継の傷は、彼の母・遼子の死を根源にしている。継が物心つくころには既に身体を病んでおり、肝臓癌に侵されていた。
国内では症例として少ない胆管細胞癌であり、また症状がかなり進行してからの発見だったため、余命幾ばくもない状態。
長くない闘病生活。短すぎる命の終わり。
まだ小学生低学年だった継と、中学生の兄と最愛の夫を残して、高平遼子は三十九歳の若さでこの世を去った。
継には、その姿を崇高だとする思いがあった。家族に気づかせず、たった一人で病魔と闘っていた母の姿は幼い継には勇敢なものに見え、誇りにも思えた。
だがそれ以上に彼の心の中では、肉親であり愛しい母を失った悲哀を押し隠そうとする思いも、やはり芽生えていた。
母の葬式の日、堪えようとしていた涙は当然のように溢れ、傍らにいた幼なじみの要に己の本心を打ち明け、要は継の心を幼い身体と心にしまい込み、継と
ともにいて、そして決して彼を悲しませないために泣き虫を卒業することをその日から誓っていた。
だから要は知っている。継が女性を傷つけられないのは男であるからという以上に、病に倒れ命を落とした母の姿を思い出してしまうからということを。
そして継も、幼い日のこととして忘れていたその過去を思い出し、要に対して十年もの間ひた隠しにさせていた過去の責を謝罪し、そして。
ほんの二ヶ月前から、新しい関係を始めることで、それぞれの過去と現在にひとつの決着を付けたのだ。
B&G MEMORIAL of SUMMER
BOYS and GIRLS in
13−C 彼女たちの戦い
要の告白を、謙悟と冴霞、そして継も砂浜にシートを敷き、座ったまま黙って聞いていた。
広げた昼食はほとんど……いや、全く手がつけられておらず、誰もが要の話に聞き入っている。
「……ごめんなさい、こんな話しちゃって。でも、継くんのこと誤解しないで欲しかったんです」
しっかりとした声。普段の要と何ら変わらないはずなのに、意志の強さだけはこの場にいる誰よりも強い。継はもちろんそのことを知っているが、謙悟と
冴霞は彼女のそんな、今までに無い一面に正直驚いていた。
「柊木さん、高平くん……その、本当にごめんなさい」
「済まなかった。俺も軽率だった」
頭を下げる二人。個人の事情である以上、二人が継のトラウマを知らないことは罪ではないとはいえ、結果的に冴霞の言葉が継の心の傷を開いたのは事実で
あり、謙悟もまたそうなってしまうきっかけを作っていた。二人が罪だと思うのならば、それは間違いなく罪なのだろう。
すると、今まで黙っていた継は小さく溜め息をつき、隣に座っている要の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「あぅっ」
「ったく、人の過去をベラベラしゃべって……しょうがねえ彼女だな、お前は」
言葉とは裏腹に嬉しそうな笑顔。予想だにしないその表情に、謙悟も冴霞も驚きを隠せない。しかし継はゆったりと足を組みなおし、片膝を立てた。
「まぁ、そういうこと。忘れようったって忘れられないけどさ、母さんが死んだから今の俺があるわけだし。悲しくないなんて言うほど、俺だって意地っ張りじゃない。
ちゃんと受け止めて、向き合って、そんで……やっぱり母さんのこと以上に、俺は男として女の人に手を上げるなんて出来ないって、思ったんだ」
「…………」
普段とは違う、しっかりとした意見を持っている『男』の表情。継のそんな顔を見るのは、謙悟も初めてだった。
思えばまともに会話するようになって半月余り。既に友人としての関係が成り立っている継と謙悟だが、互いのことを深く話し合うことは無かった。
だがどうだろうか。冴霞との事を話したのもやはり友人として『信用』している以上に、継ならばちゃんと答えてくれるだろうという『信頼』があったのではない
だろうか。そして今日、この時から謙悟は継の過去を一つ知った。恐らくは親しくなければ知りうることの出来ない、継にとって何よりも大切な過去の記憶を。
「ほら、湿っぽい話は終わりにしてさ! メシ食おうぜ、メシ!!」
ばしっ! と謙悟の肩を叩く継。もちろんはね除けることも避けることも出来た謙悟だが、その一発だけは甘んじて受け入れることにした。
昼食を取り終え、継と要も水着に着替え、食後の運動にと継が取り出したのはビーチボールだった。オーソドックスな配色のビーチボールは取り立てて珍しい
物ではなく、むしろ誰の目にも馴染んだありふれたものであり、どこか懐かしさも感じさせる。
「定番だけど、四人もいればちゃんとゲームになるだろ?」
