「え……?」

 謙悟くんから送られてきたメールを見た瞬間、私は思わず携帯を落としそうになった。

 そこに書かれていたのは、とても信じられないような言葉。普段の謙悟くんからは想像もつかないような、優しさの欠片もない冷たい文章。

「そんな、どうして……?」

 信じられるはずがない。彼が私や、あろうことか妹の麻那ちゃんまで放置してしまうなんていう事態を、どうして信じられるだろう。

 私を信頼してくれているのならそれはとても嬉しいこと。だけど昨日と今日の二日間を一緒に過ごして、謙悟くんがどれだけ麻那ちゃんを大切に

思っているかは良く分かっていた。そんな彼が、麻那ちゃんを置いてどこかに行くなんてあるはずがない。

 ……なら、答えは一つ。

「このメールは、嘘……でも」

 行き先はこのデパートの九階、レストランフロア。多分これは本当のことだと思う。いくらなんでも駅前から離れた場所に行くとは考え難いし、

そもそもそんな選択をする意味がない。

 そしてなにより、一言の断りもなく姿を消したこと。仮に文章の通りなら、その相手との再会を少なからず喜んでもいいはず。だというのにこの

文章にはそれが感じられない。自分ひとりで相手と話をして、それで済ませようとしている。

 それはつまり……私の予想が正しければ。

 謙悟くんは麻那ちゃんと私を巻き込まないために、一人で話をしに行ったに違いない。

「――――お客様、どうなさいましたか?」

 店員の女性が声をかけて来る。私は彼女に麻那ちゃんが着ていた水着を押し付けて、

「すみません、これキープしておいて下さい。麻那ちゃん、行きましょう」

「? どこに?」

「謙悟くんのところです」

 乱暴に携帯をバッグに押し込んで、麻那ちゃんの小さな手をつかむ。行き先はもちろん、九階のレストランフロア。

 もう一度だけ、メールの中身を思い出す。あまりにも衝撃的で短すぎる文章は、もう一目見ただけで覚えてしまい、そして二度と見たくなかった。

 

 ――――中学の頃の知り合いと会ったから、九階のレストランでちょっと話してくる。――――

 

 相手が誰であろうと構わない。

謙悟くんにそんな嘘を言わせた相手を、私は絶対に許さない。

 

 

B&G MEMORIAL of SUMMER

BOYS and GIRLS in Seaside Vacation

 

10.過ぎ去りし季節

 

 

 

「じゃあ、再会を祝して」

「……ああ」

 レストランフロアの一角に置かれている屋外テラス付きのオープンカフェで、謙悟と美優はわざわざテラスに出ることもなく屋内でグラスを合わせる。

外は眩いばかりの晴天であり、同時にこれ以上ないくらいに暑い。こんな天気にわざわざ外で飲食しようなどという酔狂な人間はほとんどおらず、

テラスにいるのはその例外とでも言うべき数組程度だった。

「いやしっかし、ホント久し振りね。中学以来? またかなり背が伸びたね」

「そうだな。通ってる高校も違うし……どこだっけ?」

「陽乃平(ひのだいら)高校。一応県立だけど、中の下ってとこかなー。ほら、あたし頭悪かったし」

「知ってるよ。俺なんかに教えられてたからな」

 グラスを傾ける謙悟。その様子を、美優は頬杖を突いて眺めていた。

「……新崎にまた会えるなんて、あたし、思ってもいなかったよ」

 憂いを帯びた、悲しげで切なげな声。その声には先ほどまでの明るく無邪気な感情は乗せられていない。

 そして謙悟も、グラスを置いて椅子にもたれかかり、ゆっくりと腕組みをして。

「忘れたわけじゃないんだな。……正直、忘れてたらまた軽蔑してた所だ」

「忘れるわけないじゃん。自分を振った男のことなんて、そうそう忘れられるもんじゃないよ。にしても軽蔑とは……またきっつい言葉が出たね」

「少なくとも、あの時はそれしかなかったからな」

 睨み付けるような視線。そこには謙悟が発した言葉の通り、軽蔑に近いものがある。美優もそれを察したのか、ふぅとため息をついた。

 

