B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
八月十日、午前四時四十分。
目覚まし時計が鳴るよりも早く謙悟は起床を果たした。目覚めの感触としては汗まみれという事もあってあまりよろしくは無いが、手を伸ばす事も無く
触れられる柔らかな温かさに安堵を覚え、半覚醒の意識をゆっくりと覚醒に導く。
「ふぁ……ん?」
小さく欠伸をしてから、目と鼻の先にある冴霞の顔を見る。長いまつ毛が自分の吐息でふわふわと揺れ、きめ細やかな肌が美しい。半開きの口と鼻腔は
すうすうと可愛らしい寝息を立てており、彩る長髪は夜空よりも色濃い黒。
「…………さえか、起きて?」
起こすのは少々可哀想だとは思ったが、約束は約束。午前五時には起こさなければ気温も上がってくるし、疲労の蓄積も太陽が出ていない方が緩やかだ。
態勢を変えるべくふっと謙悟が視線を下にやると――――とんでもないことに、彼女が着ているパジャマのほとんどが捲れ上がっており、就寝前の愛撫時と
同様にほぼ裸の状態になっていた。当然、同じ布団……というか、一枚のシャツを共有して寝ている現状では冴霞の大きめな乳房はぴったりと謙悟の身体に
密着しており、少し動くだけで容易く桜色の先端を擦ってしまう。
「んっ…………? ……すぅ」
「寝像悪いのな……それとも、暑かったかな?」
しゅっ、と顔にかかっている髪の毛を梳いて、その手を下ろしていく。柔らかくも張りのあるお尻に手を当てれば昨夜の行為を思い出さずにはいられない。
「あっ……ぅん……」
ぴくんと冴霞が震える。まだ日も昇らないうちからこんな事をして……と自分自身に呆れる謙悟だが、それも冴霞を愛して求める気持ちから来るものだ。
だが一晩明けてリサイクルされた理性がある程度の壁を再構成してくれたおかげで、昨夜のように暴走する事はない。
「これ、ねぼすけさん? 起きないとイタズラするぞー?」
「…………ゃぁん〜」
弱々しい拒絶。まるで子どものようなリアクションに笑いを堪えながら、謙悟はぷにっとほっぺたを突き、そこから髪を掻きあげて冴霞の耳を露出させる。
ふんわりと柔らかく、それでいて冷たい耳たぶ。それをふにふにと揉んで感触を確かめると――――はむ、と口唇で包み込む。
「ふぁっ……んにゃ、ぁ……うぅ?」
感じた事の無い刺激に驚いたのか、うっすらと冴霞の瞼が開く。だが位置的に謙悟からはその様子が見えるはずは無く、耳への攻撃、もとい『口』撃は
なおも続行されている。
「や、やぁんっ……く、くしゅぐった、いっ……? け、けんご、きゅん……?」
「ん? ぷぁ……おはよう、冴霞」
ちぷっと微妙な水音を立てて謙悟が口を離す。冴霞は濡れた耳をくにくにと弄りながら、自分が一体何をされていたのかを寝ぼけた頭で解析すると、目を
白黒させて謙悟にしがみついた。
「み、みみ、みみがぁ……」
「沖縄料理?」
「ち、ちがいますっ! 耳がべとべとしますっ!! 変な方法で起こすのやめて下さいっ!!!」
謙悟のボケに突っ込めるくらいに覚醒した冴霞は恥ずかしそうに顔を赤らめて抗議する。だがそれも謙悟の次の一手であっさり塞がれてしまう。
「!? ん…………」
「…………っ、はぁ」
重ねられた口唇がそっと離れる。たった一度のキスだが、それは二人にとって初めての『おはようのキス』だった。それだけで冴霞は抗議をする事も忘れ、
なおも真っ赤にした顔のままで目の前の謙悟を見ると、もぞもぞと謙悟のシャツから這い出してベッドの上にお座りした。
「……って、きゃぁっ!?」
ほとんど脱げかけの姿に気がついたのか、ばっとワンピースを元に戻す。電気はちゃんと消しているが、それでもゆるく差し込んでくる朝を告げる淡い
陽光によって、謙悟にはしっかりと見えていた。
「あう……朝から、なんてはしたない姿を……」
「そんな事無いって。冴霞は凄く綺麗なんだから」
起き上がり、冴霞の前にどさっと腰を下ろす。そしてそっと謙悟が手を握ると冴霞もそれに応じるように顔を上げて。
「……おはようございます、謙悟くん」
「うん……おはよう」
