B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in Long Vacation
「……来栖は?」
リビングに戻ってきた冴霞を謙悟が出迎えると、冴霞は何も言わずに謙悟に抱きついた。ソファーの上でじゃれあっていたフレデリカとシルビアも、
その異常を感じたのかは分からないが、じっと二人を見つめる。
「嬉しかった……謙悟くんが、言ってくれたこと、すっごく嬉しかった……」
冴霞のために生きる。何があっても、生き延びると。
彩乃がいたときは堪えていた歓喜の感情が、文字通りに決壊して溢れている。自分のことをどれだけ大切に思ってくれているかを公然に発表するなど、
謙悟の性格からすれば、とても勇気のいることだというのは冴霞自信も知っている。だからこそ、なおさら嬉しい。
「彩ちゃんは、帰りました。でも謙悟くんに、ひとつだけ伝言があるって」
謙悟を抱きしめる冴霞の腕に力が入る。謙悟もまた、それに応えるように冴霞の背中と腰をぎゅっと抱きすくめた。
「……私のこと、ちゃんと幸せにしないと許さないって……」
「そいつは、責任重大だな……」
苦笑。だが謙悟としては彩乃に言われるまでもなく、そのつもりは十二分にある。今はまだ何もできない学生だが、きっといつか冴霞のことを幸せに
してみせるという覚悟は、昨日はっきり言葉と態度と、そして行為で冴霞にも伝えている。
「でも、私……それだけじゃイヤなんです」
「え?」
顔を上げ、謙悟を見上げる冴霞。
「私が幸せだって言えるのは、私だけじゃなくて、謙悟くんも幸せじゃなくちゃ駄目。謙悟くんが私を幸せにしてくれるように、私も謙悟くんのことを
幸せにしたい。わがままかも知れないけど、私はそうじゃなくちゃ……イヤなの」
強い意志を秘めた、蒼い双眸。真っ直ぐで淀みのない、純粋な瞳。
「……俺だってそうだ。片方だけ幸せ感じてるなんて、そんなの独りよがりだ。俺も、冴霞と一緒に……幸せになりたい」
首の角度を変えて、口唇の向きを合わせる。
小さな観客がいるが、今だけは気にせずに、二人はゆっくりと口づけを――――
「ただいま〜……って、あら」
半分開いていたリビングのドアを音もなく開け、悠香が帰ってきた。謙悟も冴霞もあとわずか数センチという超至近距離でピッタリと動きを止め、ばつが
悪そうに悠香を見る。しかしまだちゃんと冷静な判断が出来ていないのか、それとも単に離れたくないだけなのか、二人の抱擁は解けていない。
「……え、と」
「お母さん、その……これは」
「あらやだ、お邪魔しちゃったのね。良かったらお父さんと一緒に外でご飯食べてきましょうか? 三時間くらいは帰ってこないから♪」
語尾に音符まで飛ばして楽しげに笑う。だが冴霞はぼっ! と顔を真っ赤に燃え上がらせて。
「へ、変な気の回し方しないで!!」
だが言葉とは裏腹に、力んだ腕はより一層謙悟との抱擁を強め、必要以上に密着度が上がる。そんな娘の様子を見ながら悠香は嬉しそうにころころと笑い、
謙悟としても無理に冴霞を引き離すわけにも行かないので、とりあえず抱きしめていた腕の力を弱めるのだが――――そこで、ふと視線を感じる。
「あの、お母さん」
「なにかしら、謙悟さん?」
四十台半ばには見えない優しく若々しい微笑み。だが謙悟はそれに気を取られることなく。
「……その、さっきから入り口で固まっていらっしゃる方は……もしかして」
謙悟に言われて冴霞も入り口を見る。悠香の陰に隠れるような形で立ち尽くしているのは、悠香よりもすこし背の低い初老の男性。
「お、お父さん!?」
「まぁ、あなたったら。ビックリしすぎて固まってるの?」
「…………」
悠香が男性の顔の前でひらひらと手を振るが、何のリアクションもない。どうやら完全に放心してしまっているようだ。
これが謙悟と、冴霞の父・今村稔臣の初めての対面だった。
18. 会談と、策謀
「初めまして……新崎謙悟と申します」
「あ、ああ……こちらこそ初めまして。今村稔臣といいます」
和室でお互い正座し、頭を下げる。
何とか正気を取り戻した稔臣は、今はスーツを脱いで普段着に着替えている。悠香よりも年上だということは謙悟も冴霞から以前聞いていたが、五十代前半
にしては少々老けているようにも見える。やはり役職が役職なだけに、疲労から来る老化もあるのだろう。
