0歳教育関係へ

すばらしい超能力
(ESP=Extra Sensory Perception)


1 超能力の内容はどうとらえたらよいだろうか

●すばらしい生命力、それは何故に不可思議な力があるのでしょうか。それは今のところ私にはわからない。

●だがそれは別にして、人が一人前になったり、植物が開花するまでになったりするそのことは、遺伝子のプログラムに指示されて成長するということであり、そのことは、学問の研究結果によって明らかになっています。人間の場合、それは大脳の旧皮質(Old-Brain)が分担しており、35億年にわたる人間進化の過程のプログラムを10ヶ月間で完了させているわけであります。これは生物プランといわれています。

●それでは生物プラン以外の分野は、どんなプラニングがあるのかといいますと、<心/脳>プランという分野になります。その<心/脳>プランはどうなっているかといいますと、大きく2つに分けられます。第1は生命誕生から満6歳までの7年間と第2のそれ以後に分けて考えます。そこで<心/脳>プラン第1期を超能力時代と呼んでよいと思います。0歳教育で大事にしたいのはまさにこの超能力時代であり、この時期に親が、「何時、何を、どのようにしてあげるか」というのが、0歳教育の全貌にほかなりません。

●それでこの章では、基礎理解として超能力という言葉が意味する内容についての概要を取りあげようと思います。まず超能力をわかりやすく理解するために、つぎのようにおよその分野に分けてみました。
2 自己世界の創造

●「人は、自分以外のものからの教育とか強制によって自分を作り上げるのではなく、自分をとりまく環境とか刺激によって、自分で自分を作り上げていく」ということを、私たちはまず第一に理解しなければならないと思います。(自己世界の創造の原理)

●私たちは、人間のとらえというものを「知・徳・体」とか「知・情・意」といういくつかのジャンルに分けて理解することが一般的です。1つとしてとらえる場合には、「その人の人間性」とか「その人の人格」という言葉で理解することもあります。人間性とか人格とかいう場合には、その人の世界観、宗教観、社会観、処世観、価値観、労働観、対人観、知識観、芸術観、幸福観、などなど、1人の人があらゆる現象に対処するときにどういう立場・考え方をするのか、それらをみんな含めた意味で使われると思います。ですから人間性とか人格という言葉はすべてを含んでいるわけです。そして人を1つの言葉、人間性という言葉で表わすとき、人間性のなかでの一番大切な上位概念として「愛」という表現をとったり「慈悲」という表現をとったり、「恕」、「優」という表現をとったりします。

●ともあれ、私たちが0歳教育を実践した結果、赤ちゃんが素敵な才能を身につけたとします。しかし知的才能が素晴らしくなることだけを願っていたとしたら、それはとんでもない片端をつくってしまったことになります。知的環境や知的刺激のみにウエイトをおいた0歳教育が実践されたとしたら、それはゆがんだ人間性をもった人になり、落ち着いた、愛・慈悲・恕・優を求める人格にはならない筈であります。ですから超能力を理解していく場合にも、知的才能を含めて人としての人倫の道の開発を充分理解しておかなくてはならないと思います。

●一般に早期教育に対して懸念されるのは、ここのところが充分理解されないからであり、またいわゆる徳育にかかわる、人間性を育てる筋道が不明確であるためだと私は思います。このために、
 〔子どもは自分で自分を作り上げていく〕
そのことを根底において、絆という項目と、躾という項目に分けて、自己世界の創造をまず第1に扱いたいと考えたわけであります。 

・井深大さんは殊にこのことを心配しています。というのは「幼稚園では遅すぎる」と「0歳からの母親作戦」の2冊を出版してから、知的能力だけではいけないんだということで、「あと半分の教育」と「0歳・教育の最適時期」という本を出して全分野の教育を重要視しています。

・Dr.モーア夫妻の「手づくり家庭教育」は、家庭教育の役割減少を憂いて、幼稚園は有害であって一利ないから、親はみずからが主導者になって、家庭教育のすべてを背負うべきだ、と主張しています。

・黒田実郎の「才能教育」は、才能教育の功罪を論じています。

・ニキーチン夫妻の「ニキーチン夫妻と七人の子ども」も、そういう意味では大切な著書であります。

イ 絆(きずな)

