「ほら、これ」
謙悟くんが扉の隙間から差し入れたのは、部屋から持ってきた着替え。私はそれを受け取って、洗濯機の上に置く。
「あ、ありがとうございます。もうしばらくしたら出ますから、戻っててもらえますか?」
「ん、了解……麻那ー、ちゃんと身体拭くんだぞ」
「はぁーい」
にっこりと微笑む麻那ちゃん。やっぱりこういう反応を見ていると、麻那ちゃんも謙悟くんのことをとても好いているというのが良く分かる。
……それはさておき。
「やっぱり、まだかかっちゃいますよね……」
「???」
身体を拭いている私の呟きに、頭の上に疑問符を浮かべて首をかしげる麻那ちゃん。
分かってはいたけれど、これはさすがにショックが大きいと言うか。まさかこの歳になって、わずか三十分程度とはいえこんな恥ずかしいことを
しなければいけないのかと思うと、正直目眩がする。でもだからっていつまでも裸で脱衣所に篭っているなんて、出来るはずがないわけで。
「あぁ、謙悟くん……私、はしたないことをしてしまいます……でも、嫌いにならないで下さいね……ぐすっ」
本人がいないのに懺悔。もっとも本人がいたらとても懺悔なんて出来る心境ではない。きっと何も考えられなくなってしまうことは想像に難くない。
でもせめて湯冷めをしないように、しっかりと汗とお湯を拭き取っておかないと。
一通り汗を拭き取って、大きなシャツに袖を通し、ハーフパンツにも足を通して、腰までするっと持ち上げる。謙悟くんがある程度は紐を絞って
くれていたけれど、やっぱりまだ緩い。もう少しだけ強く絞って、おへその下で固く蝶結びをする。これでとりあえずは落ちることはないはず。
「おねえちゃん、おねえちゃん」
「な、なんですか?」
パンツ一枚の麻那ちゃんが不思議そうに私を見上げて、
「おねえちゃん、なんでぱんつはいてないの??」
「――――ぁあっ」
がっくりと膝が落ち、思わず床に手を着く。自分の中ではある程度仕方がないことだと割り切っていたけれど、こうやって人に指摘されるとその異常さと
惨めさが一斉に押し寄せてくるのを感じる。しかも言った相手がまだ汚れを知らない純粋無垢な麻那ちゃんだけに、そのショックはかなり大きい。
「だって、だって忘れてたんです。いえ、もしかしたら考えないようにしていただけかも。それにノーパンだけじゃなくてノーブラもですし、もうこれって
ほとんど変態ですよね? ああ、だから謙悟くん大きめの紺のシャツなんか用意してくれてたんですか。色が濃い方が透けないし、余裕があると動きやすい
ですもんね。優しい謙悟くんは大好きですけど、それが今回ばっかりはちょっと惨めに思えちゃうあたり私きっと駄目な彼女ですよね……」
はい、今とても混乱してます私。そして少し大きめのハーフパンツは下がちょっと広口で、風が入ってきてスースーします。
「お、おねえちゃん?」
ああ、麻那ちゃんが私を哀れんでいる、痛い人を見る目で見ている!!(百パーセント勘違い&被害妄想)
「ごめんなさい、髪の毛、まだ拭いてませんでしたね……っ」
泣いちゃ駄目です。がんばれ冴霞。あと二十五分の辛抱です。
湯冷めしたわけでもないのに鼻をすすりながら、私は麻那ちゃんの柔らかい髪を拭き続けた。……………………視界がちょっと滲むけど、泣いてないもん。
B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in
08.過剰負荷、限界突破
「お、お待たせしました……」
たっぷり落ち込んでなんとか持ち直した冴霞が謙悟の前に姿を現したのは、およそ五分後のことだった。
「遅かったな、どうかした?」
「い、いえ、ちょっと……」