ちなみに冴霞と悠香は、今はキッチンで夕食の支度をしている。二人とも料理の腕前は確かであり、また謙悟を交えての初めての晩餐だ。今夜の今村家の
食卓はさぞかし豪勢になるだろう。
「いや、全く情けない。娘の恋人の前であんな醜態を晒してしまうとは……申し訳なかったね、新崎くん」
「い、いえ、そんな……」
深々と再度、頭を下げられる。謙悟は居住まいを正し、頭を上げた稔臣を真っ直ぐに見つめた。
「もうご存知の事ですが、冴霞さんとお付き合いさせて頂いています。まだまだ若輩の身で、至らない所も多々ありますが、お互いに真剣な交際をしている
つもりです。ですので……お父さんにも、認めて欲しいと思っています」
今度は謙悟が頭を下げる。すると稔臣は、ぽん、と謙悟の肩を叩いて。
「顔を上げてくれないかい、新崎くん」
「……はい」
謙悟が頭を上げると、稔臣は年相応の柔らかい笑みを浮かべ、ゆったりと目を細めた。
「冴霞からも聞いているかも知れないがね、私も妻も、あの子の恋愛には一切口を出さないつもりでいたんだよ。あの子が誰と交際しようと、最終的に結婚に
まで至るような話にならなければ、私たちは一切関与しない。あとはあの子が……冴霞が、私たちに直接紹介してくる相手でなければね」
学生の身である以上、前者についてはまだまだ先の話になるし、謙悟も冴霞もそこは漠然としたイメージしか持っていない。だが二人の現在の関係や心理、
お互いの間にある信頼関係などを考えれば、先々そこへ行き着くのも十分にあり得る。
そして後者については、今のこの状況こそが稔臣の言葉通りの状態だ。
「新崎くん。君は聞いたところとても常識を知っている。そして今時の若者としては珍しいくらいに礼儀もわきまえている。何より冴霞が好きになった男だ、
私も妻も、あの子があんなに嬉しそうに弁当作りをしているのを見るのは久し振りだった。きっと君のために作っていたんだろうな」
一学期の終わり、何度か冴霞の手作り弁当を食べた記憶がよみがえる。おかずの一品一品がとても丁寧に作られていたのを、謙悟は今でもしっかり覚えている。
「毎日楽しそうに過ごしているあの子を見ているのは本当に嬉しかった。外泊を告げたのも正直驚いたし、不安も当然だがあった。父親としては少なからず
複雑な物もあったが、娘の幸せを願わない親はいない。あの子があれほど幸せそうな笑顔を向けるんだから、祝福してやろうと考え直したよ。…………まぁ、
これは妻の言葉だがね」
一人娘を見ず知らずの男の家に泊める。確かにそれは、親であるのならば誰もが等しく抱く不安だろう。今でこそ謙悟に対して苦笑いを浮かべている稔臣だが、
きっと昨夜は気が気でなかったのだろうと察した謙悟は、何も言わず真剣な目で稔臣を見つめる。
「だが、先の事に不安がないわけではないよ。君も冴霞もまだまだ私たちや社会から見れば子どもだ。一時的な感情だけで動いてしまい、取り返しのつかない
失敗を犯してしまう事もあるだろう。だが逆に、若いからこそ取り返せる事もある。私としては……世の父親たちからは叱責されるかも知れんが、その若さの
可能性を信じて、君と冴霞のことを認めようと思う。至らない娘だが、どうかよろしく頼む」
「あ……ありがとうございます!」
畳に手をついて、謙悟と稔臣の二人ともが深々と頭を下げる。傍目から見ればそれはまさに、結婚の許しを与える父親と相手といった感じにしか映らない。
だがこれで、謙悟と冴霞の関係は公式に認められた。謙悟の両親は今のところ冴霞に会ったことはないが、謙悟の母・陽子のリアクションを見れば反対など
するはずもないだろう。
「あなた、謙悟さん。ご飯が出来ましたよ」
襖(ふすま)越しに悠香が呼びかける。二人は頭を上げ立ち上がろうとするが、足が痺れてしまったのか稔臣はなかなか立ち上がれない。
「お父さん、大丈夫ですか?」
謙悟が肩を貸し、ゆっくりと立ち上がる。稔臣は苦笑いしながら、謙悟の肩につかまった。
「すまないね。正座など随分久し振りだったから……新崎くんは平気なのかい?」
「武道の稽古で、普段から慣れていますから」
二十センチ近い身長差。三十以上離れた年齢。こんな風に、若い男に肩を借りて立ち上がる日が来ようとは、と稔臣は内心溜め息をついた。だがしかし、
娘が選んだこの少年に肩を借りるのは……なかなかに、悪い気分ではないものだった。