●赤ちゃんは親の思惑とは別に、環境条件にまさしく反応して統一した秩序ある世界を自分で築きあげてまいります。私はこのことを、仏教にいう「天上天下唯我独尊」であると思います。ピアスはこれを「マトリックスの構築」とよんでおります。

●赤ちゃんは、すばらしい生命力とすばらしい超能力をもって生まれてきます。そして自分の世界をどんどん築いてまいります。このとき親は、いつ、なにを、どうしてやったらいいのだろうか。すくなくとも親が温和で高潔な人格の人物にしたいという祈り願いを持ったとしたら、常に自分の生活のなかでその営みをしていくことが必要であります。こういうとなんだか難しいことと感じられるかもしれませんが、簡単にいえば、自分が生活のなかで、明るい挨拶ができればいい、聞く耳をもっていればいい、整理整頓をしようとすればいい、楽しんで汗をながして働くことがいい、知識欲をもつことがいい、仲良くしようとすることがいい、そういうことができればよいわけであります。昔からいわれているように「子は親をみて育つ」でありますから、こういうことを大切にすればよいと思います。

●そこで絆についてもうすこしつっこんで考えてみましょう。絆という言葉は広辞苑で調べてみますと、「断つにしのびない恩愛」とか「離れがたい情実」と出ておりますし、小学館の国語辞典をひいてみますと、「たちきりがたい気持」と説明しています。親子の絆といいますと親子のたちきりがたい気持であり、親子の絆が強いといえば親子の恩愛とか情実とか気持などが強いことであります。絆の強弱は、人の性格上に大きな影響を及ぼしているもので、絆の強い親子もあれば、絆がよくできていない親子もあるのです。普段私たちは、ある意味では完全に絆の強弱については、わからなんでいるものであります。明るくておとなしい子であるとか、素直にすすんで勉強する子だとか、我が儘な子であるとか、なかなかいうことをきかない子だとか、非行をする子だとか、そうしたいろいろの子どもの性格は、実は親子の絆がそのようにしていたといえるのであります。超能力時代という6歳までの7年の間に、親子の環境・刺激から、子どもが自分でそのような性格を築きあげたものであります。絆とは、胎内に生命をもったときから親子の相互作用をとおして築かれるものであります。ちいさい子どもにとって親は、一番安全な場所であり、エネルギーの源泉であり、そこでいろいろの可能性を発揮していろいろの能力を獲得しおぼえていく場所であります。生物プランとして子どもを愛育していく本能が、親にはインプットされております。そうした親のマトリックス(生命の母体になるもの)のなかで、子どもはあらゆるものに反応し取捨選択しながら自分の世界を築きあげているのです。

●絆とは、別のいいかたをすれば、親子の相互反応作用ともいえます。小さな赤ん坊は自分の泣き声が注意を集め、周囲の世界から何らかの反応がもたらされる限りにおいては、無力感を抱いたりはしないが、泣き声に対して殆ど反応がない場合、泣いても無駄であることをつかみとり、やがては自分からの反応もしぼんでいってしまいます。片言をしゃべりだしたとき、子どもがいろいろなものに興味関心をもって、自分の世界を築いていこうとして親に関わろうとしても親子の相互反応作用が成立せず無視されたとしたら、そこにはその時どきの親子の絆の1本が結ばれず、それが度重なっていくとしたら、子どもは自分の世界を広げることもできず、やがては自分の興味関心にそった親との相互反応作用に関わりをもたなくなってしまいましょう。絆も弱く薄く内容のとぼしいものになってしまいます。その反対に、親との相互反応作用が活発におこなわれる状態がいつもあったとしたら、子どもは絶えず安心して親との相互反応作用をとおして、自分の世界をおもうように築き上げていくことができるわけです。絆とはそういう意味では、相互の愛情をはぐくみ、相互の信頼を固め、明るく勇気をもって、相互に「自分の世界を築く」ことができる基盤であるといっても間違いないといえましょう。