カップル同士、二対二に分かれての対戦。とはいえ平均身長に差がある上に、ただの砂浜である以上ネットなど存在しない。ラインもセンターラインくらいしか
まともに決められず、そもそも本格的なビーチバレー形式のコートの大きさなど、冴霞しか知らないのだ。
「バレーボールのコートって結構大きいですから、際限をなくしたらきっと終わらないですよ?」
「遠くまで飛ばされても困るし、体力が尽きたほうが負け、ってのはさすがにそれは遠慮したいな……高平、いくつかだけでもルール決めないか?」
「ああ。それに、どっちかっつーと俺の方が圧倒的に不利だからな、いいぜ」
「な、なんであたしを見て言うのかな?」
要の控えめな抗議をしっかりとスルーして、謙悟と継はいくつかの意見を出し合い、冴霞は普段から持ち歩いている手帳をバッグから取り出し、以下のような
取り決めを採用した。
・ラリーポイント制。
・三セットマッチ、二セット先取で勝ち。
・十ポイント先取したチームがそのセットの勝ち。
・男の子はアタック、スパイクサーブ禁止。
・八メートル×四メートルのハーフサイズコート(公式ビーチバレーに採用されている物の二分の一)。
「ま、こんなもんかな。新崎がアタックなんかしたら、要が吹っ飛ぶ」
「いくらなんでもそれは無いぞ。後は……ネットが無いからブロックする必要も無いし。二人ともこれで大丈夫か?」
「うん。先輩もこれでいいですよね?」
「はぁ……でも、私や柊木さんはアタック打ってもいいんですか?」
なぜか不安げに尋ねる冴霞に、謙悟も少し驚いたように彼女を見下ろす。
「どうかした? バレーって苦手だったか?」
「いえ、その……逆なんです」
ずどぉっ!! という有り得ない音を響かせて、ビーチボールが継の両腕を弾く。さながらその様は天より飛来した流星のごとく。
塩化ビニルに呼気を吹き込んだだけの、極めて軽量かつ安全性の高い遊具。その固定概念が根底から覆された瞬間を、冴霞を除く三人は目撃した。
「〜〜〜〜ってぇっっ!! 先輩、マジで痛いんですけどっ!?」
「だから言ったじゃないですか! アタック打っても良いんですかって!」
水着の上からサマーパーカーを羽織り、肘まで袖を捲り上げている冴霞が声を張り上げて答える。運動するには不向きな水着を固定するために上着で押さえ込み、
また普段なら自然に流している髪も髪留めでかき上げて前髪をしっかりと止めている姿は、普段の冴霞と違って活発的な印象を与えていた。
「……だからって、そんな強烈なアタック打たなくてもいいだろ」
「だ、だって、女子のバレーでは私いつもセッターかウイングスパイカーですから……強打が出来るようになっちゃって」
謙悟らが通う陽ヶ崎高等学校では、男子と女子で合同体育を行うカリキュラムとは別に、男女別で選択することも出来る。
この場合男子はサッカーかソフトボール、器械体操やバスケットボール、卓球などを選択でき、女子は同じくソフトボールにバスケットボール、
そして陸上とバレーボールなどを選択することが出来る。冴霞は中学時代は県のトップアスリートであったために陸上を選んでも良かったのだが、一度辞めた
競技に返り咲くのも未練がましいと思い、屋内競技のバレーボールを選択した。
しかし持ち前の長身とバネのある跳躍力は素人ながら突出しており、ネットの高さである二.二四メートルを大きく超えて打ち落とされるアタックはもはや
一般高校女子では防ぎようが無く、また元バレー部の女子でさえ返すのがやっとという冴霞のアタックは、文字通りのレーザービームとして恐れられていた。
当然、学年が違うために謙悟たちはそんなことなど知る由も無く、急遽ルールを変更せざるを得なくなった。
「強打禁止」
と、謙悟。
「スリートスで返す」
続いて継。
「安全第一」
最後に要。
「なんで皆して私のほうを見ながら言うんですか!?」
抗議する冴霞。だが三人の言い分の方が正しいのは誰の目にも明らかである。
「膨れるなよ。ほら、行くぞ!」
ぽーん、とビーチボールを高く上げる謙悟。先ほどの冴霞の一撃で空気が抜けてしまったのか、ボールはふわふわと頼りなく漂い、ぽむんと冴霞の頭に当たってから
ゆったりと地面に向かって落下する。
「あ、わわっ」
咄嗟に前屈みになりレシーブ。パーカーで押さえているとはいえ、胸元までぴっちりとファスナーを閉じているわけではない。わずかにのぞける胸元はしっかりと
深い谷間を形成し、無自覚の色気を放っていた。
「くっ――――」