やっと交わす事が出来た朝の挨拶とともに、もう一度確かめ合うように。
ただ重ねるだけの優しいモーニングキスを迎えて、二人の朝がようやく明ける。
BGM EXTRA AFTER EPISODE
Lovely Cohabitation
第4話 Kind of an unspoken thing
自宅からスタートを切り、バスが通る大通りを駅方面に向かい、そのまま駅を通り過ぎて海岸通りまで走り抜ける。海岸まで来れば謙悟はそこからさらに
負荷の掛かる砂浜に下りて、路上を走る速度と全く変わらない早さを維持しながら突き進み、四百メートルほどを走った所で三段飛ばしに階段を上り、また
路上へと戻る。人通りの少ない朝方だからこそ出来る強引な方法であり、謙悟が中学生の頃から行っている走り方だ。
その凄まじい光景を自転車に乗って合流した冴霞は、驚嘆しつつも感動していた。
「謙悟くん……いつもこんな事を繰り返していたんですね……」
誰に言われるわけでもなく、ただひたすらに練磨を続ける。かつての冴霞も同じく早朝ジョギングを十キロ続けていたが、今の謙悟の姿はその時の自分と
重なる物がある。いや、スタミナの絶対量や長距離におけるペース配分を考えれば、こと長距離走においては謙悟は冴霞を凌ぐだろう。
加えて、砂浜を走るという負荷は素足でさえ苦労するというのに、本来路上を走る為のジョギングシューズで全く変わらない速度が出せるというのも、
実際はとても凄い事だ。やってみれば分かる事だが、走り方を工夫しなければ必ず足を取られ減速する。それを解決する為に最も有効なのが体重移動であり、
格闘技においても重要な要素である。
剣道や空手では摺り足が移動手段である事は知られているが、効率良く強い打撃を繰り出す際にはやはり体重移動が欠かせない。つま先に溜め込んだ力を
一気に開放し、絶大なまでの破壊力を生む。謙悟が繰り出す一撃が、中重量級の体重でありながらも有り余る威力と速度を有するのはこれが理由の一つでも
あるのだが、謙悟が試合やケンカをしているのを見た事が無い冴霞は、純粋に元アスリートとして彼の姿に感銘を受けていた。
「はっ、はっ、このまま、自然公園で、折り返すけどっ、ちょっと休憩、入れるからっ」
「はいっ」
浅く息を吐きながら話す謙悟の言葉に、冴霞は頷いてちらっと謙悟の横顔を見る。うっすらと汗をかきながら、真剣そのものといった顔つき。凛々しく、
また逞しさがにじみ出ているその表情にドキドキと心躍らせながら、まだ通行量がゼロに等しい車道を横切って、自然公園へと進路を取る。
「はっ、はっ、はっ、はぁ――――」
ゆっくりと歩きながらペースを整えていく。急停止などすれば肉体への負担は計り知れず、謙悟は徐々に速度を落としながら公園の中央噴水広場にある
ベンチに腰を下ろした。普段はこの公園を一周した後そのままノンストップで帰宅して、それで所要時間は約七十分。走行距離は二十二キロと、現役プロの
マラソンランナーにはわずかに及ばないものの、十分自慢できる速さである。
「お疲れ様です。よかったら一服しますか?」
自転車の横にあるドリンクホルダーからフリーズクーラーボトルを取り外し、きゅっと栓を開ける冴霞。中身はごく普通のスポーツドリンクにレモンと
蜂蜜をブレンドしたものであり、もちろん冴霞のお手製だ。
「ああ……ありがとう」
ボトルを受け取り、口を付ける。甘ったるくもほのかな酸味が疲れた身体に心地良く沁み渡り、火照っていた身体がじんわりと冷えていく。
「お味のほどはいかがでしょう?」
「ん……甘いのに酸っぱい。けど、美味しいよ」
ボトルを冴霞に返すと、冴霞もこくこくと飲み始める。自転車で移動していたとはいえ十キロ以上を走って来たのだ、疲れていないはずがない。証拠に、
自作のドリンクを飲む彼女の額にはうっすらと汗が浮かんでおり、首の後ろで束ねた黒髪に隠れたシャツの背中はじっとりと滲んでいる。
「そういえば、ここで待ち合わせしてた時も……髪、そんな風に結んでたよな」
「? ……ああ、初めてのデートの時ですねっ」
二人が付き合い始めて初めて、デートと呼べる形で過ごした時間。七月最初の土曜日のことだ。その時のことを思い出せば、今こうやって肩を寄せ合って
