三十四、 お祭り

 子供の楽しみといえばお祭りであった。八月二十七、八日はお諏訪様の祭りで各町内のケンカ台輪を引きまわすのが有名であった。神社の前と上町から下町にかけて通りはお参りする人台輪を見る人で埋め尽くされる。女子供はケンカ台輪のそばへなぞ寄るものではなかったが、境内には見世物小屋がかかったり有田サーカスが来たりした。丸太を組んで桟敷をしつらえた簡単な小屋がけだったが象の曲芸や空中ブランコ、綱わたりなど見た覚えがある。
 そして参道の両側にならぶ夜店の安物のおもちゃ類の愛らしさ、セルロイドのキューピーの大きいものから小さいもの、やはりセルロイドの天狗や鬼の面、太郎さん花子さんといった感じのお面もある。風船、色紙、色とりどりのおはじき、赤いゴムの袋につめた甘いだけのゼリー、いちご汁をかけた氷水や削り氷、万華鏡など子供の目をひくありとあらゆるものがビッシリ並べられている。甘い汁を含ませたニッケイの木の皮もあった。そこはサーカスの楽隊の音が絶え間なく響いてくる中で人混みの異様な熱気とアセチレンガスの独特な匂いとが異常な雰囲気を作り出しているのであった。
 どうしてジンタと云うのだろうかねと母は云うが、大抵「美しき天然」や「ドナウ川のさざなみ」などの曲が演奏される。短調の曲でありながら三拍子のせいか、又威勢よくはやし立てろせいか、この曲が聞こえてくると何か心浮き立つ様なはしゃいだ気分になるのがふしぎであった。

 大勢の人の波の中で押されながらお参りをすませると、口に入れるものは夜店のものなど不衛生だといって母から禁じられていたしせいぜい小さいキューピーとおハジキ位を買ってもらって帰るのであったが、人、人、人の熱気と騒音の中から出て竹町の近くにくるともう静かで何か別世界に行ってきた様な妙にくたびれた気分になったものだった。

 母の話によると昔はケンカ祭りの名の通り、町内の台輪同志がぶつかり合っているうちに本気のケンカとなり、その頃まだ石置きの屋根があったもので、その石を投げ合ったりして怪我人も出て警察へ引っぱられる男も何人か居たと云う。三ノ町と四ノ町とがよくやり合ったもので通りに面した店などはみな大戸を閉めて店がめちゃめちゃにされるのを防いだという。本当に通りの人たちにとってはいい迷惑だったろうとのことであった。

 西ケ輪の神明様のお祭りは植木市と金魚店が出たように覚えている。


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