風呂に入る。入浴する。シャワーを浴びる。

 それらは全ての季節に共通し、また現代の日常に置いて欠かすことの出来ないサイクルの一部を担う行為である。

 発汗や疲労で発生した老廃物を文字通りに洗い流し、身体を清潔に整える。老若男女に共通して行われる、いわば日常の常識だ。

 当然その行為は衣服の着用を許さず、また一連の工程が済めば入浴前に着ていた衣服ではなく、事前に洗濯しておいた新しい下着や、就寝時の

寝巻き・パジャマなどに着替えることが常とされている。

 せっかく清潔にした身体を、以前のままの汗や垢が付着した衣服や下着を身に着けるのでは、何の意味もない。

 そう――――それを、彼女は完全に失念していた。

け、謙悟くん!! 私、着替え持って来てません!!!!

 思い出したその事実に、冴霞は勢い良く謙悟にすがりついた。

 今日の冴霞の荷物はほとんど手ぶらに近い。ショルダーバッグには財布や携帯、カードケース、普段から使っているシステム手帳と筆記用具。

ハンカチにティッシュ、あとは汗拭きシートとスプレー、日焼け止め、そして滅多に使わない化粧道具くらいのものだ。

「……着替えったって、そんなのどうしようもないぞ。今着てるヤツをまた着るしか……」

そんなの駄目です! 絶対駄目です!! て言うか、あり得ないです!!!!

 渾身の力で否定される。あまりの迫力に謙悟はたじろぎ、ソファーに座ったままの麻那は驚きのあまり瞬きしか出来ない。

「謙悟くん、分かってますか!? 女の子にとって一番許せないのは、洗ってない下着を連続二日以上着る事なんですよ!? しかも夏場に!!

不潔にもほどがあります!!!!」

 世の中のやや怠惰な女性や、特殊な性癖を持つ男性を思い切り敵に回す発言だが、常識的に考えれば無論、冴霞の言い分のほうが圧倒的に正しい。

 身だしなみに気を遣う以上、当然衣服の清潔さというのは最優先されるべきものであり、しかも目の前には恋人がいるのだ。例えその恋人が

「構わない」と言おうとも、恋する乙女はそんな甘言に惑わされない。好きな人には綺麗な自分を見て欲しいというのがいつの時代も変わらぬ乙女心

であり、冴霞も当然その一人である。

「じゃ、じゃあどうするんだよ? 家に帰って換えの服、取って来るか?」

「でもそれだと、謙悟くんの家に帰ってくるまで二時間以上かかっちゃうんです……急いでも、多分八時半くらいに……」

 それでは家に帰るのと変わらないし、むしろ早い時間とはいえ既に夜である。陽乃海市は比較的治安も良く安全ではあるが、だからと言って危険が

ないと言い切ることは出来ず、謙悟としても冴霞を案じる気持ちは人一倍ある。夜道の一人歩きなどさせられない。

「……なら、風呂入ってる間に洗って乾かすしかないな」

「乾燥機つきなんですか?」

 ああ、と頷いて冴霞を脱衣所にまで案内する。脱衣所の扉を開けると、異様なまでの存在感を放つ重量級のドラム式洗濯乾燥機がどっしりと構えていた。

およそ市販品の中では高性能に分類されるその洗濯機は、やはり女性であり家事を担う謙悟の母・陽子が使うものでもある以上、下着などを洗う際に使う

手入れ系の洗剤も充実している。正直謙悟には、そこまでこだわる理由は良く分からないのだが……。

「えっと、これと、これと……うん、これなら何とか一時間くらいで乾かせます! でも謙悟くんのお母さんって、業務用洗剤なんて使うんですか?」

「ああ、一応看護師だし。看護師用の服なんかはたまに持って帰って洗ってるよ。業者に任せればいいのにな。けど……」

 言葉を続けようとするが、謙悟は少し言いづらそうに視線をそらす。冴霞はそれを不思議に思い、

「どうしたんですか?」

「いや、一時間も風呂入ってられないだろうと思って……」

「え、あ、あぁ……そうですね」

 納得。どう考えても入浴時間など三十分程度が限度だろうし、しかも麻那と一緒に入るのだ。まだ小さい麻那を三十分も風呂場に拘束したら、間違いなく

のぼせてしまうだろうし、冴霞の体調にも支障をきたすことは想像に難くない。

「あと……ズボンはまだいいですけど、コレは……着替えたいです」

 キャミソールのすそをちょっと摘み上げる。半日近く着ていれば汗も染みるだろうし、下着は妥協してもこれくらいは着替えたいというのが冴霞の

本音だった。

「シャツなら俺のでよければ貸すよ、ちゃんと洗ったやつな。ズボンは……どう考えてもサイズ合わないだろうから、紐で締めれるハーフパンツ、出しとく」

「はい。……ありがとうございます」

 とりあえずの応急処置だが、何も用意しないよりは遥かに良い。

 諸々の問題は完全には解決しないまま、冴霞は麻那とのお風呂に臨むのだった。

 

