は自然公園にいますから、そちらまでそう遠くはありませんし。また近くまで行きましたら、お電話させて頂きますので」
『はい……お待ちしております』
ピッ、と電源ボタンを押して通話終了。冴霞は女性の電話番号を自分の携帯番号に記録させてから、プリペイド携帯をミーシャのポーチの中に戻す。
「ありがとう、ミーシャ」
「はっはっはっはっ……ばうっ」
お返事をするミーシャの頭を冴霞が撫でると、ミーシャも気持ちよさそうに、またもっと撫でてくれと言わんばかりにぐりぐりと頭を押し付けてくる。
「話、ついたのか?」
「ええ。これからミーシャのお家まで行く事になりました。だからロードワークはもう……」
「そんな事、気にしなくてもいいよ。今はこいつらの事が優先だろ? なっ?」
謙悟が手を伸ばそうとすると、ミーシャは嬉しそうに前のめりになって――――
「ばぁうっ!!」
「またかよっ!!?」
どすうっっっ!!!!
本日二度目の体当たり。しかも今度は座ったままの態勢だった為、謙悟はあっさりとひっくり返された。圧し掛かっているミーシャはべろべろと謙悟の
顔を舐めまわし、それに倣ってか子犬の方も謙悟の耳や髪を舐めたり噛んだりしてくる。
「謙悟くん、モテモテですね♪」
「う、嬉しくねえです……わぷっ」
なおも続くミーシャと子犬の攻撃を受ける謙悟を見ながら、冴霞はニコニコと楽しそうに笑っていた。
自然公園から十分とかからず辿り着いた家は、謙悟の家よりも大きな庭を有した一階建ての邸宅だった。庭には大きなケージがあるが、今は鍵が開いて
おり中には住人である犬の姿もない。そして扉の脇には小さくない穴が開いており、子犬はおそらくそこから逃げ出したのだろう。
「ミーシャ!!」
「ばうっ!!」
ケージの前で待っていた四十代くらいの女性に向かって走り寄るミーシャ。そして冴霞の腕に抱かれている子犬も、尻尾を千切りそうなくらいの勢いで
ばたばたと左右に振り回しており、冴霞は子犬を女性に抱かせてあげた。
「ああ、ありがとうございます!! もう、この子は……」
「どこも怪我はしていませんでした。元気で可愛いワンちゃんですね」
冴霞が微笑みかけると、女性は深々とお辞儀をしてから。
「このケージも、今日明日中には組み換えようと思っていたんです。ミーシャがこの子くらいの頃から使っている物でしたから。でもまさか、そこから逃げ
出すなんて思いも寄りませんでした……それでミーシャも探しに行ったんだと思います。本当に、お手間を掛けまして」
「いいえ、お気になさらないで下さい。それに私も彼も、ミーシャとこの子にいっぱいお相手してもらいましたから。ね?」
「ひたすら体当たりばっかりされてましたけどね……ミーシャって、いつもこうなんですか?」
謙悟が尋ねると女性は右手だけで子犬を抱き直し、ミーシャの頭を空いている左手で優しく撫でると、ミーシャは気持ちよさそうに目を閉じた。
「いいえ、ミーシャが体当たりをする相手は、決まって男性だけなんです。しかも特に気に入った男性だけで、主人とブリーダーの方以外では貴方が初めて
です。余程気に入ったんでしょうね…………よかったら、もう少し相手をしてあげてくれませんか? 主人は出張でしばらくは帰ってきませんし、この子も
ミーシャも、思う存分甘えられる相手が欲しかったんだと思います」
唐突な女性の依頼。だが、断る理由はどこにもない。もうロードワークを続けるには時間が開き過ぎてしまっているし、何より謙悟も冴霞も動物好きだ。
可愛い子犬とミーシャの相手をする事に、何の不満があるだろうか。
「はい、俺たちでよければ」
「喜んで、お相手を務めさせて頂きます」
二人がそう答えると、ミーシャが待ってましたと言わんばかりに飛びかかってくる。しかし三度目ともなれば謙悟の方も耐性が付いているようで、ぐっと
体重を掛けてミーシャの体当たりを受け止める。一方で冴霞は女性から子犬を抱かせてもらい、ふかふかの毛を撫でながら顔と顔を突き合わせた。
「そういえば、ミーシャのお名前は伺いましたけど……この子のお名前はまだ決まって無いんですか?」
「ええ。そろそろ名前を付けてあげようとは思っていたんですけど、なかなか良い名前が無くて。……そうだ、よかったらこの子に名前を付けて頂けません
かしら?」
「「…………ええっ!?」」
唐突な女性の申し出に、謙悟も冴霞も驚いて声を上げる。
「元々、ミーシャの名前は主人がつけた物でしたし、この子に名前を考えてあげるのは私の役目だったんです。それを代行してもらうという事で……どう
