三十五、 新発田ことばのなつかしさ

 祖母のつかう新発田言葉は懐かしく柔らかくまた優しさもあり敬語が品があって丁寧で好ましいものであった。言葉の優しさは多分に人柄のせいもある。アクセントはおおよそ、下越地方は東北地方の訛と煮ている所があった。私は女学校一年生で大津へ行った時、アクセントが関西弁と全然ちがうので級友から嗤われたこともあって若い頃は嫌であったけれど年をとった今は祖母の様子が共に思い出されて懐かしい。
 ラジオ、テレビの普及によってであろうか、若い世代になるほど、際立った新発田弁はあまり使われなくなったと思うが、母の言葉にも昔語りには出てくるが、今はもうあまり新発田弁くさくない。大津と長岡のくらしが長いせいもある。

 祖母は孫の私達にも女中にものを云いつけるにも
「そうしてくたさいや」(下さい)と云う丁寧なことば使いであった。又語尾に「ねし」ということばがよく使われた。字に書くと「ねし」であるが「し」と「す」の中間の音でその部分は軽く発音する。茶の間に来て話す年輩のお客の会話によく聞かれた。
「そうでございますねし」等と目上の人に云う丁寧ことばであった。そうですねぇという位の所である。少しくだけて「ほんだねし」(ほんとだね)等とも云う。
同等又は目下には「ほんだのう」と下に「のう」がつく。
「・・・・・・だすけな」(だからね) 「あぶないすけな、気いつけれや」等という。
 私のおかっぱ頭の毛が伸びてくると祖母は「額があぐらしげらこと(うるさそうだこと)ちいと前髪切ってやらさいや(切ってやりなさいや)」等と母に云う。

 自分のことは「俺」であった。女も俺と云った。
私が茶の間にいて来客があるとバタバタと奥へ飛んでいって「○○が来たあ」と大きな声で大人達に知らせるのであったが、祖父から「来たあ」と云わずに「来なすた」と云えと教えられたものである。
祖父は出かけるとき「行って参じ」(行って来ます)といって出て行くのであった。
 台所で古いご飯が残ったときなど祖母は「おやーあったらもんだすけ(もったいないから)俺が煮て食べるわいの」と云う。母や叔母は「私らも一口づつ助(す)けますて」等と云った。

 祖母は常に「火、気いつけてな」と云い云いしていた。かまどと囲炉裏は燃える火を扱うので常に火の用心に気を付けなければならなかった。祖母の発音はそのとき「フィ」という様に聞こえるのであった。
HiでなくてFiといった感じであった。
「おおっこどうしょば おごったてー」(どうしよう、大変だよ)たまに鍋の煮物が焦げたりするとこんな言葉が出る。
「やれやれ今日は暑っちょてなんぎらてばー(暑くて辛い)、ちいと風吹くといいどものー」
「寒あぶい、さあぶい、お前たち風邪ひかんようにの、ママさんから綿入れ出してもろて着てございや」そして自分は「綿っこ」といって真綿だけで作った紫色の丸い背中あてを衿に少しかけて背に着る。
「軽うて暖こうてこれは良いてばー」等と祖母は云った。濁音がちょいちょい使われるのであった。


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