鋼の精神力で自制し、センターラインの向こうにいる継にボールを打ち返す。初速こそ勢いは良かったが、やはりビーチボールは謙悟の目算ほど高く上がる事は
なく、ひょろひょろと失速しながら落下する。継はその情けない打球を片手でキャッチし、軽く放り上げた。
「っと。ダメだな、空気入れなおさねぇと話になんねぇ……って」
空気を入れる空気穴の横に、小さな穴が開いている。どうやらさっきの冴霞の一撃にビーチボールが耐え切れなかったようだ。
「どうしたの? 継くん」
「もう使えねぇよ、これ」
痛々しい裂け目を要に見せる継。要はビーチボールを受け取ると、ぐいっとボールを圧迫し、残った空気を傷口から吐き出させた。
「あー……」
「ご、ゴメンなさい……私、また」
しゅん、と小さくなる冴霞。さすがに今回ばかりは謙悟もフォローのしようがない。このビーチボールの持ち主は謙悟ではなく継なのだ。勝手な事は言えない。
「いいっていいって、使って壊れたんなら道具としては本望ですから。そしたら次は何すっかな……」
気を取り直してごそごそとバッグを漁る。すると傍らに立っていた要がバッグからあるものを取り出した。
「今村先輩」
「? はい?」
手に持っているもの――――チューブ旗をずいっと突き出して、普段の要らしくない厳しい表情で。
「これで、あたしと勝負しましょう」
「ビーチフラッグ……ねぇ」
ぽつり、と継が呟いた。隣りを歩いている謙悟は足でずりずりと砂に線を書いており、もうすぐ目算二十メートル地点に辿り着こうとしている。
「けど柊木、勝算なんかあるのか?」
「知らねぇよ。アイツすっげー足遅いんだぜ? 五十メートルなんか九秒近くかかるし」
「……お前、冴霞の百メートル自己ベスト知らないだろ」
冴霞が現役引退時に叩き出した自己最高記録は、百メートル十一秒九四。もし彼女が学業に専念するために陸上を引退していなければ、恐らくインターハイで
その名を轟かせ、また高い確率で国体や日本ジュニア選手権などに出場し、もしかしたら未来の五輪代表になっていたかも知れない。
「マジかよ……今村先輩って、ホント無敵だよな」
「やっぱり記録自体はかなり落ちてるみたいだけどな。それでも普通の男子よりは十分速いぞ」
「だよなぁ。どう考えたって、要が勝てるとは思えねぇよ」
「柊木さん、その……この勝負は」
「……『冴霞』先輩」
冴霞の声を遮る強い声。そして真剣な眼差し。さっきまでの要とはまるで別人のような表情に、冴霞は困惑していた。
「先輩、あたし……継くんの前では言いませんでしたけど、先輩のこと怒ってます」
「――――っ」
ずきん、と胸が痛む。要の視線が痛いくらいに突き刺さるというのは、気のせいや勘違いではないし、なにより冴霞にも怒られる理由に自覚がある。
「三回、です。今日だけで先輩が継くんのことを傷つけたのは。先輩はそれ、分かってますよね?」
「…………はい」
ビーチボールを破損したこと。
アタックで継の腕を痛めたこと。
そして、継の過去の傷を抉ったこと。
どれも無自覚のことだが、だからと言って責任がないと言う事は出来ない。なにより、冴霞自身が自分の行為を罪だと認めている。
「あたしは、継くんの彼女です。継くんが大好きだし、継くんが傷つくのはもう見たくない。……こういうところ、自分でも継くんに似てるかなって思います。
だから先輩に手を上げたりもしない。でもちゃんとケジメはつけたいから……これで、そのケジメにしたいんです」
愛する継のために、勝算のない勝負をする。
理不尽とも思える怒りの矛を収めるために。
その想いを聞かされては、冴霞もこの勝負を受けざるを得ない。
「……分かりました。私も女です、本気で応えますね……『要さん』」
特別に意識したわけではない。ただ要の真剣な気持ちに応える以上、いつまでも彼女のことを名字で呼び続けるのは失礼だろうと思ったからこそ出る呼び名。
そして――――久しく忘れていた感覚が冴霞の身体の中を駆け抜ける。
誰かと競い合うこと、勝利するために己を研ぎ澄ましていた三年前までの自分。
要の真剣な想いは、一競技者として練磨し続けた走り屋(アスリート)としての今村冴霞を呼び起こした。
「準備はいいか?」
冴霞の足を押さえている謙悟が確認をすると、冴霞も要も無言で頷いた。継はその隣りでストップウォッチのタイマーを調整しており、スタートから一秒後に
アラームが鳴るようにしている。ビーチフラッグは本来走者が同時にスタートを切るのだが、今回ばかりは二人の運動能力の差を考えてハンデを科すことにした。
要のスタートから一秒後に冴霞がスタートをする。起き上がりにコンマ五秒の想定をすれば、科せられたハンデは同じくコンマ五秒。
