B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Long Vacation

 

 

 

 ピッチャーから水を入れ、水割りを作る謙悟。一杯目は既に飲み干したが、話に夢中で二杯目もいつの間にか空にしてしまっていた。つまりこれが都合

三杯目である。

「謙悟さん、大丈夫ですか?」

「まだ、大丈夫っぽいです。……あ、お母さんもどうぞ」

 アイスペールからトングで氷を取りグラスに入れ、ボトルを傾け、琥珀色のウィスキーをグラスに注ぎ入れる。アイスペールを持ってきたのは風呂から

上がった稔臣であり、彼自身は酒豪二人を他所にビールを飲んでいた。

「しかし、新崎くん……未成年なのに妻の相手が出来るとは、末恐ろしいね……だけど、余り無理はしないように」

 小振りの皿につまみのスモークチーズやカシューナッツを詰め込んで、稔臣が席を外す。持ち帰った仕事を片付けねばならないとの事だが、悠香は夫を

見送ると、くすっと小さく笑いを漏らした。

「どうかしました?」

「あの人、ビールは平気なくせに、洋酒が全然駄目なんです。匂いをかぐと酔っ払いそうになるとかで。以前無理を言って付き合ってもらったら、本当に

酔って寝てしまうんですもの。可愛いところもあるでしょう?」

書斎に向かってグラスを掲げ、そのままウィスキーを飲む。しかし可愛いかどうかはあくまで悠香の主観で、傍目から見れば夫を酔い潰した妻という

図式であり、謙悟としてはいささか同意に困ってしまう。

「冴霞の話、まだ続きを聞きたいんですけど……」

「ああ、そうでしたね。ごめんなさい」

 グラスを置き、カランと氷が鳴る。悠香はゆったりとテーブルに肘を突き、悲しみを感じさせる目で謙悟を見つめた。

「彩乃ちゃんと、巴ちゃん。二人は冴霞にとって、初めての友だちで親友でした。それは今も変わりはありません。ですけれど冴霞は、あの二人以外とは

親しくすることを避けて……いえ、仲良く出来なくなっていました。あの子にとって周りの子どもたちが皆、彩乃ちゃんや巴ちゃんのように優しくはない

という事を、知ってしまったから」

 

 

20.冴霞の過去(中編)

 

 

 小学五年生の、春。

 幼稚園から数えればもう六年にもなる巴、彩乃との付き合いは、冴霞が学校で過ごす時間のうちに与えられた、限られた安らぎの時間だった。

 幼稚園時代のあの出来事以来、冴霞と彩乃そして巴の三人は友達になり、今ではどこからどう見ても紛れもない親友同士だ。リーダーの巴と、巴を抑える

ことが出来る彩乃、そして彩乃が常に目をかけている冴霞もまた、彩乃の暴走しがちな性質を諌める事が出来る立場におり、三人は絶妙なバランスで

グループを形成していた。

 また、巴はその性格からクラスのまとめ役になることが多く、彩乃も同じくクラスの女子のみならず男子からも頼りにされる姉御役だった。だがその中で、

冴霞だけはクラスの中でも少しだけ浮いた存在になっていた。

「今村さんっ、遊ばないの?」

 昼休み、クラスメイトの男子が話しかけてくる。名前は覚えていないが、何度か話しかけてきたこともある男の子だ。しかし冴霞はビクッと怯えたように

一瞬身を竦ませて、視線をさまよわせる。

「え……そ、その……」

「? あ……今村さん、外で遊ばないんだっけ。ごめんね」

 男の子は何かを思い出したかのように退散し、そのすぐ後に彩乃と、少し遅れて巴がやってきた。

「サエ、どうかした? 高木に何かされた?」

「高木のヤツ、前から冴霞にばっかり話しかけてたからね……あんまりしつこいようなら、あたし達に言ってよ?」

 巴と彩乃が気にかける一方で、高木と呼ばれた男子は数人の男女のグループに戻り、遠巻きに三人を見ている。新しい学年、新しいクラスになったが、

彼らグループは冴霞たちと同じく四年生から引き続きクラスメイトになった生徒達なのだろう。

「ありがと……彩ちゃん、巴ちゃん」

 儚げな微笑み。その冴霞の顔を見て、彩乃も巴も笑みを返した。

 冴霞が彩乃と巴以外と親しく出来ないのは、理由があった。それはやはり巴にいじめられていた頃の経験が引き金となっている。

 確かに主犯は巴だったが、彼女の周りには共犯者もいた。巴の取り巻きであり、もう名前も顔も、卒園アルバムを捲らなければ思い出すことも出来ない

彼女らは、あの一件に参加していたにも関わらず、巴とは違い、冴霞に対して謝罪の言葉すらなかった。

 それどころか事が一段落すると、まるで当たり前のように冴霞と親しくしようと声を掛けて来た。いじめに参加していたことなど遠い過去の出来事で

あるかのように親しげに、今までもそうであったと言わんばかりに。

 それに対して、冴霞は初めて人間関係への恐怖を抱いた。もっとも当時からすればそんな整然とした言葉で表される物ではなく、漠然とした、他人に

――――同世代の少年少女に対してのみ覚えた、嫌悪感。

 心的外傷。心の病。トラウマ。言い方は様々だが、冴霞の心にはっきりと刻み込まれた傷は、そのまま身体にも影響を及ぼした。

 平静を装って彩乃と巴以外の同級生と遊んでいると、段々と気持ちが悪くなり、酷い時には嘔吐する。一時は救急車で運ばれ、入院したこともあった。

 だが見舞いに来てくれた彩乃と巴に対してはその症状が見受けられなかったことから、医師の指導の下、症状が回復あるいは軽減されるまでは、極力

二人と同じクラスにするようにという診断書が書かれ、幼稚園、小学校でもそのような処置が施されていた。つまり冴霞、彩乃、巴の三人がこれまで六年

もの間同じクラスだったのは偶然ではなく、冴霞のために用意された療養環境だったのだ。

 そしてその事は、彩乃も巴も承知している。彼女たちは幼いながらも友情を育み、互いが互いをとても強く思いやっている。誰が見ても親友といえる

円満良好な関係の中で、冴霞は二人といるときだけは己の心を蝕む痛みを、感じることなく過ごせていた。

 けれど、同時に忘れてはならないのは、今村冴霞という少女もまた、来栖彩乃と間宮巴を思いやっているということだ。

 

