四十一、 お人形

1.お雛様
 母の言によれば、あれは亨保雛だという話だけれど真偽のほどはわからない。一時上座敷の床脇の棚に一対の古ぴたお雛様が飾っであった。お内裏様だよときかされていた。顔は雛人形にあり勝ちな童顔ではなく大人の顔で卵形の容貌にすっと切れ長な目の、鼻も口も控え目なところがいかにも古いものという感じを抱かせた。白い顔がややくすんで鼻の先が少し欠けていた様に思う。衣装も古びた感じで子供の目にはあまりパッとした印象はないが、女雛の方は少し色褪せた赤地の錦だったと思う。全体の高さが一尺近くある座り雛で品の良い人形であった。

 家に伝わったものではなく、古道具屋であった祖父がどこで手に入れたものかは知らないが、さるご大家が売りに出された由緒あるお雛様であろうということであった。
 祖父はこのお難様が気に入っていたらしく座敷には掛軸一つの外普段は飾り物らしい物を置かない人であったけれど、この入形は大分久しく飾ってあったように思う。

2.メリーさん
 お琴の先生のお宅にあった手作りの人形を見様見真似で作ったものだとのことであったが、母は私に布製の抱き人形を作ってくれた。白い天竺木綿で頭と胴、手足は別に作って胴に縫いつけてあった。中身はキッチリと籾殻をつめてあったので赤ん坊位の大きさであったがあまり重くはなかった。顔は白いビロードを張り、絵の具で目鼻口を画き、髪は有りあわせの茶色の毛糸だった。
 母はお得意のミシンで簡単な服を着せメリーさんと名付けて私にくれたのであった。このメリーさんで私はよく遊んだ。抱いたり寝かせたり髪を編んだりほどいたりした。背中におんぶして走りまわると両手がバタバタと動くので大層面白かった。又少し大きくなると服の余り布をもらってたどたどしく縫って着せかえたり、パンツやシミーズを作って縁にレースの余りをつけたりした。女学校へ入ってからも持って遊んでいた様に思う。

3.姉様人形
 それとは別に紙人形でもよく遊んだ。島田髷(丸髷もあった)の娘の頭を柔らかい紙で祖母に作ってもらい、千代紙やただの色紙を二枚少しずらして、たとえば赤にうす桃色をかさねて衿として先ず肩を斜めに前へ折りそれから両脇を前に折る。それに合う色の紙で帯を巻いてやるのである。姉様人形と呼んで空き箱に頭を二つ三つ、気に入った色紙、鋏等一式入れて友達の家に遊ぴに行く時に持っていくのであった。友達も同じような紙人形を持っていた様に思う。
 祖母は和紙を少し手でしぼしぼにして小皺を作り器用に姉様の頭の部分を作ってくれた。墨で髷の所を黒く塗り、顔は目鼻は画かない、白いだけの小さな顔である。いたむとまたねだって作ってもらうのであった。

4.キューピーさん
 今はあまり見かけることもなくなったが私が子供の頃はよくセルロイドのキューピーざんのお人形があった。玩具屋には勿論、文房具屋等子供がよく行く店の店かざりに五十センチもあろうかという程の大きなものが飾ってあったりしたもの、又お祭りの夜店には指位の小ざなものから大きなものまでたくさん売ら
れていた。時々買ってもらった覚えがある。押すと丸いホッペがペコンと凹むのだが、口をつけて強く吸い出すともとにもどるのであった。まんまるい目とちょっと尖った頭とふくれたお腹、そして両手をパッと聞いた姿が愛嬌があったもの。
「青い目をしたお人形は
        アメリカ生まれの
               セルロイド・・・・・」
と歌の文句にもある様にキューピーの他にも洋風人形はこのセルロイドのものが多かった。
 その頃は筆入れやノートの下敷き、女の子の裁縫箱もキレィな色で模様のあるセルロイド製であった。石けん箱もそうであった。しかしこのセルロイドは火に弱くうっかり火鉢に落したりするとパッと燃え上がり引火性がつよいがら危ないという事で次第に用いられなくなったという。


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