「失礼します……」
なんとなく聞き覚えのある声。その声に反応して、俺はウェイターの顔を見た。
見覚えはある。何度か体育の授業で一緒になったやつだ。けど名前は……思い出せない、というか覚えてない。
「えっと……よう、久し振り」
「ああ、久し振り」
挨拶に返って来たのは、機嫌が悪そうにも聞こえる淡々とした口調。なんとなくだがウェイターにしちゃ態度が悪い。
「ここでバイトしてるのか?」
「一ヶ月くらい前からな」
ぶっきらぼうに言い放ち、トレイから少し大きめの皿をゆっくりと置いて、その隣に小皿を二つ並べるウェイター。
「あの、私たち注文していないんですけど?」
「いえ、こちらはサービスです。一組様限定、本日限りのスペシャルでございます」
「はぁ……ありがとうございます」
冴霞はぺこりと会釈してお礼を言うと、すこしだけ前のめりになって
「失礼ですが、謙悟くんのお友達ですか?」
「……いえ、ただの顔見知りです、生徒会長。友達というほど親しくはありません」
突っぱねるような言い方。名前も思い出せないウェイターのその言い方は、正直不愉快だった。
不愉快の原因は分かってる。俺に向けられたものならいざ知らず、その態度が冴霞に対してだから。
だがここで変に怒っても、逆に冴霞を困らせるだけだ。それにそんなくだらない一時の感情で、せっかくのこの店の雰囲気が台無しになる
のは俺としても不本意だった。
だから俺が堪えればそれで済む事。あの時みたいに手を出しても良いことなんかないって事は、十分承知してる。
「――――……新崎」
「ん……何だ?」
ウェイターに呼ばれて顔とともに視線を向ける。
整った顔立ちに似合わない冷めた目。それが見下すように、俺を見ていた。
「お前、俺の名前なんて覚えてないだろ? なにが久し振りだよ、適当な事言って」
「……悪かった」
不機嫌の理由はそれか、と思った。確かにこのウェイターの言うとおり、声をかけておいて名前を呼ばないんじゃ、そう思われても
仕方がないし何より事実だ。非は完全にこっちにある。
「今度はちゃんと覚える。だから、教えてくれないか?」
「……」
頭を下げて頼む俺を、ウェイターはどんな心境で見ているのか。そして冴霞は今、どんな顔をしてるのか。
そんなことを考えていると――――下を向いた俺の視界に納まっていたウェイターの足が、遠ざかっていくのに気がついた。
「……っ」
怒りもあった。だがその一方で、仕方がないと思う部分もあった。俺が仮に同じ立場だったとしたら、相手を許せる自信がない。
それだけの無礼を俺はあのウェイターに働いていたのだと思えば、不思議と心に波風は立たなかった。
だけど、それはあくまで俺だけの話。
「待ちなさい!!」
毅然とした、そしてよく通る凛とした声。
それは今まで聴いたことのない、いや、これまでもよく耳にしていたけど、忘れかけていた声。
「その態度は何ですか!? それが貴方の、謝罪をした人間に対する態度ですか!! 今すぐここに戻りなさい!!」
そこにいたのは、俺の彼女の今村冴霞ではなく。
県立陽ヶ崎高等学校生徒会・生徒会長としての今村冴霞だった。
B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in
03.誤解→解決→友情……?
