B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
「これで、冴霞の昔話はおしまいです。あとは謙悟さんも知っていることのほうが多いでしょうから」
グラスを取り、残っていたウイスキーを全て飲み干し、悠香はボトルの栓を締め直した。中身は半分ほども減り、そのうちの七割を悠香が消化したにも
関わらず、彼女はまるで酔ったそぶりを見せない。本当に強いんだな、と謙悟はほろ酔いの意識の中でそんなことを思った。
謙悟も酔ってはいるが意識ははっきりしており、また理性も保てている。水割りとはいえ都合八杯も飲めば、未成年でなくとも普通にぶっ倒れそうな
ものだが、遺伝のおかげかそれとも話に夢中だったためか、まだ少しは余裕がありそうだ。
「その……男の子っていうのは、冴霞が言ったんですか?」
「ええ。見慣れない本を読んでいたので、どうしたのかと尋ねたら教えてくれました。今もあの子の部屋の本棚に置いてありますわ。大事そうに、わざわざ
本屋でカバーまで買ってきて。冴霞にとっては何よりも大切な思い出なんでしょうね」
ボトルを床下に仕舞い、グラスを持ってキッチンへ向かう悠香。謙悟も空になったグラスとピッチャー、そしてアイスペールを持って彼女の後に続く。
「あら、ありがとうございます。……もし会えるのなら、私もその男の子に会ってみたかったです。冴霞のことを救ってくれたお礼を、ちゃんと言って
おきたいですし。まあ、叶わない願いだとは思いますけど」
「そう、ですね……あの、冴霞の部屋に行ってもいいですか? あと、ミネラルウォーターとかあります?」
謙悟の申し出に、悠香は微笑みを返す。
「でしたら、良かったらこの子も連れて行ってもらえますか? 自分ではドアを開けられませんから」
悠香と謙悟が視線を降ろすと、そこには冴霞を主人とするバーマン、シルビアがお座りしていた。謙悟はしゃがみ込んで、彼女をそっと抱き上げる。
「洗い物が終わったら、私はお風呂に入ります。謙悟さんはその後でよろしいかしら?」
「いや、俺は最後でいいですよ。客が家の人間より先に入るなんて、失礼でしょう」
謙悟の真面目な返答に、悠香はあらあらと楽しげに笑いながら冷蔵庫からミネラルウォーターの一リットルペットボトルを取り出す。さっきまで謙悟が
ピッチャーに入れていた水もこれなので、今度は悠香の小細工も弄されていない。
「では、冴霞と一緒に入ってはいかがかですか?」
「お母さん……からかわないで下さい。じゃあ、失礼します」
キッチンを出て、廊下とをつなぐドアが閉まる。悠香の隣りにはシルビアと一緒になってお座りしていたフレデリカが、スタンドチェアーに器用に
飛び乗り、主人が洗い物をしながら楽しげに笑っているのを見ていた。その視線に気づいた悠香は、水に濡れた手をタオルで拭いて、フレデリカの顎を
ころころと転がす。
「素敵な男の子ね。フレデリカはどう思う?」
フレデリカは問いかけには答えず、まだ湿り気の残る悠香の手をぺろ、と舐めた。
22. 二人を繋ぐもの
謙悟がドアを後ろ手に閉め、シルビアを床に降ろすと、彼女はそのまま主人が眠っているベッドの上に乗ってころんと横になる。
時計を見れば時刻はもう九時近い。部屋を出るときは気持ち良さそうに眠っていた冴霞だが、今はどことなく苦しそうだ。きっと酔いが回って、眠気
だけではなく吐き気などの不快感も迫り出して来ているのだろう。
「起きてるか? ずっと同じ体勢だと辛いんだから、起き上がった方がいいんじゃないか?」
「ふぁい……ぅしょ」
ベッドの上にぺたんこ座りをする冴霞。目を両手でこしこしと子どもみたいに擦り、それが終わると『ぽへー』という擬音が出てきそうな気の抜けた
表情で謙悟を見上げた。
「……おはようごじゃいましゅ」
「…………え?」
呂律の回っていない所の話ではない。普段の冴霞からすれば明らかにおかしいと言っていい発音に、謙悟は耳を疑いながらもベッドに座り込む。
「冴霞? まだ酔ってる?」
「酔ってゆ? 酔って……あははははっ」
