二十六、 祖父とお酒

 祖父はお酒が好きであった。毎日三時頃になると、
「コラコラお燗持って来いや」と茶の間から声がかかる。私がバタバタと台所へ走って行き、祖母に
「おじいちゃま、お燗だとー」と告げる。祖母は先ず枝豆一皿と燗徳利を用意して
「先ずこれ持っていってくたさいや」と私に持たせる。
 庭の見える茶の間の次の間にお膳を据えさせてポツリポツリと枝豆をつまみながら早い晩酌が始まる。

 祖父は自分の気に入るように作らせた庭の植え込みの具合を見たり池の上に差し出た大松の枝ぶりを賞でたり、石組みの様子を見て楽しむのであった。

 祖父のお膳は大抵筋子が少し、夏なら茄子焼き、焼き南蛮、冷や奴にキウリなます、などでそう特別なご馳走ではない。少ししてから今夜の皆のお菜が出来ると、例えば塩焼きの鰺が一皿とか出て来て、最後に味噌汁とご飯が軽く一杯と、大抵そんなものであった。

 二食であった祖父は皆の夕食より少し早めに呑みたいのと、庭を眺めて楽しみながら、一杯飲みたいのとで別膳であった様である。その日の気分によって二本目のお銚子を私に命ずることもある。二本目にゆくと陶然と良い気分になって謡曲の一部を低い声で口ずさんだりするのであった。私は甘やかされて育って何の手伝いもせずボーッとしている娘であったが祖父の用事の伝令の役と、お銚子運びで猫の手よりは少うしましなくらいであった。

 昭和四年四月に弟昌也が生まれ、二年後には妹よし子が生まれた。弟と同年七月に叔母夫婦の長女道子が生まれた。うちも随分賑やかになっていた。

 晩酌している祖父のそばにたまたま子供達が揃うと
「ようし、皆来たな、おじいちゃまがお前達にお話を聞かせてやろうかな」と大江山の酒呑童子の話や渡辺の綱が鬼の手を切って、それを鬼がとり返しに来た話やら手振りや擬音をたっぷり使って話してくれる。子供達はその場面の表現にすっかり引き入れられてきくので同じ話でもいつも熱心に聞き入るのであった。
「昔、源頼光(らいこう)という、えらい武士(さむらい)が居てな、その家来に頼光の四天王というてな、一に金時、二に渡辺、三に貞光、四に季武・・・・・・」と謡うような名調子で語られると、陶然として聞き入ったもの、たまに母がそばへ座って話し相手をすることもある。
「お父っつぁん、身体に悪いすけその位でやめて置きなされば・・・」ともの柔らかく祖父に注意すると、「そうだな」等と一本でやめることもあった。あまり度を過ごさず、酔えば良い気分になる良いお酒のみであった。


目次に戻る     次へ進む