B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Long Vacation

 

 

 

 陽乃海市、天桜(てんおう)町。

 咲き誇る桜はまさに天を彩るとまでに言われた景観から名付けられた町であり、現在は高級マンションや立派な戸建てが立ち並ぶ住宅街として栄えている。

 市の中心である駅からは電車で三分弱、バスで五分程度と近く、またこちらにはこちらで陽ヶ崎高校とは違う私立天望桜(てんぼうさくら)女子高等学校があり、

今村冴霞も本来は立地の近さから、ここに籍を置く予定だった。

 しかし天望桜女子は部活動でこそ優秀な生徒を数多く輩出しているが、成績面では県立高校である陽ヶ崎高校に遅れを取っており、中学限りで部活動を引退

することを既に決めていた当時の冴霞からしてみれば、残念ながらこれといった利点はなく、若干遠いながらも陽ヶ崎高校に通っているというのが実情である。

 冴霞の住まいは以上の事からも分かる通り、天桜町にある。その中で中堅サイズのマンション・グランレジデンス天桜。しかしその実、2LDKでさえ一億以上

するという超がつくほどの高級マンションであり、その中でもわずか八戸しかない4LDKのうちの一戸が、今村家の家なのである。

 以前にも述べているが、冴霞の父である今村稔臣は国内でも海外でも名の知られた企業の役員――――もとい、専務取締役を勤めている。家庭を支えるために

会社に尽力してきた稔臣への正当な評価は彼の想像以上に高く、また一般社員らからの信頼も厚かった。稔臣本人としてはこのような贅沢な家を持つことは正直

抵抗があったのだが、可愛い愛娘のために、また愛する妻のために、そして自身の立場として恥ずかしくないものをと、生涯ただ一度の贅と財産として、購入に

踏み切ったという。

 閑話休題。

 とん、とバスから降り、謙悟は日光の眩しさと車内との温度差にわずかに目を細め、左手に持っていたバッグを肩に抱える。今日の日中の気温は三十四度。

文字通りのうだるような暑さだが、それでも愛しい人とつながれた右手だけは離す事はない。

「着きましたよ。ここが私の住んでいる町。そしてあそこに見えるのが……私の家です」

 優しく、嬉しそうな声と笑顔。何でも冴霞の願望の一つとして、一度でいいから自分の家、自分の部屋に謙悟を招待したいというのがあったらしい。謙悟から

してみればその申し出は嬉しいながらもやはり恥ずかしく、また緊張も伴う。

 なぜならば、その最大の要因として冴霞の母・今村悠香(はるか)の存在がある。

 今村悠香は結婚前までは大手銀行の銀行員をしていた。しかし稔臣との結婚を期に寿退社し、現在に至るまで専業主婦として過ごしている。もちろん年がら年中

家に引き篭っているわけではないし、稔臣の仕事のサポートも自ら買って出る。時にはマンションに住む主婦仲間や、大学生時代、銀行員時代の友人らとともに、

出掛けたり外泊したりすることもある。だがそれでも基本的に家にいることに変わりはなく、今村家に行くということはほぼ必然的に、悠香と顔を合わせるという事だ。

「まぁ、いつかは会わなくちゃいけないんだよな……」

「? どうかしました?」

 謙悟の独り言に、冴霞が首をかしげて彼の顔を覗き込む。紺青色の瞳は一度意識すればもう決して黒には見えず、深い青はキラキラと輝きを放っている。

「いや、なんでもない。……行こう」

 ぐっ、と腹に力を入れて決意の意志を固める。何も今日いきなり悠香に対して「お嬢さんを下さい」と言うわけではないのだ。会って話をするだけならどうという

ことでもないだろう。

 だが、謙悟がいざ歩き出そうとすると、冴霞が急に足を止めた。

「彩ちゃん? どうしたの、こんなところで?」

「買い物の帰り。サエこそ、どこに行ってたんだ? それにソイツ……」

 どうやら近所の中学生と思しき女の子が、コンビニの袋をぶら下げていた。短めのツインテールに整った顔立ち。身長は冴霞よりも二十センチ以上低く、冴霞が

平均より高いことを差し引いたとしてもかなり小柄な部類に入るだろう。

「近所の子?」

「ええ。私の家の、一つ上の階に住んでいる――――」

 その瞬間、風がごうっ! と悲鳴を上げた。

 打ち放たれたのは右のローキック。狙いは謙悟の脛。しかし謙悟は咄嗟に足を引いてその鞭を躱し、ザッと構えを取る。

「いきなり何すんだ、こいつ……」

「今のを躱すか、流石に経験者だな。だが年上の人間に対して『子』や『こいつ』呼ばわりをするのは、一武術家として礼が成っていないぞ」

 冷徹という形容がピッタリ当てはまるような低音の声。間合いは十分すぎるほどに開けているというのに、謙悟からは攻め込むことが出来ない。

 それは勿論、相手が少女であるからという事。そして少女の実力がどれほどのものかは分からないが、先のローキックから鑑みるに、女子でありながら高い実力を

秘めているであろうことは想像に難くないという推測。

「年上だって? 冗談言うなよ。どう見たって中学生だろ、お前」

「ほぅ……どうやら本気で命が要らないらしいな、新崎謙悟」

 名前を呼ばれたことで、謙悟はふと疑問に思った。

 目の前のこの少女は、自分の名前のみならず武の道を修める者であることを知っている。例え冴霞の知り合いだとしても、いくらなんでも冴霞からその話が学校の

違う中学生相手に出るとは思えない。ならば少女の言うことは真実なのだろうか。にわかには信じがたいが、もしそうだとすれば先の二つの疑問にも答えが与えられる。

「彩ちゃん、ストップストップ! 謙悟くんも!」

 謙悟には背を、そして少女には正面から向かい合うように、両者の間に冴霞が割って入る。

「冴霞……」

「サエ……」

 呼び名こそ違うが、謙悟と少女が発した声には両者ともに申し訳なさそうな響きがあった。それを互いに聞き、わずかに顔を見合わせた謙悟と少女はふい、と顔をそらす。

「……謙悟くん、紹介しますね。この人が私の幼馴染で、親友の彩ちゃん……来栖彩乃ちゃん。私のことを助けてくれた人です」

 少女――――改め、彩乃の両肩に手を置き、しかし置かれた側の彩乃は不満の感情を微塵も隠さずに謙悟を睨み上げ。

 そしてその一方で、余りにも意外で衝撃的過ぎる冴霞の言葉に、謙悟は絶句するほか無かった。

 

 

15.Her little best friend is his bad enemy

 

 