●絆づくりは親からみますと、胎児のときからはじまっており、出産、3歳、6歳まで、そのときどきに応じてずっーと続くわけであります。そこでとくに絆づくりで大切な時期は、いろいろの研究結果によりますと、出産時の親子の相互反応作用であるといわれております。それはそうだろうと思います。生まれてくる赤ちゃんからすれば、お母さんのお腹のなかで、何の不安もなく安全なところで、充分なエネルギーをあたえられ、自分を作る能力を与えられて生活してきてから、はじめて母親のマトリックスから離れて、6歳までの自己世界構築の第1歩をスタートするときです。未知の世界での第1歩です。不安があるのが当然でしょう。ここで一番大切なのは、胎内とおなじく生まれたこの世のなかも安心しておれる場所だ、という安堵感をもたせてやることだといわれます。いつも聞いているお母さんの声、愛情に満ちた明るい優しい声をふんだんにかけてあげることによる安堵感とともに、動物がおこなうように産湯をつかう前の体脂のままの姿で、赤ちゃんの体じゅうを撫でまわして刺激し、副腎ステロイドの分泌をとめて極度の緊張状態をリラックスさせ、<心/脳/体>の活動を目覚めさせてあげることは、母子相互反応作用の中では極めて大切であるといわれているのです。家庭出産をやめた最大の欠陥は、子供たちが折に触れて異常反抗を示すようになったことであります。

●この出産直後の絆づくりについては、ピアスの本に詳細に述べられています。子どもの幸せを願うならば、親は本腰をいれてこうした情報を集め、充分に理解していく覚悟をもたなければならないのです。

ロ 躾(しつけ)

●一般的に躾というのは、礼儀作法と理解されています。ひとの生活を二つにわけてみる場合、知的分野の拡充という面と、生活行動や対人関係における対処の仕方などの面があります。躾というのは、この場合後者にふくまれる言葉であり、人品骨柄とか品性という心身上での気品を指すおおづかみの意味や、集団生活における言葉のやり取りからはじまって挨拶作法、食事作法、立ち居振舞い、芸ごと作法など、箸のあげおろしに至る日常茶飯の習慣的な生活対応の一つ一つでいう、こまかい躾の意味もあります。

●こうしてみますと、躾といっても多岐にわたりますし、一朝一夕に身につけるようなわけにいかないと考えられます。しかし、いずれにしても自分の習慣として身につけるものに違いありません。そこで時間の世界で眺めるとすれば、躾はそのスタートの時期が一番大切になると言えましょう。  

●躾の考え方については、私製本「0歳教育」の該当事項を一読いただきたいと願います。

3 超感覚・超記憶

●幼児がもっているESPの、知的能力をうけもつ分野として、この超感覚・超記憶という言葉を位置づけてよいと思います(もちろん、絆にしても躾にしても超感覚・超記憶によって成立していることは間違いありません)。この不思議な能力については、細かくなりますから、おおざっぱに触れるだけにしたい。

イ 数能力

●幼児の驚くべき数能力については、グレン・ドーマン開発の「ドッツ法」がそれを証明しています。私製本「0歳教育」の〔幼児の能力を育てる・その1〕をご覧になればよいし、さらに詳しくは、「ドッツの効果的教え方(一)」や、「ドッツの効果的教え方(二)」など見ていただけば、幼児の数能力の深遠な不思議さに舌をまいてしまいます。超感覚を実感するとすれば、この「ドッツ法」を読むに越したことはありません。

ロ 言語構成能力

●‘日本中の子どもが日本語をしゃべっている!’  これは、鈴木鎮一のすてきな感動の言葉です。

●この難しい日本語の構成を、赤ちゃんはどのようにして掴みとってきたのでしょうか。鈴木鎮一はこの事実を頭の中で繰り返し、ついに幼児からの「才能教育」の糸口をそこに発見したのです。赤ちゃんの超能力をそこに発見したのです。

●既有知識も何もない赤ちゃんが、日本語をどのようにして身につけるのか、説明できる人があるだろうか。中学以来何年も英語を必死になって勉強したというのに、片言くらいの程度しかしゃべれません。赤ちゃんは2〜3歳になれば、ほとんど日本語がしゃべれるようになるのです。幼児の言語インプット構成は、言語を絶する超能力によるものであります。4〜5ヵ国語ですら、とまどいもなく身につけることが可能だと言われます。底しれない超能力というほかありません。学者でも、幼児期の不思議な言語能力という以外、言語習得を説明できないといいます。私たち自身も、幼児期のこの能力にあやかって今日在るのです。悲しいかな、この言語習得には臨界期があるのです。