もじもじと落ち着かない様子の冴霞。隣にいた麻那は真実を告げようとしたが、脱衣所で約束したことを思い出し、慌てて口をつぐむ。
五分の間に冴霞は麻那の髪を拭きつつ、微妙に半べそをかきながら下着を着けていないことを決して謙悟に言わないように、という約束をしていた。
さすがにその時の冴霞の様子は鬼気迫るものがあり、幼い麻那もそれを十二分に感じ取ったのか、やや怯えながらも彼女の申し出を受けたのだ。
「服、ちょっと大きかったかな。大丈夫か?」
紺色のシャツと、やや色の濃いベージュのハーフパンツ。身長は十センチ程度しか差がない二人だが、やはり男と女では肩幅や丈が異なることもあり、
首元はわずかに鎖骨が見える程度に開け、袖も肘がほんの少し隠れるほどに長い。裾にいたっては腰まですっぽり覆うことが出来るくらいである。
「ん……でも、これくらいでいいです。これ、このままパジャマにしちゃってもいいですか?」
「ああ、全然構わないけど……冴霞、ちょっとごめん」
距離を詰めたかと思うと、謙悟は一言断ってからゆっくり冴霞の髪に触れる。いつものように波打つ黒髪は変わらない美しさだが、しかし。
「……まだ濡れてるな。ちゃんと拭いたのか?」
「え、あ、その……まだです」
乾ききっていない髪はしっとりと重く、また毛先のほうにはわずかに水滴まで付着している。それもこれも冴霞が脱衣所でたっぷり落ち込んでいたせい
なのだが、無論謙悟がそんな事情を知るはずもない。
「こんだけ長いと、乾かすのも大変だろ? 麻那、悪いけどお袋の部屋からドライヤー持ってきてくれるか?」
「うん!!」
言われるままに麻那はパタパタと階段を上っていく。そしてものの二十秒もしないうちに、陽子が愛用しているマイナスイオンドライヤーを抱えて
帰ってきた。謙悟はそれをテーブルの上に置き、がたがたとダイニングの椅子を一脚リビングにまで運び出す。
「テレビつけてくれ。麻那が見たいやつ、見てていいから」
「はぁ〜い」
「あの、何を?」
冴霞が尋ねると、謙悟はバスタオルとブラシをを脱衣所から持ってきて、
「髪乾かすから、そこ座って」
当たり前のようにそう言った。
「で、でも、そんな悪いですよ?」
「いいからいいから。心配しなくても、髪痛めるような拭き方はしないって。麻那の髪だって、俺がやってるんだから」
「……わかりました。それじゃ……お願いします」
すとん、と椅子に腰掛ける。謙悟のことを信じてはいるが、冴霞は内心少し不安だった。
いくら麻那の髪を拭いているとはいえ、髪の長さが根本的に違う。自分でも乾かしているからこそ、その苦労は良く分かるのだ。
ならばそんな長い髪などさっさと切ってしまえばいいとも思えるが、やはり髪は女の命と言われるほどのものであり、冴霞もその言葉に少なからず影響を
受けて髪を伸ばし、また伸びすぎて見苦しくならない程度にいつも自分で調整し、美容院にも月に一度は通っている。
その髪をゆっくりと、柔らかいタオルが包んでいく。
「あっ……」
「悪い、痛かったか?」
「い、いえ、違います……」
乱雑ではなく、どこまでも優しい拭き方。さすがにプロの美容師ほどではないが、謙悟の拭き方は冴霞が普段やっている以上に優しく、いたわるように髪を
撫でていく。十分に気を遣い、また決して引っ張ったり力任せにすることのない手つきは、えもいわれぬ心地よさ。
「しっかし、ホント長いよな……重くないか?」
「もう慣れちゃいましたから。今切ったりすると、逆に軽すぎて変な気分になると思います」
だが実を言えば、冴霞も切ろうとしたことはあった。昨年度の後期生徒会が終了する時点で、気を改めるという意味でいっそ肩口までバッサリいって
