三十九、 雪国の冬

1.冬のくらし
 昔の家は廊下など外と同じであった。大風が吹けば家の中も風が吹く。ことに吹雪の朝などは雨戸の隙間から雪が吹き込んで縁側の所々が筋状にこんもりと白くなっている。茶の間は常に囲炉裏の炭火と鉄瓶の湯気とで暖かい。子供達がやたらと出入りすると必ず
「うしろの障子ちゃんとしめて来いや」
と言われるのであった。女達や子供達は主に居間の炬燵で過ごす事が多かった。祖父には茶の間の次の間に専用の炬燵があり、居間の方が満員になると、おじいちゃまのこたつへ行ってあたって来いやと云われるけれどあまり誰も行きたがらない。祖父は多少煙たくてやはり子供達は何ということはなくとも母や祖母のそばが居心地が良いのであった。


2.寒
 大抵一月六日頃寒の入りである。十二月のうちに霰が降ったり、ドロドロドロと雪下ろし雷が鳴りわたり荒れ模様の天気がつづき初雪があったりする頃は、ああこれから長くて寒い冬だなあと思うと辛くて気分も暗くなる。台所を手伝いながらお互いに「冬は嫌だね、又雪がふると思うとゾッとするわ」等言い合ってだんだん着ぶくれて暮らすようになる。寒に入る頃になるとあたりもすっかり冬景色となりあるあきらめに似た心が湧く。いやでも来るものは来るのである。からだが寒さに少しは馴れてくるせいもあってか、何となく冬の覚悟の様なものが出来上がってくるのも不恩議なものだ。
 一月二十日頃大寒に入り二月三目に豆まき、四日は暦の上ではもう春である。けれども大抵立春を過ぎてこの冬一番の冷え込みという事がよくあった。
「余寒というのがいっち寒いすけのう、風邪ひかんようにの」
と祖母ば言い言いした。
 二月も半ばを遇ぎると寒さは寒くてもなんとなく空の色が明るく成る。お正月の頃には雪の日はもう三時項がらうす暗くなったのに、いつの問にか夕方の暗くなるのがゆっくりで五時過ぎまでも明るい。春までもう一意だなと恩うのであった。


3.煮凝り(にこごり)
寒い季節に前の晩のおかずが煮魚のときは翌朝鍋の中に煮凝りが出来ていでそれがなかなかおいしいものだった。朝ごはんのとき「煮凝りがあるすけたべらっせい」と祖母が云うと母が「ベロベロもらってたべるかい」といって小皿にゼリー状になった煮汁をさしで取ってくれる。魚の身やヒレのあたりが少し鍋に残っていて一緒にかたまっているのを食べるのである。ベロベロしていて口あたりもよく大好きだった。


4.凍傷(しもやけ)
 子供のとき、私は冬になると必ず凍傷が出来た。雪がふる頃になると手の甲がポッコリとふくらんでかゆくなる。夜はふとんに入ってからかゆくて気になってたまらない。ひどくなると皮が破けて血がにじんでくる。母は心配してカラスウリを煮たお湯に手を浸して暖めたり揉んだりしてくれたがなかなか治らない。又母は紫のメリンスで手の甲だけの綿人れ手袋を縫ってはめてくれたが丁度、浜のおかかがはめている手っ甲みたいだからと嫌がって学校へ行く時にははめないで行くのであった。ほかに誰もそんなものをはめている子がいないので恥ずかしくてたまらない。子供の時の気持ちというのは変なもので血がにじむ様な手でもそれをはめでゆくのはとてもいやなのだった。
 五年生位から自然に凍傷にかからなくなった。小さいときはビタミンのバランスでも悪かったのだろうか。体が弱かったので母はいろいろと食物には特に気を使ってくれたもので、玉子や魚や青葉等野菜も万遍なくたべる様にしていたのではあった。


5.松の雪卸し
 新発田は豪雪地とは云えないけれど年によっては雪卸しをする事もあった。祖父が大事にしていた庭の大松は秋のうちに必ず雪吊りを施して枝ぶりを大切にされていたが、やや雪が溜まると祖父は松の雪卸しをするのである専長い竹竿の先に横板をとりつけて置いていつも何かというと頼む長尾のおととに松枝に積もった雪を払わせるのであった。雪国の冬は長いので一冬に何回かしてもらったようである。


6.屋根の雪卸し
 大雪の年は家の屋根の雪卸しが大変だった。母の憶えているのは一番多い時で十八人も人夫を頼んだ事があったとか。広い台所もお昼などは弁当をつがう人夫衆でいっぱいになる。熱い味噌汁が給された。タ方にはあがり酒も用意された。屋根雪を卸すと出入口が塞がれてしまうので玄関先と勝手口を門まで道をあけて貰わねばならない。その分脇には高々と雪が積み上げられるのであった。
 雪国の人は毎日の様にふりつづく雪を見ながら雪下ろしのタイミングを考える。雪のない地方に比べると雪国の家は柱数も多く、又柱は太いものが使われているのであったが、それでも大雪になると雪の重みで梁が撓うから間仕切りの襖や障子が開かなくなる。それを目どにして卸す家もあった。この分なら卸さないで済むかな、とか実際屋根雪を見て大した事でないと見れば卸さないで済ますに越したことはない。暖かい陽射しが二、三日つづけば雪の嵩は見る見る滅ってゆく。南風が吹いても雪はどんどん消える。所が或程度積もった上に雨が降ってくると雪が雨を吸って一気に重くなるので家を大切にする人は早め早めに卸すのであった。


7.早春
 大雪の年は西月頃まで雪がある事もあった。その具合によって三月か四月初め頃には庭木の囲いが解かれる。縁側に立って見ると目の前の雪が消えても池の向こうの木陰にはまだまだ雪が残っている。庭に出てみると囲いを外した男衆の拾い残した縄の切れ端が少しづつ雪の上に落ちていたりする。雪囲いの中で春先にもう咲きはじめていた紅つばきが今は残雪の上に落ち散って美しい。外に出ても肌を刺すような寒気はもうなく薮かげの少しひんやりとした透明な空気の中で斑雪の上の紅い花ぴらを拾ったりして過ごすのは早春のよろこぴであった。
 やがて木の芽がふくらみ銀灰色や黄緑色、朱味を帯ぴた緑色、濃い深緑等々、木々それぞれが自分の色でもって動きはじめる。やや煙った様な色合いから次第に緑が増してくると庭の眺めも生き生きと変わってゆく。


8.春の遊び
 長い冬が終わっで雪が消えると外で毬つきが出来るのが嬉しかった。買ってもらったばかりの赤い花柄のゴムマリを表に出てつく時土が乾いているからテンテンと軽い音がしてよく弾んで気持ちが良い。石けりをしたりゴム跳ぴも出来る。暖かい春の陽射しを浴びて外で遊ぶのは長い冬籠もりの後には一段と気持ちもはずむ。着ぶくれていた綿入れやスェーターなど一枚づつ脱いで身軽になってゆくのも嬉しいものだった。


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