五、 活動写真

 「ほんとに私はいつもそういう役でね」と母は昔をなつかしむ。「姉もなかなかずるい所があってね、私にばっかり言わせるんだから」三人姉妹が揃っていたころのこと、面白い映画が来たり、芝居がかかったりすると皆が見に行きたいのに、それを云い出す役がいつも母なのであった。
 「シゲちゃん、今度◯◯の写真が来るってね。面白そうらね、どう?」などと遠回しにたきつける。勿論母も大好きなものだから「ようし、俺がお父っ様に云うてみる」となる。母は自他共に許すお転婆娘であったからいつも云い出しっぺになるのであった。祖父は厳然とした家長であったから、物をねだるには多少煙たい存在であった。タイミングも大切で先ず気持ち良く晩酌をしているそばに座ってお酌をしながらねだるのが母は上手なのであった。

 テレビも何もない頃のこと、人々の楽しみは芝居見物とか映画を見にゆくこと位であった。その頃は皆は活動写真といっていた。竹町から大通りへ出ると左手へ四・五軒目の所に電気館という映画館があった。祖父も活動写真が大好きであったから娘にねだられると、よし行って来るかということになる。晩酌を早めに切り上げて「ちょっと活動行って来るで」と祖母に声をかけて三人を引き連れて見にゆくのであった。

 その頃の活動写真というのは無声映画であったから画面の進行につれて弁士が話の筋を解説し男女の会話も一人の人が弁じるのであった。今から思えば変なものであるが上手な人がやるとかえって風情のある面白いものであったという。

 また下町には常磐座という小屋があっていつもいろいろの見せ物がまわってきたが、たまには本格的な役者が来て芝居がかかることもあった。そんな時には三人姉妹の外に女中も連れて行ったという。ほかにあまり楽しみのない時代であったのでそれは大そうな楽しみであった。

 行ってくるとあと暫くは女中も台所をしながら見て来た芝居の話に花が咲くのであった。あの場面が良かったの、いや私は別の場面が好きだのと又それぞれの贔屓の役者の声色をまねてみたりして、それが上手だの下手だのといっては笑いころげるのであった。

 うちでは歌舞伎画報という雑誌をとっていて祖母をはじめ姉や自分もよく見たものだという。芝居の有名な場面、主な見せ場、又いろいろな役者の写真や情報記事等がのっていて歌右衛門が良いとか団十郎が上手だとか生で見たのは何回も無かった母は良く知っていた。××がやった淀君が良いとか◯◯の弁慶がすばらしいとかなかなか精しいのであった。


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