 

 

 四月の半ば過ぎ。もう後一週間程度でゴールデンウィークを迎えようという、ある休日。

 珍しく、冴霞は一人で出掛けていた。父は母とともに外出しており、巴も家族で買い物、彩乃は習っている空手の試合があるとのことで、誰とも連絡は

着かない。念のためにと父が持たせてくれた携帯電話にはやはり先の四人以外に電話番号の登録はなく、用事もないのに電話をするほど、冴霞は身勝手

ではなかった。

 行く当てもない冴霞は天桜町を出て、バスに乗り、駅を過ぎて日ヶ峰町までやって来た。駅前ほどではないがこの町にはそれなりに開けた商店街があり、

よく学校帰りに彩乃や巴と寄り道をして遊んでいた。そんな中で、冴霞がお気に入りだったのが……古い本屋だった。

 古書店『愁久堂』。店主は八十を超えるご老体であり、店内の整理はお世辞にも行き届いているとはいえない。日ヶ峰町商店街で最も古いといわれている

佇まいは年を追うごとに傷みを重ね、しかし古くからあった物を取り壊したり改装するのを良しとしない町内会の方針により、それなりに維持されてきた。

 だがそれも、店主が病に臥せってしまえば話は変わってくる。店の維持は思うように行かなくなり、また古本の買取・販売も時代の流れによって変わって

来た。店主も最初のうちは反対していたが、彼の息子や孫に説得され、夏には店を閉め、息子夫婦の家に住まうことになっているという。

「こんにちは……」

 開けっ放しの入り口から声をかけるが、いつものように返事はない。耳も悪くしている店主は、会計用の台にある呼び鈴を鳴らさなければ出て来ない。

無用心と言えば勿論そうだが、そもそも来客など日に五人も来ない古書店に金銭目当てで来る泥棒など探すほうが難しい上に、管理状態が上等とは言えない

古書を他所で売り払ったとしても、それこそ二束三文の値しか付かず、また入手先を辿れば容易に足が着く。リスクばかりが大きく儲けがスズメの涙と

くれば、本当に用事がある人間以外は見向きもしないだろう。

「あ……綺麗になってる」

 棚のいくつかは整理され、既に本が撤去されていた。埃を被って積まれていた本も綺麗に整えられ、冴霞のお気に入りの本も、こころなしか綺麗に

なっていた。

 タイトルはもう擦り切れて読めないが、冴霞はその本を手に取ると、小さな赤色のリボンを引っ張ってページを確認した。百五十七ページ。記憶の

中のページとピッタリ一致する。

「よかった……」

 安堵の溜め息をつく。大判の新書サイズ。古書ということもあり比較的値は落ちているが、それでも冴霞のお小遣いで買うには高額すぎた。他の客が

手を出さないように気持ちだけ奥の方に仕舞っておいたのだが、以前自分が触れたままのページで残っていたことは単純に嬉しかった。

 と、その時。

「あれ? ……いらっしゃいませ?」

「!?」

 失礼ながら誰も来ないと思っていた店を訪れた冴霞に、背後から声をかけたのは、同世代の男の子だった。背は百三十六センチの冴霞よりも低く、

百三十センチあるかないか。薄暗い店なので今までお互いに気がついていなかったのだろう。しかし――――

「あ、あの……?」

「僕はお店の手伝い。僕の先生が、ここのおじいさんと昔からの知り合いなんだって。このお店、もうすぐ閉めちゃうから掃除だけでも手伝ってくれって、

先生に頼まれたんだ。おじいさんも今は病院に行ってるけど、お客さんが来るなんて思わなかった」

 大きめのエプロンに、作業用の軍手。しかし手の大きさに合っていないのか手首の辺りは緩々になっており、それを輪ゴムで無理矢理に止めている。

「良かったら座って、好きに読んでていいよ。僕は掃除してるから」

 男の子はそう言い残して顎の下にずらしていたマスクを口に戻し、ハタキと脚立を持って店の奥に消えていった。一人取り残された冴霞は、男の子の

言葉通りに場所を移動し、以前は本が置かれていたであろう台座に腰掛けて本を読み始めた。




あとがき:

予想以上に後半が長くなっているので、バランスを考えて分けることに。
少々短く感じるのはそのせいです。
かなり重たい冴霞の過去。しかし現実に起こる心的外傷で引き起こされる
症状はもっと酷いです。それを考えれば、冴霞の病状はまだマシなほうなんですよ。


管理人の感想

冴霞の過去の中編ということで、トラウマによって歪んでしまった冴霞の少女時代のお話でした。
心的外傷。冴霞のものは、心が壊れるほど大きな出来事ではなかったのでまだマシな方でしたが、それでも人と接せないのは変わらず。
友達は彩乃と巴だけ、という日々が続いたある日。冴霞は古書店で、ある男の子と出会う。
まさにBoy meets Girl。さて、これからの展開は・・・?



2008.9.11