0歳教育関係へ
〔 愛に生きる 〕
人間の能力は生まれつきではない。生まれた子は大自然によって与
えられた、生きようとする生命の働きのままに、おかれた環境のなかで
その環境に適応して、それぞれの能力を身につけるのだ。 ‥
現実の多くのひとびとは、よい能力が育つ環境が与えられないで育て
そこなわれ、しかも、生まれつきだと決められ、それを自分もそうだと決
めています。これはみんなまちがいです。 ‥
一本の木は生き生きと芽をふき、その枝の各部分に美しく花が咲く。そ
して人間は、この大自然の営みのままに、その生命を生きる そのす
ばらしさを、わたしはつねに思います。こうした人間の生命の究極の相
はなにか。それはすべてを愛し、真と善と美を求めてやまぬものなので
す。わたしもそうですし、あなたもそうです。 (鈴木鎮一) ‥
知りたいことはいつでも、本から情報を読み取ること(情報処理時代)
※ 〔 日本じゅうの子どもが日本語をしゃべっている! 〕
「日本じゅうの子どもが日本語をしゃべっている!」それは、わたしにとっては、まさに暗夜のともしびでした。日本語を自由にしゃべっているということは、やっぱり、しゃべらせているという事実があるからだ。教育した事実がある。ここにはちゃんとした教育法があった。どの子もみんな育っているではないか。これこそ完全な教育法によるものだ。日本人の子が育つ教育法が日本じゅうにある。
1 能力は育てるものだ
<1>能力が能力を生む
・生後5ヵ月の木内裕美ちゃんは、ヴィバルディの『イ短調協奏曲』のメロディーを理解している。
・親の育て方ひとつで、美しくすぐれた人間性とか能力が、どのようにでも伸びていきます。
<2>能力は生まれつきではない
・うぐいすの運命は最初の一ヵ月
・おおかみに育てられたカマラとアマラ
<3>環境にないものは育たない
・乳児の能力は知りようがない
・特定の能力など考えられない
・環境にないものは育たない
・ものになる?いや、なりませんよ
・父親に手ほどきを受けたある青年
・親を見れば子どもがわかる
<4>すばらしい生命の活動
・弓が飛ぶ、おかあさんが拾う
・たゆみない半年の努力を経て
・鍛えて現われる本来の力
2 耕児君とわたしたち
<1>みごとな実証
耕児君、ベルリン・シンフォニー・オーケストラの第一コンサート・マスター
の席を与えられた。
<2>耕ちゃんのために
<3>より高く美しく
<4>そのときはきた
<5>グリュミオのまなでしに
3 非凡への道
<1>非才を嘆くは愚
<2>この事実を見よ
<3>くり返し、くり返せ
<4>急ぐな、休むな
<5>盲児開眼
<6>“勘”もまたつくるもの
4 運命<わたしの歩み 1>
<1>動かしえない事実
・ほおっておけば十日のいのち
・漢方の名医に救われる
<2>天国を願わない
・お金はあげても貸してはならない
・ひとに対すればまず「うれしい」と思え
・わたしは天国を願わない 「なにごともあなたまかせの年の暮」
・お参りのとき、虫のいいことをいうことはよせ 「ありがとうございます」
<3>トルストイとの出会い
・自分を欺いた激しい悔恨
・『トルストイの日記』
“自分を欺くことは、ひとを欺くことよりも悪いことである”
・働き、読み、子どもと遊ぶ
『修証義』
“生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば
生死なし”
・ここに才能教育への源流
<4>父の笑顔
<5>五時起床
・不満はすべて自分自身 「自分をなおそうということばかり考えていた」
<6>変転
・ときのドイツは恐ろしいインフレで、ほとんどお金を使わないですむありさまでした。日本の10円が600マルクから始まり、やがて100億、1000億マルクに変化していったのです。わたしは予定の1年間をいつか忘れてしまい、むろん1万500円でやれたわけではありませんが、とうとう8年間ドイツで勉強することになりました。
自分でおしひらいた運命ではなかった。わたしはなにかに導かれて歩いていく自分を感じました。あのとき導いたものは、結局、徳川先生の大きな愛情でした。わたしは、素直になろう、幼児の心になろうと、毎日つとめていました。そのようなわたしをよしとして、あと押ししてくださった。
5 モーツァルトに抱かれる<わたしの歩み 2>
<1>芸術の魂
・自分でみつけたクリングラー先生
<2>人間アインシュタイン
・謙虚であたたかく、深い思いやり
調和 それには、ふたりのうちのどちらかが、しぜんな形で相手に同調しなければなりません。そして、同調させるものよりも、同調するもののほうが人間として高度です。そうでなければ同調はありません。
<3>大いなる愛
・モーツァルト 『クラリネット五重奏曲(イ長調、K581)』
わたしは、モーツァルトに抱かれた永遠の子どもです。わたしがモーツァルトの音楽に驚き、感じたものは、その超人的な愛情でした。それは人間の知恵や理屈を越えている。ただ魂で感じられる実在の大きな愛情です。
この愛情にひそむものは、人間の深い悲哀でした。この世に生まれて、やがて死んでいく、この人生のはかなさ、さびしさ………そこはかとない、しみ入るよう哀愁です。この哀愁を、短音階のみならず、モーツァルトは、実に長音階において、深い愛情のなかに表現したのです。生も死も、人間がどうしようもない大自然の営みでした。その必然としてモーツァルトの哀愁とともにあるものは、しみじみとした諦観です。
