B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Long Vacation

 

 

 

 

 時刻は午後四時過ぎ。

 今村家のリビングで、冴霞は並べられた二つの洋菓子を見比べていた。キッチンは謙悟が綺麗に掃除したとはいえ、製作中はとても話しかけるなど出来ない

ほどに鬼気迫る空間だったことは言うまでもない。

「さぁ、食べてくれ。そしてどっちが美味しかったか、贔屓無しでサエが決めてくれ」

 自信満々に告げる彩乃。かたや謙悟はさっきから足元に擦り寄ってくるシルビアを仕方無しに抱き上げ、じっと彩乃が作ったお菓子を見た。

「……なんだこれ」

「ババロアだ」

 謙悟の素のボケに彩乃の突っ込みが入る。しかし物理的な攻撃は今回は飛んでこなかった。さすがの彩乃も、冴霞の前で二度も謙悟に手を上げるような愚かな

真似はしない。彩乃自身は認めたくはないが、冴霞が謙悟を好いているのは事実であり、その相手を傷つけようとするのがいかに彩乃であったとしても、

おそらく冴霞は許しはしないだろうから。

 さておき、彩乃が用意したのはババロアだった。二時間以内で作るのは少々困難なものだが、それでもやってやれないことはない。

 型から落とされたババロアは一見すれば大きめの牛乳プリンのようにも見えるが、皿に薄く敷かれた赤いジャムがそれを否定している。材料自体は卵と

生クリーム、それに牛乳とゼラチン、バニラエッセンスなどを使った、比較的手に入れやすいものばかりだ。

 製造過程はあえて略すが、それほど難しいわけでもない。強いてあげるのなら生クリームを泡立てすぎないことであり、彩乃は実は、過去にこの失敗を犯して

いる。その時は冴霞と悠香と三人で作っていたため、なんとかやり直し、事なきを得た。

 だから今日、冴霞にババロアを作ったのは過去のリベンジであり、また同時に謙悟に対する余裕でもある。

 冴霞と交際しているのなら、謙悟が用意してくる洋菓子は冴霞の好物であるティラミス以外にないだろう、と彩乃は読んでいた。事実謙悟が時間ギリギリまで

作り直してなんとか完成したのはティラミスであり、彩乃は内心ほくそ笑んでいた。

 好物を用意せずとも、あたしは冴霞に美味しいものを作ってやれる。お前とは冴霞との間に築いた歴史が違うのだから。

 だからあえて、あたしはこれを作った。好物という優位さを補って余りある結果を冴霞に出させれば、お前も諦めが着く。

 冴霞はきっとお前を勝たせようとして嘘をつくだろう。昔から冴霞は優しい子だから。だがあたしはそれさえも覆してやる。諦めさせてやる。

 なに、心配することはない。冴霞のケアはちゃんとあたしがしてやる。お前は何も気にしないで、冴霞に別れを告げればいいんだから――――。

 

 

17.SWEET PAIN

 

 

――Saeka’s View――

 

