四十六、 母のお見合い
 今まで誰にも云った事がないんだけどという前置きで母は話し始めた。
母が女学校の四年生の頃、姉キョノには既に婿が束ていたのであったが、日曜ともなるとお握りを用意して若夫婦がまだ女学生だった母を誘って近くの藤塚浜へよくビクニックに出かけた。姉婿の従弟もその時一緒に行くのであった。その人は若い少尉さんであった。
 浜に着くと何とはなくただ海を見て砂浜をプラプラ歩いたり腰を下ろしていろいろの話をして半日位で帰ってくるのであった。若夫婦はそれぞれ妹と従弟と二人が意気投合するのをねらって連れ出したものらしい。母は別に何も感じないものだから姉とばかり話をして帰ってくるのであった。
 そんな事が何回かあったそのうち姉婚は離縁になってしまったから、その話は具体的に何の進展もないまま自然に沙汰止みになってしまった。一年程経ってから軍旗祭があった時、偶然にその人と出会った。その少尉さんは「ヤア」と軽く声をかけて、
 「僕は今度○○さんを嫁に貰うことにしましたよ」と云った。
 「それはおめでとうございます」
と母は別に何の感慨もないままありきたりの挨拶を返しただけでその時は別れた。私に関係ない話を何であの人は言うのだろうと思ったそうである。あの時の浜遊びはそうだったのかと気がついたのは大分後になってからの事だったという。その時きいた○○さんを母はあああそこの家の娘さんだなという程度には知っていた。
 三十年程経ってその頃はもう長岡に暮らしていたとき、偶然にその女の人に出会った。お互いに同郷同窓の身であり、昔なつかしさもあつて暫く話した後、所で旦那様はお元気ですかときいた母に返事は意外であった。
「主人は脳梅毒にかかってもうとっくに死にましたて」
母はそれをきいて暫く絶句したままであったそうな。母には三重のショックであった。一つは深いつきあいには至らなかったけれど一度姉や義兄を通じて話のあった人のあまりにも早い死を聞いた事、そして事もあろうに梅毒という最も忌み嫌う病にたおれた事、そしてその妻であった人が平気な様子でそれを母に告げたことであった。
「女学校も出ている人だし知らないわけでもあるまいに。でも珍しい事でもなかったんだろう」
軍人さんのもてた土地柄であり時期でもあったんだよと母は言う。勿論まじめな人も居られたけれど遊ぶ人も多かったのだ。又上位の人達は偉い人であって少中尉さん位が一番もてたと言う。当時少尉に任官すると妻帯を許されたと聞いた。


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