座ったまま足だけ動かして身体の向きを変え、にこにこと謙悟を見つめる。いつもとはまるで違う無邪気な笑顔はそれはそれでとても可愛らしいと
謙悟も思っている(←バカップル化の弊害)が、落ち着いて考えてみれば、冴霞はどうやら――――
「笑い上戸なのか……ほら、水飲むか?」
「はぁぃ」
差し出されたペットボトルを両手で、しかしどこか危なげに持ち、こくこくと子どものように音を立てて飲み、そのまま三分の一ほどを飲み終える。
「ぷあっ……っけぷ」
可愛らしいしゃっくり。謙悟は冴霞の手からペットボトルを受け取り、そっと額に手をやる。
「気持ち悪いとか、吐き気とか、ない?」
「? ……ぁぃ、らいじょぶれしゅ」
額に当てられていた謙悟の手を両手で握る冴霞。謙悟は抵抗せず冴霞の導くままに、手の平で額から頬にふれ、そのまま柔らかく湿った口唇に触れる。
「ぁむ」
「いい子だからやめなさい」
指を咥える冴霞に注意をするも、冴霞は「えへへ〜」とだらしなく笑うばかりで行為自体を止めようとはしない。無理矢理に引き抜くことは造作もない
のだが、まるで小さな子どものような、冴霞の普段とはまったく違った幼稚で純な甘えを拒むことは、謙悟には出来なかった。
「ひゃむ……ひょっぱい」
ぬちゅっ、と粘度の高い音とともに引き抜かれ、生暖かい口内から解放される。だ液でべとべとになった人差し指は室内の照明に照らされて鈍い光を
放っていた。時と場所さえ違っていれば冴霞の行為は全く別の意味を持って行われるものでもあるのだが、今の冴霞にそれが理解できているはずもなく、
また謙悟もそれを求めてはいない。
謙悟はどろどろに濡れた人差し指を自分のポケットに一応入れておいたハンカチで拭くと、溜め息をついてから冴霞を見た。すると冴霞はちらちらと
謙悟の足を見ながら、何故かうずうずしている。
「えっと……なんでしょうか?」
「抱っこっ」
ど直球な要求。しかもその発音だけしっかり出来ているあたりが何とも言えず呆れてしまう。
「ったく……どうぞ、お姫様」
「♪」
ベッドの上に立ち上がり、よたよたと一、二歩だけ距離を調整してから、謙悟の太ももにお尻を落ち着ける。後ろからの抱っこではなく、朝と同じ横抱き
気味の体勢。この体勢ならばちゃんとお互いの顔を見ることが出来るし、どちらかの意思ですぐに密着できる。とはいえ、そこまで今の冴霞が分かって
やっているとは思えないが。
「笑い上戸じゃなくって、甘え上戸だな。冴霞ちゃんは」
くしゃっと頭を撫でて、冴霞の顔を見る。潤んだ青い瞳は真っ直ぐに謙悟を見つめ、キラキラと輝いている。魔力のような魅力を持ったその瞳に引き寄せ
られるように、二人は初めて、冴霞の家で口付けを交わした。
「ぁぅ……けんごきゅん、おしゃけくしゃい……」
「きゅんとか言うな。それに、冴霞だって酒臭いんだからな?」
ちゅ、ちゅ、とついばむようなキスを何度も重ねる。あまり長くて深いキスをすると、謙悟の中に残っているアルコールの匂いや成分が冴霞をさらに
酔わせてしまう。それを気遣っての行為だったが深浅の違いはあっても、回数が度を越せば結局変わらない。そしてなにより、回数の分だけ互いの中に
ある欲求とアルコールによって緩んだ理性のタガが、徐々に二人を大胆にしていく。
「にゃっ……ぅん」
ぽす、とベッドに横たわる冴霞。この部屋に香る甘い匂いはカクテルの残り香だけではない。
冴霞の香り。甘くて優しく、包み込むような心地良い香り。その香りに酔わされて、謙悟は冴霞の横に寝転がり、半身だけ覆いかぶさるように体勢で、
再度求めのキスを落とそうとした時――――ふと、視界の隅に本棚が見えた。
『――――今もあの子の部屋の本棚に――――』
悠香の言葉が過ぎる。酔って薄くなった意識がわずかに戻り、謙悟はベッドから出ると、本棚の中から。
大事そうに、埃一つ積もっていないカバーつきの古書へ手を伸ばした。
はらり、と落ちたのはくすんだ赤色のリボン。先端をXの字に切り、何度も結んだ跡が残っている。
知っている。悠香に聞いた冴霞の昔話。古書店で栞代わりにしていたリボン。
それは七年前に。
あの日、あの女の子に巻いてあげた、おまじないのリボンだった。
あの春の日。