謙悟に素直に謝られた瞬間から、継は自分がひどく矮小な存在に思えてならなかった。
聞いていた話や、自分が抱いていた印象とはまったく違い、新崎謙悟の反応や言葉はどれを取っても間違いなく紳士的であり、
また礼儀に則った大人の対応だった。そういったことを自然な振る舞いで実行できるということは、同年代ではとても容易には出来ない
ことだと、継は自分に照らし合わせて深く思い知らされた。
それは紛れもない衝撃であり、そしてその後の言葉と態度もまた、継の心を大きく揺さぶるものだった。
「――――今度はちゃんと覚える。だから、教えてくれないか?」
冗談じゃない。なんでこいつはこんなことが出来るんだ。
俺はお前を非難した。そして何の関係もない会長にも失礼なことを言った。
なのにどうして、こいつは俺に頭を下げてくるんだ。
信じられない。俺には出来ない。俺は、こいつみたいには出来ない。
冷静さを取り戻せば、それは継にとってもそう難しいことではないはずだった。だが同じような言葉と態度を自分が浴びせられたのならばと
想像してみると、謙悟のように振舞うことなど到底出来ないと、継自身の思考が告げていた。
だから、継はその場から逃げたかった。目の前で頭を下げている謙悟から、少しでも遠ざかりたかった。
直視していれば、いかに自分がしていたことがちっぽけだったかを浮き彫りにさせられる。だからどれだけそれが失礼だと思っても、
何も言わずに立ち去ろうとすることしか、継には出来なかった。
だが、継の態度は。
「――――待ちなさい!!」
目の前で恋人に無礼を働かれた冴霞には、許し難いまでの怒りの対象でしかなかった。
「――――その態度は何ですか!? それが貴方の、謝罪をした人間に対する態度ですか!! 今すぐここに戻りなさい!!」
裂帛という言葉がこれ以上ないほどに当てはまる冴霞の声は、文字通り店中に響き渡る。当然オーナーである宗一郎と、シェフであり
妻の千景も奥からその様子を伺おうとしていたが、二人は娘である要によって厨房に引き止められ、固唾を呑んでフロアを見つめていた。
「……要、継くんは何をしたんだ? あのお嬢さんが怒るようなことをしたのか?」
「え、えっと……と、とにかく、今は黙ってみていて欲しいの……もし何かあったら、あたしが行くから……」
要のそんな思いなど知る由もなく、しかし継はゆっくりと冴霞のほうへ振り返り、ゆるゆると歩みを進める。
継の表情は先ほどまでの無表情で冷淡なものとは打って変わって、頼りないものに変わっていた。
なるほど、表情だけを信じるのならば己の言葉や態度を悔いていることは察しがつく。だが冴霞にはそれはさして重要な問題ではない。
肝心なことはたった一つしかないのだから。
椅子を立ち、継に歩み寄る。足取りは力強く、一切の揺るぎがない。
ほんの数歩、たったそれだけの距離を踏破し。
ほとんど身長差のない冴霞と継は、手を伸ばせばそれこそ殴り合いが出来るくらいの近さにいた。
「貴方と謙悟くんがどういう間柄なのかは存じません。貴方の言葉を借りるのなら、ただの顔見知り。だとしても先ほどの貴方の態度は
常識的な人間のものではなく、また謝罪をした人間に対して取るべき行動でもありません。その程度のことは分かりますね?」
強制的な再確認。冴霞が突き立てた言葉の刃は、既に自己嫌悪で傷ついた継の心をさらに痛めつける。
「……っ」
「……返事が出来ないのならそれでも結構。理解していただけたと思っています。――――でしたら、貴方が謙悟くんに対して取るべき
行動も当然分かっているはずでしょう」
謝罪を受け止め、名前を伝える。
ただそれだけで、この争いは決着がつく。
もちろん冴霞も、こんな無理矢理な手段で問題を早急に解決させることは不本意の極みだ。人と人が理解し合うには当人同士の会話や
触れ合い、時には長い時間さえ要することは彼女自身も十分承知している。
だが、焦らずにはいられない。
今は理性で抑えてはいるが、内心冴霞は継に対し怒り心頭していた。