 グランレジデンス天桜・五〇一号。今村家。

 八階建てのこのマンションは、各階の一号が先に述べた4LDKの構造を取っており、八畳の洋室が二つと、十畳の洋室が一つ。さらに六畳の和室を備えて四室となり、

パーティースペースと見紛うばかりのリビング・ダイニングは実に二十六畳にもなる。そこは六十五型の大型プラズマテレビが鎮座しているにも関わらず、むしろテレビ

の方が小さく見えてしまうほど広大で、リビングに通された謙悟は圧倒されていた。

「お帰りなさい、冴霞。あら、彩乃ちゃんも?」

「ただいま、お母さん」

「ご無沙汰しています、おば様」

 リビングでソファーに腰掛けてテレビを見ていた女性がスッと立ち上がる。身長は冴霞ほど高くはないが、すらりとしたスタイル。濃い茶色の髪に、眼鏡をかけた

中年の女性。冴霞の話では今年で四十六歳になるそうだが、謙悟にはとてもそうは見えないほど若々しく思えた。

「謙悟くん、こちら母です」

「はじめまして。冴霞の母の、今村悠香と申します」

 軽く頭を下げられる。その間謙悟はゆっくりと息を整え、わずかに緊張している心を落ち着かせるよう心がけていた。悠香の頭が上がると、謙悟はふぅっ、と浅く

息を吐いて。

「はじめまして、新崎謙悟です。……冴霞さんと、お付き合いさせっ!?」

 ゴツッ! と鈍い音が走る。完全に不意を付かれた脛蹴り。放ったのはもちろん来栖彩乃である。

「おまっ……」

 視線を落とすがしかし、蹴りを見舞った彩乃本人は涼しげに笑っている。身長差が三十センチ以上あれば目線を合わせるのも一苦労だが、彩乃は謙悟を一瞥たりとも

しない。はっ、と謙悟が視線を悠香に戻すと、悠香は不思議そうに謙悟を見ている。マズイ、と謙悟は思った。これではろくに挨拶も出来ない駄目な小僧だと思われて

しまう。なんとかしなければならない。

「し、失礼しました。ちょっと……お母さんがあんまり美人だから、緊張して」

「まあ。ふふふ……お世辞でも嬉しいですよ、謙悟さん」

 上品に笑う悠香。そしてゆったりとした動きで、謙悟の手を握ってくる。

「貴方の事はいつも冴霞から聞かされています。今時の子にしては珍しいくらいの紳士だとか」

「お、お母さん!? そんなこと、今言わなくても!! それに、どうして謙悟くんの手を握る必要があるんですかっ!?」

 髪を振り乱し、頬を朱に染めて抗議する冴霞。しかし悠香はころころと笑いながら謙悟の手をにぎにぎと何度も握る。

「いいじゃない。減るものじゃないし、それに謙悟さんだって満更ではないみたいよ?」

「そうなんですかっ!?」

「いや……その」

 抗議の視線と膨れっ面を向けられるも、恋人の母親を邪険に扱うことも出来ない。そして後ろでは、なんだかどす黒いオーラを放ちながら、彩乃がさっきからガスガスと

謙悟の足を蹴り続けている。女三人、しかも全員が年上という状況に囲まれて、謙悟はとんでもないところに来てしまったと実感していた。

 

 

 