 さすがに全部は食べきれない私は、スプーンをおいて彩ちゃんが作ってくれたババロアを彼女の前に差し出す。彩ちゃんは自信に満ち溢れた笑顔で満足げに

頷き、ずいっと前のめりになってくる。

「どうだった? 前よりは上手に出来ていただろう?」

「うん、凄く美味しかった」

 きっとあれから……三年前からずっと練習していたんだろう。彩ちゃんは料理は余り得意ではない。だけど、一つのことに夢中になるとどこまでも突き詰める

人だから、ことババロア作りに関しては、完全に私よりも上にいると思える。ババロアそのものはふんわりと柔らかく、下に敷かれたストロベリーソースもとても

美味しかった。

 こういう風に言うと、私は自分で自分が料理上手だと自慢しているように聞こえるかもしれないが、少なくとも人並み以上のものは作れると自負している。

もちろんその道を突き進んでいるプロや、プロになろうとしている人たち……要さんみたいなタイプには到底叶わない。

 さすがに彩ちゃんの作ったババロアをプロ並みと評することは出来ないけれど――――どう贔屓目に見ても、謙悟くんが彩ちゃんに勝てるとは思えない。

「じゃあ、次は俺の番だな」

 膝の上に乗せていたシルビアを降ろして、謙悟くんがティラミスの乗ったお皿にフォークを添えて、さらにアイスエスプレッソまで淹れてくれる。

 家にはたしかにエスプレッソメーカーがあるけど、まさか謙悟くんがそのことを聞いてきたときには、私も本当に驚いた。

「おい、待て。これは洋菓子だけの勝負だろう? 何故そんなものを用意してるんだ、お前は!?」

「のどが渇くと思って用意しただけだ。これでどうこうしようなんて思ってない」

 彩ちゃんが意見すると、謙悟くんはさも当たり前のように答える。実際、謙悟くんにとってはそうなのかも知れないけれど……この組み合わせは、実は私の

大好物だったりしてしまうわけで、それを彩ちゃんは気にしているのだ。

「分かった……。じゃあ、それもアリにしてやる。サエもそれでいいな?」

「うん……」

 ちびり、とグラスに注がれたエスプレッソを飲む。濃厚な味は多少冷やしたくらいでは薄れることはなく、深い味わいがある。

「……はぁ」

 思わずため息がこぼれてしまう。お店のものと比べることは出来ないけれど、謙悟くんがわざわざ淹れてくれたものとなると、余計に味わい深い。

 彩ちゃんは不機嫌そうに謙悟くんを睨みつけ、謙悟くんはと言えば逆にとても嬉しそうに私を見ている。そして彼の足元には、何故かさっきからシルビアが

すりすりと頭や身体を擦りつけている。確かにバーマンは人懐っこい猫として知られているけど、シルビアが初対面の謙悟くんに、こんなに懐くなんて。

 ちなみにその一方で、フレデリカはどこまでもマイペースにソファーの上でころころと転がっている。どうやら彼女は人間たちの諍いなど眼中にないご様子。

もっとも、眼中にないという意味ではシルビアも似たようなものだったり。

「じゃあ……あらためて。いただきます」

 スプーンを取り、謙悟くんを見る。普段と変わりのない落ち着いた態度だけど、やっぱりどことなく緊張しているように思える。といっても明確に分かるわけ

じゃなくて、なんとなく、謙悟くんが纏っている空気というか、そんな感じのもの。

「? どうかした?」

「い、いえいえ、なんでもないです」

 気を取り直して、謙悟くんから視線を外して、ティラミスを見る。綺麗に振り掛けられたココアパウダーに、その下はちゃんとマスカルポーネチーズを

つかって作られたチーズクリーム。スポンジ部分にはしっかりとコーヒーが染み込ませてあり、結構本格的な作りをしている。でもやっぱりというか、綺麗に

水平に盛られているかと言われれば、層ごとにちょっと歪んでいる。

だけどとても作りが丁寧で、初めて作ったとは思えない。ひょっとしたら謙悟くんにはお菓子作りの才能があるのではないだろうか。

 スプーンで軽く一掬いし、ゆっくりと口に運ぶ。クリームの舌触りは滑らかで、ココアパウダーの風味も良い。だけど――――それだけじゃ、ない?

「っ……これっ……チョコレート? それに……この香りって」

「前に、好きだって言ってたから少し入れてみたんだけど……ちょっと冒険しすぎたか」

 凄い。凄すぎる。こんな工夫が初挑戦の謙悟くんから出るなんて。クリームとスポンジの間に挟まったホワイトチョコレートだなんて、それこそ趣味で作る

レベルの工夫なのに、その上にさらにもう一手加えるだなんて信じられない。

「……シナモン、ココアパウダーとコーヒーの中に、一緒に入れていたんですね」

 お菓子だけではなく洋食でも多く用いられる香辛料、シナモン。その独特の甘みと香りは私が好きなものでもあり、謙悟くんにも彩ちゃんにも確か、一度か

二度くらいしか話したことはなかったはず。それをちゃんと覚えていてくれるなんて、嬉しすぎる。

「良かった……気に入ってくれたみたいだな」

「はいっ……とっても!!」

 スプーンでさらに一口分を掬い、もう一度口に運ぶ。そしてふと、彩ちゃんのほうを見ると。

 憮然としたような、それでいて寂しそうな……何とも的確に表現できない顔をして、私を見ていた。

 

 

 