 

 三年前。

 謙悟と美優は当時、市立陽乃平中学校の二年生だった。二人はその年の夏から交際をしており、その事を知る人間はわりと少なくなかった。

 それもそのはず。美優は学校の中でも明るく、気さくで人気のある女生徒であり、また剣道部のマネージャーとして知られ、それなりに有名だった。

 中学生になり、それなりに成長する思春期という時期。

中学二年生の夏、美優は一人の同級生に興味を持っていた。だがそれは異性に対する思慕の念ではなく、彼女が所属する剣道部にたまに訪れる

生徒への、純粋な好奇心である。美優には既に意中の人がおり、剣道部のマネージャーを務めているのもその相手が所属しているからという、なんとも

不純かつ女の子らしい理由だった。

 部活動には所属していないものの、週に二度は剣道場に顔を出し、指導に来ている青木コーチと剣を交え、またコーチ自身もいくらか手加減している

とはいえ肉薄した試合を演じ、時に勝利するという信じられないような男子。もちろんそんなことは剣道部の誰にも出来ないこと。

 それが当時の新崎謙悟。まだあどけなさの残る、しかし逞しさを感じさせる少年だった。

「新崎くん、でいいのかな?」

「え、うん……えっと」

 いきなり見知らぬ女子に話しかけられ戸惑う謙悟。この当時謙悟はまだ成長期前であり、身長は百五十三センチだった。美優はこの頃、百五十六センチ。

成長期において女子のほうが男子より背が高いというのは良くある事であり、この二人もそうだった。

「あたし古谷美優。コーチとの試合見てたけど、キミすっごいね!」

「そうかな? 手加減されてるのは分かってるし、それで一本とっても嬉しくないよ。どうせなら、俺も本気でやって勝ちたい」

 勇ましい言葉。そしてなにより。

「俺もって、新崎くんも本気でやってないの?」

「まぁ……青木さんには内緒だけどね」

 申し訳なさそうに、苦笑いする。だが美優はそんな謙悟を見ながら、すこしだけよからぬ事を考えていた。

 正直な話、陽乃平中学校の剣道部は弱小部活動である。顧問もコーチもそれなりにやる気はあるのだが肝心の選手が少なく、三年生を含めてようやく

団体戦同士の試合が出来る程度の人数しかいない。マネージャーである美優もそれは懸念しており、出来ることなら何とかしたいと思っていた。

 弱小部活動に期待の新星。それはこれ以上ない格好の話題であり、またあわよくば剣道部を救う一手にもなりうる。そして上手く行けば、美優の

思い人である先輩・岩城拓真に認めてもらうことも出来る。

「新崎くん、剣道部に入らないの?」

 勧誘の第一歩として問いかける。だが謙悟は面を外し、手ぬぐいを解いてから。

「いや、俺は……部活とか、そういうのに興味ないんだ。特に剣道と空手は、小さい頃からやってるし……俺なんかが出たら、不公平だろ」

「そっか……レベルが違うもんね」

 コーチに来ている青木辰実は剣道五段の腕前を誇っている。その相手と互いに本気ではないとしてもまともに試合を演じ、時に一本とってしまう

中学生などもはや中学レベルでは収まらない。そんな相手が普通の部活動に参加すれば、確かにその学校の部活動にはいい影響を与えるかもしれないが、

対戦相手からしてみれば正直、やっていられないという気にさえさせてしまうこともあるだろう。

 だがそれを理解しつつも、美優は謙悟を剣道部に誘うことを完全には諦めていなかった。

 彼女はよく謙悟に話しかけ、時には一緒に下校することもあった。週に二度の稽古以外の日にも待ち合わせるようになり、傍目から見れば謙悟と美優は

付き合っているように見えた。

 無論、美優にそのつもりはない。彼女の目的はあくまで謙悟を剣道部に引き入れ、部の躍進に貢献し、岩城に褒めてもらいたいという考えしかない。

 そして謙悟からの言葉を聴いたときにも、美優は小賢しくもそれを利用しようとしか考えていなかった。

「なぁ、古谷ってさ……なんで俺に構うんだ?」

「え? そんなの……新崎が好きだからだよ」

「なっ、え、えぇっ!?」

 突然の告白に慌てる謙悟。当時の謙悟は今の彼からは想像も出来ないほどに純情かつ純粋で、また美優のことを少なからず好意の対象として意識していた。

 だから美優から放たれた言葉はまさしく寝耳に水であり。

 美優はそれをなんとなく察しながら、謙悟の両手を取った。

「新崎はどう? あたしのこと、好き?」

「う、……ぅん、好き……だよ」

 頬から耳まで真っ赤に染めた謙悟の告白。美優は内心意地の悪い笑みを浮かべながら、しかし表情はにこやかに。

「じゃあ新崎、あたしと付き合おうよ。ね?」

 その笑顔を偽りの笑みとも知らず。

 中学二年の夏の終わり、新崎謙悟は古谷美優と交際し始めた。

 

 