 

B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Seaside Vacation

 

07お泊りのために 〜おふろのじかん〜

 

 

 広いバスルーム。タイル張りの床に、大理石風にあしらった浴槽。浴槽はそれなりに広く、冴霞が足を伸ばしても向かい側までは届かないほど。

 シャワーの下にはシャンプー、リンス、ボディーソープのボトルが並んでおり、その隣りに麻那専用のお子様リンスインシャンプーがある。最近の

お子様用洗髪剤も、昔に比べれば大人のそれと遜色がないくらいに洗練されており、髪質を維持することにも長けているのだという。

「おねえちゃん、はやくぅ〜!」

 元気の良い麻那の声に呼ばれて、冴霞は洗濯機の操作を終える。自宅でもほぼ同じドラム式を使っているため、操作は比較的容易だった。これで

あと一時間もすれば、しっかり乾いた清潔な下着が出来上がるだろう。

 長い髪をくるくると馴れた手つきで纏め上げ、タオルで留める。とりあえずもう一枚タオルを用意していたのだが、謙悟は部屋で冴霞の着替えを

探しているし、脱衣所と廊下をつなぐ扉にはしっかりと鍵をかけてある。なので今、冴霞の一糸纏わぬ姿を見ることが出来るのは幼い同性の麻那だけだ。

隠す必要などどこにもない。

「麻那ちゃん、慌てないで下さい。ちゃんとお湯をかけないと」

 バスルームに入り、擦りガラスつきのドアを後ろ手に閉じる。麻那は待っていたかのように椅子に座り、冴霞の姿を下から見上げていた。

「ふあ〜……おねえちゃん、おかあさんよりおっぱいおっきい!!」

「ま、まなちゃんっ!?」

 突然投げかけられた言葉に思わず転びそうになる。だが幼女の遠慮のない視線はすみずみまで冴霞の身体を観察しており、今まで見たことのない人の

裸に興味津々といった具合である。

「あ、あんまりジロジロ見るものじゃないんですよ?」

「だって、ほんとにおっきいし、きれーだもん!!」

 きらきらと麻那の目が輝いている。それは好奇とともに、少なからず無意識の憧れ的要素もあるのだろう。

「いいから、ほら。お湯かけますよー……」

 手桶に湯をすくい入れ、肩からざばっとかけていく。麻那には熱いだろうということで、謙悟がお湯の温度を少し温めにしている。

「いつも謙悟おにいちゃんとお風呂に入るときは、どんな風にしてるんですか?」

「おかお洗って、からだこすって、あたま洗うの。さいごにおふろ」

 ふむ、と納得しながら冴霞は膝を落とし、立て膝で床に座る。小さい子供を風呂に入れる経験など今まで一度もなかった彼女だが、麻那がちゃんと

順番を把握しているのならやりやすい。

「じゃあ、おにいちゃんと同じ順番で行きましょう。お顔はいつも自分でしてます?」

「うん、できるよー」

 洗顔フォームのチューブを取り、手のひらにひゅるっと勢い良く搾り出す。若干量が多い気もしないでもないが、冴霞はあえて口を出さない。

 母親や謙悟の見よう見まねなのだろうが、麻那の手つきは特に危なげなく洗顔フォームをあわ立たせ、顔にぺとぺとと泡を付着させていく。

「じゃあ麻那ちゃん、ちょっと失礼しますね」

 指先で泡を掬い取り、ゆっくりと顔全体になじませていく。子供特有のきめ細やかで柔らかな肌の感触を感じながら、冴霞の長い指は小鼻の周りや

下唇の下、目蓋の下からくるりと目を覆うように動き、眉間をきゅっと通して額へ辿り着き、そこからさらにこめかみを経由して耳周りまでを優しく擦る。

 実際にやってみるとわかるが、冴霞の指の動きは一度も顔から離すことなく出来る動きであり、洗いづらい場所や汚れが浮きやすい場所である。

 鼻や目の下、特に耳周りは普段からなかなか気の回らない箇所でもあるので、しっかりとケアしておかなければすぐに汚れが溜まってしまう。

「はい、おしまいです。お顔の泡、流しますよー」

「ん〜」

 たっぷりとお湯を含ませたタオルで優しく泡をふき取る。これもスキンケアの一環であり、肌を傷めないためのものである。勢い良くお湯で流しても

なんら構わないのだが、ふとしたきっかけで鼻や耳からお湯が入ってしまわないとも限らない。

「はい、出来ました」