●ですから、幼児期の言語構成能力を手放しにして置く手はありません。

ハ 速読術

●ESPを証明するような速読術の実際を読みますと、ほんとにそんなことができるの、という疑問がおこります。でも実際に「1冊を1分」で読み、その内容が記憶されているのをみますと、人のもっている潜在的な能力に驚かざるをえません。これは、ESPの働く6歳までの子どもでなくても、「くりかえす」ことによって、大脳回路ができるといいます。

●具体的には、現在出版されている本を読めば、その概要がわかり実践することもできます。

ニ 記憶術

●速読術と同じく、6歳過ぎてからでも「くりかえし」によって、ある程度可能となる分野だろうと思います。関係する本も出版されています。

●記憶術と速読術は、潜在能力の活性化をねらって開発された能力分野でありますが、脳波をアルファー波にすることと、集中力を錬成することによって、幼児の状態に近づけ「くりかえし」習熟する方法をとります。したがってこの場合、呼吸法とかバックミュージックなどを利用することがよいとされています。0歳教育においてもこの条件整備は、能力開発の環境づくりとして間接的な役目をもつものであり、教材準備をすすめていくことが必要であると思います。

4 超関係把握

●この項目立てがいいかどうかは別にして、例えば絵画の遠近、明暗、彩色とか、音楽のテンポ、メロディ、音の強弱など、或いは全体から受けるイメージなどの認識、華道における空間配置から受ける安定感とか調和感など、すべてこれらは関係把握によって一つの絵画、音楽、お花、として認識するものであります。

●一人の人から受ける認識にしても、人の表情、ことに目、口、頬の微妙なちょっとした動きや、話し声の強弱、スピード、明暗とか、手足の動きなどによって、すべて認識されてきます。ことに目を中心とした表情によって、相手がなにを考えどうしようとしているのか、その意図を幼児はすばやくキャッチします。こうした能力を超関係把握ととらえ、項目立てたものであります。

●私が学校にいたとき、漢詩の絶句、起承転結を説明したことがありました。
   信州信濃の 小川の里の   (起)
   こなやの娘は よい娘    (承)
   昔のさむらい 刀で殺すが  (転)
   こなやの娘は 目で殺す   (結)

●「目は口ほどにものをいい」「目は心の窓」というような諺どおり、目はすべてを現わすとも言われています。「眼光炯々として云々」と言われれば、三国志の飛張とか吉川英治の武蔵を彷彿したりします。

●超関係把握という能力は、生物プランとして遺伝子に組み込まれた機能だといいます。この能力があるから芸能関係その他の文化遺産を継承していくことができますし、「愛情と尊敬」「慈悲と恕」「優しさ」などを人生における価値あるものとして位置づけることができます。またそれを信じて生きていく勇気も湧くものであります。こうした人間関係も、超関係把握の能力によって成り立っていると言ってもよいでしょう。

●ピアスのいう、「すべては成功するよう自然が仕組んでいる」という理解の仕方は、確かに間違いのないことだろうと思います。

5 臨界期

●極めて重要なことは、こうした各種の超感覚的知覚や想念伝達把握という超能力は、人間のサイクルの中では、基本的には6歳がその臨界期であるといいます。しかも極端にいうならば、これら超能力は0歳を100とすれば7歳では0ということになります。教育は限りなく0歳に近づけることが基本的に要請されることが正しいし、さらに、胎内教育からプログラムする必要があると考えられるのです。

●私はこうした立場から、子どもの教育は胎内から始めようと決心しました。教育を胎内から始めるとすれば、子どもの教育計画はそれ以前にプログラムされなければならないし、両親の「子育て学習」も、それ以前に卒業しなければなりません。私自身の「子育て学習」はほぼ完了して全貌が明らかになったので、具体的教材の作成、収集および具体的プログラムの作成という課題を持ちながら、私は試行錯誤ながら「下平式ペアレンツ・アカデミー」を計画いたしました。