「聞くまでもないとは思うが……どっちが、美味しかった?」

 どこか諦めたような感じで彩ちゃんが私に問いかける。食べかけのババロアと、完食してしまったティラミス。結果だけを見れば、どちらが勝者かは確定

している。それに私は、彩ちゃんと謙悟くんの間で勝負が行われていたことを知っているのだから。

 本音を言えば、どんなものを出されようと、私は謙悟くんに旗を上げようと思っていた。謙悟くんと別れるだなんて想像も出来ないし、いくら彩ちゃんが私の

為を思っての事だとしても、それだけは許せない。

 けれど予想外のことが起こってくれた。謙悟くんの作ったティラミスが文句の付けようもないくらいに美味しかったことは、謙悟くんには本当に失礼で申し訳

ないけど、正に僥倖としか言いようがない。

 だから私は、躊躇うことなく……というわけにもいかないのが、辛い。

 この決断を下すということはつまり、私は彩ちゃんの庇護を離れるということに近い。十三年という、今までの人生の大半を一緒に過ごしてきた親友に、別離を

告げる事なんて、誰がどう考えても躊躇うに決まってる。私はそこまでデジタルに割り切れない。

 でも――――決めたはずだ。

今村冴霞は来栖彩乃の親友。ならばこそ、私は彩ちゃんと対等でいたい。彼女が私だけに目を向けることなく、もっといろんな可能性に目を向けて、そして新しい

『何か』をつかんでくれれば、私はきっとそれを祝福したり、あるいはそれが悪行であるのならば咎める事も出来る。

 だから、私は。

「ごめんね……こっち、だよ」

 かすかに震える手で、空になった皿を指差した。

 彩ちゃんはその結果を聞くと、はぁ、と溜め息をついて、寂しげに微笑を浮かべる。

「そうか……まぁ、途中から分かってはいたけどな。私が憶えていなかったことをこいつはちゃんと憶えていた。シナモンはサエの好きな香りだもんな」

「うん……」

「仕方がない、約束は約束だからな……おい、新崎謙悟」

 椅子から立ち上がり、彩ちゃんが謙悟くんを見下ろす。今まで腕を組んで黙っていた謙悟くんは首ごと彩ちゃんに向かって顔を向ける。

「いちいちフルネームで呼ぶな……何だ?」

「お前とサエのことだ、気に食わないが認めてやる。だがそれを踏まえて、一つだけ聞かせろ」

 真剣どころか、射抜くような鋭い視線。彩ちゃんの視線は文字通りに刃物のよう。

「お前は、冴霞のためなら死ねるか?」

 ドラマや小説なんかで使われる言葉。愛する人のためならその命も惜しくないという、究極の自己犠牲愛の形。

 分かりきっていたことだけれど、彩ちゃんは謙悟くんを試している。だから謙悟くんへのこの質問は、彼女から謙悟くんに向けられた試験。

 ……正直、その質問に対する謙悟くんの答えは、私も知りたい。そしてなぜかシルビアだけでなくフレデリカまで、謙悟くんの答えが気になるのかわざわざ

私の足元から謙悟くんを注視している。猫のクセに。

「残念だけど、俺は……冴霞のために死ぬなんて、出来ない」

 

 

――Kengo’s View――

「俺は……冴霞のために死ぬなんて、出来ない」

 俺がそういうと、冴霞も来栖も心底驚いたのか文字通りに眼を丸くして俺を見る。

 だけど俺にとって、さっきの来栖の質問ほど馬鹿馬鹿しいものはない。

「サエのために死ぬなんて、出来ないだと? ふざけるな!! お前、それでもサエの彼氏か!?」

 瞬間沸騰としか形容のしようがない勢いで来栖が正拳を放つ。俺はそれがトップスピードに達する前に右手で受け止め、強く跳ね返す。

 来栖の正拳は、女子にしては重く、芯に残りやすいいい一撃だ。その威力が最大限に発揮されていたら、きっと並の男は一撃で昏倒出来るだろう。

「ふざけてるのはどっちだ。そんな馬鹿馬鹿しい質問、答えるのだって意味がない。そもそも――――」

 ちらっ、と冴霞のほうを見る。冴霞は俺が次に言う言葉を待っているのか、黙って俺の方を見てる。……やっぱり冴霞の前でこんな恥ずかしい事を言うのは、

さすがに抵抗があるが……言いかけた以上、言うべき事はちゃんと言わないと。

「……そもそも好きな女を残して死ぬことなんて、自己犠牲でもなんでもなく、ただの自己満足じゃないか。相手のことを考えるなら、死に物狂いで生き延びる

はずだろう? 好きな女のために死ぬんじゃなくって、好きな女のために生きる。少なくとも俺は、そうとしか答えられないし、他に考えられない」

 好きな女のために命を張って、そして散る。端から見ればカッコいいかもしれないし、散った本人はさぞ満足なんだろう。だけどその結果、残された女はどうなる?