 優しい手つきで額に張り付いた髪の毛を整え、おでこを露出させる。麻那も肩にかかるくらいには髪が長いので、本当ならクリップで留めても構わない

のだがあいにく留められるようなクリップはない。

「麻那ちゃん。からだ洗う前に、ちょっとだけ髪の毛濡らしますね」

「? うん」

 洗面器に浴槽からお湯を取り、手を濡らす。そして一気に麻那の髪を手櫛でかき上げ、襟足できゅっと絞る。

 簡易オールバックで長くは持たないが、それでも何もせずに放置しておくよりはマシだ。髪の毛が落ちてくる前に手早く身体を洗ってしまえば、十分

髪留めクリップの代わりにはなる。

「じゃあ、こんどはからだ。洗っていきましょう!」

「はいっ」

 

 

 

「コレでいいか……」

 クローゼットの奥にあるタンスからシャツとハーフパンツを取り出し、ベッドの上に置く。シャツは妙な絵柄が入っているものじゃなく、紺の無地。

 ベージュ色のハーフパンツは去年まではいてたもので、紐でウエストを締めるタイプだ。本当なら捨てようとも思ってたものだが、不精して忘れていた

おかげで今回は助かった。

「あとは、寝るとこくらいか」

 俺は呟いてから、自分でもあまり選択肢がないことに気づく。

 まず、お袋が帰ってこないこと。この時点で俺と麻那が一緒に寝ることはまず確定だ。これまでもお袋がいないときはいつも一緒に寝ていたし、

麻那は一人で寝ることなんて想像もしていないだろう。

 そうすると、冴霞のほうが問題になる。一人でお袋の部屋に寝てもらうのはさすがに悪いし、だからって俺と一緒に寝るのは……正直、俺も困る。

 いや、気がつかないうちに一緒に寝てたのは分かってるんだが、それでもあの時とは状況が違うというか。てか、誰に言い訳してるんだ俺。

いまはそんな桃色思考は隅に追いやって、寝床だろう。

 とりあえず選択肢その一は、麻那を冴霞に押し付けて、お袋の部屋で寝てもらう。麻那も冴霞には懐いてるし、特に文句は言わないと思う。

 ただし、これだと冴霞から不満が出そうだ。なんだかんだと恥ずかしい台詞を言って俺と一緒に寝たがるというのは想像に難くない。

 よって、選択肢その二。これがある意味一番現実的かつ安全、三人でこの部屋で寝る。

 麻那がいれば俺も冴霞も変な事は出来ない。あいつがいることによって抑えになることは間違いないから、精神的にも非常に楽だ。

って、べ、別に変な事をしたいわけじゃないんだからな? 勘違いするなよ?

「はぁ……まだもう少しかかるかな」

 テレビの下にあるDVDレコーダーのデジタル時計を見る。二人が風呂に入ってからまだ十分ちょいしか経ってない。普段俺と入る時なら、そろそろ

風呂から出る時間だ。だけど電気温水器の呼び出し音がまだ鳴らないってことは、もうしばらくは入浴タイムが続くんだろう。

 そうすると、俺自身は探し物を見つけたのでする事がない。夏休みの課題も今年はペース良く手を着けていたんで、完走までそんなに時間はかからない。

完全に手持ち無沙汰になった俺は……久しく忘れていた、『アイツ』のことを思い出した。

 正直、思い出すのもあまり良い気分じゃない。それにもう二年以上会ってもいないし、話してもいない。

 携帯のメモリーには、まだ番号が残ってる。その気になればいつでも電話できるし、会うのはそんなに難しいことじゃない。

 きっと今会えば、あの時のことを謝る事も出来るだろう。一方的に突き放して別れたんだ、後味なんて悪くて当たり前。出来ることなら綺麗に清算したい

ってのはあるけど、それも俺のワガママだっていうのはちゃんと分かってる。今更どの面下げて会えるものか。

 ――――だけどそんな考えとは逆に、携帯のメモリーを呼び出して画面に名前を表示させる。

 何故消さなかったのかと言われれば、当時は着信拒否のため。機種を変えた今でも律儀に番号を登録してるのは、販売店でやってもらったときにそのまま

データが移行されて、消すのを忘れていたデータが残ったから。

「古谷、美優……」

 口にすれば、それは懐かしい響きだった。登録ナンバーのすぐ脇に、古谷がカメラで撮った小さな顔写真がこっちを見てる。

 忘れたはずの、でも決して忘れられない三年前の冬。

 新崎謙悟は古谷美優という女の子を、もう二度と関わらないと拒絶したのだ――――。

 