もし後ろに謙悟がいなければ、この場で継の頬に平手のひとつでも見舞ってやりたいくらいだった。それほどに継の行為は冴霞の理性を
薄弱にし、また同時にどれだけ彼女が謙悟のことを大切な存在と思っているかが理解できる。
しかしそんな事をしても何もならないばかりか、目の前の名前も知らない彼にも、そして謙悟にも自分自身にも深い傷を負わせてしまう
ことを、冴霞は十分承知していた。だからこそ怒りに震える身体を抑え込み、この場を話し合いのみで片付けようとしている。
暴力は何も解決しない。ただ新たな禍根という火種を無闇に撒き散らし、争いの火を大きくするだけ。
そう、それを知っているからこそ。
謙悟は冴霞の手を引いて、彼女と継の間に割って入った。
「冴霞、もういい。ここまでにしてくれ」
「謙悟くん……。で、でも! まだ何も終わっていないのに!」
振り返り、悲しさと悔しさの入り混じった表情を向ける冴霞。謙悟は不器用に微笑みながら、彼女の肩をぽんと叩く。
「いいんだ。ありがとう……っと、その、悪かったな。コーヒーとさっきのスパゲッティ食べたら、すぐ出て行くから」
「……っっ!!」
ぎり、と歯を鳴らして、継は俯いたままフロアを後にする。冴霞は一瞬引きとめようと手を伸ばすが、その手は謙悟に掴み取られ、
ゆっくりと下方に降ろされた。
「……謙悟くん、……謙悟くんは、優しすぎます」
「そうかな。自分ではそんなつもり、全然ないんだけどな……」
つかんでいた手をそっと離し、謙悟は席に座るように冴霞を促す。
「あ、あの……新崎くん」
「ん?」
椅子に座ろうとしていたところで呼び止められ振り向くと、いつの間にか要が立っていた。二十センチ以上もの身長差があるために
要は見上げるほど大きな謙悟にやや恐る恐るではあったが、しっかりとした声で。
「ごめんなさい! 継くんが失礼な事をして……本当はあたしが行くはずだったのに、継くんが、新崎くんのこと誤解してて……!」
要のそこまでの説明だけで、謙悟も冴霞もおおよその事情は飲み込めた。
朝岡との一件から発した、誤解という情報網。それは図らずもこのような場所までネットワークを張り、起こり得るはずのなかった争いを
引き起こした。
「いいさ。経緯はどうあっても、俺が朝岡を怪我させた結果が変わるわけじゃない」
「でも、分かりました。……新崎くんは悪い人じゃない。継くんがあんな事言ったのに怒らなかったし、それに……どうみても今日一番悪い
のは継くんだから。あとでちゃんと叱っておきます」
あいまいな表情ではあったが、要はそう言って謙悟と冴霞に微笑んだ。
「ほどほどにしておいて下さいね。あんまり追い詰めると、彼もついカッとなっちゃうかもしれませんよ?」
「お前がそれを言うか」
くしゃっと冴霞の髪の毛を乱暴にかき回す謙悟。抗議するように謙悟を見上げる冴霞。そして――――これまでの二人のやり取りを見ていた
要は、ようやくひとつの結論に行き当たった。
「……新崎くんと会長さんて、お付き合いしてるの?」
「あ……えっと」
「あんまり公にしたくないんだけど、まぁそういうこと」
謙悟がそう言うのも無理からぬことだった。その原因は当然ながら朝岡との一件にあり、仮に二人が交際していることが露呈すれば、事態の前後
に関わらず大衆はあらぬ誤解をし、謙悟だけではなく冴霞の学校内での立場も危うくなる。要はそれを察し、ぎゅっと胸元で手を組んだ。
「誰にも言わないよ、安心して。会長さんも……約束します」
「ありがとうございます……その、失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「あ、ああぁ、ごめんなさい! あたし二年五組の柊木要っていいます!!」
豪快に頭を下げる要。場所が場所ならテーブルに頭を打ち付けて悶絶しそうな勢いである。
「そんなに恐縮しないで下さい。改めて、今村冴霞です。ところで……さっきの彼のお名前はなんと仰るんですか?」
