十九、 ミヨシ叔母のこと

 三人姉妹の一番下のミヨシ叔母は姉妹の中で一番美人であった。「ミッチャンはなかなか交際家でね、遊び好きの子だったよ」と母の追憶は始まる。小学校の頃から仲の良い友達が何人か居てしょっちゅう行ったり来たりしていたという。友達がうちへ寄る時はいつも上座敷の二階を使った。叔母は友達を連れて来ると女中に今日は五人だよ、お茶とお菓子も五人分ね、と念を押して云いつけておいて二階へドヤドヤと上がってゆく。そして誰にも聞こえない二階の二間を使ってさんざんお菓子をつまみ、お茶のみをして好きなように喋りまくって楽しむのであった。それは大人になってからも続いて、今度誰々が来るから見に行こう等と連れ立って活動写真を見に行ったりやんちゃな末娘としてずいぶん我侭をして暮らしていたよと母は云う。美人で活発な叔母は少し親分肌な所もあって皆仲間をひきつれて歩いたようであった。そして大勢の仲間から町の様々な情報が叔母を通じて入って来るのであった。

 その頃はまだ北蒲原郡新発田町であって、小さな町のいろいろな噂ばなしなどすぐ町中に知れ渡るのであった。或ご大家ではあと取り息子が東京もんを嫁にもらったそうなとか、その人はどの様な所の出身者であったとか、また或家では姑が家族一同と一緒にご飯を食べない人で余程嫁と仲が悪いんだろうとか、又いやそうでなく姑は自分の健康の為に玄米を炊いて食べていて、若い者は白いご飯が良いから自然と別々にしているんだとか、等々であった。「姉の私が知らない事でも本当によく知っているんだよ」と母は笑っていった。

 若い頃から多少バセドウ氏病の気味があった叔母は短気な所もあって、茶の間で皆が世間ばなしをしている時でも何か不条理な話を聞いたりすると黙っていられないと云う様子で「そんなバカな話があろうば、私が行って談判してやるわ」等といって目玉をむいては「私が男だったらね、アハハ、オホホ」と派手な笑声を出すのであった。


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