 二人の交際は一見順調なように思えた。入部こそしていないが謙悟は以前よりも頻繁に剣道場に通うようになり、時には他の部員に頼まれて指導めいた

事をすることもあり、僅かながらも剣道部の実力向上に貢献していた。

 美優とは毎日ではないがともに下校し、休日などには買い物に行ったり遊びに行ったりと、普通の恋人同士のような関係を築いていた。

 だが、美優は決して謙悟の手に触れる以上のことはせず、その点に関しては謙悟も少なからず不満を抱いていたがしかし、それを尋ねる勇気も当時の

謙悟にはなく、恋人でありながら距離を取ろうとする美優に、謙悟は徐々に不安を募らせていった。

 美優もまた、いつまで経っても剣道部に入ろうとしない謙悟に対して苛立ちを持っていた。三年生である岩城は夏で実質引退し、あとは残った部員らの

冬の大会と、卒業生らの最後の一戦として部内の壮行試合を残すのみとなっている。この冬の大会で成果を上げられなければ、わざわざ嘘までついて謙悟と

付き合っている意味などない。

 しかしそれを表面に出すことなく、美優は謙悟の彼女を演じ続け、しかし一定以上の距離には謙悟を近づけさせない。本来の目的以外で謙悟に対し親しく

する必要など美優にはないのだから。

 そして、そんなもどかしい関係を続けながら秋、冬となり。

 冬の大会を間近に控え、痺れを切らした美優は遂に道場で謙悟に切り出した。

「新崎さぁ、剣道部に入りなよ」

 思いやりの欠片もない、ただぶっきらぼうな物言い。だが謙悟の答えはあの夏の日の答えと変わらない。

「言ったろ、俺は部活には入らないって。古谷だってそれは知ってるだろ?」

「なんでよ!? このままじゃ剣道部は駄目になるかもしれないのよ!? 先輩だっていなくなる! これじゃ一体――――!」

 ――――何のために、アンタなんかと付き合ってあげたのか分からない――――。

 がらがらと、何かが崩れる音を聞いた気がした。

「なんだよ、それ……どういうことだよ……」

「はっ、言葉の通りよ! 別にアンタの事なんか最初から好きでもなんでもないの。ただ剣道が強かったから目をつけてあげただけ」

 瓦解は早かった。一度漏れてしまえば堰を切って飛び出す本音に美優自身も驚きながらも、これまで溜め込んでいた不満は醜く朗々と紡がれる。

「あたしはね、ホントは先輩のことが好きなの。アンタのことなんてどうでもいい、先輩に褒めて欲しかったのよ。本気になんてこれっぽっちもなって

なんかいなかったわ」

 ぐっ、と謙悟の拳が握られる。美優もこれだけ言えば少なからず殴られるかもしれないという覚悟はあった。

 だが、謙悟は何をするでもなく。

 ただ無言で道場を立ち去ろうとした。

「ちょっと、何も言い返さないの? アンタ、あたしに利用されてたんだよ? 悔しくないの?」

「悔しいよ。だけど悔しいからって言い返したら、俺は少しでも好きになってた相手を傷つける。そんなのは嫌なんだ」

 スニーカーを履き、道場に礼をする。そして――――謙悟は無表情に別れを告げた。

「少しでも、俺に付き合ってくれてありがとう。だけど俺は古谷を軽蔑するから、お互いに話しかけるのは止めよう。……さよなら」

 ずきりと美優の胸が痛む。咄嗟に謙悟に向かって駆け寄り、顔を寄せようとした。

 だが謙悟の両手は美優の肩を押し返し、静かに道場の入り口を閉ざした。

 二人の「恋人ごっこ」はこの日を最後に終わった。廊下ですれ違っても、美優は謙悟に挨拶しようとしたが謙悟はそれを完全に無視し。