でしょう?」
「でも、私達が決めてしまっていいんですか? この子にとってはとても大切な事ですし……」
冴霞が躊躇うのも無理はない。名前というのは生物に対して一生付いてくる『個の証明』だ。飼い犬、飼い猫のみならず、それが人間であっても同じ事。
今日知り合ったばかりのこの子に名前を与えるという事は、子犬の生涯を左右すると言っても決して過言ではない。そんな大役を担うなど、正直な話、荷が
重すぎる。ましてや自分の飼い犬でも無いのだから、無責任にイエスとは言えない。
「分かっています。ですけど、ミーシャがこんなに懐いている貴方と、この子たちを案じてくれた貴方だからお願いしたいんです。どうかこの子に名前を
送ってあげて下さい」
女性が頭を下げてくる。そして謙悟に飛びついていたミーシャも冴霞の側にお座りして彼女を見上げており、子犬の方もキラキラと目を輝かせている。
どうあっても、冴霞に名前を付けて欲しいらしい。
「ぁぅ……謙悟くん……」
「まぁ……ここまで頼まれちゃ、やるしかないだろ」
謙悟に肩を叩かれて、冴霞もようやく決意を固めて真剣に考える。
ミーシャというのはロシア人の男性名・ミハイルの愛称であり、女性の名前としても広く知られている。そして同時に、ロシアにおける熊の略称でもある。
おそらくミーシャの名前は熊の略称と女性の名前である事をかけて名付けられたものだろう。ならば同じ由来・同様の理由で考え、冴霞は自分の頭に入って
いる多くの知識から一つの答えと名前を組み上げた。
「……………………じゃあ、リズ。エリザベスの愛称で、リズっていうのはどうですか?」
「リズ…………ええ、とても良い名前です。リズ? 今日からあなたのお名前はリズよ?」
「???」
まだ良く分かっていない子犬――――もとい、リズは飼い主から差し伸べられた手をふんふんと鼻をひくつかせて嗅ぎながら、ぺろぺろと指を舐めた。
その後、三十分ほどお邪魔してから別れを告げて、女性とミーシャ、そしてリズと別れを告げた謙悟と冴霞は、二人乗りの自転車で帰路についた。時刻は
既に午前六時を迎えており、太陽もゆっくりとではあるが高い位置に上りつつある。
「どういう由来で、リズって名前にしたんだ?」
「んー、まあ、一応由来はあるんですけど。飼い主さんには絶対言えないような理由ですね」
謙悟の肩に手を置いて、吹きつける風に髪をなびかせる冴霞。その声は少々申し訳なさそうに、しかしどこか弾んだ調子だった。
「良かったら聞かせてくれないか? その由来っての」
「ええ。ミーシャって、ロシア語で熊の略なんです。それで同じ熊を考えていたらアメリカの灰色熊、グリズリーに思い当たったので、それに女性の名前
エリザベスをミックスさせる意味でつけてみました。気に入ってもらえて良かったです」
しれっと何気に酷い由来を暴露する。謙悟は何とも言えない微妙な気分になりながら。
「……まあ、飼い主さんとリズが気に入ってくれればいいか」
「あ、それってちょっと酷くないですか? まるで私にネーミングセンスが無いみたいな言い方ですね?」
「いやいや、そんな事は一言も言ってませんよ?」
「だったら何で棒読み風なんですか!? 後できっちり説明してもらいますからね!?」
ぎゅうっと謙悟の首に腕を絡めて前屈みになりそっと謙悟の耳にキスをする冴霞と、いきなりの不意打ちにフラフラと右往左往しながら自転車を運転する
謙悟。徐々に暑さを増してくる夏の日差しを受けながら、恋人たちの二日目がゆっくりと幕を開けた。
あとがき:
可愛いわんこに振り回される、という意味での幸せな波乱を迎えた公園での一幕と、無事に見つかった飼い主。
ちょっとだけ飼いたくなった二人には申し訳ないですが、やはり本来の飼い主と、母親がいる環境の方が子犬も
幸せになれるというもの。謙悟はいろんな意味で痛い目を見ましたが、動物に好かれるのは妹と同じ特質なのでしょう。
そして帰路に着き………再びのあまあまが始まってしまう??
管理人の感想
まさにどーん!!なLC第5話でした〜^^
子犬とじゃれ合う恋人。うーん、いいですね。絵になると思います。
と、そこに母親犬登場。そしてまさかのすてみタックル。謙悟に127のダメージ!(ぇ
しかし、ガタイのいい謙悟を吹き飛ばすとは・・・まあ40キロの塊が突撃してきたと思えば無理ないのでしょうが^^;
そして、無事に飼い主の元へ。でも・・・グリズリーかぁ。何気に凶暴なイメージがありますよね(ぉ
冴霞はその辺りも分かっているのでしょうが。・・・やはり天然?