 冴霞の部屋は洋室の、八畳ある二部屋の一つだった。もう一部屋は父・稔臣の書斎として使われており、仮眠用に折りたたみ式のベッドも置かれているという。

掃除は常日頃から悠香がしているとの事で、「謙悟さんさえよければお泊りも出来ますよ」と言われていた。しかし謙悟はその誘いは丁重にお断りし、また冴霞も冴霞で、

「謙悟くんは私の部屋に泊めます!」などと言い出した為、悠香はあらあらと困ったように笑いながら、冴霞に猫を押し付けて買い物に出掛けていった。

 このグランレジデンス天桜は、一代のみでペットを飼うことは特に禁止されていない。もっとも許可されているのは犬、猫、鳥、魚くらいのものであり、爬虫類や

両生類、ちょっと特殊な昆虫類に関しては特別に許可を取る必要がある。

 今村家で飼われているのは猫であり、バーマンという種類である。基本的に大人しく、従順でまた滅多に鳴く事のない猫であり、サファイアブルーの瞳と、ゴールド

ミストという金色がかったクリーム色の毛に、足や耳などにはグレーの毛が生えたポイントカラーの猫である。

 冴霞としては、本当は猫ではなく犬を飼いたかったのだが、悠香が犬アレルギーということでペットショップを何件か回って、巡り会ったのが今、冴霞が抱いている

バーマン……改め、シルビア(四歳、メス)である。そして悠香自身も気に入ったのか、その一年後には自らブリーダーの元まで出向いてもう一匹バーマンを仕入れてきた。

それが冴霞のベッドによじ登り、置物のように鎮座しているフレデリカ(三歳、メス)。

 どちらも欧州系の名前であり、特にフレデリカなどは悠香の祖母・クリスティーナの祖国スウェーデンでも見られる名前である。

「お茶を用意してきますね。謙悟くんと彩ちゃんは待ってて下さい」

 シルビアを彩乃に抱かせ、ぱたぱたとスリッパを鳴らして冴霞が部屋を出て行く。彩乃はその後ろ姿を見送ると、シルビアをさっさと床に降ろしてベッドに座り込んだ。

「まったく……初めてだよ。サエの部屋に男が入ったのは。サエから聞いてはいたが、本当に付き合っているんだな、お前」

 足を組み、不遜ながらもどこか品のある態度。謙悟はその身代わりぶりに溜め息をつき、対面のクッションに腰を下ろす。

「何か文句でもあるのか? 俺は別にやましい事なんかないぞ」

「よく言う。学校でも不良扱いされていたお前をサエが助けていなければ、今頃は補修に呼び出されていたはずだ。夏休みいっぱいを使っての拷問めいた指導の為にな。

ところがサエはお前を身内に引き込むことによってそれを回避した。あの子は昔から優しいからな、野良犬みたいなお前でも拾ってしまう」

 いちいち刺のある言い方ではあったが、彩乃の言葉に嘘はない。新学期からは転勤のためにいなくなる朝岡教諭は、最後のチャンスとばかりに謙悟への攻撃の準備を

していた。冴霞は他の教職員からその情報を聞きつけ、謙悟とそれなりに親しかった国語教諭・西野淳司や保険医の水島智子、さらには教頭である都築元治の協力を得て

謙悟を救い出し、生徒会に参加させた。この事は、実は西野教諭経由で謙悟自身も知るところであり、三人の教師にも深く感謝している。

「だが、野良犬はどこまで行っても野良犬だ。首輪を与えて躾をしても、飼い主に懐くどころか……逆に飼い主を振り回すとは。お前はサエに要らぬ手を焼かせ、あげく

男に免疫のないサエを騙し、篭絡した。お前のせいでサエがどれだけ苦労したか知らないわけではないだろうに、お前は恩を仇で返したんだよ」