謙悟の空手の師匠である大崎達(すぐる)に頼まれて、『愁久堂』の掃除を手伝いに来ていた。老店主は日曜に通院しており、病院側もそれを承知して
いたため、『愁久堂』の休日の掃除は謙悟の毎週の予定の一つだった。
もっとも、当時の謙悟からすればそれは丁度良い息抜きだった。空手や剣道も厳しい中に楽しさがあるが、たまにはまったく違ったことをするのも良い、
と師にも言われており、謙悟自身、掃除をすることは嫌いではない。それになにより、この年の秋には謙悟の弟か妹の誕生が控えていた。
良いお兄ちゃんになってね、とは母・新崎陽子の言葉であり、謙悟ももちろんそのつもりだった。家事の手伝いは父・徹と分担してこなし、料理は流石に
まだ危ないとのことで簡単な手伝いだけだったが、掃除や洗濯はしっかりこなせるようになり、『愁久堂』の掃除も年齢の割にはしっかりこなせていた。
そんな時、滅多に人の来ない『愁久堂』に客が訪れた。
「よかった……」
小さな、頼りない声。女の子の声だった。
「あれ? ……いらっしゃいませ?」
来客には声をかける。それは老店主からも言われていたことであり、また礼儀の一つとして当たり前のことだった。
年の頃は謙悟とそう変わらないくらい。謙悟よりもほんの少し背の高い、真っ黒な髪の可愛らしい女の子。
『――――いい、謙悟。男の子なら、女の子には優しくしなくちゃ。もうすぐお兄ちゃんになるんだから、尚更よ?』
母の教え通り、謙悟は女の子に出来る限りの優しさを込めて話をし、また話を聞いた。女の子はどうやら悩みを抱えているらしく、謙悟としてはやはり
生来の優しさと母の教えもあって、いずれ弟か妹が生まれた時にしてあげようと思って母から学んだおまじないを、その子にも施してあげた。
可愛らしい、小さな手。その左手小指に、赤いリボンを巻いて、結ぶ。
「……小指にリボンをつけると幸せがきて、それを守ってくれるんだって」
そう言った時の、女の子が返してくれた返事と。
「あ……ありがとう!!」
とても素敵な笑顔を、謙悟は忘れた事はない。
「今でも憶えてるかな? ……これ」
いつの間にか二度目の眠りに落ちてしまった冴霞の左手を取る謙悟。長く美しい指はあの日とはまるで別物だが、愛らしさだけは変わらない。
小指にリボンを巻き、その先端同士を緩く一重に巻き、さらに蝶結び。こんなありふれた事を、おまじないだと信じていた当時の自分の純粋さに少々
恥ずかしくもなるが、これで冴霞が救われていたのだとすると、馬鹿になど出来ない。
「でも、もう要らないな。……これからは、俺がやらなくちゃいけないことだから」
冴霞を幸せにする。冴霞の幸せを守る。
そのどちらも、謙悟に科せられた宿命。
小指のリボンを解き、その隣にある薬指にまたリボンを巻いて。
「ずっと忘れててごめん……でももう、二度と忘れない」
付け根に一番近い場所――――いずれ誓いの輪が納まるであろう箇所に、優しく口付けた。
あとがき:
王道です。誰がなんと言おうと、これ以上の王道はないです。
Boy meets Girl の真骨頂にして原点。二人は実は、遠い過去に出会っていた。
もっとも、この二人に関してはお互いがお互いをそうと知らずに再会し、スタートラインを
知らずに仕切りなおしてゴールしかけているという、ちょっと特殊? なタイプですが。
普通はどちらか片方が憶えているものなんでしょうけれど、そんなのツマラナイじゃないですか。
管理人の感想
甘いよ!バナナのあの黒い部分くらい甘いよっ!(ぇ
ってことで管理人の雅輝です。22話、いかがでしたでしょうか。
まさに題名を地でいくような話。少年は少女と出会い、少女は少年と出会う。
お互いに忘れることはなくても、再会のときは気付かず。深い関係になって、ようやくわかった一つの真実。・・・まあまだ謙悟だけのようですが。
そして改めて誓われた謙悟の決意。あの時のおまじない以上に、彼女を幸せにするいう誓いの証を、そっと寝ている彼女の薬指に。
いちいちやることが格好いいですね。謙悟は。
最後に一言。酒に酔って甘えん坊になった冴霞は反則だと思うのですよ(笑)
ではでは。