しまおうかと考えていたのだ。だが今年度前期生徒会長を引き続き務めるにあたり、以前までの『生徒会長・今村冴霞』というイメージを維持するために
手を入れることをせず、長さを維持するに止まっている。
その理屈で言うのなら、やはり今期の任期が終了すれば、また髪を切ろうかと若干考えていたのだが。
「まぁ、俺は髪が長い方が……好み、かな」
「え?」
咄嗟に振り向こうとするが、謙悟の手とタオルがそれを遮る。
「まだ拭いてる途中だから、首曲げんな」
「ご、ごめんなさいっ」
ぐきっとしてはいけない音がしそうな勢いで首を元の角度に戻す冴霞。謙悟の手は止まらず変わらず、優しく冴霞の髪を拭き上げていく。
「……長い方がいいですか? 先々切ろうかなって、思ってたんですけど」
「ん……、冴霞が切りたいんならそれでいいけど、俺としてはやっぱり冴霞は長髪ってイメージがあるし……それにもったいないだろ、ここまで伸ばしてるのに」
「はい……切っても多分また伸ばすだろうとは、思います」
ドライヤーのコンセントをつなぎ、強風で動作させる。タオルでは乾かしきれない水分を飛ばすために、また髪を傷めないために手早く。
それなりに音が大きいため、二人の会話は自然と一時中断。麻那が見ている昔のアニメの再放送を冴霞はなんとなく眺めていた。
確かに、長い髪を維持するのは大変ではある。しかし長年続けてきたというのも事実であり、むしろ髪型を変えて短くした自分をイメージしづらい、
というのが冴霞の中にあるのは間違いない。だからこそ、きってもまた伸ばすだろうという予想は容易に出来てしまう。
ドライヤーの音が止み、ゴトンとテーブルの上に置かれる。次いで謙悟はブラシを取り出し、冴霞の髪を一房取ってゆっくりとブラッシングを始める。
わずかに残るシャンプーとボディーソープの残り香。そして今まででもっとも長く触れている冴霞の髪に、謙悟は指を這わせ――――
そっと、首筋に触れた。
「ひゃっ……謙悟くん?」
「……静かに。麻那が気づくから」
「気づくって……んっ」
うなじに触れ、髪をすき上げ、普段は見えない首元を露出させる。自分以外が触れることなどない箇所だけに、他人に触れられるのは敏感になってしまう。
触れられるだけで鼓動が高鳴る。踏み込まれたことのない場所に、愛しい人の指がある。ただそれだけでこんなにも緊張してしまう。
謙悟もまたそれは同じだった。抱きしめたこともキスをしたことも、考えてみなくとも今日が初めてだ。出来ることならもっと触れたいと思うのは当然で
あり、抑えようと自制していても無駄だった。
今更だが、謙悟も冴霞が下着を着けていないことは分かっている。それをあえて指摘しない誠実さはあるが、やはりどうしても意識はそちらに行きそうになる。
薄布一枚。ただそれだけの儚い防壁の向こうに、恋人の全てがある。並の同年代の少年ならそんなシチュエーションに耐えることなどできない。
むしろそれを耐えていたからこそ今、自制が効かなくなっているのかも知れない。
冴霞が後ろを向く。謙悟が半歩だけ歩み寄る。膝を屈めて、そっと。
黒絹のヴェールをかき分けて、二人は触れるだけの口付けを交わした。
無事に乾燥した下着を身に着け、夕食の寿司を完食し、時刻はまもなく午後十時を迎える頃。
謙悟のベッドで麻那を寝かしつけていた冴霞は、出来るだけ音を立てないようにベッドから降りて、宿題を片付けている謙悟の隣に腰を下ろした。
「やっと寝たか。いつもはもっと早く寝かせてるんだけどな」
「やっぱりお昼寝が効いたんでしょうね。でも十時に寝せるなんて、ちょっと早いんじゃないですか?」
「ラジオ体操行ってるから、早く寝ないと起きられないんだよ。それに俺も、普段五時起きだし」