ベンチに腰掛けるだけで胸を高鳴らせて緊張していたことが、はるか昔の事のように思える。
「でも、謙悟くんが長い髪が好きだって聞いてからは、できるだけ結んだりしないようにしてますよ?」
「いや、そこまでしなくてもいいし。暑かったらいろいろ工夫してもらっても、それはそれで…………その、可愛いと思う」
照れたようにそっぽを向いての謙悟の告白。朝も早くから恥ずかしい事を言っているが、嘘偽りの無い真実だ。冴霞はそんな謙悟の横顔を見てくすっと
頬を染めたまま微笑むと、彼の肩に頭を乗せる。
「じゃあ、帰ったらちょっと試してみましょうか? ポニーテールとか、大きめの三つ編みとか……彩ちゃんみたいにツインテールでもOKですよ?」
「来栖とは全然別物になりそうだけどな……」
冴霞の手からボトルを受け取り、きゅっと蓋を締めてベンチの脇に置く。そしてその手でゆったりと冴霞の艶やかな黒髪を撫でる。
「もうちょっと休憩したら、戻ろうか」
「はい。でもその前に、栄養補給をしましょうね」
人目が皆無と言っても良い、朝の公園。公共施設でこのような行為をする事に抵抗が無いわけではないが、止めようという気持ちが限りなく低くなって
いる以上は止めようがない。栄養補給とは名ばかりのキスをするべく顔が近づき、吐息さえ感じ取れるほどの距離になり――――
「きゃんっ! きゃんっ!!」
「……?」
「犬の声、ですね……?」
ふっ、と二人がベンチの脇を見ると、そこには声の主である子犬がボトルに戯れており、二人の視線を感じたのかとてとてと謙悟の足元までくると、
小さな身体をぐいぐいと押し付けてきた。
「何だお前、どこから来たんだ?」
「この子……たしか、バーニーズ・マウンテンドッグっていう種類ですね。今はこんなに小さいですけど、成犬は四十キロぐらいの大型犬ですよ」
ひょいっと冴霞が子犬を抱える。黒と茶、そして額から鼻のラインと胸元のマフラーは白というバランスのとれた毛色。どうやら女の子らしいが、それは
さて置くとして。
「まさか捨て犬……ってことは無いよな。大きくなるから飼えなくなって、とか……」
「それは無いと思いますよ。ほら、毛に隠れて分かりづらかったですけど……ちゃんと首輪代わりのスカーフが巻かれてますし。多分、マイクロチップも
入ってると思います……個人的には反対なんですけどね」
迷子犬などを判別する為のマイクロチップは、飼い主側の意見により賛否が分かれるものでもある。種類は違うが冴霞も猫を飼っている身だ、万が一を
考えて導入した方が良いのではという父・稔臣の意見もあったが、母・悠香と揃って反対している。
「そうだな。ペットって『物』じゃないんだから、自分だけの番号を振って管理するなんて何か違うと思う。動物との信頼関係を育めないダメな飼い主が、
言い訳に付けてるだけだろ」
「あ……うん。それ、私も同じ考えなんです。ペットにだってちゃんと『心』や『意思』があるんだから。愛玩するだけのオモチャじゃなくて……生涯の
世話をしたりされたりする、大事なパートナーなんですから」
動物を飼った事の無い謙悟と、猫のオーナーである冴霞。互いに考えは違ってもおかしくないというのに、二人の考えはまったく同じだった。
以心伝心、とでもいうべきか。価値観の近い二人だからこそ、物の考えは似通ってくる。それが信頼関係に繋がり、言葉を交わす事も無く理解し合える
という素晴らしい関係を築き上げている。だからこそ次に二人が取る行動も、お互いに申し合わせたわけでも無いというのに。
「それじゃ、飼い主さんを捜しますか。ロードワークは半端になっちまうけど、仕方ないよな」
「でも、迷子の迷子の子犬ちゃんを置いていくなんて、出来ませんからね。ね〜?」
「?? きゃんっ!!」
冴霞の言葉に首を傾げながらも、元気に返事をする子犬。警戒心ゼロであることを証明するように尻尾をぱったんぱったん左右に振るその姿を見ながら、
冴霞はもふもふの毛を撫でまわし、謙悟も優しく顎の下から頭を撫でた。