 具体的に臨界期の概要を次にあげてみます。

言語    東北弁は臨界期過ぎては声帯筋肉が確定化して修正困難となる。
同様にして、第2外国語の習得は困難を極める。
臨界期までに言語の大脳ネッワーク作りが充分でないと、言語思
考力は相関関数的伸長しか望めない。
絶対音感  臨界期過ぎでは習得不可能。0歳に近いほどたやすく習得する。
ドッツ法  まずは臨界期まで。大人は完全に不可能である。
シンボル算数によれば、今の大人のような苦労を伴う。
誕生直後が第1臨界期である。
臨界期までに、第2独立完成を終え、基本的修正は困難となる。
臨界期までに、第2独立完成を終え、基本的修正は困難となる。
語彙習得  「ドーマン・メソッド」以外、高度の大脳配線は困難となる。
芸能    臨界期までに基本の習得をしないと、高度には伸長しない。
運動感覚  臨界期までに基本の習得をしないと、高度には伸長しない。
倫理宗教臨界期までに基本の習得をしないと、高度には伸長しない。
インプリンティングローレンツ博士発見、孵化直後が臨界期。(親とみる)
猫の視覚  生後2週間で臨界期となる。   (横縞模様の箱飼育)
盲人の眼  5歳が臨界期となる。       (眼の手術)
臨界期をすぎてから諸能力
を身につけようとすると、
一つ一つの能力の身につき
方は、ちょうど
<リービッヒの最小律とドベネックの桶>
のように、相関関数的な
範囲内でしか身につきに
くいのです。

この相関関数的効用につい
ては次のサイト
<ドベネックの桶理論>
を見ると理解が深まります。











※臨界期はなぜあるのか

●まずはじめに「すべては成功するよう自然が仕組んでいる」という立場を認めてみる時、ピアスのいう「マトリックス変換理論」を受け入れなければならない。彼によれば、まず第1に、胎内から2歳まで(胎内、0歳、1歳、2歳)の4年間は母親および母親の生活世界をマトリックスとして相互作用し、基本的部分の自己構築をするよう仕組まれているといいます。第2に、3歳から6歳までの4年間は第1マトリックスを基にして手綱の及ぶ地球マトリックスとの相互作用によって基本的な生き方を自己構築するよう仕組まれているといいます。第3のマトリックスは7歳から11歳で、親の手綱から離れて身体的に独立し諸々の法則をもつこの世界の中でいかに生きていくかという自立を学ぶのが目標であるといいます。

●おおまかにいえば、6歳までは自立の準備期であり、親を中心としたマトリックスとの相互作用を通して自立準備をする時期といえます。ことに3歳になるまでは、親にすべて依存して「まねて」、すべてそのまま「学んで」いくのが、大きな特徴といえましょう。ESPはまさに子どもが正常に自立を達成できるよう手助けする生物プランの組み込みであり、臨界期はその限度期間とみてよいでしょう。ですからESPの能力がよく機能するために、子どもが常にリラックスし周囲のものからすべてインプットできるよう、リラックスの障害になるような言葉づかいや環境に充分気をつけ取り除くことに気を配らなくてはなりません。ことに大人は既成観念からの価値観でものごとの判断をし、その考え方をなかなか修正しようとはしませんから困ります。おじいちゃんおばあちゃんも、幼児期の重要性について学習し理解することが孫のためになるのです。

●ESPの能力とその後の知的能力の関係について、ちょっと触れておきます。超能力がなくなってくる頃から、超能力時代に習得した知的能力が基盤になって自己のマトリックスの仮構築がすすみ、親に依存したマトリックスと連携を保ちながら周囲の世界マトリックスとの相互作用を積み重ねてまいります。超能力による知的能力の拡大とは明らかに異なって、自立した自己の知的能力を駆使して外界との相互作用の中から知的能力を拡大していくように自然は仕組んでいます。第1次の親離れがここに現れてくるわけであります。

6 想念伝達把握 

●この分野についてはあまり学習してありませんけれども、透視力については0歳教育としても取り入れるよう研修したいと考えております。

イ 蛙と樹木 

どの記事で読んだのだろうか資料はないけれども、こういうことがアメリカの研究報告として掲載されていました。若い樹木にウソ発見器をセットし、近くにはお湯の煮えたぎった釜をセットし、生きた蛙をその湯の中へ投げ込んでウソ発見器の反応を調べたといいます。明らかにメーターが揺れ、蛙はなんらかの危機到来の信号を発信していたというのです。これに反し、死んだ蛙を投げ込んでも、ウソ発見器のメーターはピクリとも反応しなかったというのです。

●動物同士のなんらかの交信ならまだしも、ことは動物と植物の間のことであります。これが事実ならなんと理解したらよいのでしょう。予想もされない事実があったのだから、大きな生命研究の課題になるだろうと思いました。

ロ 手が文字を読み取る!