 そして謙悟は剣道場に出稽古に来ることもなくなり、謙悟が美優を振ったという噂が緩やかに広まって行った――――。

 

 

 

「ごちそうさま。悪いわね、おごって貰っちゃって」

「ま、店指定したのは俺だし。それにアイスティーの一杯くらいなら別にいいよ」

 会計を済ませ、店を出る謙悟と美優。二人ともそれぞれがオーダーしたアイスコーヒーとアイスティーを飲み干し、十数分喋っただけであっさりと

店を出ていた。とはいえかつてとは違い、今の二人は喫茶店で長居するような間柄ではない。

「ねぇ、新崎……今更なんだけどさ」

「ん?」

 見上げる視線。三年前まではほとんど変わらなかった二人の目線の位置は、今は遥か遠い。

 だが美優の目にはそれを厭わない強い力が篭っていると、謙悟は感じていた。

「さすがにもう恋人は無理だろうけど……あたしたち、友達にはなれないかな?」

 躊躇いがちな問いかけ。しかし淀みのない言葉は、それなりに美優自身も覚悟を決めての発言。

「や、都合のいいこと言ってるのは分かってる。正直、あたしのワガママだし。でも……」

「いいよ、友達で」

 あまりにもあっさりとした答えに、美優は驚いたように目を見開く。

「いいの? ホントに?」

「お前な……自分で言い出しておいて、その反応はないだろ」

 ため息をつきながら呟く謙悟。しかしその表情は不機嫌なものではなく、どこか優しげだった。

「……三年経つし、いつまでも気にしてたって仕方ないしな。出来ることなら俺だってそういうしがらみはサッパリさせたいんだ」

「しがらみ、かぁ……そうね。あたしもそうかも知れないわ」

 くすっと美優が微笑み、そしてゆっくりと右手を差し出す。

「んじゃ、これで仲直りとしましょうか」

 何度か触れた美優の小さな手。それを握ろうと謙悟が手を伸ばしたとき。

「おにいちゃん!!」

 ばふっ、と腰にしがみついた麻那によって、その行為は強制的に中断させられた。

「麻那? お前、なんでここに?」

「誰?」

 と尋ねるのはもちろん美優。かつては恋人同士だった彼女だが、謙悟の家族構成までははっきりと覚えておらず、麻那の存在も忘れていた上に、

実際に会った事は一度もないのだ。

「おねえちゃんがおにいちゃんのところに行くって言ったの」

「冴霞が? あ……」

 さっと視線を向けると、その先には。

 驚いているのか、それとも怒っているのか。いや、それすらも封じ込めた完全な無表情で、冴霞は謙悟と美優を見つめていた。



あとがき:

明かされたのは二人の拙い過去の話。美優の想いが真実かどうかを
見抜くことも出来なかった頃の謙悟と、自分勝手で謙悟を傷つけた美優。
関係を修復しようと差し伸べた手は、まだつながれることはなく・・・・・・次回、修羅場か?


管理人の感想

第10話、掲載です〜^^
今回は、謙悟と美優の過去がメインでしたね。
恋人同士だった二人。しかしそれは、双方向ではなく単方向の想いでしかない、仮初の付き合い。
剣道部の再建と、そして何より好きな先輩に認めてもらうために・・・という女の子らしい考え。
でも謙悟がそんな考えに付き合わされ、傷つけられたのは事実であり。
それでも、女の子に手を上げない謙悟はやはり紳士だなぁと思いました。
そして月日が経った今、二人は過去を水に流し友達関係に・・・と、そんな二人の前に現れる冥王様(笑)
次回が非常に気になります。



2008.2.29