四十、 練兵場

 竹町の家からほんの一足の距離に練兵場があって、西側にある正門とは反対の南東の隅がら入る道があった。処々に演習用の残壕が掘ってあったけれども殆どは一面の草地で子供らが遊び廻るには格好の場所であった。
 東の方には遠く飯豊連峰が望まれ、夏でも頂きの方は白く大きな山塊として威容を示し、前景には二王子出や五頭連山が横たわっていた。西のはずれには招魂社の森があり営門前の道路に沿って姿の良い五本公が並んで立っていたのを憶えている五・六月の頃、登校の途中などに招魂社の森の方からかっこうの遠声が聞こえてくることがあった。いかにも初夏を感じさせるすがすがしい音色は気持ちの良いものだった。
 練兵場の中程には高い銀杏の大木が二本寄り添うように立っていて遠くからもよく眺められた。随分年数を経た木のように思われた。晩秋には黄葉が美しくその散る様は今思うと与謝野晶子の歌を思い出させる情景にぴったりであった。子供らは地上にとび出て這っている太い根を渡り歩いたり、木陰に腰をかけて休んだりして遊ぶ。

 学校の退ける時間とか夏休みなどいつも子供らの姿があちこちで見られた。男の子は相撲をとったり、鬼ごっこやかくれんぼをしたり、女の子は草を結んで輪にしたり、春にはクローバーの白いポンボン花を柄を長く摘んで輪に編んでくぴに掛けたりして飽きない。四つ葉のクローバーをさがしたこともある。大ばこの花の柄を取って二人で互いに引っかけてズイズイとひっぱり相撲をしたり、そしてくたぴれると草原に下駄をぬいで仰向けにひっくりがえって寝る。奇麗な青空や白い雲を眺めて一休みするのだった。大ばこは丸い広葉をがえろっばと言っていた、道端や原っばのどこにでも生えている草である。家に飼っている兎の餌に摘んで帰ったりした。
 さんざん遊ぴ回って夕方、招魂社の森に夕陽が沈みかける頃、夏は蚊やブヨが出はじめる前にお母さんが「ごはんだよう」と呼びに来る家もあっでそれぞれ三々五々家へ帰ってゆく。母は一時山羊を飼っていたことがあり朝夕には草を食べさせに連れて行ったりしたこともある。


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