あの『クラリネット五重奏曲』には、その長音階のしみ入るような哀愁が、ただよっています。第二楽章の冒頭をすこし記してみましょう。
しかし、この悲哀にみちた解決のない人生というものを、ただ悲しいあきらめのまま見ることではすまされなかった。ここにモーツァルトの大きな愛が登場します。モーツァルトは、かかるものとして人生を、大きな愛情であたたかく肯定します。ですから、そこには悲観を越えて、あるがままの人生を愛でて包んで、生きる喜びへの転換があるのです。
わたしがモーツァルトを聴く。すると、このような愛情をこめてモーツァルトはわたしを抱きしめてくれるのです。
「まおえも人間だ。生きることの大きな喜びとともに、おまえもまた、永遠の悲しみをもっているひとりなのだ。人間はみんなそうなのだ・・・・・」
「悲しみは悲しみのままでいいのだ。人生は悲しい。けれども、愛情があるならば、人生はまた、こんなに楽しく美しいではないか。お互いがもっている悲しいこの人生を、お互いに慰め合って生きていこうではないか」
・一茶の句
ともかくもあなたまかせの年の暮
おのが身の鐘と知りつつ夕涼み
6 思ったら実行せよ
<1>知るだけでなにになろう
・ひとはひとの中に生きている
人間は知恵の中に生きているのではない。人間は、すばらしい生命の働きの中
に生きている。
釈迦 「人に本性あり」
・モーツァルトをたたえる、ピアニスト、ブゾーニの詩の一節
かれは青年のように若く 老人のように賢い
けっして古びず けっして近代化せず
墓に埋められて なお
つねに生き生きとしている
かれの かくも人間的な微笑は
われわれを照らし 浄化する
いまもなお・・・・・
・才能教育は生命への教育
みんな、教えることだけに夢中になって、育つという子どもの生命の実体を忘れている。そして、どうしたら能力が身についていくのかということについて深く追及しなかった。つまり、教育の教ばかりを行なって、目的であるところの育のほうを忘れてしまった、ということです。テストは順位をつけるためのものではないはずです。
<2>思ったら実行せよ
・あんたは思ったじゃないか
・必要なのは実行に移す能力
・思うだけではチャンスも逃げる
・すべてはすぐ実行するかしないかに
実行する能力を身につける……これは、あらゆるひとにとって、この人生の、
いちばんだいじなことではないかと思います。
7 ヴァイオリンの才能教育
<1>記憶能力の訓練
<2>遊び心を生かす
・子どもに、ヴァイオリンをやらせる方法
親が1曲ひけるようになるまで、子どもにバイオリンをひかせない。このねらいは、ひじょうに重要な意味をもっています。
というのは、親がやらせたいと思っても、子どもには、「ヴァイオリンのけいこをしたい」などという気はまるでないからです。
そこで必要なことは、子どもが無意識のうちに「自分もやりたい」という気持ちをもつようにすることです。ですから、家庭では手初めの曲のレコードを毎日きかせ、レッスンの教室では、他の子どもたちのひいているところにおく……そういう環境を子どもに与えるわけです。しかも、おかあさんが、自分にこそふさわしくないような小さなヴァイオリンを教室でひき、家でもひく。子どもはしぜんのうちに、おかあさんからそれを取り上げて、自分も“遊びたい”と思いはじめます。
もう曲のメロディーも知っている
ほかの子たちもひいている
自分もひきたい(遊びたい)
という心が、だんだん育ってくるのです。
「あなたもヴァイオリンをやりたいの?」
「うん」
「よくおけいこする?」
「うん」
「それでは、こんどから先生にお願いしてあげましょう」
これで成功します。
・能力の育ちは、絶対に正直
「五年もやりました」
毎日5分間なら僅か150時間です
毎日3時間なら、5400時間です
能力はくりかえしによる記憶訓練によって育つ
<3>生命に呼びかける
・『キラキラ星変奏曲』がひけるようになると
こんどは
「さあひけるようになった。これから、この曲をりっぱにひけるようにする
レッスンがはじまるのですよ」
これは質の向上をめざす、実にたいせつなポイントです。もっとりっぱな音
へ、もっとあざやかな行動へ、そして、もっと正しく音楽的に………という
レッスンなのです。その教材で能力を育てる。そして、どの子もそれによっ
て、必ずりっぱになります。
・頭のネジをまいて!
8 こうして、いま
<1>豪華なホームコンサート
<2>カザルスも泣く
<3>アメリカでは
※ あとがき
・育てそこねた苗を見て、生まれつきだと考え、そこねられた苗の多いのに気づかず栽培しているのに似たのが、今日までの人類の社会です。この愚かさからは、いつか人類はぬけ出さなければいけない。みんなが早く気づけば気づくほどいいし、早く改めれば改めるほど、人類はしあわせに近づくのです。
さて、わたしもまた育てそこなわれた人間のひとりです。多くのひとがそうでした。わたしの努力は、そこなわれた自分をみずから修繕し、自分をなおすことを若い日から続けてきました。そうして今日ここにあります。
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