謙悟が自転車を押し、冴霞が子犬を抱っこしたまま公園の中を散歩する。だが目的はあくまで子犬の飼い主探しであり、のんびり構えていて良い状況では
ない。とはいえ焦って警察や保健所に届けたとしても、警察では迷い犬の保護はしてくれないし、保健所で管理できる期間は定まっている。今日中に解決
出来なければ、一時的ではあるが謙悟が保護して、ポスターなどを作って呼び掛けるしかない。
「マイクロチップって、あんまり便利じゃないんだな。ほら」
謙悟が携帯電話のネット機能で検索を掛けていた結果を冴霞に見せると、実際にマイクロチップの恩恵が得られた事例は少ない。冴霞もうん、と頷いて
子犬を優しく撫でながら。
「ええ。本当はそれに加えて首輪や登録の鑑札、名札なんかがあればいいんですけど、小さな子犬ですからそうもいかないし。あくまでも『有事の備え』
でしかないわけですからね。それに散歩をさせるにはまだまだ危ないですよ」
子どもの内は外で遊ばせないのが、どの飼い犬・飼い猫でも基本である。しっかりと躾が出来て、リードや首輪が繋げるくらいに成長してからでなければ
危険であることは誰でも分かるだろう。それが出来ない子犬の時期から散歩をさせるなど、飼い主としては失格と言わざるを得ない。
だが、一方で二人は別の可能性を考えていた。あくまでも可能性に過ぎない事ではあるが、もしそうなら飼い主のみならずこの子犬にも責任がある一つの
可能性――――つまり。
「もしかしてだけど、こいつ……」
「逃げ出してきた、のかも……?」
二人の視線が子犬に向けられる。子犬は無邪気に尻尾を振りながら二人を見上げ、嬉しそうに「はっはっはっはっ」と息を弾ませている。
バーニーズ・マウンテンドッグは大型犬らしい、大人しく穏やかな性質の犬として知られているが、子犬の時はまったく逆でやんちゃな性格をしている。
しかも意外に頭も良く、成長すればその頭の良さはより顕著になり、時には自分で考えて行動するという臨機応変さもある。
「だとしたら参ったな。肝心の飼い主が気づいてないんじゃ、捜しようがない」
「でも、まだそうと決まったわけじゃ…………」
そう言って否定はするものの、冴霞自身も不安に思っていた。子犬の行動範囲がそれほど広くない事は予想できるが、だからといってすぐ近くの人間が
飼い主かという安易な予測は出来ない。飼い主が目を離したのか、脱走して来たのか、それとも本当に捨てられたのか。良い方向になど考えられない不安が
徐々に募り、腕の中に収まっている小さな命の未来が真っ暗になっていく錯覚を感じる。
「謙悟くん…………」
「…………そんな顔、するな」
ぐいっと冴霞の肩を抱き寄せる謙悟。毅然としている冴霞が不安を感じるのなら、それを少しでも和らげようという強い意志。無責任な事は言えないが、
それでも冴霞のことを一時でも不安にさせた己の発言を拭い去るべく。
「絶対、こいつの飼い主は見つけてみせるから。……だから二人で頑張ろう」
「……はいっ!!」
「きゃんっ!!」
冴霞の返事からわずかに遅れて、子犬が声を上げる。まるで二人を勇気づけるかのような可愛らしくも力のある声に、謙悟と冴霞は癒されると同時に
確かな力を貰った。
あとがき:
タイトルの意味は「以心伝心」。まさにこの二人に相応しいともいえる言葉です。口に出さなくても伝わる想い、考え。
誰もが望んで、しかし叶えるには難しいことです。さておき、思い掛けない闖入者が現れてしまいました。
まいごのまいごのこいぬちゃん。あなたのお家は……いったいどこなんでしょうね!? 次回に続く運びとなりましたが、
二人のらぶらぶに波乱が吹き荒れる!!?
管理人の感想
BGMのLC、第4話をお送りして頂きました〜。
朝から20km超のロードワーク。中学からというのは、凄いとしか言いようがありませんね。
私ならきっと、5kmでバテるでしょう。長距離は苦手なのです^^;
そしてタイトル通り、まさに以心伝心な二人。価値観が一緒というのは、そうそうないこと。
だからこそ二人――特に冴霞にとっては、確かな喜びになることでしょう。
次回は迷子の子犬ちゃんの飼い主探し。波乱が吹き荒れるようで・・・何が起こるんでしょうね?
それでは!