豪華な食事を終え、時刻は午後七時前。冴霞の部屋でシルビアと戯れている謙悟と冴霞の元に、悠香が荷物を抱えてきた。
「謙悟さん、今日はお泊りにされますか?」
「え? いや……頃合いを見て、帰るつもりでしたけど……」
「帰っちゃうんですか!?」
驚きの声を上げたのは当然冴霞だ。そしてそんな主人の言葉を代弁するように、シルビアも謙悟の膝の上にちょこんと前足を置く。
「そうは言うけど、迷惑だろうし、何より図々しいだろ? いきなりお邪魔してその上、泊めてもらおうだなんて」
「そんなことないです! 謙悟くんのベッドほどじゃないですけど、私のベッドだってそれなりに広いですから、ふた――――んぐぅ」
母親の前で暴走する冴霞の口を手で塞ぐ謙悟。しかし悠香はにこにこと微笑みながら、抱えていた荷物をベッドとテーブルの上に置いた。テーブルの上には
お盆に乗せられたグラスと、英語ではないどこかの外国語で書かれたラベルが貼られたボトルが一本。そしてベッドの上には、濃い紺色の浴衣。
「サイズは小さいかも知れませんが、浴衣を用意させてもらいました。謙悟さんさえよろしければ、是非泊まって行って下さい。それともご家族の方がご心配
なさるかしら?」
「あ、いえ……家族は旅行中で、家には誰もいません」
謙悟がそう言うと、悠香はまぁ、と吐息を漏らした。
「でしたら、謙悟さんお一人では何かと不便でしょう。ご縁があってこうして一緒にいるのだから、せめて今日はここを自分の家だと思って、ゆっくりなさって
下さい。なにかあれば冴霞や私に、遠慮なく申し付けて下さって構いませんから。それと……」
「なにか?」
「そろそろ手を離さないと、冴霞が酸欠になってしまいますよ?」
言われてから、慌てて謙悟は冴霞の口を塞いでいた両手を離し、その間に悠香はシルビアを素早く抱き上げて、静かに部屋を出て行った。
「ぷはっ……はぁ、……はぁ」
「ご、ごめん!! 悪かった!!」
「い、いえ……わ、私も、変なこと、言っちゃいましたから……でも、苦しかったですっ」
ちょっと恨めしそうに謙悟を見上げる冴霞。もちろん本気で怒っているわけではないのだが、それでも謙悟としては、先ほどの行為は十分怒られる理由になる。
「本当、ごめんな……許してくれるか?」
頬に手を当て、もう一方の手で冴霞の手を包む。すると冴霞は、悠香が置いていったボトルを空いているもう一方の手で持ち上げた。
「じゃあ、これで……乾杯、しましょう? そしたらさっきの事は許してあげます」
「何に乾杯するんだ?」
「私たちの事が、お父さんにもちゃんと認められた事に」
緩く止められていた栓を開け、グラスにとくとくと液体を注ぐ。色はやや濁った黄色で、どうやらジュースのようだ。
「甘い匂いだな……でもなんか、嗅いだ事あるような」
「とりあえず、飲んでみましょう。謙悟くん」
ちゃっ、と冴霞がグラスを掲げる。謙悟もそれに応じるように、下側からグラスをあわせ、キン、と小気味良い音を奏でる。
「「乾杯」」
二人で一気にジュースをあおり、飲み干す。味はやはり甘ったるいが、飲めないほどではない。
だが、二人は気がついていなかった。
ラベルの下に小さく書かれた「digestif」、「Cocktail」、「alcool 8%」の文字の存在を。
あとがき:
恋人の父親との会話。これほど緊張するイベントは人生においても数少ない
出来事であり、また避けては通れない永遠のハードル。
幸いにして受け入れてもらえた謙悟ですが、今度は冴霞ママ・悠香さんの
お誘いと策略が、娘さえも巻き添えに敢行されました。
二人はこれから、一体、どーなってしまうのか!?(懐)
管理人の感想
BGM,18話でした〜^^
いやぁ、まさに緊張の瞬間ってやつですねぇ。彼女の父親との対面。しかも、キスシーンを目撃された気まずさマックスという死亡フラグ付き(笑)
でも理解ある父親で助かりましたね、謙悟は(汗) これで頑固オヤジだったら、間違いなく追い返されてるのがオチかと。
しかし・・・謙悟は驚くほどしっかりしてますね。いや、もちろん今までの話から、彼の性格は知っていたつもりでしたが。
恋人の父親相手に、あそこまでしっかりとした受け答えが出来る高二男子が、果たして世の中にどれほどいるでしょうか。
認められるべくして、認められたって感じかな?
さて、最後に口にした「alcool」で、これからの展開がどうなるのか。非常に楽しみですね。