同等の速力を持つ者同士であるのなら、これは大きな痛手である。だが冴霞と要の実力は文字通り天地ほどの開きがあるため、少しでも公平を期すために
このような処置を施すことにした。ちなみに発案者は謙悟であり、冴霞も要も了承している。
「こっちも準備できたぜ。んじゃあ……一発勝負、泣いても笑ってもやり直しは効かないからな?」
「うん」
「はい」
短くも確かな答え。継と謙悟も顔を見合わせ、互いに頷き合う。
時間にすれば五秒にも満たないであろう真剣勝負。二十メートルという短距離以下の超短距離決戦。
「よーい…………ドン!!!!」
声と同時に謙悟が冴霞の足を離し、また要が立ち上がる。この間コンマ三秒。
バランスを崩しながらも目標である旗を確認し、走り出す。更にコンマ四秒が経過する。
アラームが鳴り、ばっと冴霞が立ち上がる。ジャスト一秒。体勢を整えるのにプラスコンマ五秒。
ザシュッと砂を蹴る。ストライドは広く、手の振りは力強く。先を行く要の背は見る見る近づき、そしてその先にある旗も確認できる。
……刹那、冴霞の心にわずかに逡巡が生まれる。
要の気持ちを汲むのなら、ここで自分が勝つことは果たして正しいことなのだろうか。
一競技者としては失格だが、もう自分は勝利に拘るような立場の人間ではない。
彼女のためを思うのなら、わざと負けてしまったほうが――――。
「冴霞ぁっっ!!!!」
後ろから響く声。確認するまでも無く、謙悟の声だ。
失速しかけたのが分かったのか、それとも応援してくれているのか。
きっと両方だろう、と冴霞は勝手に納得し――――ぐん、とギアを一つ上げた。
並走し、コンマ二秒で追い越す。
並走できたのはそのわずかな時間、だというのに。
要が笑っているのが見えた。
「ごめんなさい――――っ」
聞こえたかどうかは分からない。それでもいい。
息を吐き出し、声を出す。それはアスリートにとっての暴挙であることは何よりも自覚している。
だけど言わなければ。自分のせいで傷つけてしまった継と、そして要の想いを知りながらそれでも勝利してしまう己の身勝手さを懺悔するために。
身勝手――――そう、これは身勝手だ。
結局のところ、冴霞自身も。
謙悟が見ている前で負けたくない、という思いがあったからこそ、ギアを上げてしまっていたのだから。
砂が舞う。
旗をつかむ。
ごろごろと転がる。
そんなことをしなくとも、勝利することは容易かったというのに。
「はっ、はっ、はっ――――はぁっ」
息を整える。砂まみれになっている髪の毛の向こうに、ようやくゴール地点に辿り着く要の姿と。
それを追い越して自分に駆け寄ってくる謙悟の姿が見えた。
「冴霞、大丈夫か!? 怪我とか――――」
「だ、大丈夫……です……」
息も絶え絶えに、力なく微笑む冴霞。謙悟は彼女の砂にまみれた髪を優しくはらい除け、そっと肩に手をまわす。
「はぁ、はぁ……やっぱり、冴霞先輩、速いです……負けちゃった」
「要さん……」
要の表情に後悔は感じられなかった。彼女の表情は眩いばかりの笑顔。これではどちらが勝者か分かったものではない。
「おめでとう、先輩」
きゅっと手を握る要の手。そして――――冴霞は感極まって、要をぎゅうっと抱きしめた。
言葉はない。そのかわり、涙もない。
走ること、いや、競い合いぶつけ合うことで手に入れた、まだ芽吹いたばかりの二人の友情。
それはこれから先、ゆっくりと育ち、やがては大輪の花を咲かせるだろう。
あとがき:
事実上、今回の主役は要になりました。あれ? 継の立場が・・・・・・まぁいいか(0.01秒)
これでようやく「要さん」「冴霞先輩」にランクアップした呼び方。男同士の友情もいいけれど、
女同士の友情だって大事です。BGMは良好な男女の恋と友情と応援します。
そしておそらく次回で、長かった13話も一応の終わりになる・・・予定??
管理人の感想
継の過去の傷。謙悟と冴霞に悪気はなかったといえ、打ち明けられた記憶は苦く重いもの。
しかしそれでも継は、彼らを責めたりはせず、今の自分の思いを等身大に語る。要も、継のこういう強さに惚れたのかもしれませんね^^
そして後半はカップル対決・・・のはずが、あれ?いつの間にか彼女対決に?(笑)
勝負の最中に一瞬わざと負けるか迷った冴霞ですが、それでは要の想いを汲もうとも逆効果ですよね。
彼女自身、言ってましたしね。これはけじめなんだって。
そして結果的に、冴霞の勝利によって二人の仲がレベルアップ。あれ?継が空気なんですけど(爆)
・・・ってことで、次はDです〜。