 

 

 ちゃぷちゃぷとお湯を揺らす麻那ちゃんを後ろから抱きかかえて、私は胸元までゆったりとお湯の中に身を浸していた。

 麻那ちゃんが、その……大きいと評した私の胸は、自分で言うのもなんだけどそれなりにあると思う。だけど以前会った柊木要さんほど大きくはない。

 厚手のコック服の上からでもそれと分かる大きさはかなりのもので、あの大きさはおよそ高校生の域では考えられないなぁ、と思ったりもした。

 今、麻那ちゃんは私の胸を背もたれにして、五十までの数を数えている。お風呂の締めはいつもこれをしているらしく、この体勢はお母さんと一緒に

入るときにする体勢だそうだ。確かに、謙悟くんがこの体勢だと……さすがに兄妹とはいえ、問題があると思う。

「さんじゅーいち、さんじゅーに、さんじゅーさん……」

 カウントアップは続いている。だがその間延びした幼い声と、適度にぬるいお湯のせいで、私は少し眠たげだった。

 理由は分かっている。昼寝で二時間ほど中途半端に眠ってしまったために身体が睡眠を欲しているのと、麻那ちゃんを洗った後に自分の髪と身体を洗った

為に、やや時間を取り過ぎてちょっとばかり、のぼせ気味なのだ。

「ふぅ……」

 溜め息。頭がぼんやりするのを避けるために、ふっと天井を見上げて考え事をする。

 自分でも大胆だとは思う。だけど、謙悟くんと片時も離れたくないという気持ちに嘘はない。人様の家にお泊りなんて、人生初だ。

 キスをしてくれた時は本当に嬉しかった。みっともなく泣いてしまったけれど、あんなにあっさり悲しくて情けない気持ちが飛んでいくだなんて、

まるで魔法か何かをかけられたみたいだった。

 口唇の感触は今でもしっかり残っている。もしあの時麻那ちゃんが来なかったら、私はそれこそ窒息寸前になるくらいまで謙悟くんとキスを

していただろう。本当、自分で自分が恐ろしい。こんなに謙悟くんを好きになるなんて思っていなかった。

 ……だけど、時折不安にもなる。

 謙悟くんに聞いたわけではないけれど、彼の態度はちょっと……女の子の扱いに慣れているようにも感じる。

 私がぎこちないだけだと言われれば否定できない。だって、男の人と付き合うのは初めてだし、謙悟くんはある意味初恋の相手だから。

 でも……もしかしたら。

 謙悟くんは、私が初めてではないのではないだろうか……?

「……やだな、嫉妬だなんて」

「しっと?」

 いつの間にか、麻那ちゃんが私の顔を覗き込んでいた。もう五十数え……ってぇ!?

「まっ、麻那ちゃん!? どこをつかんでるんですかっ!!?」

「おねえちゃんのおっぱい!」

「そんなとこつかんじゃ駄目ですっっ!!」

 麻那ちゃんを引き剥がそうと咄嗟に手を伸ばし、偶然その手がお風呂のパネルに当たる。そして響くのは、外にいる人を呼ぶメロディ。

 ……ちゃんと下着が乾くまであと三十分。私は今頃になって、その事がもたらす衝撃過ぎる事実を認識していた。



あとがき:

本来ならここまでで第六話の予定だったのですが、総合してみれば分かるとおり
かなりの量になってしまうので分割。
そして気になる『アイツ』……あらため古谷美優という存在。今は会うこともないその女性は、
謙悟と冴霞の間に少しだけ暗い影を落としているようで……。


管理人の感想

今回は二話同時のUPとなりましたので、感想も二話分まとめていきたいと思います。


謙吾の母親が帰ってこないと知り、ある決意を固める冴霞。それは自身の母親に対して付く、初めての外泊理由の嘘。

それが原因で、謙吾と言い合いに。この二人、もしかしたらこれが初めての喧嘩といえるものなのかもしれませんね^^;

意地の張り合い。我を通す主張。とうとう冴霞は、謙吾の家を飛び出してしまう。

けれど冴霞の素直な想いは、自身の足を止め、恋人を信じて待つ。

そしてファーストキス・・・むう、まるでドラマのように綺麗な展開ですね。

麻那がGJ(もしかくはKY?)すぎて笑えた^^


お・ふ・ろ・ターイムッ!!(爆)

はい、無駄にテンション上がってしまいました。スンマセン(笑)

そして奇しくも、二人とも考えることは謙吾の過去のこと・・・謙吾にしては思い出したくもない記憶のようですが。

古谷美優・・・彼女が過去に、いったい謙吾になにをしたのか?その点にも注目して、続きをお楽しみに!


2008.1.26