「継くんです。高平継くん。あたしの幼馴染で……その」
もじもじと指を交差させ、やや頬を赤らめる。冴霞はそれだけで得心が行ったようで、くすっと嫌味のない笑みを漏らした。
「何というか……大変ですね」
「はぇ!? は、はい……色々と。正直、会長さんが羨ましいです」
「いえいえ、こちらもこちらで、色々大変なんですよ……ね、謙悟くん?」
「よく分からんが、当事者に同意を求められても困る」
不機嫌そうに答える謙悟。どこか子供じみた思いがけないその態度に、冴霞も要も、声を殺して笑っていた。
「さて、と……」
数分後。
フロアから戻り、厨房を抜け、裏口の扉を開ける。廃棄や従業員の出入り口兼非常口となっている扉の向こうに、継は待っていたかのように
要を見上げた。
「継くん、あたし新崎くんと話したよ」
しゃがみ込み、視線を合わせる。継は何を言うわけでもなく、ただすがるような覇気のない瞳で、要を見ていることしか出来なかった。
「……さっきの継くんは、かっこ悪かった。つっかかって、謝られたのに逃げちゃって、会長さんの言うことにも答えない。ほんとだったら、
継くんは新崎くんに怒られても何も言えないんだよ?」
「…………分かってる。悪いのは、全部俺なんだ」
「ん……。新崎くんからね、伝言があるの。直接言った方がいいって、あたしも言ったんだけど……新崎くんがどうしてもって」
びくっ、とわずかに継の肩が震える。
気を遣われたことはすぐに分かった。直接顔を合わせれば、自分はそれこそ何も言えないか、あるいは逆に謙悟にまた突っかかっていくだろう。
その行動が容易に想像できるから、尚更継は自分が情けなくなった。謙悟もおそらく、それを見越している。
悔しいとも思った。だが、聞かなければいけない。
いつか再び、謙悟と会ったときに。
真っ直ぐ彼の方を向いて、謝ることが出来るようになるために。
「……教えてくれ。新崎は、なんて……?」
「うん」
うなずき、一呼吸置いてから要が口を開く。
「またこのお店で、同じように会いたいって。そして出来ることなら継くんが淹れたコーヒーを飲んでみたいって」
「――――」
それは、なんてささやかな伝言で、なんてかっこいい台詞だろう。
不遜な態度には微塵も触れず、ただ継と再会したいという事だけを込めた、それだけの伝言。
「おいしいコーヒー淹れられるように、頑張らないとだね」
「……約束はできないけど、な」
立ち上がろうとする継に、先に立ち上がった要が手を差し伸べる。継はその手をしっかりと掴み、ぐっと力を込めて立ち上がった。
「お父さんもお母さんも心配して、さっきからそこにいるよ。ちゃんと謝ってね」
「うん……要も、ゴメンな」
「いーよ。だって継くんだもん」
花咲くような美しい笑顔。継もまた、はにかむように微笑む。
全てが決着したわけではないが、謙悟と継の関係はまたこの店で出会うときには、幾ばくか改善しているだろう。
その日がいつ来るのかは、また少しだけ後の話。
あとがき:
人の考えというのはいつの時代も複雑多様にしてある種の怪奇。
しかし通じ合えば鉄よりも強固になり、破壊する事は容易ではない。
謙悟と継がそこまで友情を深められるかどうかは、まだまだ友人ですらない
二人には未知の領域。
……女の子同士は理解し合えてるようですが。
管理人の感想
・・・一言言わせて貰います。
謙吾、かっこよすぎだろう!!(笑)
私の思っていた以上に紳士なキャラでビックリしましたよ〜。
普通あんなこと言われたらプッツン逝っちゃうと思うんですけどねぇ・・・。
冴霞が不遜な態度で接されたときも、冴霞の事を思ってキレるんじゃなくて、冴霞の事を思って自分を抑える。・・・なかなかできないことですよ。
対して継の方はというと。
まあ自己嫌悪している分、悪い人間ではないと分かるのですが・・・謙吾に比べると、やはり言動が幼すぎる。
でも反省もしているようですし、次に会う時にはきっと仲直りできることでしょう^^