 忌々しげに吐き出す彩乃。彼女の隣にいるフレデリカは退屈そうにベッドの上に横になり、床を歩いていたシルビアは謙悟の隣まで来ると、たしっ! と彼の膝に右の

前足を乗せてきた。謙悟はシルビアの顎をごろごろと撫で、軽々と抱き上げて膝元に座らせる。

「それはアンタの主観だろう? 冴霞がどう思ってるか、全然考えてないじゃないか」

「そんな事はない。あたしはサエの親友で、理解者だ。サエのことなら何だって分かる。あたしはサエのことをちゃんと考えてる」

 当たり前だろう、と言わんばかりの物言い。確かに幼稚園の頃から数えれば、冴霞と彩乃の関係は十三年を越える。かたや謙悟と冴霞に積み重ねられている時間は、

わずか二ヶ月強。比べるのも馬鹿馬鹿しい差だが、それでも。

「じゃあ分かってるんだろう? 冴霞が俺のことを、どう思ってるかくらいは」

「…………」

 悔しげに、まるで親の敵でも見るような目で睨み付けてくる彩乃。その態度こそが、彼女の言葉通りに冴霞を理解している、という何よりの証拠。

「ああ、そうだ。サエはお前を好いている。恋い慕っている。だがあたしはお前を認めない。お前みたいなヤツと付き合って、サエが不幸になるのは許せない」

「認める認めないはアンタが決めることじゃない。大切なのは冴霞の気持ちだ。アンタがどれだけ冴霞のことを大切に思っているかは分からないけど、アンタはただ

自分の考えを俺や冴霞に押し付けようとしてるだけじゃないか」

 両者の言い分は平行線の一途。だがそれも、互いが互いに冴霞のことを好いているからこそ。そしてそれ故に――――二人の衝突は、避けられない。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キャラクター設定

来栖 彩乃(くるす あやの)

県立陽ヶ崎高等学校 三年一組。

身長149cm、体重40kg 511日生まれ AB型。

・冴霞の幼馴染でありクラスメイト。身長149cmという高校三年生にあるまじきちびっ子(暴言)

・冴霞からは「あやちゃん」と呼ばれており、より幼さを強調されている。

冴霞が普通に話す数少ない相手の一人。

・冴霞が謙悟と交際していることも知っており、これに対して難色を示している。

・空手の有段者であり、小柄ながらその格闘能力は謙悟に次いで高い。ちなみに初段。




あとがき:

遂に登場した女性キャラ中最強クラスの戦闘能力を有するミスちびっ子・来栖彩乃様(!?)
冴霞の幼馴染であり、謙悟を相手にしても一歩も引けを取らないツンツンぶり。といっても
デレる要素が無いのでただの強気キャラですが。あとちょっぴり女帝っぽい?
あとは冴霞の母・今村悠香と猫のシルビア&フレデリカ。こちらは出番は少ないですが、
シルビアとフレデリカは場の空気を変えるいい緩衝材になってくれるので、重宝できます。
次回は謙悟と彩乃様が正面衝突??


管理人の感想

はい、空手黒帯、冴霞の頼もしすぎる幼馴染、彩乃様が登場しました〜^^
何やら初対面から激突必至?っていうか、有無を言わせないローキックは流石だと思う(笑)
ちっちゃな体に不遜な態度。だが冴霞の母親である悠香に対しては、物腰の良いお嬢様然としていたので、これでいてなかなかのやり手のご様子。
そして冴霞に近寄るものは全て害悪とみなす激LOVEっぷり。
謙悟も負けじと対抗していますが、彩乃は直情的な性格の中に、理知的な部分も兼ね揃えているため、一筋縄ではいかなそう・・・。
ってな感じで。とりあえず、緩衝材であるシルビア・フレデリカに期待しましょうか(笑)



2008.7.29