 女のほうが男のほうを好いていなければ、それはある程度綺麗な形でまとまるだろう。だけど相思相愛の二人だったら、ただ単に男だけのワガママだ。

「……は、はははっ……たいした男だよ、お前は。そこまでサエのことを思ってるんなら、あたしも本心でお前を認められる」

 来栖はそう言って、つかつかとリビングを出て行こうとする。

「彩ちゃん!!」

 その後を冴霞が追いかける。だけど俺は席を立たず、二人の背中を見送ってからソファーに移動する。

 ……多分、ここから先は俺が立ち入っていい世界じゃない。幼馴染で、親友だとも思える冴霞と来栖。その二人の会話に、俺が立ち入っていい道理はない。

「みゃぁ〜う」

「ん?」

 赤い首輪をした猫、シルビアがととっとソファーに登り、遠慮無しに俺の膝を占領する。もう一匹の青い首輪をしたフレデリカは、床の上をコロンと転がって、

そのまま優雅にこっちを見てる。

「お前、ホントになつっこい猫だな」

「〜〜♪」

 喉を撫でてやると、ごろごろと気持ち良さそうに鳴きながら頭をすり寄せて来る。やっぱり猫も主人に似るんだろうか。綺麗で可愛らしいけど甘えんぼというのは、

つくづく冴霞にそっくりだ。

 と、不意にポケットに入れていた携帯が鳴る。着信は高平の番号だが、たぶん掛けてるのは柊木だろう。

「もしもし?」

『あ、新崎くん? どう? 上手く出来た?』

「ああ。大好評だったよ。でも結局、柊木が教えてくれたのとは全然違うもの作っちまった……悪い」

『ううん、そんなの気にしなくていいよ。あたしが教えたのって、基本だけだし。そうだ、中にチョコレートとか入れても美味しいんだよ?』

「ああ……とにかく、ありがとうな。高平にも礼、言っといてくれ」

『あははっ、自分で言いなよぉ。隣にいるから代われるけど?』

「いや、俺から言っても信じないだろうからさ。じゃあ、今日はこれで」

『うん、また遊びに来てね~

 短い会話は終了。柊木から教わったのはスポンジ作りのコツと、マスカルポーネチーズのを使ったチーズクリームの作り方だけだ。あとのホワイトチョコレートや

シナモンコーヒーとパウダーは、完全に俺のアレンジ。これで失敗していたらと思うと、今更だけど冷や汗どころの話じゃなかった……。

 

 

 

 玄関を出て、六階に上る階段の途中。冴霞と彩乃の家をつなぐ、ちょうど中間地点。

 二人は階段の段差によって作られた高低差で、今はそれほど目線も変わらない位置にいた。

「彩ちゃん……」

「サエ……いや、冴霞」

 冴霞の言葉を彩乃の言葉が遮る。もう何年も縮めていた呼び名を元に戻し、たった一文字を加えただけの呼ばれ方だけで、冴霞は彩乃との距離が離れて

しまったように感じられた。

「新崎には随分無礼なことばかりしたが……さすがに冴霞が好きになった男だな。大したヤツだよ。あんな事言える男はそうはいないんじゃないか?」

 からかうような口調とは真逆に、彩乃の表情はやはり優れない。冴霞はぐっと口唇をかみ締め、正面から彩乃を見る。

「質問ばっかりで悪いが、冴霞も答えて欲しい。……新崎といて、幸せか?」

「うん。毎日すっごく幸せだし、謙悟くんのことを考えない日なんて一度だって無いよ。これからもっともっと、幸せになる……だから、彩ちゃん」

 彩乃でさえ見た事がない笑顔。本当に幸せで、嬉しくて、喜びを溢れさせている心からの微笑み。だからこそ今、冴霞が伝えなければいけない事は、ただ一つ。

「ありがとう。今までずっと、私の事を助けて、守ってくれて。私、もう大丈夫だよ」

 十年来の親友に、感謝と――――小さな別れの意を込めて。

 冴霞は彩乃の頬に、小さく口付けをした。

 ――――おそらく、冴霞にとっては意識さえしていなかった初恋の終わり。彩乃が同性ではなく異性であれば、二人の関係は変わっていた。

 そして彩乃にとっては――――十三年間抱いてきた、秘めたる恋の、静かな終焉。




あとがき:

お菓子バトル決着編。謙悟の圧勝っぽいですが、実は結構リスキーゲームだった。
あ、ちなみにシナモンパウダーはともかくホワイトチョコとシナモンコーヒーを入れた
スポンジは実在します。ティラミスにはわりと合うらしいですが、あんまり混ぜすぎると
味がカオスるのでおすすめは出来なかったり。
16話から通して読めばなんとなく感じられるかもしれませんが、彩乃は実は・・・・・・
冴霞のことを、親友以上に思っているというのがネタバレです。


管理人の感想

謙悟と彩乃のお菓子作り対決。ハイレベルな戦いの結果は、冴霞の好みを完璧に覚えていた謙悟に軍配が。
でも、綺麗にまとまって良かったです^^ 彩乃も完全に謙悟のことを認めたみたいですし、かといって冴霞との友情が壊れたわけでもありませんし。
そして彩乃の質問に、期せぬ答えを返した謙悟。しかしその答えは、何が何でも冴霞と一緒にいるという堅い決意であり、絶対に冴霞を悲しませないという誓いのようなもの。
ここまで思ってもらっている冴霞は、幸せ者ですね。

次回はどうやら冴霞パパ登場の模様。皆様、お楽しみに〜^^



2008.8.20