十三、 村杉温泉

 祖母は大家内を切り盛りし、祖父の来客も多く親類衆や本家との交際も良く勤めた人であった。又貸家の家賃の取り立てとか早朝の市への買い出し等の外はお祭りでも墓参りでも殆ど家に居て留守番をし、しっかりと家を守ったが、只一つの息抜きが温泉行きであった。

 それはミイ祖母の頃からの行事ではなかったかと母も思い出して云うのであるが、毎年夏になると子供達(母達のこと)が夏休みになるのを待って主に村杉温泉に湯治と称して一月程行くのが習慣になっていた。昔から身体に良いと云われ湯治に行っておくと冬になっても風邪をひかないとか、腰痛にも効くと云われていた。湯治場又は鉱泉場とその頃は云っていた。村杉は大分古くからの温泉場で、湯屋は何軒かあるうち、うちの常宿は延生館であった(現「環翠楼」)。主人は荒木六蔵さんといって村杉では一番大きな湯宿であった。庭も広く池には大きな錦鯉が悠々と泳ぎ、裏の方には松林が広々と続いていた。

 当時は人力車で二台連ねて往復したとのこと、祖母がまだ幼かった末娘を膝にのせて母は少し大きくなっていたので一台にのせてもらい、膝には赤い毛布をかけて何時間もかけて行ったそうである。

 行ったその日は宿からお膳を出してもらい、翌日からはご飯だけを宿からお櫃に入れて出してもらう。家から筋子や鱈子、干物等を用意して行き、あとは毎日温泉客用に宿の前で市が立つので野菜など適当に買って簡単なお菜を作って食事をする。流しやコンロ、鍋、俎、包丁等いくつかは宿に揃えられていて自炊出来るようになっていた。

 又男性客や短期のお客は宿から食事を出してもらっていたそうだけれど、長逗留をする人はなかなかお金もかかるので大抵は自炊する人が多かったという。

 湯はラジューム温泉で宿で売っている湯柄杓を買って湯を汲んではめいめいの患部に叩きつける様に激しくかけて何度も何度も汲んではかけるのであった。そして気が向けば一日に二度も三度も湯に入り、暇があれば大人は好きな小説など持って行って読み耽ったりして過ごすのであった。新発田の家の方はミイ祖母と交替で行き来して主婦の役をし、子供達は一月余りたっぷりと遊ばせてもらったそうである。毎年の事であったからその宿の同じ年頃の子供達ともすっかり顔なじみで仲良くなり、温泉宿の広い庭や裏の松林など馳せ廻ってよく遊んだものだとの事、でも暫く居て夕方にカナカナ蝉の啼く声をきくと妙にもの淋しい気分がして家が恋しくなることもあったという。

 さて八月も終わりに近くなって引き上げてくると学校の宿題が山程たまっていてそれが大層切なかったと母は笑って云った。私も小さい時に連れて行かれたのだけれどあまり良く覚えていない。

 ついでながら祖父も祖母もうちで勉強せいとは一言も云わない人であったそうな。勉強は家でするもんじゃない。学校でしっかり先生の言われる事をきき、学校で良く勉強して来い。うちへ帰ってまでダラダラとするような子はだめだと言われていたという。夏休みの宿題がどれ程溜まろうと親は何も云わない。又誰も手伝ってもくれない。すべて自分の責任で自分でやらねばならない。楽あれば苦ありで自分の遊びすぎの尻ぬぐいは自分でする外ない。身の為になったのだよと云うことであった。


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