第3回

煎茶中興の祖、売茶翁

皆様こんにちは。大変僭越かと思いながらも、本日は売茶翁 こと僧月海についてお話ししたいと思います。

baisaou.gif千利休が時の権力者、信長や秀吉と関わることによって戦乱の 時代に自らの美意識を茶道に完成させていったことは、 歴史の教科書などでご存じの方も多いでしょう。 これより時代は百年ほど下りますが、江戸中期、元禄時代の 終わりから享保の改革に揺れた世相に喝をいれるかの如く、 一切の権力、財力、加護から離れて人間の生きる姿の真実を 求め貫いたのが、売茶翁こと僧月海であったと思います。

元昭月海は十一歳の時、鍋島藩、宇治黄檗宗(おうばくしゅう) 龍津寺(りゅうしんじ)の化霖道竜(けりんどうりゅう)に師事し、 出家をします。二十二歳の時に大病を煩い、その後発起して 諸国修行の旅に出ます。学を積むこと十余年、師の元に帰り 寺務を勤めますが、化霖和尚の亡き後、法弟にあたる大潮に 龍津寺を託して佐賀を後にします。齢にして六十前後と言われて います。

四季折々の景観に人々の集まる嵐山、鴨川辺り、東福寺通天橋、 相国寺などに一竿の担子の前後に茶具を担って出向き、茶筵(移動茶屋) を開いて、「茶銭はくれ次第、只飲みも勝手、只よりまけ不申候」 と書いた竹筒を出して、道行く人々に茶を煮て呈しました。

時は中国も明末、清初の動乱期で、多くの中国文人が亡命、帰化 した時代でした。翁もその文人趣味に啓発されたと思える煎法で 茶を煮ており、その色は茶色で今日の湯茶より苦いものであったと 伝えられています。

売茶翁の姿を描いた画像も多く残されており、今回は幸いにも 許可をいただけましたので、その一つ、伊藤若冲の筆による 「売茶翁画像」をご紹介いたします。

(松下に坐した翁の姿で、画賛は大典禅師。タテ 112.3 cm  ヨコ 43.8 cm。主婦の友社、編集/発行「売茶翁集成」P68)

このように鶴しょう衣(かくしょうえ;「しょう」は「敞」の 下に「毛」)という道服をまとい、茶具を納めた篭を担って 飄々と京の街に現われる姿を見て、市井の人々は売茶翁と呼び 親しみました。

一介のお茶売りで得た銭は生活の資でした。この生活を翁は 八十一歳まで続けるのですが、自然の中で自在にということは、 六十を超えた身にとって、決っして安穏なものではなかった はずです。在家仏教の実践、禅の修行そのものであったことでしょう。 当時の文化人を始め僧俗を問わず、翁のこの風貌に接した人々が、 長くその後世に至るまで煎茶という世界に一つの指針を得たことは 揺るぎないことです。

俳人蕪村や「動物採画」の若冲、南宗画「山水羅漢図」の 池大雅などが翁の茶筵を訪ね、紅葉の中、あるいは桜花の散る下、 川のせせらぎを聞きながら茶を喫するところを思い描くと、 何物にも替えられない人間の至福の時空を感じます。

しかし、翁は八十一歳でこの売茶の生活を打ち切ります。 この際、長年用い歩いた遷か(せんか;茶具を入れる担い篭。 「か」は穴冠に「果」)を焼き捨ててしまいました。

「遷か焼却の偈」というものが残っており、このときの翁の心が 偲ばれます。その概略は「孤独で貧しい私は、春山秋水、 松下竹陰へとお前を伴い、そのおかげで飯代を欠くことはなく 八十余歳を保ってきたが、今はもう老いてお前を使う力も無い。 私の亡き後、俗人の手に渡って辱めを受けることがあっては お前はさぞかし遺恨であろう。 だからお前を讃えて火祭りにする。火焔の裏に向かって 身をかわして行きなさい。 世界滅尽の大火ですべてが塵になっても、青山は相変わらず 白雲の中にそびえ立っているだろう。この言葉をささげます」 というようなものです。 (しかし、茶具の一部は親交の厚かった蒹葭堂(けんかどう) 木村巽斎に譲られ、「売茶翁茶具図」として世に残されています)。

こうして道具を火葬に付した翁は、九年後に自らの命が尽きる時には、 遺言により亡骸をさい骨葬(火葬し、粉末にして川に流す)に付せしめた ということです。ここに翁の生の完成(無に帰する心)をみて よろしかろうと思います。

しかしこの高邁な精神は逆に後世の文人らを育むこととなり、 上田秋成、青木木米、頼山陽、連月尼、富岡鉄斎らに引き継がれて 日本の文化芸術に多大な影響を与えたと言われます。 また、現在では稽古事として形式礼法などの裏付けがなされ、 「煎茶道」として世に迎えられ、茶会なども盛んに催されて おります。

この道を志すものとしては、時折この売茶翁の心に立ち返ることにより 自らを戒め、研修したいものと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。

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田中 慎一郎(hamadaen@iris.or.jp)