「ロードワークとはいえ、早起きですね……」
苦笑いを漏らす冴霞。謙悟はシャープペンをプリントの上に置き、ぐっと伸びをする。
「一通り終了……こんなに早く課題終わらせたの、初めてだ」
「何か飲みますか?」
謙悟の部屋には、小さいがペットボトル数本分と冷凍スペースが備わったミニ冷蔵庫が置かれている。そしてその上には紙コップもある。
「何でもいいよ、今そんなに入れてないから」
「はい。じゃあお茶にしますね」
冷蔵庫を開け、中からお茶を取り出しさらに紙コップを二つ取る。
とくとくとコップの中に注ぎ入れ、どちらからともなく乾杯。
「課題完走、お疲れ様ですっ」
「ありがと……いきなりなんだけど、明日時間ある?」
ぐいっと一気に飲み干し、謙悟が尋ねる。もちろん答えは分かっていたが、確認のためだ。
「特にありませんけど、どうしてです?」
「その、な……海にでも行かないかと思って」
「……海ですか?」
陽乃海市は海が近く、場所によっては自転車でそのまま泳ぎに行くこともできる。バスや電車でのアクセスも容易であり、夏場ともなれば海岸は
大勢の人で賑わうことは毎年のことだった。
「行くのはいいんですけど、私……水着は新調しないと。もう何年も学校以外で泳いでませんから」
「そっか。じゃあ、明日は水着買いに行こう。麻那も一緒にだけど……いいか?」
「はぁ……どうしたんですか? 急に海だなんて」
冴霞が疑問に思うのも当然だった。先ほどまで海に行こうという話題すら上っていなかったのに突然そんなことを切り出すなど、どう考えても不自然だ。
「いや……ちゃんと課題が終わったら、一回くらいは海に行こうって思ってたんだよ。正直こんなに早く終わるなんて思わなかったから、いきなりになっちまった
けど……ホント悪いと思ってる」
「いえ、いきなりだったから。それに私、謙悟くんとお出掛け出来るのは嬉しいです。だから誘ってくれればいつでもお付き合いしますよ? だって私、
謙悟くんの彼女なんですから」
きゅっと謙悟の手を握る冴霞。謙悟もその手を緩く握り返し、自然と距離を詰める。
ぎこちなさはまだ残っている。しかし今回ばかりは麻那という壁がない為に、二人の距離は今までにないくらい近く。
少しだけ慣れた四度目のキスは、互いに受け入れる余裕があったのか――――文字通りのディープキス。
「ん……ちゅ、ぅ、はぁ」
「っ、……んぁ」
荒い呼吸。粘度のある舌先を名残惜しげに離し、顔を見合わせる。熱い視線は雄弁に言葉を語っていた。
「もう、一回……?」
「はい……何回でも、ずっとでもいいです……っ」
求め合うように、貪欲なまでに。
今まで出来なかった一カ月分を、たった数分で埋めようとするかのように。
謙悟と冴霞は何度も何度も、決して飽きることのないキスを交わした。
あとがき:
あれ? 何だこの糖度? 甘いですよ?
あ、この日の夜はキス止まりなのでご安心を。まだまだこれからが長いので、
そんなにがっつかなくてもいつか時は来ますので。ええ。直接的には書きませんが。
これでようやく「Seaside」につながるフラグが立ちました。水着を買いに、三人でおでかけ。
そしてまたしても、思いもかけないキャラがでてくる……かも?
管理人の感想
麻那が寝てから、一気に糖度が上がりましたね。
4度目とはいえ、ファーストキスのその日の内にディープまで・・・謙吾はもちろん、冴霞も何かとたまっていたのかもしれませんね(笑)
・・・下着なしで慌てふためく冴霞に萌えたのは私だけでしょうか?(笑)
さて、次回はとうとう海への布石ですね。水着を買いに出かけるということで。
思いがけない人物の登場とありますが・・・もしかして、謙吾の記憶の中にいる彼女なのか。