三十二、 祖父のお出かけ

 祖父が家にいると次々と来客があり、三時頃にはお酒の仕度お膳の用意で祖母はなかなか大変であった。
「行って参じ」と言って祖父が旅に出かける時、皆は玄関や茶の間に居並んで「行ってらっしゃい」「気いつけて」等口々に云って送り出す。
 中折れ帽をかぶり信玄袋を持ってステッキをついて割とセカセカと歩いて門のくぐり戸から出てゆく。竹町は駅まで遠いので大抵人力車が呼ばれていた。すぐ近くの馬場町に葛塚屋という俥やがあって祖父が出かける時はよく頼んだそうである。
 姿が見えなくなると祖母をはじめ女達はいっせいに重石がとれたような開放感に浸ってホッとするのである。
「ああお父っつぁん機嫌よく出ていきなすった。」
「今度いつ頃帰って来なさるの」
等と云いながら皆でお茶を飲んだりかきもちを食べたり思い思いにゆっくりくつろぐのであった。祖母の忙しさも少しはましになる。
「おっ母さん、晩にはある物で食べましょうて」等と母や叔母が祖母をいたわるように云う。
「ほんだのう」祖母は答えるが祖父がいなくともあとの皆の為にご飯と味噌汁位は作るのであった。あとは漬物を切って煮物の残りでもあればそれでいい。
 祖父のおかえりの時はいつもお土産があった。県内のときはよく笹あめを買って来てくれた。二つ折りの乾いた笹にさっぱりした味のあめがうすく伸ばしてはさんである。新潟の小鯛ずしのこともあった。
「おじいちゃまがお帰りだよう」と皆が呼ばれて茶の間に集まってゆく。子供らは「お帰り−」と大きな声でいいながら包みをあける祖父の手もとを見つめて待つのであった。

 母がまだ若い頃祖父が長旅から帰るとき、自分で見立てて、なるみしぼりの反物を買って来たこともあったという。自分の母親と妻と娘達と嫁に行った姉妹たちの分までそれぞれあったと聞いた。
 祖父はなかなかおしゃれな人で、帯はいつも厚地の良い帯をキッチリと締めている人であった。夏は別として旅に出かける時は茶色っぽいウール地着物を作らせて着た人であったという。旅暮らしの多い祖父にとってウール地の着物は暖かく皺になり難く、汚れがつかないし重宝なものであった。他の人はあまり着ないようで、その頃のウールのものと云えば六月にセルを着る位なものであった。(又メリンスは主に女の子の普段着の布地であって花柄の色あいがメリンス独特のものでなつかしい)
 父が婿に来たばかりの頃、祖父は母に「勉にもうちょっと長めの着物を縫うて着せれや、短いとみっともないぜ。」と云ったそうである。着物丈を丈長に着る好みであったという。男の着物の着方で長過ぎるのはゾロリとした感じで遊人風で品がない。短いとまた田舎風に見えるので程良い長さが大切であった。女物と違っておはしよりの分がないからキッチリと寸法通りに仕立てなければならないのであった。


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