平成3年の夏ころだったと思います。TV放映の事実だから何人も見たと思いますが、こんなことが紹介されました。要点はこうです。10p四方の紙へ文字なり、わかりやすい模様を書き、それを丸めて被験者に渡します。披験者はそれを手に握り、何が書いてあるのか読み取って答えるというのです。ところが披験者は正答を出すのです。「ウッソー、ほんと?」誰しも唖然としたと思います。これは事実なんです。

●中国でこうしたことをやっているというので、数名の子どもたちがそのやり方を中国で習い、ついに言い当てることができるようになったといいます。学習塾や学校でも子どもたちにやらせましたが、数回のうちに何人も読み取ることができるようになりました。「ウッソー、ほんと?」ではやってみましょう。

●問題は呼吸法と読み取ろうとする集中力にあると思いました。中国流に言えば、一つは「気法」であり、一つはそれに基づく「想念法」であると私は思いました。眉間のあたりの黄色くなった空間に、その文字や模様が浮かんでくるといいます。生命力のもつ超能力のエネルギー、と考えざるをえません。

●ジツコ・スセディックの言葉の教育は想念伝達法そのもの
次は私が息子に発信したメールの一部です。
 6月5日付けメールありがとう。
 発信が1:10となっていた。遅くまでごくろうさま。健康にはきをつけてください。
 胎児への想念伝達はいいとおもうから、真弓さんにつたえてください。
 足のうらから気を吸いいれて、体のうらをとおり脊椎をとおって頭頂へ集中します。「エネルギーよ、頭頂へ集中しなさい」という意識でゆっくり呼吸するのです。最初は胸いっぱいふくらめ、つづいて腹をふくためていっぱいにします。そして、呼気を「ウン」といってとめます。それで第一段階です。
 つぎに頭頂へ集中している「気」を、「私の赤ちゃんのところへ行って、健やかに育てなさい」と意識を赤ちゃんに集中して命じるのです。この想念のなかみはなんでもいいのです。生物進化の原型はここにあるとおもいます。ゆっくりゆっくり呼気をはいていきます。これが【想念のワンセット】です。
 こうした呼吸法を何回かくりかえすのです。一日のうち気がついたときにやればいいのです。これは別の言葉でいえば、セルフコントロールの最善の方法だと思っています。

ハ TVに折々紹介される霊能力者
 
 彼らのいうことを、私たちは一概に否定できないでしょう。この種の予知力とか透視力は、超能力の一種として認められており、「ある条件と、くりかえし」によって誰しも習熟できるだろうと私は思います。

●霊能力者が他者に向かって読心能力や予知能力をもつのに反し、催眠術は披験者自身の潜在意識や潜在体験を引き出す手法だろうと思います。

●こうした想念伝達把握の能力をもつ人々の報告は、「Magical Child」に詳しく述べられていますから参考になります。

               ☆  ☆  ☆

●生命エネルギーはなんと素敵な「すばらしい超能力」を備えているのだろうか。<心/脳>を支える細胞一つ一つにさえ、生体維持の力が不思議な連携の上に作用している事実を考えてみますと、驚嘆以外のなにものもありません。最近の研究によれば、レタスの葉を細かくして培養ゼリーに入れておくと、そこから根がでてきてレタスの個体が発生するといいます。こうなりますと、雄蕊や雌蕊がもつ性染色体の遺伝子がなくとも、生命発生が可能であるということになります。これは一体どう考えたらいいのだろうか。「気法」とか「想念法」によって、癌を克服し自浄治療した記事を見たこともあります。<心/脳>がもつ統率力は<体>を治癒するまでの力を秘めているとしか考えようもありません。ピアスのいう<最後のマトリックス=心>は、オールマイティの能力すら働くというのだろうか。

●ともあれ、ペアレンツ・アカデミーでは、この「すばらしい超能力」を充分に理解して、赤ちゃんが「すばらしい自分の世界」を築く、その手助けをしたいと願っています。私たちが他者にできる最大の「愛と尊敬」は「祈り」ですから。

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